四条金吾女房御書  文永八年五月  五〇歳

安産福子御書

(★464㌻)
 懐胎のよし承り候ひ畢んぬ。それについては符の事仰せ候。日蓮相承の中より撰み出だして候。能く能く信心あるべく候。たとへば秘薬なりとも、毒を入りぬれば薬の用すくなし。つるぎなれども、わるびれたる人のためには何かせん。就中、夫婦共に法華の持者なり。法華経流布あるべきたねをつぐ所の玉の子出で生まれん。目出度く覚へ候ぞ。色心二法をつぐ人なり。争でかをそなはり候べき。とくとくこそうまれ候はむずれ。
 
 懐胎のことについて聞きました。それについて符をいただきたいとの事ですので、日蓮が相承の中から撰び出しました。これを服するためには、強盛な信心がなければなりません。たとえば、どんな秘薬であっても毒を入れたならば薬の効果は少ないし、また、いかなる剣であっても、臆病な人にはなんの役にもたたないものです。
 信者のなかでも、とりわけあなた方夫婦は共に法華経の持者です。法華経が流布していく種を継ぐところの玉のような子供が生まれるでしょう。まことにめでたいことです。法華経の持者であるあなた方二人の色心の二法を継ぐ人です。どうして出産が遅れたり(難産の意)することがありましょうか。必ず、安産されるでしょう。
 此の薬をのませ給はゞ疑ひなかるべきなり。闇なれども灯入りぬれば明らかなり。濁水にも月入りぬればすめり。明らかなる事日月にすぎんや。浄き事蓮華にまさるべきや。法華経は日月と蓮華となり。故に妙法蓮華経と名づく。日蓮又日月と蓮華との如くなり。信心の水すまば、利生の月必ず応を垂れ守護し給ふべし。とくとくうまれ候べし。法華経に云はく「如是妙法」と。又云はく「安楽産福子」云云。口伝相承の事は此の弁公にくはしく申しふくめて候。則ち如来の使ひなるべし。返す返すも信心候べし。    この妙法という最高の薬を服されるならば疑いいはありません。闇であっても灯をともせば明るくなり、濁水でも月が映れば澄んでみえるものです。明るいことは日月にすぎるものはない。浄らかなことは蓮華に勝るものがありましょうか。法華経は日月と蓮華のように最高の法です。ゆえに、妙法蓮華経と名づけるのです。日蓮もまた日月と蓮華のようなものであります。信心という水が澄むならば、利生の月は必ずその影を映し、諸天が守護することは間違いないのです。したがって、必ず安産されるでしょう。法華経方便品第二に「是の如き妙法」(法華経101頁)と、また法師功徳品第十九には「安楽して福子を産まん」(同485頁)と説かれています。口伝相承のことは、この弁公(日昭)に詳しく申し含めてあります。すなわち弁公は如来の使いです。くれぐれも信心を起こしていきなさい。
 天照太神は玉をそさのをのみことにさずけて、玉の如くの子をまふけたり。然る間、日の神、我が子となづけたり。
(★465㌻)
さてこそ正哉吾勝とは名づけたれ。日蓮生まるべき種をさずけて候へば、争でか我が子にをとるべき。「有一宝珠価直三千」等。「無上宝聚不求自得」「釈迦如来皆是吾子」等云云。日蓮あに此の義にかはるべきや。幸なり幸なり。めでたしめでたし。又々申すべく候。あなかしこあなかしこ。
 文永八年五月 日        日蓮花押
四条金吾殿女房御返事
   天照太神は素戔嗚尊の玉を授け、素戔嗚尊は玉のような御子をもうけました。それゆえ日の神(天照大神)は、その子をわが子と呼んだのです。また御子の誕生で素戔嗚尊は邪心のないことが証明されたので、正哉吾勝(正に吾れ勝つ)と命名されたのです。日蓮はあなたのお子に、安産に生まれてくるよう、種を授けたのですから、どうしてわが子におとりましょうか。
 法華経提婆達多品第十二に「一つの宝珠有り、その価は三千大千世界なり」(同368頁)等と。信解品第四には「無上の宝聚を、求めざるに自ら得たり」(同199頁)と。また譬喩品第三には釈迦如来が「皆是れ吾が子なり」(同148頁)等と説かれています。日蓮もまた、全くこの義に変わりはありません。実に幸なことです、まことにめでたいことです。またまた申し上げることとしましょう。あなかしこあなかしこ。
 文永八年五月 日        日蓮花押
四条金吾殿女房御返事