大白法・平成19年12月1日刊(第730号より転載)御書解説(148)―背景と大意

同生同名御書(595頁)

 

 一、御述作の由来

 本抄は文永九(1272)年四月、日蓮大聖人が五十一歳の御時、四条金吾夫人に与えられた御消息です。本抄は御真蹟が存在せず、最古の写本である本満寺本にも年月日が記されていないため、古来、系年には種々の異説がありました。しかし本抄中に、

日蓮が大難に値ふことは法道に似たり

とあることから、佐渡在島中の文永九年四月の御消息と拝せられます。

 前年の文永八年九月、かの竜の口法難が(じゃっ)()しました。大聖人の一大事を聞いた鎌倉在住の檀越・四条金吾殿は直ちに()せ参じ、竜の口の処刑場へと連行される大聖人のお供をしました。その道すがら大聖人は、不自惜身命の覚悟をもって法華経に身を捧げることの大事を諄々(じゅんじゅん)と説かれ、金吾も(じゅん)()の覚悟を固めました。後日、大聖人は、この時の金吾の純粋な信心に対し、

(えん)()(だい)第一の法華経の御かたうど(方人)」(御書1287頁)

との賞賛の言葉を残されています。

 この大法難を、諸天の不可思議な加護によって乗り切られた大聖人は、上行菩薩の再誕としての凡夫身を(はら)い、久遠元初の御本仏としての御境界を顕されたのです。

 その後、大聖人は佐渡(はい)()を言い渡され、十一月一日に佐渡・塚原三昧堂に入られました。以後、片時もお側を離れることのなかった日興上人と共に、大聖人は壮絶な覚悟のもと、御本仏としての大慈大悲をもととする振る舞いに徹せられました。

 一方、鎌倉では五人の門下・檀越が土篭に幽閉されたり、ある者は所領を失い、ある者は領地から追い出されるなどの大弾圧が行われました。そうした厳しい状況下、多くの弟子・檀那が退転し、中には、それまでの大恩を忘れ、自ら進んで大聖人を批判する者まで現れるに至ったのです。後日、こうした人々に対して大聖人は、

かへりて日蓮を教訓して我賢しと思はん僻人等が、念仏者よりも久しく阿鼻地獄にあらん事、不便とも申す計りなし」(同583頁)

と示され、その慢心を厳しく戒められると共に、師敵対の大謗法の果報を恐れるべきであると指弾されています。

 さて、翌文永九年四月、大聖人が一谷(いちのさわ)へ移居されたころ、四条金吾が大聖人の庵を訪ねてきました。妙法流布のため、一度は命を賭すことを誓い合った師弟子の再会は、筆舌に尽くし難い感動に包まれたことでしょう。また金吾は、竜の口法難の折に大聖人が開かれた御本仏としての尊い御境界を()の当たりにし、身の引き締まる思いを持っての訪問だったに違いありません。

 大聖人は、金吾の赤誠の信心に深く感銘を持たれると共に、佐渡への危険な旅路に夫を送り出した夫人の真心にも深く感じ入るものがありました。そこで、夫人の深信を()(たた)え、さらに夫婦一致していよいよ法華経の信心に励むよう(したた)められて、金吾に託された消息文が本抄です。

 

 二、本抄の大意

 はじめに、日輪の陽光が暗闇を明るく照らすように、法華経には女性の心の闇を滅する効能が(そな)わることを示されます。

 ただし、いかに仏力・法力が偉大であっても、教えを(こうむ)る衆生の側に堅固な信力・行力がなければ功徳を成ずることは難しいとされます。さらに、()(りゃく)宝珠(ほうじゅ)と成り得ないように、いかに念仏者たちが、念仏には法華経に勝る功徳があると説いても、所詮爾前権教の(はん)(ちゅう)にある阿弥陀経は方便であって、成仏の直道とはならない旨を説かれます。

 続いて、中国の故事を引用し、謗法の権力者によって数々の艱難(かんなん)を受けることは、もとより覚悟の上の事であるとの強い信念を()(れき)されています。
 一方、金吾夫妻が幕府の膝元である鎌倉にありながら、人目も(はばか)らず大聖人に(しん)(じゅん)することは(たぐ)(まれ)なことであり、まさに夫妻の心中には、教主釈尊や薬王菩薩、普賢菩薩等の仏菩薩が宿っているに違いないと讃歎の言葉を贈られています。

