四条金吾殿御返事 弘安元年一〇月 五七歳

別名『所領書』

 

第一章 所領の加増を喜ぶ

(★1286㌻)
 鵞目一貫文給び候ひ(おわ)んぬ。
 御所領(かみ)より()ばらせ給ひて候なる事、まことゝも覚へず候。夢かとあまりに不思議に覚へ候。御返事なんどもいかやうに申すべしとも覚へず候。
 
 銭を一貫文受領しました。
 さて、主君から御所領をあらたに給わったとのお知らせ、まこととも思えぬほどである。夢かと本当に不思議に思い御返事もどのように申しあげようかと思ったほどである。
 其の故はとの(殿)ゝ御身は日蓮が法門の御ゆへに日本国並びにかまくら(鎌倉)中、御内の人々、きうだち(公達)までうけず、ふしぎ(不思議)にをもはれて候へば、其の御内にをは(御座)せむだにも不思議に候に御恩をかうほらせ給へば、うちかへし又うちかへしせさせ給へば、いかばかり同れい()どもゝふしぎとをもひ、(かみ)もあまりなりとをぼすらむ。    其の故はあなたの身は日蓮の法門を信じたために、日本の国ならびに鎌倉の人々、江間氏の身内の人々や公達までから快く思われず、普通では考えられないことと思われていたから、その御内に無事にいるのさえも不可思議である。そのうえ、主君からの御恩を蒙ると、その都度、打ち返し打ち返しされてきた(所領を給わっても、いわば左遷の形なのでいつも返上してきた)のであるから、どれほど同僚たちも不思議と思い、主君もあまりの事とおぼしめされていたのであろう。
 さればこのたび(此度)はいかんが有るべかるらんとうたが()ひ思ひ候ひつる(うえ)、御内の数十人の人々うった()へて候へば、さればこそいか(如何)にもかな()がた()かるべし。あまりなる事なりと疑ひ候ひつる上、兄弟にも()てられてをは(御座)するに、かゝる御をん()面目申すばかりなし。
   ゆえに、今度はどうなることだろうと私も案じていたところ、江間家の内の人々数十人が訴えて讒言したので、必ず無事には済むまい、とても所領をうけることはかなわないと思っていたのである。あまりのことであるとどうなるかと疑っていたところ、そのうえ兄弟にまでも捨てられている身なのに、このようなご恩に浴するとは面目この上ないことである。
 かの処はとのをか(殿岡)の三倍とあそばして候上、さど(佐渡)の国のもの()ゝこれに候が、よくよく其の処を()りて候が申し候は、三箇郷の内にいかだと申すは第一の処なり。
(★1287㌻)
田畠はすく()なく候へども、とく()はかり()なしと申し候ぞ。二所は()ねんぐ(年貢)千貫、一所は三百貫と云云。かゝる処なりと承はる。
   新しい領地は、これまでの殿岡の三倍もあるという上に、佐渡の国の者で、この身延に来ていて、よくその土地を知っている者の話によると、三箇郷のうち、いかだというところは第一のところであって、田畑は少ないけれども、その徳分は量りなく多いということである。二か所は年貢が千貫、一か所は三百貫と、このような所と聞いている。
 なにとなくとも、どうれい(同僚)()した()しき人々と申し、()てはてられてわら()ひよろこびつるに、とのをか(殿岡)をと()りて候処なりとも、御下し(ぶみ)は給びたく候ひつるぞかし。まして三倍の処なりと候。いかにわろ()くともわろ()きよし人にも又(かみ)へも申させ給ふべからず候。()ところ()よきところと申し給はゞ、又かさねて()ばらせ給ふべし。わろき処徳分なしなんど()候はゞ天にも人にもすてられ給ひ候はむずるに候ぞ。御心へあるべし。    ともかく今は、同僚にも親しい人々にも捨てられ、嘲笑されていたのだから、たとえ殿岡に劣っている所であっても、ご恩を給わりたい時である。いわんや三倍の所であるという。たとえどんなに悪い土地であろうとも、悪いということを、他人やまた主君にいってはならない。良い所、良い所といっていれば、また重ねて給わることもあろう。それを悪い所だ、徳分のないなどといえば、天にも人にも見捨てられてしまうであろう。深く心得るべきである。

