大白法・平成15年3月1日刊(第616号より転載)御書解説(109)―背景と大意

太田左衛門尉御返事(御書1221頁)

 

 一、御述作の由来

 本抄は、弘安元(1278)年四月二十三日、日蓮大聖人様が五十七歳の御時の御述作で、御真蹟は現存していません。
 本抄を賜った太田左衛門尉は、太田乗明といいます。乗明の祖父は源頼朝が鎌倉幕府を開いた際、問注所の執事(現在の最高裁判所の長官)に任命された有力者です。以来乗明の父、乗明自身も問注所の役人を務め、その役職名から左衛門尉または金吾と呼ばれていました。
 文応元(1260)年八月二十七日、大聖人様は念仏者に、松葉ケ谷の草庵を襲撃されました。その後、大聖人様は一時難を逃れ、富木常忍のもとに身を寄せられています。このとき、富木邸の近隣に在住していた乗明は、初めて大聖人様の御化導に浴しました。
 乗明の先祖は、高野山に大塔を供養するほど熱心な真言家であったようです。ですから乗明は当初、真言を破折される大聖人様に憤りを感じたに違いありません。しかし大聖人様の尊い御振る舞いと、理に適った御説法に接するうち次第に正義に目覚め、真言の邪義を捨てて大聖人様に帰依しました。そして本抄に、
 「貴辺は日来は此等の法門に迷ひ給ひしかども、日蓮が法門を聞きて、賢者なれば本執を忽ちに翻し給ひて、法華経を持ち給ふのみならず、結句は身命よりも此の経を大事と思し食す
と誉められているように、入信後の乗明は身命を賭した強盛な信心に励みました。
 大聖人様は、のちに『三大秘法抄』『転重軽受法門』等の数多くの御消息文や重要書を乗明に授けられています。なかでも『三大秘法抄』は、
 「予年来己心に秘すと雖も此の法門を書き付けて留め置かずんば、門家の遺弟等定めて無慈悲の讒言を加ふべし」(御書1595頁)
と仰せのように、大聖人様が己心に秘される最大事、すなわち三大秘法の法門を滅後のために明確に示された重要書です。このことからも、大聖人様がいかに乗明を信頼されていたかを知ることができます。
 さて、これほど強信者であった乗明でも、病に冒され、気が弱くなったことがあったようです。なかでも弘安元年正月から五月頃にかけて煩った病は相当重く、身心ともにたいへんに苦しんだため、乗明は大聖人様に種々の御供養をお送りし、自身の五十七歳の厄やく払いを願い出ました。それに対して、大聖人様が御慈悲溢れる励ましの言葉を綴られたお手紙が本抄です。

 二、本抄の大意

 本抄は、大きく四段に分けることができます。
 第一段ではまず、乗明が「今年は五十七歳の大厄に当たるため、身心ともに苦しみが重なっている。もとより人身を得た者は病気の苦しみから逃れられないことは存じていながら…(趣意)」と、切々と苦しみを訴えた手紙の内容を引用されています。
 これに対し大聖人様は、人間は誰でも十二の苦悩の因縁が連鎖して絶えず苦しみの世界を流転する、との実相(十二因縁)を詳述されています。しかるに、在世の二乗が悟りを得るために、それらの苦悩を滅尽しようとして、かえって仏から弾呵されたことを示し、むしろ法華経の信心によって生死の迷いを断ち切ることが先決である、と乗明を諭されています。
 第二段では、中国陰陽家の八卦・五行説などが説く「厄」に触れられています。しかし、「厄」の考え方は、成仏の根本義に背反するものではないから否定しないとしつつ、暗に「厄」を重要視する必要はないと乗明をたしなめられているのです。そして、法華経は身心の病を癒す大良薬であることを種々の文証を挙げて説明し、とりわけ迹門・本門の肝心である『方便』『寿量』の両品を書写して授けるから、御守りとして肌身離さず所持するよう指示されています。
 第三段では、『方便』『寿量』の両品が勝れる理由として、理・事の一念三千義が説かれることを挙げられています。一方、華厳宗や真言宗では、依経とする華厳経・大日経に一念三千義が説かれていないにもかかわらず、法華経からその義を盗み取って自宗の教義に加え、かえって法華経を卑下するという邪義の実態を破折されていま す。
 第四段では、久遠実成の一念三千義は『寿量品』にのみ説かれ、この成仏根本の実義は、末法の要法であるため正・像の四依の権能に非ず、ただ末法の大聖人様が地涌の一分として弘める大法である旨を説かれています。よって、その要法を含む『寿量品』を所持すれば、諸仏菩薩・諸天の守護を得ることは疑いないものと確信し、唯一絶対の法である法華経を信じて厄をはね除けるべきことを乗明に示されます。
 最後に、大聖人様が厄払いを引き受けた以上は安心して信心に励み、必ず苦悩を乗り越えて大聖人様の法門の正しさを確信するよう励まされ、本抄を終えられています。

