佐渡御書  文永九年三月二〇日 五一歳

別名『日蓮弟子檀那等御中』

 

第一章 不惜身命の信心を勧める

(★578㌻)
 世間に人の恐るゝ者は、火炎(ほのお)の中と刀剣(つるぎ)の影と此の身の死するとなるべし。牛馬(なお)身を惜しむ、況んや人身をや。癩人(らいにん)猶命を惜しむ、何に況んや壮人をや。
 
 世間において人がおそろしいと思うものは、火の中につつまれることと、刀で斬られようとすることと、自分自身が死ぬということでしょう。牛や馬でさえ命を惜しむものです。まして人間はなおさらのことです。みにくい姿形となり、人々からきらわれ、生きていてもしかたがないと思われる癩病人でさえ命を惜しむものです。まして健康な人はなおさらのことです。
 仏説いて云はく「七宝(しっぽう)を以て三千大千世界に()き満つるとも、手の小指を以て仏経に供養せんには(しか)かず」取意。雪山童子の身をなげし、楽法(ぎょうぼう)梵志(ぼんじ)が身の皮をはぎし、身命に過ぎたる惜しき者のなければ、是を布施として仏法を習へば必ず仏となる。身命を捨つる人、他の宝を仏法に惜しむべしや。又財宝を仏法におしまん物、まさる身命を捨つべきや。    釈尊は法華経の薬王品に「金・銀・瑠璃など七種類の宝石を三千大千世界に敷きつめて供養したとしても、手の小指を切って仏法に供養することにおよばない」という意味のことをのべています。雪山童子は鬼に身を投げ与えて仏法を求めました。楽法梵志は身の皮をはいで経を書き写したといいます。身命にまさるほどの惜しいものはないので、この身を布施として仏法を学べば、必ず仏となるのである。身命を捨てる人が、他の宝を仏法に惜しむようなことがあるのだろうか。また財宝を仏法のために惜しむ者が、財宝にまさる身命を仏法のために捨てることがあるだろうか。
 世間の法にも重恩をば命を捨て報ずるなるべし。又主君の為に命を捨つる人は、すくなきようなれども其の数多し。男子ははじ()に命を捨て、女人は男の為に命を()つ。魚は命を惜しむ故に、池に()むに池の浅き事を歎きて池の底に穴をほりてすむ。しかれども()にばかされて釣をのむ。鳥は木に()む。木のひき()ゝ事を()じて木の上枝(ほつえ)にすむ。しかれども()にばかされて網にかゝる。人も又是くの如し。世間の浅き事には身命を(うしな)へども、大事の仏法なんどには捨つる事難し。故に仏になる人もなかるべし。    世間の習慣でも、重恩に対しては命を捨てて報いるのである。また主君のために命を捨てる人も少ないようではあるが、その数は多い。男子は恥に命を捨て、女人は男のために命を捨てる。魚は命を惜しむために池にすむが、池が浅いことを嘆いて池の底に穴を掘って住むのである。しかし、釣人の餌にだまされて釣をのんでしまう。鳥は木に住む。木が低いといって木の上枝にすむが、餌にだまされて網にかかってしまうのである。人間もまた同じようなものである。世間の浅いことには身命を失うことはあっても、大事の仏法のために命を捨てる事は難しい。そのため仏に成る人もいないのである。

 

