大白法・平成21年2月1日刊(第758号より転載)御書解説(155)―背景と大意意

四条金吾殿女房御返事(756頁)

 

 一、御述作の由来

 本抄は、文永十二(1275)年一月二十七日、大聖人様が五十四歳の御時に、身延より四条金吾殿の妻・日眼女(にちげんにょ)に与えられた御消息です。

 御真蹟は断片が京都府宮津の妙円寺(日蓮宗)他五カ所に散在しています。

 日眼女が、三十三歳の厄年に当たって厄の御祈念のために大聖人様に御供養を捧げたのに対して、法華経信仰の功徳の甚深なることを説いて信仰を励まし、厄年を恐れずに精進するよう御教示されたものです。

 

 二、本抄の大意

  初めに真言宗が邪義であることを述べられ、次いで法華経『薬王品』の十喩(法華経533~535頁)にふれて、一切経の行者と法華経の行者との勝劣を見るとき、法華経の最勝なることと法華経を受持する者の最勝なることが説かれ、仏は法華経を受持する者を、一切衆生の主となる者であると仰せられます。

 また、女性はその性質から、世法や権経では男性に劣り(けが)れているとされていることに対して、法華経を持つ女性は一切の女性に超えて尊く、一切の男性にも勝れていると説かれます。

 さらに、願い出のあった厄の御祈念をされたことと、同名神(どうみょうしん)同生神(どうしょうしん)の二神が左右の肩に生涯つき(したが)い、その人を護ると共に善悪の業を()らさずに諸天に報告していると仰せになり、さらに堅固な信心に励むよう訓誡されています。

 また、四条金吾殿は日本中に肩を並べる者もない法華経の強信者であり、この夫に連れ()われるあなたも日本第一の女性であるとして、信心強盛な金吾殿を師として信心を導かれていくようにと激励されます。

 最後に、妙法信仰の功徳により、三十三歳の厄は転じて三十三の幸いとなり、年は若返り、福は重なっていく旨を述べられて筆を置かれています。

 

 三、拝読のポイント

 信仰実践の大事

  まず、法華経の教えを、身を惜しまず実践することが、真に法華経を受持することになると示されます。
 法華経『薬王品』に説かれた十喩は、諸経の中で法華経が第一の教法であることを喩えたものですが、大聖人様は、第八喩の四果辟支仏喩の文に、

 「能く是の経典を受持すること有らん者も、亦復是の如し。一切衆生の中に於て、亦為れ第一なり」(法華経534頁)

とあることから、一切経の行者と法華経の行者の勝劣を明かされたものであると示され、この法華経、即ち三大秘法の御本尊を持つ者は、男女・僧尼を問わず一切衆生の主に当たると述べられています。
 即ち、大聖人様は第八喩の文を指して、

 「此の二十二字は一経第一の肝心なり、一切衆生の目なり

と仰せになり、法華経受持の人、即ち法華経信仰を実践する人こそが衆生の中において第一に勝れているのであり、このことが法華経の眼目であると示されているのです。

 仏様が尊い仏法を説かれても、その法を信受し、伝え弘めていく人がいなければ廃れてしまいます。故に大聖人様は、

 「一切の仏法も又人によりて弘まるべし」(御書298頁)

と『持妙法華問答抄』に仰せられ、弘教の実践は私たち法華経を受持する者の使命であり、また『南条殿御返事』に、

 「法妙なるが故に人貴し」(同1569頁)

と仰せのごとく、持つところの妙法が尊極なる故に、その実践を通じて尊い妙法の功徳を享受できる人となれると示されているのです。
 日眼女に対し、夫の四条金吾殿が、諸難をものともせずに、大聖人様の教えを疑うことなく信じ、実践し、外護に挺身する姿をさして、本抄には、

 「左衛門殿を師とせさせ給ひて

と仰せられ、金吾殿を手本(師)として仏道を実践する信心を貫くことを強調されています。
 御法主日如上人猊下が、信仰の実践について、

 「大聖人様の仏法は観念や理論で成仏をするわけではありません。広布のためにこの身体を使い、動いてこそ、仏の広大なる功徳を体現できるのであります。信心をしているということは、信心を実践している人のことを言うのであります」(大白法七一五号)

