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(★1569㌻) 塩一駄・大豆一俵・ 今申せば事新しきに相似て候へども、 |
塩一駄、大豆一俵、 上野国から御帰宅されたのちは末だお会いせず、ご様子を知りたいと思っていたところに、いろいろな品物を添えてお便りを寄越されたことは、申し尽くしがたい御志である 今言うと事新しいようではあるけれども、徳勝童子は仏に土の餅を差し上げたことによって阿育大王と生まれて、南閻浮提をだいたい支配したと承っている。土の餅はたいしたものではないけれども、仏が尊くあられるので、このような素晴らしい果報を得たのである。 |
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| 然るに釈迦仏は、我を無量の珍宝を以て億劫の間供養せんよりは、末代の法華経の行者を一日なりとも供養せん功徳は、百千万億倍過ぐべしとこそ説かせ給ひて候に、法華経の行者を心に入れて数年供養し給ふ事有り難き御志かな。金言の如くんば定めて後生は霊山浄土に生まれ給ふべし。いみじき果報かな。 |
しかしながら釈迦仏は「私を計り知れないほどの珍宝で長遠の間供養するよりは、末法の法華経の行者を一日であっても供養する功徳は百千万億倍勝れるであろう」と説かれているのであるから、あなたが法華経の行者を心から数年間供養されたことは有り難い御志である。 金言のとおりであれば、必ず後生は霊山浄土にうまれられるであろう。なんと素晴らしい果報であろう。 |
| 其の上此の |
そのうえ、ここは人間社会から離れた山の中である。東西南北とも遠く離れて里もない。このような大変心細い山奥の住処であるが、教主釈尊の一大事の秘法を霊鷲山において相伝し、日蓮の肉団の胸中に秘して隠し持っているのである。 それゆえ、日蓮の胸の間は諸仏の入定の所である。舌の上は転法輪の所、喉は誕生の所、口の中は正覚の場所であるはずである。このような不思議な法華経の行者の住処であるから、どうして霊山浄土に劣ることがあるだろうか。 |
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| 法妙なるが故に人貴し、人貴きが故に所尊しと申すは是なり。神力品に云はく「若しは林中に於ても、若しは |
法華文句に「法が妙であるゆえに、その法を持ったひとは貴い。人が貴いがゆえに、その人のる場所も尊い」といっているのはこのことである。法華経如来神力品第二十一には「もしくは林の中においても、もしくは樹の下においても、もしくは僧坊においても(中略)般涅槃されるであろう」とある。この所に詣でる人は無始以来の罪障がたちまちのうちに消滅し、身・口・意の三業の悪は転じて法身・般若・解脱の三徳と成るであろう。かの中インドの無熱池に行った悩者が心の中の熱気を除き癒して「願いは全て満足し、あたかも清涼池のようだ」といったが、それとこれと場所は異なっても、その意はなんで変わることがあるだろうか。 | |
| 彼の月氏の霊鷲山は本朝此の身延の (★1570㌻) 是にて待ち入って候べし。 弘安四年九月十一日 日蓮 花押 |
かのインドの霊鷲山は日本のこの身延の山である。 参詣が久しく途絶えている。 急いでこられるように取り計らいなさい。 こちらで待っていよう。 ああ、申し尽くしがたい御志であることよ。 御志であることよ。 弘安四年九月十一日 日蓮 花押 |
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南条殿御返事 御使ひの申し候を |
南条殿御返事 お使いの者の話を承った。 病気が大変とのことをお聞きした。 急いで治療されて御参詣なされるがよい。 |