第二章 折伏こそ時機に叶う修行と明かす

 仏法は摂受(しょうじゅ)・折伏(とき)によるべし。(たと)へば世間の文武(ぶんぶ)二道の如し。されば昔の大聖(だいしょう)は時によりて法を行ず。
(★579㌻)
 雪山(せっせん)童子(どうじ)薩埵(さった)王子は、身を布施(ふせ)とせば法を教へん、菩薩の行となるべしと責めしかば身をすつ。肉をほしがらざる時、身を捨つべきや。紙なからん世には身の皮を紙とし、筆なからん時は骨を筆とすべし。破戒無戒を(そし)り、持戒正法を用ひん世には、諸戒を堅く(たも)つべし。
   仏法を弘通するための摂受と折伏は時によるべきである。たとえば世間の文武の二道のようなものである。それゆえに、昔の聖人は時に応じて教えを行じた。
 雪山童子や薩埵王子は「身を布施とすれば法を教えてあげよう。身を捨てることが菩薩の修行である」と言われたので、身命を捨てている。肉を求めるもののない時に身を捨てるべきであろうか。紙のない世には身の皮を紙とし、筆のない時には骨を筆とすべきである。
 戒律を破る人や戒律をたもたない人を非難し、戒律をたもち正しい仏法を用いる時代であるなら、いろいろな戒律をたもたなければなりません。
儒教(じゅきょう)・道教を(もっ)て釈教を制止せん日には、道安(どうあん)法師・慧遠(えおん)法師・法道(ほうどう)三蔵(さんどう)等の如く、王と論じて命を(かろ)うすべし。釈教の中に小乗・大乗・権経・実経雑乱(ぞうらん)して明珠(みょうじゅ)瓦礫(がりゃく)牛驢(ごろ)の二乳を(わきま)へざる時は、天台大師・伝教大師等の如く大小・権実・顕密を強盛(ごうじょう)分別(ふんべつ)すべし。    儒教や道教によって仏教の流布を止めようとする時代には、道安法師・慧遠法師・法道三蔵等がおこなったように、仏法に反対する王を破折し、命をかけて仏法を守らなければなりません。
 あるいは仏教のなかで、小乗・大乗・権経・実経が入り雑り、ちょうど明珠と瓦礫と牛驢の二乳の見分けがつかないような時には、天台大師・伝教大師等のように、大乗と小乗、権経と実経・顕教と密教の勝劣を強く述べるべきである。
 畜生の心は弱きをおどし強きをおそる。当世の学者等は畜生の如し。智者の弱きをあなづり王法の邪をおそる。諛臣(ゆしん)と申すは(これ)なり。    畜生の心は弱い者をおどし強い者を恐れる。今の世の諸宗の学者等は畜生のようである。智者(日蓮大聖人)が弱い立場であることをあなどり、権力の横暴さを恐れている。諛臣(へつらう人)というのはこういう者をいうのである。
 強敵(ごうてき)を伏して始めて力士をしる。悪王の正法を破るに、邪法の僧等が方人(かとうど)をなして智者を失はん時は、師子王の如くなる心をもてる者必ず仏になるべし。例せば日蓮が如し。これおご()れるにはあらず、正法を()しむ心の強盛なるべし。    強い敵をたおして、はじめて力ある士と知ることができる。悪王の正法を滅亡させようとする時、邪法の僧等がこの悪王に味方して、智者を滅ぼそうとする時、師子王のような心を持つ者が必ず仏になることができる。例えば日蓮のようにである。こういうのはおごった気持ちからではなく、正法を滅することを惜しむ心が強いからである。 
 おご()る者は必ず強敵(ごうてき)に値ひておそるゝ心出来(しゅったい)するなり。例せば修羅(しゅら)のおごり、帝釈(たいしゃく)()められて、無熱池(むねっち)(はちす)の中に小身と成りて隠れしが如し。正法は一字一句なれども時機(じき)に叶ひぬれば必ず得道()るべし。千経万論を習学すれども、時機に相違すれば叶ふべからず。    おごっている者は。からなず自分より強い敵にあうと、おすれる心がでてくるものです。例えば、修羅はおごりたかぶっていたが、帝釈に責められて無熱池の蓮の中に小さくなって隠れたようなものである。
 正法は一字一句であっても、時と機根に叶うならば必ず成仏することができる。たとえ千経・万論を習学しても時と機根に相違するならば成仏することはできない。

 

