大白法・令和2年2月1日刊(第1022号より転載)御書解説(233)―背景と大意
本抄は、建治元(1275)年七月二日、大聖人様が御年五十四歳の時、身延において認められ、南条時光殿に与えられた御消息です。「迦葉尊者御書」との別名があり、御真蹟は全五紙のうち第一紙は欠け、第二・三・四紙と第二祖日興上人の写本が総本山大石寺に現存しています。
本抄の系年については、御真蹟に記述はありませんが、日興上人の写本に「建治元年」の到来年が記されていることから、建治元年に系けての御述作と思われます。
対告衆の南条時光殿は、南条兵衛七郎殿の次男で、七歳の時に父を亡くしました。大聖人様が佐渡配流を赦免された後、身延に入られると、母の上野殿尼御前と共に御供養の品々を何度も届けられ、大聖人様より多くの御書を賜っています。
初めに、白麦一俵・小白麦一俵・河海苔五帖を御供養されたことに対する御礼を述べられます。
次に、釈尊の十大弟子である阿那律尊者を挙げられ、阿那律尊者の幼名は意のままに宝を降らすことができたことから「如意」といい、その由縁を尋ねると、阿那律が過去世の飢饉の時代に、縁覚の聖人に稗の飯を供養したことによる果報であると示されます。
続いて、迦葉尊者を挙げられ、仏に次ぐ閻浮第一を僧で、在家であった時は六十の蔵に金を満たし、数えきれないほどの財宝を有する長者であった。この人も過去世において、縁覚に麦の飯を一杯供養したことにより忉利天に千回生まれ、今世では釈尊に会って僧の中の第一の弟子となり、法華経において光明如来の記別を受けられたと示されます。
この事例から、このたびの御供養を考えると、迦葉尊者の麦の供養が尊くて光明如来に成る功徳となったのに、時光殿の白麦の御供養の功徳が卑しくて仏に成らないことは、あるはずがないと仰せられます。
そして、釈尊在世の月は末法の今にあっても同じ月、在世の花は今も同じ花、昔の功徳は末法においても同じ功徳として顕われる。その上、功徳を受けるこの日蓮は、上一人より下万人に至るすべての人に憎まれ、山中で飢え死にするであろう法華経の行者である。これを不憫に思い山河を乗り越えて送ってkださった御志の麦は、もはや麦ではなく金、否、金ではなく法華経の文字である。我ら凡夫の眼には麦と映るが、十羅刹女ならば、この麦は仏の種と見えるであろうと仰せられます。
先の阿那律が供養した稗の飯は、変じてウサギとなり、そのウサギは変じて死人となり、その死人は変じて金となったのである。その金の指を抜いて売ればまた生えて、尽きることなく九十一劫を経たという。また、釈摩男という人は石を手に取ると金となり、金粟王は砂を金に変えた。と仏説を挙げ、今回、御供養いただいた麦はまさに法華経の文字である。それは女性のためには鏡となって身を飾り、男性のためには甲冑となり、守護神となって弓箭の第一の功名を挙げられるであろうと述べられ、その功徳の大なることを教示されて本抄を括られています。
なお追伸として、世の中はよい時期には何事も起こらないように思えるが、今はとても危うく見えるから、何が起こっても嘆いてはならない。覚悟を決め、たとえ所領などに相違することが起こっても、いよいよ悦びだと言い放ち身延へおいでなさい。所領の地を有していない人も非常に多く、鎮西のために筑紫へ出向く人々の嘆きは、いかばかりかと思う。これは皆、日蓮を国主が侮ったからであると仰せられ、本抄を終えられています。
本抄において大聖人様は、時光殿の御供養に対して、阿那律や迦葉等の事例を引かれて供養の功徳を述べられています。
阿那律は、『上野殿御返事』に、
「この人の御名三つ候。一には無貧、二には如意、三にはむれうと申す。」(御書824頁)
