大白法・平成12年11月1日刊(第560号より転載)御書解説(091)―背景と大意
本抄は、建治元(1275)年、大聖人様が五十四歳の御時、身延において
この時、時光殿は十七歳でしたが、亡くなった父の跡を継いで地頭職に就き、一族の頭領として奮闘していました。その
大聖人様は、時光殿の成長をたいへん喜ばれ、大いに期待なされ、その信心と人格のさらなる成長と錬磨のために「四徳・四恩」について、大慈大悲の御教導をあそばされたのです。時光殿が、後に「上野賢人」と
まず、三世の諸仏が出世あそばされれば皆四恩報謝を説かれ、仏教外の賢人は四徳修養を説かれることを示されて、内典・外典の大事が四恩・四徳にあることを述べられます。
次に、外典の四徳についてその内容を略述されます。そして四徳を振る舞う人を賢人とも聖人ともいい、その人は外典三千巻を読まなくても、読むことに当たるとされます。
次いで、仏道修行者の報ずべき四恩を説かれます。内典・外典共に、父母の恩、父母への孝養を第一に挙げられています。その報恩の要道が仏法にある故に、三宝への報恩が一切の肝要であることを御教示あそばされます。
三宝の恩について示される中において、釈尊五十年の説法中、四十余年の権教を嫌い、実教である法華経を受持することこそ、四恩を報ずることに当たると仰せられます。さらに、強盛に信心をするならば、諸仏菩薩が必ず守護し、現世安穏・後生善処の疑いないことを御明示され、時光殿の一層の信行倍増を奨励あそばされています。
本抄は、大聖人様御在世の法華講衆の頭領たる南条時光殿の生涯において、実に重要な意味を持つ御書と拝されます。それは文永二(1265)年、主人である上野殿を亡くされたばかりの後家尼、すなわち時光殿の母君に対して、『上野殿後家尼御返事』の最後に、
「いかにもいかにも追善供養を心の
と述べられて、心を法華経の信心、九識に持つことが大事であるが、同時に実際の振る舞いも大切であり、すなわち妻として母として人として六識の上に、故上野殿に対する誠を尽くすことの尊さを御教示されています。
その御指南に信伏随従し、追善供養、自行化他の信行を実践する母の姿を見て立派に育った時光殿に対し、仏道における四恩報謝と人の振る舞いとしての四徳修養の大切なることを説いて、さらに一族の頭領として法華講衆の一人として、いかにあるべきかを御指南あそばされているのです。
弘安二(1279)年の熱原法難の後に賜った『上野殿御返事』に、
「上野賢人殿御返事」(同1428頁)
とあることは有名ですが、その際、最初に「聖人」と書かれようとしたのを、「賢人」と書き直されています。本抄に、
「是くの如く振る舞ふを賢人とも聖人とも云ふべし」
とありますが、この御指南を心肝に染めて、四恩報謝の信心根本に四徳を振る舞う時光殿に対し、「賢人」の嘉称を与えられたと拝されるのです。
しかして時光殿は大聖人御入滅後も日興上人に信伏随従し、ついに戒壇建立の霊地たる
このように本抄は、法華講衆はいかにあるべきかを御指南あそばされた御書であり、法華講衆は心肝に染めて実践すべきであります。
第一に、外典の四徳を説かれる
「
と示され、また大聖人様も、
「
と仰せのように、外典と言えども実は仏教から顕れてくるのであり、真意は仏教と一体なのです。したがって私たちも、常の振る舞いには四徳をもって手本とすべきなのです。
ここで四徳それぞれについての説明を拝してみましょう。
一つ目は「父母に孝行あれ」です。親は、たとえどのような人であろうと、言うことや行うことに違わず腹を立てず、常に良いものをあげようと思い、何もすることがなければ一日に二、三度
二つ目は「主君に忠義あれ」です。主人に対しては少しもうしろめたいことをしてはいけません。たとえ身命に及ぶことがあっても、主君にはよかれと思い尽くすことです。隠れての信義があれは、必ず徳となって顕れます。
三つ目は「友に礼儀あれ」です。いつも会う親しい友人でも、はるばる千里を訪ねて来た人のように礼儀を尽くすことです。
四つ目は「劣れる者に慈悲あれ」です。自分より劣れる者であっても
このように、四徳の本質は慈悲心にあります。ですから常に豊かな唱題行によって慈悲心を満たし、四徳を修することを、まず自分自身が心がけ、そして子供たちにも教え、講中の育成の基本としていかねばなりません。そのような人格者が陸続と輩出する講中こそ、真の法華講であり、内容の伴った大発展があるでしょう。
第二に、仏教の四恩はよく知られるところです。その名目を挙げれば、父母の恩を報ずること、国主の恩を報ずること、一切衆生の恩を報ずること、三宝の恩を報ずることの四つです。中でも特に三宝への知恩報恩が大事であるところから、五重相対して法華経の三宝が最勝であることを明かされています。その際、本抄が時光殿と共に母君も御覧になることに配慮されて、女人成仏の成否に約して勝劣を判じられています。
四恩の最初も四徳と同じく父母の恩です。しかし四徳は生きている父母への孝養は説きますが、亡くなった父母への追善供養は、仏法でなければ
しかして
法華経の三宝の恩を知り、その報恩の道を知ってこそ四恩報謝であり、一切の報恩が満足します。
では、どのようにすれば一切の恩を報ずることができるのでしょうか。日寛上人は、
「問う、報恩の要術、その意は
と御指南されて、不惜身命の邪法対治、正法弘通の折伏行こそが、報恩の要術であると説かれます。私たちの三十万総登山達成をめざす大折伏行こそ、真実の報恩の道なのです。
今、宗門は、来たる平成十四年の宗旨建立七百五十年を二年後に控え、大前進していますが、今一度「宗旨建立」の意義をしっかりと理解し、認識しなければなりません。
大聖人様は建長五(1253)年四月二十八日の早朝、「南無妙法蓮華経」と、末法の私たち一切衆生の闇を照らす即身成仏の大法を、
この大聖人様の大慈大悲の大恩にお応えするための最高最勝の報恩行とは、三十万総登山達成をめざす不惜身命の折伏行の実践に尽きるのです。故に、唱題行により溢れ出づる慈悲の大折伏行こそ、御法主日顕上人猊下御指南の、まさしく「大聖人様の
さあ皆さん、南条時光殿の信心の跡を継ぎ、千載一遇の大報恩行に、最後の最後まで