 最後に、誰人にもその両肩には(どう)(しょう)(どう)(みょう)との()(しょう)(しん)が宿っており、金吾はもとより、夫を危険な旅路へと送り出した四条夫人の尊い(こころざし)は必ず仏菩薩・諸天善神の照覧するところであって、その大善の果報を思うにつけ、頼もしい限りであるとして夫妻の(じゅん)(とく)な信心を重ねて褒め称えられ、本抄を結ばれています。 

 三、信行のポイント

 諸難ありとも…

 竜の口と、それに続く佐渡配流といった大法難の最中、多くの弟子や信徒が退転していきました。たとえば()(ごえ)の尼という女性は、大聖人と旧知の仲であったにもかかわらず人目を恐れ、法難後には師敵対の大謗法を犯すに至っています。この名越の尼は、大聖人が身延へ入山された後、一度たりとも登山参詣しませんでした。しかし後年になって自身の振る舞いを後悔し、新尼を通じて御本尊下付を願い出ましたが、大聖人は、決して御本尊を下付されようとはしなかったのです。

 『開目抄』に、

我並びに我が弟子、諸難ありとも疑ふ心なくば、()(ねん)に仏界にいたるべし。天の加護なき事を疑はざれ。現世の安穏ならざる事をなげかざれ。我が弟子に朝夕教へしかども、疑ひををこして皆すてけん」(同574頁)

とあります。平時には強盛な信心を貫いているように見えても、ひとたび身に迫る大難が発生すると、保身の上から、あるいは疑念を(いだ)いて信心から離れる人がいます。しかし大聖人は、苦境に立たされたとき直ちに諸天の加護を得られなかったとしても、常に御本尊への信心を貫き自行化他に徹すれば、やがて一切の問題を克服し、成仏の大功徳を得ることができる旨を教えられているのです。

 同生神・同名神

 『四条金吾殿女房御返事』に、

人の身には左右の肩あり。このかたに二つの神をはします。一をば同名神、二をば同生神と申す(中略)影のごとく眼のごとくつき随ひて候が、人の悪をつくり善をなしなむどし候をば、つゆちりばかりものこさず、天にうたへまいらせ候なるぞ」(同757頁)

とあります。つまり誰人にも、母の胎内に生を受けたときから両肩に倶生神が宿り、その人の一切の善悪二行を記しつつ、代わるがわる天に上って諸天に報告するとされます。ですから、人知れず悪事を成したとしても、その一切の行動は諸天の知るところであり、悪行の報いは、必ず自身が受けなければなりません。

 一方、誰に褒められずとも、心底より御本尊を信じ、日々の勤行や唱題、折伏活動を着実に実践する人は、その善行の果報が必ず顕れて、一生成仏の大功徳を成ずることができるとされるのです。

 『諌暁八幡抄』に、

一切衆生の同一の苦は悉く是日蓮一人の苦なりと申すべし」(同1541頁)

と仰せです。私たちが正直に妙法の自行化他行に励むとき、私たちの苦楽はすべて、御本仏大聖人の御照覧の下にあります。ですから、どんなに苦しい特も、辛く悲しい時もけっして諦めることなく、さらに強盛な信心を奮い起こしていくことが大事なのです。

 四、結  び

 本抄に、

しらざる事をよき人におしえられて、其のまゝに信用せば道理にきこゆるがごとし

とあります。これは、仏法の深い意義は判らなくとも、ただ仏法の智者(師)より教えられたことを信じて、その言葉をそのまま他人に伝えるだけでも、尊い功徳を積むことができるということです。

 御法主日如上人猊下は、

大聖人様の御妙判を拝し奉って、大聖人様の御意のままに信心をしていく我々が、大聖人様のお言葉を信じていかなかったならば、それはだめなのです(中略)逆に、信心修行の功徳をしっかりと信じきっていけば、折伏もできるのです」(大白法725号)

と御指南されています。

 『報恩抄』に

日蓮が慈悲曠大ならば南無妙法蓮華経は万年の外未来までもながるべし」(御書1036頁)

と仰せられるように、広宣流布は日蓮大聖人の大慈大悲によって必ず成し遂げられるのです。私たちはただ、この御本仏の大確信を心から信じ、地涌の菩薩の眷属として自身にできる精一杯の自行化他の行業をもって躍進していくことが、時を得た仏道修行となるのです。

 いよいよ一年後には、平成二十一年の大佳節を迎えます。これまで納得のいく活動ができた人は具体的な成果の成就に向け、また、わずかでも反省が残る人は明年に向かって全力を傾け、記念すべき年の信行に悔いが残らぬよう、精一杯精進していきましょう。