大白法・平成29年5月1日刊(第956号)より転載 御書解説(207)―背景と大意

四条金吾殿御返事(617頁)

別名『梵音声書』

 一、御述作の由来

 本抄は別名『梵音(ぼんのん)(じょう)書』と言い、文永九(1272)年、大聖人様が御年五十一歳の時に、鎌倉在住の四条金吾殿が亡き母の三回忌追善供養のため、佐渡の大聖人様のもとに使者を(つか)わして御供養申し上げたことに対する御返事です。

 ()真蹟(しんせき)は現存しませんが、第二祖日興上人の写本が重須(おもす)(日蓮宗・北山本門寺)に蔵されています。

 

 二、本抄の大意

 大聖人様は、本抄において、仏法も王法の力によって立てられること、また王法に(そむ)けば大難に()うことを、過去の諸例を()げて述べられ、大聖人様が国主を諌暁(かんぎょう)し、竜の口法難・佐渡配流(はいる)の大難に遭われた(あかし)とされています。そして、末法の法華経の行者である大聖人様を供養する功徳の大なることを御教示です。

 初めに、(せい)桓公(かんこう)()の荘王を例に挙げられ、一人の王の好むことに万民が(したが)うことを示されます。

 次に、国王は先生(せんじょう)に大戒を(たも)った功徳によって、地王・天王・海王・山王等がことごとく守るのであり、国民がその王に背くことはできないとされ、もし王が三度まで悪逆を犯しても諸天は罰しないが、諸天の心に背いて悪逆を続ければ、天変(てんぺん)地夭(ちよう)等をもって(いさ)め、さらに度が過ぎれば、諸天善神はその国土を捨離(しゃり)すると仰せられます。また、もし王の戒力が尽きればその国土は滅び、王の逆罪が重なれば隣国から攻め滅ぼされることを仰せられ、国に起こる善悪は、王の善悪に随っていると示されています。

 次に、仏法も同様に王法によると仰せられ、たとえ聖人・賢人であっても王に随わなければ仏法を流布(るふ)することはできないこと、また後に流布することができても、初めは必ず大難に遭うことを、月支(がっし)(インド)・震旦(しんだん)(中国)・日本の三国の中、初めにインドの迦弐志加(かにしか)王、発舎(ほっしゃ)密多羅(みたら)王の例を挙げて示されます。

 次に、中国の太宗は賢王であったが、玄奘(げんじょう)三蔵を師として外道(げどう)の邪法にも過ぎた法相宗を信仰し、臣下の誰も止めることができなかったことを述べられ、その邪法は日本の伝教大師によって止めることができたと示されます。

 さらに真言宗について、中国の玄宗(げんそう)が大日三部経を尊重し、法華経や華厳経等に勝れるとしたために、漢土(中国)では大日経は法華経に勝れると思い、日本国においても当世に至るまで、天台宗は真言宗に劣ると思われていると仰せられます。そして、この大日経と法華経を(かたよ)りなく見れば、大日経は蛍火(ほたるび)、法華経は明月、真言宗は衆星、天台宗は日輪のようにその勝劣が明白であり、伝教大師一人がこの法門を(わきま)えていたと仰せられ、勝を劣と思い、劣を勝と思う故に、大蒙古国を調伏(ちょうぶく)する時、かえって襲われることになったと述べられます。

 次に華厳宗について、則天(そくてん)皇后の帰依(きえ)によって諸宗は肩を並べられなくなったことから、時の王の威勢によって宗の勝劣が決まると仰せられます。そして、深浅を体得した論師人師も王法には勝てないことから、勝とうとする人は大難に遭うことを、師子尊者・提婆菩薩・(じく)の道生・法道三蔵の例を挙げて示されます。

 続いて、大聖人様御自身のことを例に挙げられます。すなわち、世の人は阿弥陀仏の化身とされる善導の(ことば)や、勢至(せいし)菩薩の化身とされる法然の釈を信じて念仏を疑う人はいなかったが、大聖人様が善導・法然の謗法者は、法華経の経文によれば無間地獄に()ちると破折したために、大難に遭われたことを示されます。

 次に、文永八(1271)年九月十二日の竜の口において、(くび)をはねられるべきところを佐渡の国に配流され今に至ったが、ここまで使いを遣わされ、悲母(ひも)の三回忌の追善供養を願い、御供養をお送りくださったことは、まことに有り難いと仰せられます。さらに、法華経を一字一句も唱え、また他人(ひと)に語る人は教主釈尊の使いであると述べられ、御自身は教主釈尊の勅宣(ちょくせん)を頂戴するが故に佐渡に配流されたのであり、日蓮を(そし)る人は罪を無間に開き、供養する人は無数の仏を供養する功徳にも勝れると述べられます。