第三章 自界叛逆難の予言的中を挙げる

 宝治(ほうじ)の合戦すでに二十六年、今年二月十一日十七日又合戦あり。外道悪人は如来の正法を破りがたし。仏弟子等必ず仏法を破るべし。「師子身中の虫の師子を()む」等云云。大果報の人をば他の敵やぶりがたし。(した)しみより破るべし。薬師(やくし)経に云はく「自界(じかい)叛逆(ほんぎゃく)難」是なり。仁王(にんのう)経に云はく「聖人去る時七難必ず起こらん」云云。金光明(こんこうみょう)経に云はく「三十三天各瞋恨(しんこん)を生ずるは、其の国王悪を(ほしいまま)にして治せざるに由る」等云云。    宝治の合戦からすでに二十六年がたった。今年(文永九年)の二月十一日と十七日にまた合戦(鎌倉幕府での内部でのあらそい)があった。たとえば、外道や悪人は、仏の説いた正しい法を破ることはできない。仏の弟子たちが内から災いを生じさせたときに、かならず仏法を破るのです。それはちょうど獅子の体内にすむ害虫が、獅子をくうといわれているようなものである。大福運の人を、他の敵が破ることはできない。親しくしている人たちが破るのである。薬師経に「自界叛逆難」とあるのがこれである。仁王経には「聖人が国を去る時に七難が必ず起こるであろう」と説かれ、金光明経には「三十三天がそれぞれ瞋りをなすのは、その国王が悪事をほしいままにし、その悪事を改めないことによる」と説かれている。
 日蓮は聖人にあらざれども、法華経を説の如く受持すれば聖人の如し。又世間の作法()ねて知るによって、注し置くこと是違ふべからず。現世に云ひをく(ことば)の違はざらんを()後生(ごしょう)の疑ひをなすべからず。    日蓮は聖人ではないけれども、法華経を仏の説いたとおりに実践しているので聖人のようなものである。また、世間の道理をまえまえから知っていたので、書き置いてあったこと(立正安国論で予言した他国侵逼難と自界叛逆難)がはずれるはずがない。このように現世で言っておいたことがみごと的中しているのであるから、後生の成仏もまちがいないといっていることを疑ってはいけない。
 日蓮は此の関東の御一門の棟梁(とうりょう)なり、日月なり、亀鏡(ききょう)なり、眼目なり、日蓮捨て去る時七難必ず起こるべしと、
(★580㌻)
去年九月十二日御勘気を(こうむ)りし時、大音声を(はな)ちてよばはりし事これなるべし。(わず)かに六十日乃至百五十日に此の事起こるか。是は華報(けほう)なるべし。実果(じっか)の成ぜん時いかゞなげ()かはしからんずらん。
   日蓮はこの関東の御一門(鎌倉北条幕府)にとっては棟梁(指導者)であり、日月であり、亀鏡であり、眼目(将来をあやまりなく見定める中心となる人)である。その日蓮を用いず流罪して捨て去ってしまう時には、七種類の難が必ず起こるであろうと、去年の九月十二日に幕府のおとがめをうけたとき、大音声でさけんだのはこのこと(幕府内部のあらそい)をいったのである。これば植物にたとえれば、花が咲いたようなものであって、まだ軽いむくいである。そのあとに実がなるように、もっと大きな難がおこったときには、どんなに嘆かわしいことであろう。
 世間の愚者の思ひに云はく、日蓮智者ならば何ぞ王難に()ふやなんど申す。日蓮兼ねての存知なり。父母を打つ子あり、阿闍世(あじゃせ)王なり。仏・阿羅(あら)(かん)を殺し血を()だす者あり、提婆達多(だいばだった)是なり。六臣これを()め、瞿伽利(くがり)等これを(よろこ)ぶ。日蓮当世には此の御一門の父母なり。仏・阿羅漢の如し。然るを流罪して主従共に悦びぬる、あはれに無慚(むざん)なる者なり。。    世間の愚者は「日蓮が智者ならどうして権力者の迫害にあうのか」などと言っている。正法を弘めれば迫害にあうことは、日蓮は以前からよく知っていました。かって釈尊の時代にも父母を打つ子があった。阿闍世王がそれである。阿羅漢を殺害し仏身から血を流させた者がいる。提婆達多がそれである。阿闍世王の六臣は王の悪事をほめ、提婆達多の弟子の瞿伽利たちは師匠の悪事を悦んだ。日蓮は現在においては、この北条一門の父母にあたる存在である。また、仏・阿羅漢のようなものである。それなのに、日蓮を佐渡まで流罪し、主従ともに悦んでいるが、まったく不憫でかわいそうな人々である。
 謗法の法師等が自ら(わざわい)の既に顕はるゝを歎きしが、()くなるを一旦は悦ぶなるべし。後には彼等が歎き日蓮が一門に劣るべからず。    謗法の法師等が、日蓮によって自らのあやまちを指摘されてはっきりとしてしまったことを嘆いていたのに、このようになったこと(大聖人が佐渡流罪されたこと)を一旦はよろこぶであろう。しかし、あとになって彼らが地獄へおちてうける嘆きは、いま、日蓮一門が迫害を受けて苦しんでいる嘆きに劣らない、大変なものになるであろう。
 例せば泰衡(やすひら)せうと()()ち、九郎(くろう)判官(ほうがん)を討ちて悦びしが如し。既に一門を亡ぼす大鬼の此の国に入るなるべし。法華経に云はく「悪鬼(あっき)入其身(にゅうごしん)」是なり。    たとえば藤原泰衡が源頼朝の圧力にたえかねて弟(忠衡)を打ち、さらに九郎判官(源義経)を討って一時は喜んでいたが、そのためについには自分も滅ぼされてしまったようなものである。すでに北条一門を滅ぼす大鬼がこの日本に入っているのであろう。法華経勧持品第十三には「悪鬼が其の身に入る」と説かれているのがこれである。

 

