上野殿御消息  建治元年  五四歳

 

第一章 外典の四徳を明かす

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 三世の諸仏の世に出でさせ給ひても、皆々四恩を報ぜよと説き、三皇・五帝・孔子・老子・顔回(がんかい)等の古の賢人は四徳を修せよとなり。四徳とは、一には父母に孝あるべし、二には主に忠あるべし、三には友に合って礼あるべし、四には劣れるに逢ふて慈悲あれとなり。
 一に父母に孝あれとは、たとひ親はものに覚えずとも、()しざまなる事を云ふとも、(いささか)も腹も立てず、誤る顔を見せず、親の云ふ事に一分も違へず、親によき物を与へんと思ひて、せめてやる事なくば一日に二三度えみ()て向かへとなり。二に主に合ふて忠あるべしとは、いさゝかも主にうしろ()めたなき心あるべからず。たとひ我が身は失なはるとも、主にはかま()へて()かれと思ふべし。かく()れての信あれば、あらはれての徳あるなりと云云。三には
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友にあふて礼あれとは、友達の一日に十度二十度来たれる人なりとも、千里二千里来たれる人の如く思ふて、礼儀いさゝかをろか(疎略)に思ふべからず。四に劣れる者に慈悲あれとは、我より劣りたらん人をば我が子の如く思ひて一切あはれみ慈悲あるべし。此を四徳と云ふなり。是くの如く振る舞ふを賢人とも聖人とも云ふべし。此の四の事あれば余の事にはよからねどもよき者なり。是くの如く四の徳を振る舞ふ人は、()(てん)三千巻をよまねども、読みたる人となれり。

第二章 仏教の四恩を明かす

 仏教の四恩とは、一には父母の恩を報ぜよ、二には国主の恩を報ぜよ、三には一切衆生の恩を報ぜよ、四には三宝の恩を報ぜよ。一に父母の恩を報ぜよとは、父母の赤白二(てい)和合して我が身となる。母の胎内に宿る事、二百七十日九月の間、三十七度死ぬるほどの苦みあり。生み落とす時、たへがたしと思ひ念ずる息、(いただき)より出づる(けむり)梵天(ぼんてん)に至る。さて生み落とされて乳をのむ事一百八十余石。三年が間は父母の膝に遊び、人となりて仏教を信ずれば、先づ此の父と母との恩を報ずべし。父の恩の高き事(しゅ)()(せん)(なお)ひきし。母の恩の深き事大海還って浅し。相構へて父母の恩を報ずべし。二に国主の恩を報ぜよとは、生まれて已来(このかた)衣食のたぐひより始めて皆是国主の恩を得てある者なれば、(げん)()安穏(あんのん)()(しょう)善処(ぜんしょ)と祈り奉るべし。三に一切衆生の恩を報ぜよとは、されば昔は一切の男は父なり女は母なり。然る間生々世々に皆恩ある衆生なれば皆仏になれと思ふべきなり。

第三章 三宝への報恩が真実の孝養

四に三宝の恩を報ぜよとは、最初成道の華厳経を尋ぬれば、経も大乗、仏も報身如来にて(ましま)す間、二乗等は昼の(ふくろう)、夜の鷹の如くして、かれを聞くといへども耳しゐ目しゐの如し。然る間、四恩を報ずべきかと思ふに、女人をきらはれたる間母の恩報じがたし。次に仏、阿含小乗経を説き給ひし事十二年、是こそ小乗なれば我等が機にしたがふべきかと思へば、男は五戒、女は十戒、法師は二百五十戒、尼は五百戒を持ちて三千の威儀(いぎ)を具すべしと説きたれば、末代の我等かなふべしともおぼえねば母の恩報じがたし。況んや此の経にもきらはれたり。方等(ほうどう)般若(はんにゃ)四十余年の経々に皆
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女人をきらはれたり。但し天女成仏経・観経等にすこし女人の得道の経文有りといへども、但名のみ有って実なきなり。其の上、未顕真実の経なれば如何が有りけん、四十余年の経々に皆女人を嫌はれたり。又最後に説き給ひたる涅槃経にも女人を嫌はれたり。何れか四恩を報ずる経有りと尋ぬれば、法華経こそ女人の成仏する経なれば八歳の竜女(りゅうにょ)成仏し、仏の姨母(おば)(きょう)(どん)()()(しゃ)陀羅(だら)比丘尼(びくに)()(べつ)にあづかりぬ。されば我等が母は但女人の体にてこそ候へ。畜生にもあらず、蛇身にもあらず。八歳の竜女だにも仏になる。如何ぞ此の経の力にて我が母の仏にならざるべき。されば法華経を持つ人は父と母との恩を報ずるなり。我が心には報ずると思はねども、此の経の力にて報ずるなり。

第四章 余念なき一筋の信仰勧める

 然る間釈迦・多宝等の十方無量の仏、上行地涌(じゆ)等の菩薩も、()(げん)文殊(もんじゅ)等の迹化(しゃっけ)の大士も、舎利弗等の諸(だい)(しょう)(もん)も、大梵天王・日月等の明主諸天も、八部王も、十()刹女(せつにょ)等も、日本国中の大小の諸神も、総じて此の法華経を強く信じまいらせて、余念なく一筋に信仰する者をば、影の身にそふが如く守らせ給ひ候なり。相構へて相構へて、心を(ひるが)へさず一筋に信じ給ふならば、現世安穏後生善処なるべし。恐々謹言。
    日蓮 花押
 上野殿