と御指南されていることを深く拝すべきでしょう。

 女人成仏について

 次に、法華経を強盛に信受する女性の成仏に疑いがないということです。

 法華経以前の経々では、女性に対して「地獄の使ひ」「大蛇」「まがれ木」「仏の種をいれる者」とまでいわれ、罪障の深さ故に、成仏できないと忌み嫌われていました。

 このことは『開目抄』に、

 「法華経已前の諸の小乗経には、女人の成仏をゆるさず。諸の大乗経には、成仏往生をゆるすやうなれども、或は改転の成仏にして、一念三千の成仏にあらざれば、有名無実の成仏往生なり」(御書563頁)

と仰せのごとく、法華経以前の教えでは、一念三千の即身成仏の法が説かれていないために、罪障深き女性は女性の身のままでは成仏できず、たとえ経には成仏・往生という言葉があったとしても、それは有名無実だったのです。しかし、大聖人様が『日眼女釈迦仏供養事』に、

 「但法華経ばかりに、女人は仏になると説かれて候」(同1352頁)

と仰せられるように、法華経『提婆達多品』における竜女の成仏によって初めて、女人成仏が説かれます。この竜女の成仏は、女性の即身成仏の手本となったと同時に、畜生界に仏界を具する実証でもあります。

 大聖人様は『南条殿女房御返事』に、

 「夫水は寒積れば氷となる。雪は年累なって水精となる。悪積れば地獄となる。善積れば仏となる。女人は嫉妬かさなれば毒蛇となる。法華経供養の功徳かさならば、あに竜女があとをつがざらん」(同1227頁)

と仰せです。嫉妬心や愚癡を重ねていくことは畜生界に堕ちることであり、悩みながらも御本尊に唱題を重ねていくことは、自ずと即身成仏の境界に至ることができるのです。故に女性であることを卑下することはありません。本抄に、

 「此の経を持つ女人は一切の女人にすぎたるのみならず、一切の男子にこえたりとみへて候

との仰せを胸に、罪障深い我が身であるからこそ、真に即身成仏の叶う大聖人様の仏法を求め、いよいよ仏道修行に励んでいこうではありませんか。

 転厄為福のこと

 さらに、法華経への深い信仰を通じて、厄を転じて福と為すことができるということです。日眼女が三十三歳の厄年に当たり、転厄為福を願ったことに対し、大聖人様は、法華経(御本尊)を持つ者は、

 「七難即滅七福即生」

即ち、いかなる難であっても福と転ずると説かれています。そして、このことを本因下種の御本尊を持つ者の生命は、年々若々しく、その生活は福徳に満ちたものとして開かれていくと示されているのです。

 本抄では、同名神・同生神のことに触れられ、この二神は人が生まれた時から、瞬時もその人を離れず、一切の行動の善悪を天に報告すると説かれていますが、これは、私たちの一念(意)・言語(口)・行動(身)が、すべて自己の生命に刻まれ、また法界に通じて、必ず善悪の報いを受けていくことを意味するのです。『四条金吾殿御返事』に、

 「陰徳あれば陽報あり」(同1362頁)

との仰せもある通り、善因(功徳)を積めば、やがて善果(利益)となって生活上に顕われ、悪因(謗法)を作れは、必ず将来に悪果(罰)を被る結果となるのです。故に、いかに現在が厳しい状況にあろうとも、強盛に御本尊を信じて正直に仏道修行に励んだ功徳は、冥々の大利益となって人生の上に輝くのです。

 また逆に、仏道修行を怠り、謗法を犯していくならば、一時はよいように見えても、必ず自分が損をし、地獄の苦しみの中へと陥っていくことは間違いありません。
 たとえ誰が見ていようといまいと、周囲が評価しようとしまいと、すべては御本尊が御照覧あそばされていることを確信し、信心の志を積み重ねることが大切です。

 

 四、結  び

 本年は御命題達成に向けて、一月三日に出陣式が行われ、十日には記念総登山が始まりました。御法主上人猊下は出陣式の砌、

 「本年、私どもは、七万五千名大結集総会を完全勝利し、記念総登山を勇躍達成し、その勢いをもって、打って一丸となって大折伏戦を展開し、もって全国すべての講中が必ず折伏誓願を達成するよう、心から願うものであります」(大白法757号)

と仰せられました。

 各講中共に、強盛な信力・行力をもって信心修行の功徳を確信し、七万五千名大結集総会を必ず達成し、昨年以上の折伏大躍進をもって本年「正義顕揚の年」を完全勝利いたしましょう。