四条金吾殿御返事 弘安二年四月二三日 五十八歳

別名『陰徳陽報御書・不孝御書』

 

(★1362㌻)
 なによりも人には不孝がをそ()ろしき事に候ぞ。との(殿)あに()をとゝ()は、われと法華経のかたきになりて、とのをはな()れぬれば、かれこそ不孝のもの、とのゝ()にはとがなし。をうな()るい()どもこそ、とのゝはぐくみ給はずば一定不孝にならせ給はんずらんとをぼへ候。所領もひろくなりて候わば我がりゃう()えも下しなんどして一身すぐるほどはぐくませ給へ。さだにも候わば過去の父母定んでまぼり給ふべし。
 
 どのようなものよりも人にとって不幸がもっとも恐ろしいことである。あなたの兄と弟は、自分から法華経の敵になって、あなたから離れてしまったのであるから、彼等が不幸の者であって、あなたの身には罪はない。女たちに対しては、あなたが世話をしてあげなければ、きっと不幸にあたることであろうと思われる。所領も広くなったならば、自分の糧を与えるなどして、身に過ぎるほどの世話をしてさしあげなさい。そのようにさえすれば、亡き父母は必ずあなたを守って下さるでしょう。
 日蓮が()せい()もいよいよかない候べし。いかにわるくとも、きかぬやうにてをはすべし。この事を()候に申すやうにだにも()れまわせ給ふならば、なをなをも所領もかさなり、人のをぼへもいできたり候べしとをぼへ候。さきざき申し候ひしやうに、陰徳あれば陽報ありと申して、皆人は主にうたへ、主もいかんぞをぼせしかども、()どの(殿)の正直の心に主の後生をたすけたてまつらむとをもう心がう()じやう()にして、()ねん()をすぐれば、かかる()しゃう()にもあづからせ給ふぞかし。此は物のはしなり。大果報は又来たるべしとをぼしめせ。    日蓮の祈請もいよいよ叶うでしょう。どんなに女たちに落ち度があったとしても、聞かないふりをしていなさい。この事を見ていると、日蓮の申す通りにさえ振舞っていかれるならば、なお一層所領も増え、人々の信用も出てくるものと思われる。
 前々から申しているように「陰徳があれば陽報がある」といって、同僚はあなたのことを主君に讒言し、主君もまた本当なのかと思われていたが、あなたが正直な心で主君の後生をお救いしたいと思う真心が強盛であり、数年間も続いたので、このような利生を受けることができたのである。しかしこれは物事のはじまりであって、大果報はまたのちに来ると思っていきなさい。
 又此の法門の一門いかなる本意なき事ありとも、みず、きかず、いわずしてむつばせ給へ。大人にいのりなしまいらせ候べし。上に申す事は私の事にはあらず。外典三千、内典五千の肝心の心をぬきてかきて候。あなかしこあなかしこ。恐々謹言。
  卯月二十三日   日蓮 花押
 御返事
   またこの法門の人々とは、たとえどのような不本意なことがあっても、見ず、聞かず、言わずして仲よくしていきなさい。おだやかにして、祈っていきなさい。以上もうしたことは私言ではありません。外典の三千余巻、内典の五千余巻の肝心を取り出して書いたものである。あなかしこあなかしこ。恐々謹言。
  四月二十三日   日蓮花押
 御返事