大白法・平成9年1月1日刊(第469号より転載)御書解説(045)―背景と大意

四恩抄(264頁)

別名『伊豆御勘気抄』

 

 一、御述作の背景

 本抄は、弘長二(1262)年一月十六日、大聖人様が四十一歳の時、御配流の地・伊豆の伊東より安房(あわ)国天津の領主・()(どう)()近尉(こんのじょう)吉隆(よしたか)に与えられた御抄です。()真筆(しんぴつ)は現存せず、別名を『伊豆()(かん)()抄』と言います。

対告衆

 対告衆の工藤吉隆の入信経緯等は定かではありませんが、大聖人様が伊豆御配流中にも御供養をお届けするなどして、信心の誠を尽くすとともに、文永元(1264)年十一月十一日の小松原の法難の時には、身命を捨てて大聖人様をお護りしていることからも、強信者であったことが判ります。

背景

 当時の世相は、飢饉や疫病、地震などが続き、餓死や病死する者が後を絶たず、人心は極度の不安におののいていました。

 大聖人様は、これらの災厄(さいやく)の起こる原因を経証に基づいて示され、念仏・禅等の邪宗を禁断し、『法華経』に帰依する以外に三災七難から逃れることはできない旨を『立正安国論』に(したた)められ、文応元(1260)年七月十六日、宿屋左衛門入道を通じて幕府の実権者である前執権・北条時頼(最明寺入道)に進覧したのです。

 しかし、大聖人様が、国を思い民衆を救わんと示された諌言も、北条時頼や幕府為政者たちには受け入れられませんでした。しかも、禅・念仏・律宗等の高僧たちは、(おのれ)の利益と保身のために、大聖人様を亡きものにせんと陰湿な策謀を巡らし、同年八月二十七日、突如、暴徒が松葉ヶ谷の草庵を襲ったのです。

 この夜襲の危難を諸天善神の御計いによって脱出された大聖人様は、一時鎌倉を離れ富木胤継(たねつぐ)(常忍)の()いにより、下総若宮の富木邸に身を移されたと言われています。

 弘長元(1261)年の春、大聖人様が再び鎌倉に戻ったことを知った幕府は、五月十二日、一度の取り調べもなく理不尽にも、伊豆の伊東へと配流に処したのです。

 小船で相模灘を護送され、伊豆の川奈の津に引き降ろされた大聖人様は、漁師である船守弥三郎に助けられました。弥三郎夫妻は幕府から罪人としての()れがまわっていた大聖人様を、身の危険を顧みることなく三十日にわたって(かくま)い、外護し続けたのでした。

 そうした時、地頭の伊東八郎左衛門が重体に(おちい)り、大聖人様に平癒の祈念を願い出て、蘇生する大利益を得たことにより、地頭自らが大聖人様に帰依し、病気平癒のお礼として、海中より引き上げた立像の釈迦仏を大聖人様に捧げたのでした。大聖人様は、この海中出現の一体仏を随身仏として終生所持されたのです。

 本抄においては、このような『立正安国論』による国家諫暁から起きたところの伊豆の御配流は、大聖人様の「法華経の行者」としてのお振る舞いが、仏記に符合するものであることを大いなる悦びとされ、反対に大聖人様を迫害する者が、法華誹謗の罪科によって一生の悪業を造ってしまうことを(なげ)かれています。

 本抄を(したた)められたのは、御配流から八ヵ月目の弘長二(1262)年の正月であり、この御配流は、翌年の二月二十二日に赦免(しゃめん)状が発せられています。

 

 二、本抄の大意

 冒頭に、

此の流罪の身になりて候につけて二つの大事あり

と述べられ、まず、

一には大なる(よろこ)

とする理由を示されます。それは、『法華経法師品』の、

如来の現在すら、(なお)怨嫉多し。(いわ)んや滅度の後をや」(法華経326頁)

と説かれる仏の未来記そのものに符合することの不思議であり、釈尊にも勝る大難を忍ぶところの現在の境遇そのままが、昼夜不断に『法華経』を修行することになるとして、「流罪の悦び」についての意義を述べられています。

 また、讒言し配流に処した悪逆な国主こそが、『法華経』を身読するためには恩の深き人であるとして真実の報恩の道をお示しになり、仏法を習う者として、四恩(一切衆生の恩・父母の恩・国王の恩・三宝の恩)を報ずることが第一の悦びであると説かれています。