 そして、釈尊は一切経の中で法華経こそ真実の教えであると説き、それを多宝如来が証明し、十方の諸仏も舌相(ぜっそう)梵天(ぼんてん)に付けて証としたのであるから、法華経は一部でも三部、一句でも三句、一字でも三字の功徳として納められている。中にも妙法蓮華経とは法華経の総名で、そこに一切の功徳が納まっている、と示されます。

 さらに仏の第一の相である梵音声が一切経となり衆生を利益するが、その中で法華経は釈迦如来のお(こころざし)を文字にしたものであり、釈迦仏と法華経の文字とは心が一つであるので、法華経の文字を拝見することは生身の釈迦仏に相対することであると心得なさいと仰せられ、佐渡の国まで御供養を送り遣わされたことは既に釈迦仏がご存じであり、実に孝養の極みであるとし、本抄を結ばれています。

 

 三、拝読のポイント

 各宗破折

  本抄では、法相宗・真言宗・浄土宗等の各宗について破折されています。

 法相宗破折

 法相宗では、衆生は、

 ①菩薩種性(定性菩薩)

 ②縁覚種性(定性縁覚)

 ③声聞種性(定性声聞)

 ④三乗不定性(不定種性)

 ⑤無性有情(無種性)

という五種の機類に分けられ、これを変えることはできないという「五性(ごしょう)各別(かくべつ)」を説きます。そして、法華経のように一切衆生ことごとくが成仏すると説く教法は、方便の教えに過ぎないと主張しています。

 故に大聖人様は、法相宗は大乗経ではあるが「仏教中の大きなる(わざわい)」と仰せになり、さらに「外道の邪法にも過ぎたる悪法」と破折されています。

 真言宗破折

 真言宗は、中国において(ぜん)無畏(むい)三蔵・金剛(こんごう)()三蔵等が、大日経・金剛頂経・蘇悉地(そしつじ)経の大日三部経をインドより持ってきて開いたものですが、これについて大聖人様は『神国王御書』に、

 「(善無畏・金剛智・不空(ふくう)の三三蔵は)法偸(ほうぬす)みの元師なり、盗人の根本なり。此等の人々は月氏よりは大日経・金剛頂経・蘇悉地(そしつじ)経等を(もたら)し来たる。此の経々は華厳・般若・涅槃経等に及ばざる上、法華経に対すれば七重の下劣なり」(御書1303頁)

と仰せです。

 また真言宗では、教主釈尊を捨てて法身(ほつしん)仏の大日如来を本尊と立て、釈尊出世の本懐である法華経を諸経中の第三と(くだ)し、大日経を第一とする主客転倒の教えを説く故に、大聖人様はこれを信仰すれば世の中が乱れ、国が滅びると、「真言亡国」の義を御教示です。※『真言見聞』(御書608頁)等参照。

 浄土宗(念仏)破折

 浄土宗は、阿弥陀仏の本願に「唯五逆と誹謗正法とを除く」とあり、正法(妙法)を誹謗することは阿弥陀仏の本願に背く行為であることを忘れています。

 また、法華経『譬喩品第三』の、

 「若し人信ぜずして 此の経を毀謗(きぼう)せば(すなわ)ち一切 世間の仏種を断ぜん(中略)()の人命終(みょうじゅう)して阿鼻獄に入らん」(法華経175頁)

の文によれば、念仏者は法華誹謗の罪によって阿鼻地獄に堕ちることは明白です。これが「念仏無間」の義です。

 私たちは、大聖人様の「四箇の格言」(念仏無間・禅天魔・真言亡国・律国賊)をもって邪義邪宗を破折し、苦悩に(あえ)ぐ人々を一人でも多く正法に導いていくことが肝要です。

 

 四、結  び

 本抄において大聖人様は、法華経の行者である御自身を一言でも謗る者は無間地獄の罪業を積み、反対に一字一句でも供養する者は無量の功徳を積むことを御教示です。

 『国府尼御前御書』にも、

 「末代の法華経の行者を供養するは、十号具足しまします如来を供養したてまつるにも其の功徳すぎたり。又濁世(じょくせ)に法華経の行者のあらんを留難(るなん)をなさん人々は頭七分にわるべし」(御書739頁)

と御教示です。

 御法主日如上人猊下は、

 「今や創価学会をはじめ、邪義邪宗の謗法の害毒によって多くの人達が塗炭の苦しみに(あえ)いでいます。私どもは、かくの如き、多くの人を(たぶら)かして正しい信仰から切り離す、無慚(むざん)極まる悪業に対して、決然として彼らの誤りを(ただ)し、迷える多くの人々を救済していかなければなりません」(大白法 951号)

と御指南されています。

 私たちはこの御指南を胸に、御本仏大聖人様を供養する功徳の大なることを知り、いかなる妨害や迫害があろうとも、破邪顕正の折伏を実践し、平成三十三年・法華講員八十万人体勢構築の御命題達成に向け、ますます精進してまいりましょう。