 三、拝読のポイント

 病を起こす因縁

 大聖人様は、病が起こる因縁について、他のお手紙に『摩訶止観』の言葉を引用し、
 「一には四大順ならざる故に病む、二には飲食節せざる故に病む、三には坐禅調はざる故に病む、四には鬼便りを得る、五には魔の所為、六には業の起こるが故に病む」(同911頁
と示されています。これを解説すると、
①人間の体は、森羅万象あらゆる物質と同じく地水火風の四大によって構成されている。その四大が不順を起こす。
②食べ過ぎや飲み過ぎなどの不規則な生活による。
③睡眠不足や精神的な不安による。
④「鬼」は現代的に訳せば細菌なども含まれると考えられる。
⑤障魔の用きによって精神的に病み、そのストレスが肉体の不調を起こす。
⑥過去世の宿業により、先天的に肉体面・精神面に不自由を感じたり、突如として難病にかかる。
の六つに分類できるということです。
 前半の四つの因縁による病気は、日頃からの健康管理や医師による治療で比較的簡単に治すことができます。これに対して障魔の用きもさることながら、宿業による業病は容易に克服することはできません。なぜならこれは、私たちの生命に深く根ざす宿命がもたらすものだからです。
 『寿量品』の一念三千義の開説は、あらゆる生命には地獄界から仏界までの十界の生命が渾然一体となって具わるとの生命の本質を説いたものです。私たちは毎日、善悪二縁に触れながら生活しています。内在するそれぞれの生命が縁に触れ、現われては消えていくのです。ですから私たちが、過去に諸法の罪障を積んでいたり現世で謗法に縁を持てば、地獄・餓鬼・畜生・修羅などの生命が活発化して、身心に病気などの障害や苦悩が現われてくるのです。

 罪障消滅の修行は折伏

 こうした生命の根本から起こる病、あるいは苦悩を克服するためには、生命自体を浄化し、罪障を消滅しなければなりません。
 ところで本抄に、
 「日蓮は本化の一分なれば盛んに本門の事の分を弘むべし
と仰せです。これは、法華経本門『寿量品の文底秘沈の大法、すなわち南無妙法蓮華経は法華経を説いた釈尊でも、あるいは法華経の意義を宣揚した竜樹・天親・天台・伝教でもなく、ただ日蓮大聖人様が末法の衆生を救済するために弘められることを宣言された言葉です。
 大聖人様の仏法を信ずる私たちは、『四菩薩造立抄』に、
 「日蓮が弟子と云って法華経を修行せん人々は日蓮が如くにし候へ」(同1370頁)
と仰せのように、大聖人様に習い、いかなる迫害があろうとも自行化他の題目行に邁進しなければなりません。それによって『佐渡御書』に、
 「宿業はかりがたし。鉄は炎打てば剣となる。賢聖は罵詈して試みるなるべし。我今度の御勘気は世間の失一分もなし。偏に先業の重罪を今生に消して、後生の三悪を脱れんずるなるべし」(同580頁)
と仰せのように、宿業による病や苦悩を打開していくことができるのです。

 四、結  び

 大聖人様が過去の宿業を説かれるのは、「宿命だからあきらめよ」と仰せになりたいからではありません。私たちは、宿業による病気や苦悩を持つからこそ、その罪障を消滅させたいとの一心で唱題に励み、折伏に精進することができるのです。その懸命な信行を通してこそ、一切の厄を払い除けて、あるがままの姿で真の幸せを掴つかんで いくことができるのです。
 様々な人生の節目において、所属寺院の御僧侶に厄払いの御祈念をしていただくことは大事なことです。その御祈念と共に大事なことは、一切の困難に負けることなく力強い唱題と折伏に邁進する私たちの信力・行力です。
 本年も、早くも広布推進会の第一期が終わろうとしています。下種先拡大と折伏の実践、さらには御報恩御講、広布唱題会参加の徹底に全力を傾けていきましょう。