第四章 留難も先業によるを明かす

 日蓮も又かく()めらるゝも先業なきにあらず。不軽品に云はく「其罪(ござい)畢已(ひっち)」等云云。不軽菩薩の無量の謗法の者に罵詈(めり)打擲(ちょうちゃく)せられしも、先業の所感なるべし。(いか)(いわ)んや、日蓮今生(こんじょう)には貧窮(びんぐ)下賤(げせん)の者と生まれ(せん)陀羅(だら)が家より()でたり。心こそすこし法華経を信じたる様なれども、身は人身に似て畜身なり。魚鳥を混丸(こんがん)して赤白(しゃくびゃく)二渧(にてい)とせり。其の中に識神(しきしん)をやどす。濁水に月のうつれるが如し。糞嚢(ふんのう)(こがね)をつゝめるなるべし。    日蓮もまた、このように迫害をうけるも過去世の業のためともいえる。法華経常不軽品第二十に「其の罪畢え已って」と説かれている。不軽菩薩が多くの謗法の人に悪口をいわれ、打ちすえられたのも過去世の業の報いなのである。まして日蓮は今世には貧しく身分のいやしい旃陀羅(生命を殺すことを仕事にする人、ここでは漁師のこと)の家に生まれている。心こそ少し法華経を信じたようであるが、身は人間のかたちをしていても畜生の身である。魚や鳥をたべてできた身体を持つ父母を縁にして、その中に生命をやどしたのである。ちょうど、濁った水に月が映っているようなものである。また、糞をいれる袋に金をつつんでいるようなものである。
 心は法華経を信ずる故に梵天(ぼんてん)帝釈(たいしゃく)をも(なお)恐ろしと思はず、身は畜身の身なり。色心不相応の故に愚者のあなづる道理なり。心も又身に対すればこそ(つき)(こがね)にもたと()ふれ。又過去の謗法を案ずるに誰かしる。勝意(しょうい)比丘(びく)が魂にもや、大天が(たましい)にもや。    心は法華経を信じているから、梵天・帝釈でさえも恐ろしいとは思わない。しかし身はいやしい畜生の身である。身と心とが一致していないのであるから、仏法のことがわからないおろかな人が、日蓮を軽蔑するのも、もっともなことです。心もまた、そのようないやしい身にくらべるからこそ、濁った水に月、糞をいれる袋の中の金にたとえられるのです。また自分の過去世の謗法を考えてみるに、誰がわかるであろうか。勝意比丘(正法に反対して地獄におちた僧)のたましいを持っているのかもしれない。大天(慢心をおこして仏教界を混乱させたインドの僧)のたましいを持っているのかもしれない。
 不軽軽毀(きょうき)の流類なるか、失心の余残なるか、五千上慢の眷属なるか、大通第三の余流(よりゅう)にもやあるらん、宿業はかりがたし。(くろがね)(きたえ)()てば剣となる。賢聖は罵詈(めり)して試みるなるべし。我今度の御勘気は世間の(とが)一分もなし。(ひとえ)に先業の重罪を今生に消して、後生の三悪を脱れんずるなるべし。    不軽菩薩を迫害した四衆の子孫なのであろうか。久遠を忘失した者の余残か、五千人の増上慢の眷属か。あるいは大通第三の未発心の余流なのであろうか。宿業はかりがたい。鉄はきたえて打てば剣になる。賢人、聖人とよばれる人は世間から悪口をいわれ、迫害をうけてためされてはじめて、その立派さがわかるものである。日蓮がこのたび受けた御勘気に世間の罪は一分もない。ただ過去世の重罪を今生に消滅して、来世に三悪堕すことを脱れることになるのであろう。

 

