大白法・平成14年7月1日刊(第600号より転載)御書解説(104)―背景と大意

光日房御書(御書958頁)

 

 一、御述作の由来

 本抄は、建治二(1276)年三月、日蓮大聖人様が五十五歳の御時の御述作です。御真蹟はかつて身延に所蔵されていました。一部分が切り取られて別の寺院へ移されたのち、明治八年の身延大火災によって本抄は焼失したため、先に切り取られた部分のみが現存しています。
 本抄を賜った光日房は、大聖人様と同郷の安房国(現在の千葉県)天津という所に住んでいました。光日房は、息子の弥四郎が大聖人様に帰依したのをきっかけに入信した人です。弘安三(1280)年に大聖人様から御消息をいただいた「光日尼」、翌年にお手紙をいただいた「光日上人」とは同一人物と目されています。
 さて、大聖人様は御一生の中で三度にわたって国家への諌暁を遂げられています。すなわち一度目は、文応元(1260)年七月十六日の『立正安国論』の奏上です。そして二度目の諌暁は、文永八(1271)年九月十二日、良観等の謀議・讒言により、大聖人様を捕らえにきた平左衛門尉頼綱に対して行われました。さらに三度目の諌暁は、佐渡赦免の後、文永十一(1274)年四月八日、幕府の権威を盾に取り、大聖人様を懐柔しようと企んだ平左衛門尉らに対して、大聖人様は堂々と仏法の正義を述べられたのです。
 本抄では、この佐渡赦免から三度目の国家諌暁、身延入山までの経緯について詳しく綴られています。ですからこの時期の大聖人様の御様子を拝する上で、本抄は貴重な資料となっています。
 さて、身延へ入られた大聖人様のもとに、同郷の光日房から便りが届きました。望郷の念を熱く懐かれていた大聖人様は、この便りをことのほか喜ばれました。しかしその手紙を読んで愕然とされました。光日房の息子であり、若き日より熱心に信心を貫いていた弥四郎が逝去したとの知らせだったからです。
 大聖人様は、最愛の息子を失った光日房の悲嘆を慰めるとともに、法華経を信仰するが故に惹起する法難は諸天の加護により必ず乗り越えることができるとの確信を綴り、光日房の一層の信心を励まされた書が本抄です。

 

 二、本抄の大意

 本抄は、内容において大きく三段に分けることができます。
 第一段目では、文永八年九月の竜の口法難とそれに続く佐渡配流から、文永十一年に身延へ入られるまでの経緯を語られています。
 中でも、「日本一国が挙って崇拝する念仏信仰や武士の間で崇められる禅宗、さらに朝廷で重用される真言密教等について、日蓮は徹底してその邪義を破折しているのであるから、国家による法難を受けることは当然である」と示されています。
 ところが、「法華経の行者を守護する諸天の不思議な加護により、無事に鎌倉へ戻ることができた。一刻も早く故郷を訪ねて両親の墓参をしたいと願ったものの、未だ大法広布という初志を貫いていないため、断腸の思いで身延へと入ったところ、光日房から久方ぶりの手紙を受け取り、懐かしさのあまり心から喜んだ」と語られています。
 次に第二段目では、弥四郎の逝去を悲しまれるとともに息子を失った光日房の悲哀を慰撫し、信心によって立ち直るよう教導されています。
 中でも武士として多くの人を殺した弥四郎が果たして成仏できるのだろうかとの光日房の質問に対して大聖人様は、「たとえ悪人であってもその罪を懺悔し、法華経を信ずれば必ず成仏することができる。特に母親を法華経へ導いた孝養の子が成仏できないはずはない」と断言されています。
 そして第三段目においては、妙法を唱える者は法華経の敵を見抜き、その敵を恐れずに果敢に立ち向かってこそ成仏は叶うこと、故弥四郎への追善供養の大事を説かれ、本抄を終えられています。

 

