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又この経文を昼夜に案じ朝夕によみ候ヘば、常の法華経の行者にては候はぬにはんベり。「是経典者」とて者の文字はひととよみ候ヘば、此の世の中の比丘・比丘尼・うば塞・うばいの中に、法華経を信じまいらせ候人々かとみまいらせ候ヘば、さにては候はず、次下の経文に、此の者の文字を仏かさねてとかせ給ひて候には「若有女人」ととかれて候。 |
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またこの経文を昼夜に思索し、朝夕に読んでみると、この経文に説かれている行者とは一般にいう法華経の行者ではないのである。経文の、是経典者(是の経典を持つ者)とある、その「者」の文字は、人と読むので、この世の中の僧や尼あるいは在家の男女の中で、法華経を信ずる人々をいうのかと思ってみたが、そうではない。次下の経文に、この「者」の文字を仏が重ねて説かれるには「若し女人有って」とある。すなわち法華経を持つ女性について述べられているのである。 |
日蓮法華経より外の一切経をみ候には、女人とはなりたくも候はず、或経には女人をば地獄の使ひと定められ、或経には大蛇ととかれ、或経にはまがれ木のごとし、或経には仏の種をいれる者とこそとかれて候へ。仏法のみならず外典にも栄啓期と申せし者三楽をうたいし中に、無女楽と申して天地の中に女人と生まれざる事を楽とこそたてられて候ヘ。わざわいは三女よりをこれりと定められて候に、
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此の法華経計りに、此の経を持つ女人は一切の女人にすぎたるのみならず、一切の男子にこえたりとみへて候。 |
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日蓮は法華経以外の一切経をみる時には、女性とはなりたくもないと思う。ある経には女性を地獄の使いと定められ、ある経には大蛇と説かれ、ある経にはまがれ木のようだと説かれ、ある経には仏種をいってしまった者と説かれている。
仏法だけでなく外典も、たとえば中国・春秋時代の栄啓期という者が三楽をうたっているが、その中に無女楽といって、この世の中に女性と生まれなかったことを一つの楽として挙げているのである。また中国では、わざわいは三女から起こったと定められているが、この法華経のみには、この経を受持する女性は、他の一切の女性にすぐれるだけでなく、一切の男子にも超えていると、説かれている。 |
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せんずるところは一切の人にそしられて候よりも、女人の御ためには、いとをしとをもわしき男に、ふびんとをもわれたらんにはすぎじ。一切の人はにくまばにくめ、釈迦仏・多宝仏・十方の諸仏乃至梵王・帝釈・日月等にだにも、ふびんとをもわれまいらせなば、なにくるし。法華経にだにもほめられたてまつりなば、なにかたつまじかるベき。 |
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詮ずるところ、たとえ一切の人に憎まれたとしても、女性にとっては最愛と思う夫に可愛いと思われたなら本望であろう。それと同様に、一切の人に憎まれても、釈迦仏・多宝仏・十方の諸仏や梵王・帝釈・日月等に可愛いと思われるならば、何の不足があろうか。ましてや法華経にほめられるならば、何の不足もあるわけはない。 |
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今三十三の御やくとて、御ふせをくりたびて候へば、釈迦仏・法華経・日天の御まえに申しあげ候ひぬ。人の身には左右の肩あり。このかたに二つの神をはします。一をば同名神、二をば同生神と申す。此の二つの神は梵天・帝釈・日月の人をまぼらせんがために、母の腹の内に入りしよりこのかた一生ををわるまで、影のごとく眼のごとくつき随ひて候が、人の悪をつくり善をなしなむどし候をば、つゆちりばかりものこさず、天にうたヘまいらせ候なるぞ。 |
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今年あなたは三十三歳の厄であるからと、御供養を送ってこられたので、釈迦仏・法華経・日天の御前にささげ、あなたの信心の志を申し上げました。
また、人の身には左右の肩がある。この両肩に二神がおられる。一を同名、二を同生という。この二神は梵天・帝釈・日月等が、人を守らせるためにつけた神で、人が母の胎内に宿った時から一生を終るまで、影のように、人の眼のようにつき随っているのであるが、人が悪行を作り、善業をしたことなどを、露・塵ほども残さず、これを諸天に訴えるのである。 |
華厳経の文にて候を止観の第八に天台大師よませ給ヘり。但し信心のよはきものをば、法華経を持つ女人なれどもすつるとみへて候。例せば大将軍心ゆわければしたがふものもかいなし。ゆみゆわければつるゆるし、風ゆるなればなみちひさきはじねんのだうりなり。しかるにさゑもんどのは俗のなかには日本にかたをならぶベき物もなき法華経の信者なり。これにあひつれさせ給ひぬるは日本第一の女人なり。法華経の御ためには竜女とこそ仏はをぼしめされ候らめ。女と申す文字をばかゝるとよみ候。藤の松にかゝり、女の男にかゝるも、今は左衛門殿を師とせさせ給ひて、法華経ヘみちびかれさせ給ひ候ヘ。
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これらのことは華厳経の文に説かれている。天台大師は魔訶止観の第八でにこれを引用して説かれている。
但し信心の弱いものは法華経を受持する女性といえども、捨てると書かれている。例えば大将軍の心が弱ければ従卒も不甲斐ない。弓が弱ければ絃もゆるい。風が弱ければ波も小さいのは自然の道理である。
ところで、左衛門殿は在俗の中では日本国には肩を並べる者もない強信な法華経の信者である。この夫に連れ添われるあなたも日本第一の女性である。法華経の御ためには、竜女にも匹敵する健気な女性であると仏はおもわれているであろう。女という文字はかかると読む。藤は松にかかり、女は男にかかるものであるから、今はあなたは左衛門殿を師とされて、法華経の信心を導かれていきなさい。
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又三十三のやくは転じて三十三のさいはひとならせ給ふべし。七難即滅七福即生とは是なり。年はわかうなり、福はかさなり候ベし、あなかしこ、あなかしこ。
正月二十七日 日 蓮 花押
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四条金吾殿女房御返事 |
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また三十三の厄は転じて三十三の福となるであろう。「七難即滅・七福即生」というのはこれである。年は若返り、福は重なるでしょう。あなかしこ・あなかしこ。
正月二十七日 日蓮花押
四条金吾殿女房御返事 |