第五章 一国謗法の根源を示す

 般泥洹(はつないおん)経に云はく「当来の世、仮りに袈裟を()て我が法の中に於て出家学道し、懶惰(らんだ)懈怠(けたい)にして此等の方等(ほうどう)契経(かいきょう)
(★581㌻)
を誹謗すること有らん。当に知るべし、此等は皆是今日の諸の異道の(やから)なり」等云云。此の経文を見ん者自身を()づべし。今我等が出家して袈裟をかけ懶惰(らんだ)懈怠(けたい)なるは、(これ)仏在世の六師外道が弟子なりと仏記し給へり。
   般泥洹経には「未来の世に、かりに袈裟をつけて我が法の中で出家学道したとして懶惰懈怠であって、これらの大乗経典を誹謗するような者は、これらはみな今日の諸の外道の者であると知るべきである」と説かれている。この経文をみて、これにあてはまる者は、自分自身を恥じるべきである。いま、われわれが出家して袈裟をつけながら仏法の修行をなまけるというのは、釈尊の時代の六師外道の弟子にあたると、仏は記されている。
 法然(ほうねん)が一類、大日(だいにち)が一類、念仏宗・禅宗と号して、法華経に捨閉(しゃへい)閣抛(かくほう)の四字を()へて制止を加へて、権経の弥陀(みだ)称名(しょうみょう)(ばか)りを取り立て、教外(きょうげ)別伝(べつでん)と号して法華経を月をさす指、只文字をかぞ()ふるなんど笑ふ者は、六師が末流の仏教の中に出来せるなるべし。うれ()へなるかなや。    法然の教えを信ずる人々、大日房の教えを信ずる人々、それぞれ自分たちの宗教を念仏宗、禅宗と名づけて、法華経に捨閉閣抛の四字をそえて信じることをやめさせ、仮の教えの阿弥陀の名を唱えることだけを修行としたり、教外別伝といって、法華経は悟りの月をさす指であり手段であると悪口をいい、その経文をいくら読んでも、ただ文字をかぞえているようなもので何の役にもたたない、などといってあざ笑う人は、釈尊の時代に出た六人の外道の指導者の流れをくむものが、末法の仏教のなかに生まれてきたものであろう。ほんとうに嘆かわしいものである。
 涅槃(ねはん)経に(ほとけ)光明(こうみょう)を放ちて地の下一百三十六地獄を照らし給ふに、罪人一人もなかるべし。法華経の寿量品にして皆成仏せる故なり。但し一闡提人と申して謗法の者計り地獄(もり)に留められたりき。彼等が()ひろ()げて、今の世の日本国の一切衆生となれるなり。日蓮も過去の種子(すで)に謗法の者なれば、今生に念仏者にて数年が間、法華経の行者を見ては未有(みう)一人得者(いちにんとくしゃ)千中(せんちゅう)無一(むいち)等と笑ひしなり。    涅槃経に仏が光明を放って地下の一百三十六の地獄を照らされた時、罪人は一人もいなかったとある。それは法華経の如来寿量品でみな成仏したからである。ただし一闡提人といって謗法の者だけは、地獄の獄守に留められたのである。彼ら一闡提人が生み広げて、今の世の日本国の一切衆生となったのである。日蓮も過去世にすでに謗法の種を持っていたので、今世で念仏者であった数年のあいだには、法華経を修行する人をみては「法華経ではいまだ一人も成仏した人はいない。法華経を修行しても千人のうち一人も成仏しない」などといって笑っていた。
 今謗法の()ひさめて見れば、酒に酔へる者父母を打ちて悦びしが、酔ひさめて後(なげ)きしが如し。歎けども甲斐なし、此の罪消えがたし。何に況んや過去の謗法の心中に()みけんをや。    いまになって謗法の酔いがさめてみれば、ちょうど酒に酔ったものが父母を打って喜んでいたが、酔いがさめて自分のしたことに気づいて嘆いているようなものである。いくら嘆いてもどうにもならない。この謗法の罪は消えるものではないのである。まして、過去の謗法が心中に染まっているのは、なおさらのことである。 
 経文を見候へば、(からず)の黒きも(さぎ)の白きも先業のつよ()()みけるなるべし。外道は知らずして自然(じねん)と云ひ、今の人は謗法を顕はして(たす)けんとすれば、我が身に謗法なき由をあなが()ちに陳答(ちんとう)して、法華経の門を閉じよと法然が書けるを()かく()あら()がひなんどす。念仏者はさておきぬ。天台・真言等の人々、彼が方人(かとうど)あな()がちにするなり。    経文を見ると烏の黒いのも鷺の白いのも、過去世の業が強く染まりついたからだとある。それを外道は知らないで自然の成りゆきであるという。今の人は、日蓮が謗法であることを教えて扶けてあげようとすると、自分は謗法はないと、声を荒立てて答えて、法然が「法華経の門を閉じよ」書いていることさえいちいち理由をつけて争うのである。
 念仏者のことはともかくとして、天台、真言等を信ずる人びとまでが、強く念仏の味方をしているのである。

 今年正月十六日十七日に佐渡国の念仏者等数百人、印性房(いんしょうぼう)と申すは念仏者の棟梁(とうりょう)なり。日蓮が(もと)に来て云はく、法然上人は法華経を(なげう)てよとかかせ給ふには非ず、一切衆生に念仏を申させ給ひて候。此の大功徳に御往生疑ひなしと書き付けて候を、山僧等の流されたる並びに寺法師等、()きかな善きかなとほめ候をいかゞこれを破し給ふと申しき。鎌倉の念仏者よりもはるかにはかなく候ぞ。無慚(むざん)とも申す計りなし。。
 