 三、拝読のポイント

 正法流布には必ず魔が出来する

 大聖人様は本抄に、
 「日蓮はさせる失あるべしとはをもはねども、此の国のならひ、念仏者と禅宗と律宗と真言宗にすかされぬるゆへに(中略)上一人より下万人にいたるまで、名をもきかじ、まして形をみる事はをもひよらず。さればたとひ矢なくとも、かくなさるゝ上はゆるしがたし」(御書958頁)
と示されています。つまり何ら世法上の罪のない大聖人様が迫害を受けられるのは、正法流布への障魔の用きであるということです。
 これは法華経に、
 「濁劫悪世の中には 多く諸の恐怖有らん 悪鬼其の身に入って 我を罵詈毀辱せん 我等仏を敬信して 当に忍辱の鎧を著るべし 是の経を説かんが為の故に此の諸の難事を忍ばん 我身命を愛せず但無上道を惜む」(法華経377頁)
と説かれるように、末法濁悪の時代に真実の法華経すなわち文底秘沈の南無妙法蓮華経を流布する人には必ず諸難が競うのであり、このことを末法の御本仏大聖人様が身をもって実証されたことに他なりません。
 ですから『兄弟抄』に、
 「此の法門を申すには必ず魔出来すべし。魔競はずば正法と知るべからず」(御書986頁)
と仰せになるように、私たちが折伏行に邁進するとき障魔が出現するのは、まさしく御本仏のお心に適った正しい仏道修行を実 践していることが証明されているということなのです。

 魔の正体を見抜く

 大聖人様は本抄に、
 「法華経を信ずる人は、かまへてかまへて法華経のかたきををそれさせ給へ(中略)かたきをしらねばかたきにたぼらかされ候ぞ」(御書964頁)
と仰せです。
 障魔はあらゆる形で私たちの仏道修行を妨げます。特に池田創価学会のように、本門戒壇の大御本尊様と唯授一人の血脈を破壊しようとする大謗法に対してその悪義を破折すれば、川の流れに竿を差したときに激しく波がたつような大きな障魔が起こります。ここで大聖人様が「敵を恐れるべし」と示されたのは、恐れて逃げるという意味ではなく、魔の用きを十分に見極め、紛動されることのないよう用心すべきであるという意味です。
 『椎地四郎殿御書』に、
 「大難来たりなば強盛の信心弥々悦びをなすべし。火に薪をくわへんにさかんなる事なかるべしや」(御書1555頁)
と示されるように、燃えさかる火にさらに薪を加えるように、いかなる障魔が競おうとも私たちは決して怯むことなく、一層の信力・行力を振り絞って破邪顕正の闘いに尽力することこそ成仏のための唯一の修行と心得るべきです。

折伏によって罪障を消滅

 『御講聞書』に
 「今末法は南無妙法蓮華経の七字を弘めて利生得益有るべき時なり」(御書1818頁)
と示されています。つまり末法の南無妙法蓮華経の仏道修行による功徳は、折伏を実践してこそはじめて得られるのです。そして一生にわたって自行化他の妙法を唱え切っていくならば、本抄に、
 「大石も海にうかぶ、船の力なり。大火もきゆる事、水の用にあらずや。小罪なれども懺悔せざれば悪道をまぬかれず。大逆なれども懺悔すれば罪きへぬ」
とあるように、たとえ過去世に謗法悪逆の姿があったとしても、一生のうちに必ずその罪障を消滅させていくことができるのです。

 

 四、結  び

 大聖人様は、
 「其の国の仏法は貴辺にまかせたてまつり候ぞ」(御書1242頁)
と仰せられ、南条時光殿に富士方面の大折伏の一切を任されていました。
 総本山のお膝元にあっても、北海道や九州などのような総本山から遠く離れた地にあっても、私たち法華講員一人ひとりは、大聖人様からその国士の広宣流布を任された地涌の菩薩の眷属です。
 私たちが地涌の眷属としての誇りを持つならば、おのずと私たちの果たすべき使命は明白です。御法主日顕上人猊下は、平成十一年の出陣式の砌、
 「地涌の菩薩は、世の腐敗・堕落の泥水に染まらぬこと、蓮華の水に在るが如く、しかもその汚泥を離れず、大慈悲をもって志念力堅固に妙法を弘通することが経文の相であります。つまり、世間の迷いのなかの悪習・悪風に盲従せず、妙法受持を根本として折伏の信念を持って濁悪の世を進むことこそ、地涌の使命であります」(大白法517号)
と示されています。
 私たちは困難な時こそ唱題の実践によって地涌の眷属としての自覚を新たにし、障魔の用きをむしろ喜びと受け止めて、三十万総登山の完遂のために一層の折伏に精進してまいりましょう。