 次に、

第二に大なる(なげ)

の理由を示されます。ここでは『法華経』を受持する人を謗そしる罪の大なることを説かれている『法師品』の文を引かれ、「法華経の行者」である大聖人様を謗る多くの人々に、千劫阿鼻地獄を決定する一生の業を造らせることを歎かれています。

 この歎きは、下種仏法の根本的な救済において、すべての人が、必ず逆縁として仏種を宿すことを根本におかれての歎きであることは言うまでもありません。

 最後に『大集経』を引かれて、その業報を示され、本抄を結ばれています。

 

 三、拝読のポイント

 大聖人様は、仏法を習うものとして『心地観経』をもとに、一切衆生の恩・父母の恩・国王の恩・三宝の恩を強調されています。

 この四恩については大要、次のように示されています。

 一には「一切衆生の恩」。衆生がいなければ菩薩の四弘誓願の一つである、限りなき衆生を救済するという「衆生無辺誓願度」をおこすことは難しく、また正法誹謗の悪人がいて菩薩に留難を加えなければ、仏説のごとく菩薩行を修する功徳を増長させることはできないからであるとされます。

 二には「父母の恩」。六道に生まれるためには必ず父母があり、しかも今生の父母は、自分を生んで『法華経』を信ずる身としてくれたのである。ここに父母から(こうむ)るところの恩の尊さがあるとされます。

 三には「国王の恩」。天の三光・地の五穀の恵みを受けて生きることができるのは国王の恩による。そのうえ自分にとっては『法華経』を信じ、生死を離れるべき国主に()えたのであり、国主が自分に迫害を加えたことによって、『法華経』を身読することができたのである。どうして少分の(あだ)を蒙ったからといっておろそかに思うことがあろうかと述べられます。

 四には「三宝の恩」。仏は自らの命を削って、私たちに救いを与えてくれたのであり、仏の恩はいかなることがあっても報じがたいものである。また諸仏は法を師として仏になったのであり、諸仏の貴さは、法に依るのである。ゆえに仏恩を報じようとする人は法の恩を報ずべきである。またこの仏宝・法宝も僧が習い伝えねば、その灯明を末代に永続させることはできない。たとえ無智・無戒の僧であろうと僧の恩を報じていかねばならないと説かれます。
 以上のように大聖人様が示される四恩には、『法華経』を身読せられ、信ずる身としてくれたすべての存在への感謝の意が拝されます。

 このことは、『千日尼御前御返事』に、

日蓮はうけがたくして人身をうけ、()ひがたくして仏法に値ひ奉る。一切の仏法の中に法華経に値ひまいらせて候。其の恩徳ををもへば父母の恩・国主の恩・一切衆生の恩なり(御書1251頁)

と仰せになられている『法華経』への恩徳を基準にして、報恩の姿勢が示されていることに留意するとき、この四恩を並列的に把握していくのではなく、三宝の恩を中心として拝していくべきであることが判ります。

 さらには『報恩抄』に、

今度命ををしむならばいつの世にか仏になるべき、又(いか)なる世にか父母師匠をもすく()ひ奉るべきと、ひとへ()をも()ひ切りて申し始めしかば、案にたがはず或は所を()ひ、或は()り、或は()たれ、或は(きず)かう()ふる(御書1029頁)

と仰せのごとくに、その恩徳を報ずるには「法華経の行者」として身命を賭すべきであり、迫害を加えられ、敵対するものによる受難を通してこそ真実に恩を報ずる者となることができると示されています。

 私たちは、大聖人様の「法華経の行者」としてのお振る舞いの中から、真に恩を報ずることの厳粛さ、そして尊さを知ることが大切と言えましょう。

 

 四、結び

 新年の出発に当たり、心新たに御本尊様・大聖人様への御報恩の祈りを捧げ、本年一年の御奉公の誓いを個々に立てられたことと思います。

 本年「充実の年」は、五年後に迎える平成十四年・立宗七百五十年の大佳節に向けて、御法主日顕上人猊下御命題の三十万人以上の総登山に向けて、信行学をさらに深め、発展し充実せしめていく年と言えます。

 輝かしき年頭に当たり、決意も新たに、唱題・折伏・教学研鑚の目標を掲げ、さらにその達成に向けて日々に努力を重ねて、御命題の実現に向けての前進を重ねてまいろうではありませんか。