 今年一月十六日と十七日に、佐渡の国の念仏者たちが数百人が集まってきました。印性房というのは念仏者の中心者ですが、その人は日蓮のところへきて「法然上人は法華経を抛てとお書きになったのではない。すべての人に念仏をとなえさせたのです。この念仏を弘めた大功徳によって法然の往生はまちがいないと書いているのを、山僧(比叡山系の天台僧)たちで佐渡に流されてきた人びとも、寺法師(園城寺系の天台僧)たちもともに、たしかにそのとおりであるとほめているのに、あなた(日蓮)も天台僧の一人でありながら、どうしてこれを破折なさるのか」と質問してきた。この姿は鎌倉の念仏者よりも、はるかにおろかである。あわれという以外にない。

 

第六章 謗法の罪報を今世に転ずるを明かす

 いよいよ日蓮が先生(せんじょう)今生(こんじょう)先日(せんじつ)の謗法おそろし。()ゝりける者の弟子と成りけん、()ゝる国に生まれけん、
(★582㌻)
いかになるべしとも覚えず。般泥・経に云はく「善男子過去に無量の諸罪・種々の悪業を作らんに、是の諸の罪報或は軽易せられ、或は形状醜陋にして、衣服足らず、飲食麁疎にして、財を求めて利あらず、貧賤の家及び邪見の家に生まれ、或は王難に遭ふ」等云云。又云はく「及び余の種々の人間の苦報現世に軽く受くるは、斯れ護法の功徳力に由る故なり」等云云。
   ますます日蓮の前世からの、今世での、そしてこのあいだまでの謗法は、まことにおそろしいものである。このようなものの弟子となり、このような謗法の国に生まれたのであるから、あなたがたも、これからどのようになるかもわかりません。般泥洹経には「善男子よ、過去世に多くの罪やさまざまな悪業をつくったためにうける報いは、人から軽んぜられたり、みにくい姿で生まれたり、着るものが不足したり、食べるものが貧しかったり、金銭をもとめても少しも利益がなかったり、貧しく賤しい家に生まれたり、あやまった宗教の家に生まれたり、権力者に迫害される」とある。また、「そのほか、人間として生まれてきてうけるさまざまな苦しみを、現世で軽く受けるのは、仏法を護る功徳の力による」ともあります。
 此の経文は日蓮が身なくば、(ほとん)ど仏の妄語となりぬべし。一には「或は軽易(きょうい)せらる」、二には「或は形状(ぎょうじょう)醜陋(しゅうる)」、三には「衣服(えぶく)()らず」、四には「飲食(おんじき)麁疎(そそ))」、五には「財を求むるに利あらず」、六には「貧賤の家に生まる」、七には「及び邪見の家」、八には「或は王難に()ふ」等云云。此の八句は只日蓮一人が身に感ぜり。    この経文は、もし日蓮がいなかったらならば、ほとんど仏がウソをついたことになってしまったであろう。一には人から軽んぜられる、二にはみにくい姿で生まれる、三には着る物が不足する、四には食べるものが貧しい、五には金銭を求めても何の利益も得られない、六には貧しくいやしい家に生まれる、七にはあやまった宗教の家に生まれる、八には権力者の迫害をうける、とあったが、この八つのことがらは、ただ日蓮一人の身にあてはまっている。
 高山に登る者は必ず(くだ)り、我(ひと)(かろ)しめば還って我が身人に軽易せられん。形状(ぎょうじょう)端厳(たんごん)()しれば醜陋(しゅうる)の報いを得。人の衣服飲食をうば()へば必ず餓鬼となる。持戒尊貴を笑へば貧賤の家に生ず。正法の家を()しれば邪見の家に生ず。善戒を笑へば国土の民となり王難に()ふ。是は常の因果の定まれる法なり。    高い山に登る者はかならずおりるように、人を軽んずれば逆に自分が人から軽んぜられる。姿形の立派な人の悪口をいえばみにくい姿で生まれる。人の着る物や食べる物をうばえばかならず餓鬼となる。戒律をたもった尊い正法の僧をあざけり笑えばまずしく賤しい家に生まれる。正法をたもった家を悪口すれば邪見の家に生まれる。正しく戒律をたもって仏道修行をしている人を笑えば身分の低い家に生まれて権力者の迫害にあう。いまあげたようなことは、仏教一般にいわれている因果の定まった法則である。 
 日蓮は此の因果にはあらず。法華経の行者を過去に軽易せし故に、法華経は月と月とを並べ、星と星とをつらね、華山(かざん)に華山をかさね、玉と玉とをつらねたるが如くなる御経を、或は上げ或は(くだ)して嘲哢(ちょうろう)せし故に、此の八種の大難に値へるなり。此の八種は(じん)未来際(みらいさい)が間一つづつこそ現ずべかりしを、日蓮つよく法華経の敵を責むるに()て一時に(あつ)まり起こせるなり。譬へば民の郷郡(ごうぐん)なんどにあるには、いかなる利銭を地頭等にはおほ()せたれども、いた()()めず、年々にのべゆく。其の所を出づる時に(きそ)ひ起こるが如し。「斯れ護法の功徳力に由る故なり」等は是なり。    日蓮がうけている苦難は、この因果によるものではない。法華経の行者を過去世に軽んじたために、また法華経は月と月とを並べ、星と星とをつらね、崋山に崋山をかさね、玉と玉をつらねたように、それ以上のものがないほどすばらしいお経であるのに、それを上げたり下げたりしてあざ笑ったために、この八種類の大難にあったのである。
 この八種類の大難は、本来永遠にわたって一つずつあらわれてくるはずのものだったのを、日蓮が強く法華経の敵を責めることによって、今世で一時に集まりおこしてしまったのである。たとえば、民がその領地の中で住しているうちは、税・利子を地頭等に借金しても地頭は強くは責めず、年々に支払を延期してくれる。しかし、そこを出て、よその土地へ行こうとするときに、さいそくがくるようなものである。
 般泥洹経の「種々の苦しみを現世で軽くうけるのは仏法を護る功徳の力による」とあるのは、このことを言っているのである。