第二章 成仏への信心を示す

 ()(じゃ)()王は賢人なりしが、父をころ()せしかば、即時に天にも()てられ、大地もやぶ()れて入りぬべかりしかども、殺されし父の王一日に五百りゃう()、五百りゃう数年が(あいだ)仏を供養しまいらせたりし功徳と、後に法華経の檀那となるべき功徳によりて、天もすてがたし、地もわれず、ついに地獄に()ちずして仏になり給ひき。    阿闍世王は賢人であったが、父を殺したのであるから、即座に天に捨てられ、大地がわれて地獄に堕ちるべきところであったが、殺された王が生前に一日五百輌ずつ、数年間にわたって、仏を供養した功徳と、阿闍世王自身、後に法華経外護の檀那となる功徳によって、天も捨てがたく、地もわれず、ついに地獄にも堕ちないで仏になったのである。
 との(殿)も又かくのごとし。兄弟にもすてられ、同れい()にもあだ()まれ、きうだち(公達)にもそば()められ、日本国の人にもにく()まれ給ひつれども、去ぬる文永八年の九月十二日の()(うし)の時、日蓮が御(かん)()かほ()りし時、馬の口にとりつきて鎌倉を出でて、さがみ(相模)えち(依智)に御とも()ありしが、一(えん)()(だい)第一の法華経の御かたうど(方人)にて有りしかば、梵天・帝釈もすてかねさせ給へるか。    あなたもまたその通りであって、兄弟にも捨てられ、同僚にもにくまれ、公達にも迫害され、日本国中の人にもにくまれたけれども、去る文永八年九月十二日の子丑の時、日蓮が御勘気を蒙った際に、馬の口に取り付いて鎌倉を出て依知まで供してこられたことは、一閻浮提第一の法華経の味方であるから、梵天・帝釈も捨てられなかったのであろう。
 仏にならせ給はん事もかくのごとし。いかなる大科ありとも、法華経をそむ()かせ給はず候ひし御ともの御ほうこう(奉公)にて仏にならせ給ふべし。例せば有徳国王の覚徳比丘の(いのち)()はりて釈迦仏とならせ給ひしがごとし。法華経はいの()りとはなり候ひけるぞ。あなかしこあなかしこ。いよいよ道心堅固にして今度仏になり給え。
   仏になることもこれと同じである。どのような大罪があったとしても、法華経に対して背かれずに、御供の御奉公をされたのであるから、仏になることは疑いない。
 例えば涅槃経に説かれているところの、有徳王が正法護持の覚徳比丘の命を捨てて護った功徳によって、釈迦仏となられたごとくである。法華経を信ずるのは成仏の祈りとなるものである。あなかしこあなかしこ。いよいよ信心を強盛にして今生に成仏を期していきなさい。

 

第三章 煩悩即菩提の原理を明かす

 御一門の御房たち又俗人等にもかゝるうれ()しき事候はず。かう申せば今生のよく()とをぼすか。それも凡夫にて候へばさも候べき上、欲をもはな()れずして仏になり候ひける道の候ひけるぞ。()(げん)経に法華経の肝心を説きて候「煩悩を断ぜず五欲を離れず」等云云。天台大師の摩訶止(まかし)(かん)に云く「煩悩即(ぼんのうそく)()(だい)(しょう)()(そく)()(はん)」等云云。
(★1288㌻)
竜樹菩薩の大論に法華経の一代にすぐれていみじきやうを釈して云く「譬へば大薬師の()く毒を変じて薬と為すが如し」等云云。「小薬師は薬を以て病を治す、大医は大毒をもって大重病を治す」等云云。
    日蓮 花押
 四条金吾殿御返事
   御一門の出家の御房達や在家の人々のなかにも、これほどうれしいことはない。このように所領のことについていえば、現世の欲望だと思われるかもしれないが、凡夫であるからにはそれは当然であるし、その欲を離れずして仏になる道があるのである。
 普賢経に法華経の大事な心を説いて「煩悩を断ぜず五欲を離れず」とあり、また竜樹菩薩の摩訶止観には「煩悩がそのまま菩提となり、生死がそのまま涅槃の境界となる」とある。
 また竜樹菩薩の大論には法華経が一代諸経に勝れていることを釈して「たとえば大薬師がよく毒を変じて薬とするごときものである」といわれている。その意は、小薬師は薬を以って病を治すが、大医は大毒を以って大重病を治すのである。ということである。
  弘安元戊寅年十月 日    日蓮花押
 四条金吾殿御返事