 

第七章 自身の滅罪と誹謗者の造業を示す

 法華経には「諸の無智の人有って悪口罵詈等し刀杖瓦石(がしゃく)を加ふ。乃至国王・大臣・婆羅門(ばらもん)・居士に向かって、乃至数々(しばしば)擯出(ひんずい)せられん」等云云。獄卒が罪人を責めずば地獄を出づる者かたかりなん。当世(とうせい)の王臣なくば、日蓮が過去謗法の重罪消し難し。日蓮は過去の不軽の如く、当世の人々は彼の軽毀(きょうき)の四衆の如し。人は替はれども因は是一なり。父母を殺せる人異なれども、同じ無間地獄に()つ。いかなれば、不軽の因を行じて日蓮一人釈迦仏とならざるべき。
   法華経勘持品には「多くの仏法に無知な人がいて、法華経の行者に悪口をあびせ、刀で斬りつけ杖で打ち、瓦や石を投げつける。(乃至)国王・大臣・婆羅門・居士に向かって(乃至)法華経の行者は、しばしば所を追われるであろう」等と説かれている。獄卒が罪人を責めなければ、罪を消して地獄を出るものはいなくなるであろう。いまの世の日蓮を迫害する権力者やその家来(北条一門)がいなければ、日蓮の過去世の謗法の重い罰は消すことができない。
 日蓮は過去の不軽菩薩のようなものであり、日蓮を迫害するいまの人々は、あの不教菩薩を迫害した人びとのようなものである。人はかわっても、その迫害される原因はまったく同じなのである。父母を殺す人はそれぞれ異なるけれども、同じく無間地獄におちます。どうして不軽菩薩と同じ原理で仏道修行を実践している日蓮一人だけが、仏にならないことがあるであろうか。
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  又彼の諸人は(ばっ)陀婆羅(だばら)等と云はれざらんや。(ただ)千劫阿鼻地獄にて責められん事こそ不便(ふびん)にはおぼゆれ。是をいかんとすべき。彼の軽毀(きょうき)の衆は始めは謗ぜしかども後には信伏随従せりき。罪多分は滅して少分有りしが、父母千人殺したる程の大苦を()く。当世の諸人は(ひるがえ)す心なし。譬喩品の如く無数劫をや経んずらん。三五の塵点をやおくらんずらん。
   また、日蓮を迫害する人びとは跋陀婆羅たちと同じだといわれないことがあるだろうか。ただ彼らが、千劫もの長いあいだ、阿鼻地獄におちて責められることが、かわいそうに思われてならない。これはいったいどうしたらよいであろう。
 不軽菩薩を迫害した人びとははじめはそしっていたけれども、後になって不軽菩薩を信じて従った。だから謗法の罪ははとんど消えて少ししか残っていなかったが、それでも父母を千人も殺したほどの大苦を受けたのである。
 ところが、いま、日蓮を迫害する人びとは反省する心がありません。きっと、法華経譬喩品に説かれているように、無限地獄の苦しみを無数劫という長いあいだ、うけつづけるであろう。もしくは、三千塵点劫、五百塵点劫という長い時間を無限地獄で送ることになるであろう。

 

第八章 愚癡の門下を戒める

 これはさて()きぬ。日蓮を信ずるようなりし者どもが、日蓮が()くなれば疑ひを()こして法華経をすつるのみならず、かへりて日蓮を教訓して我(かし)しと思はん僻人(びゃくにん)等が、念仏者よりも久しく阿鼻地獄にあらん事、不便とも申す計りなし。    これらの人々のことはさておき、日蓮を信ずるような態度をとっていた人たちが、日蓮がこのようになると、疑いをおこして法華経を捨て、退転するだけでなく、かえって日蓮を教訓して、自分がかしこいと思っている心のゆがんだ人たちが、念仏者よりもさらにながいあいだ、無限地獄に住していることであろうことは、かわいそうという以外にない。
 修羅が仏は十八界我は十九界と云ひ、外道が云はく、仏は一究(いちく)竟道(きょうどう)、我は九十五究竟道と云ひしが如く、日蓮御房は師匠にてはおはせども(あま)りにこは()し。我等はやは()らかに法華経を弘むべしと云はんは、(ほたる)火が日月をわら()ひ、蟻塚(ありづか)華山(かざん)(くだ)し、井江(せいこう)が河海をあなづり、烏鵲(かささぎ)鸞鳳(らんぽう)をわらふなるべし、わらふなるべし。南無妙法蓮華経。
  文永九年太歳(たいさい)壬申(みずのえさる)三月二十日    日蓮花押
 日蓮弟子檀那等御中
   増上慢の修羅が「仏の悟りは六根、六境、六識の十八界であるが、自分の悟りはそれより一つ多い十九界であるといい、外道が「仏の悟りは一仏乗のひとつしかないが、自分は九十五種の悟りがある」といったように、「日蓮御房は師匠ではあるが、あまりに折伏が強すぎる。我々は柔らかに法華経を弘めよう」などというのは、螢の火が太陽や月を笑い、小さな蟻塚が華山を見下し、井戸や小川が大河や海をあなどり、かささぎ鸞鳳をあざわらうようなものである。南無妙法蓮華経。
 文永九年太歳壬太申歳三月二十日    日 蓮 花 押
 日蓮の弟子檀那等の御中へ

 

第九章 本抄の閲読を勧める

 佐渡の国は紙候はぬ上、面々に申せば(わずら)ひあり、一人も()るれば(うら)みありぬべし。此の(ふみ)を心ざしあらん人々は寄り合ふて御覧じ、料簡(りょうけん)候ひて心なぐさませ給へ。世間に、まさる歎きだにも出来すれば劣る歎きは物ならず。当時の(いくさ)に死する人々、実不実は置く、(いくばく)か悲しかるらん。    佐渡の国には紙がない上に、一人一人に便りを書けばたいへんなことになる。また一人でももれる人がいたら、その人は恨みに思うことだろう。この手紙を弾圧にも退転しなかった信心ある人々は、集まって読み、思索して信心の糧にしていきなさい。世間にあっても、大きな嘆きができたときには、それより小さな嘆きは、なんでもなくなってくる。このたび、京都・鎌倉での戦いで死んだ人々は、謀反の実・不実はしばらく置くとして、どれほど悲しいことであろう。 
 いざはの入道・さかべの入道いかになりぬらん。かわ()のべ(野辺)山城(やましろ)得行寺(とくぎょうじ)殿(殿)等の事、いかにと書き付けて給ふべし。外典書の貞観(じょうがん)政要(せいよう)、すべて外典の物語、八宗の相伝等、此等がなくしては消息もかゝれ候はぬに、かまへてかまへて給び候べし。    伊沢の入道、酒部の入道はどうなったであろうか。河の辺山城得行寺殿たちのことはどうなったのか、書いて知らせてもらいたい。
 外典書の貞観政要やすべての外典の物語、八宗の相伝等がなければ、手紙も書けないので、忘れないで送ってもらいたい。

 

第十章 論釈等の送付を依頼する

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 此の(ふみ)は富木殿のかた、三郎左衛門殿・大蔵たう()つじ()十郎入道殿等・さじきの尼御前、一々に見させ給ふべき人々の御中へなり。京・鎌倉に(いくさ)に死せる人々を書き付けてたび候へ。外典抄・文句二・玄四本末・勘文・宣旨等、これへの人々もちてわたらせ給へ。
   
 この手紙は富木常忍殿、四条金吾殿、大蔵塔の辻の十郎入道殿等、桟敷の尼御前、それぞれに見ていただきたい人びとに書き送るものです。
先だっての京都や鎌倉の合戦で死んだ人々の名を書きつけて送ってほしい。また外典抄、法華文句の二の巻、法華玄義の巻四の本と末、勘文(朝廷や幕府に対する意見書)や宣旨(天皇の命令書)なども、佐渡に来る者に持たせて送ってもらいたい。