と述べられているように阿那律のほか、天眼第一、そして本抄の「如意」との三つの名があります。
阿那律の過去世を挙げると、ある飢饉の世において獣を狩り稗を耕作して生活をする貧人が、利陀という縁覚に出会った。利陀はたいへん疲弊していたため、貧人はたった一杯しかない稗の飯を供養した。その後、貧人が稗を採ると、猟をせずウサギを獲た。そして、家に帰るとそのウサギは変じて死人となり、さらに金の像となったのである。その金の指を抜いて売ればまた生えて、尽きることがなく、貧人は現世には長者となった。しかも悪人や悪王が奪おうとすると、その黄金はまた死体に戻ったという。その後も九十一劫もの間、その果報を得て、最後に阿那律と生まれて阿羅漢の境地に達し、『五百弟子授記品』において善明如来の記別を受けたのです。
迦葉も、過去世において縁覚に麦の飯を供養した功徳により大長者となり、さらには出家し釈尊の弟子となって頭陀第一と評される果報を具えられ、『授記品』において光明如来の記別を受けているのです。
いずれの果報も、妙楽大師が『法華文句記』に、
「稗飯は軽しと雖も、所有を尽し」(法華文句記会本 上-187頁)
と釈しているように、わずかな供養であっても、真心からその人の財をすべて尽くすものであったことから、成仏得道の甚大な功徳を成就したということです。
阿那律や迦葉が供養した相手はいづれも縁覚という聖者でした。これに対し時光殿の御供養を受けられた方は、末法の法華経の行者日蓮大聖人様です。一見、一介の凡夫僧としか映りませんが、『南条殿御返事』に、
「釈迦仏は、我を無量の珍宝を以て億劫の間供養せんよりは、末代の法華経の行者を一日なりとも供養せん功徳は、百千万億倍過ぐべし」(御書1569頁)
と説かれるように、その御供養の功徳は百千万憶倍も勝れているのです。
時光殿は、幕府の弾圧により公事の負担が増して、領主にもかかわらず乗る馬がありませんでした。そうした中でも、所有を尽して大聖人様に白麦等を供養したのです。その真心に対し、白麦は法華経の文字であり、成仏の種であると教示され、時光殿が現当二世において即身成仏の大功徳を受けることを説かれたのです。
宗旨建立已来、大聖人様は一切衆生救済のため、妙法によって国は安泰に治まるが、妙法以外の邪法では国は必ず乱れることを説かれました。しかし、上一人より下万民に至るまで、大聖人様の文底下種の仏法を憎み、仏法の因果を侮っているのです。
本抄の追伸では、一切の人が大聖人様の御教えに背く中、時光殿が素直に篤く信仰していたことにより、幕府からはよい待遇がなされないであろう、との慈父の御心情も拝されます。その上で、いかなることが身の上に起ころうとも覚悟を決めて思い切り、護法の徴として法難が起こった喜びをもって、いよいよ大聖人様を渇仰恋慕し、妙法への信仰に励むようにと仰せです。
また大聖人様は、蒙古襲来に対する防衛のため九州に向かう人の嘆きを慮られ、その蒙古襲来の原因は為政者が大聖人様を軽んじたからであると仰せです。これは、『下山御消息』の、
「法華経守護の梵帝等、隣国の聖人に仰せ付けて日本国を治罰し、仏前の誓状を遂げん」(御書1146頁)
と示された御指南と軌を一にするものであり、蒙古襲来は、御本仏日蓮大聖人様を誹毀讒謗した謗法の害毒、総罰であることが明らかです。
御法主日如上人猊下は、
「法華講員八十万人体勢の構築は、私どもが御宝前に固く誓った目標であり、すべての支部が身軽法重・死身弘法の御聖訓を奉戴し、全力を傾注して、なんとしてでも誓願を達成しなければなりません。(中略)一人ひとりが、御本仏大聖人の弟子檀那としての自覚と断固たる決意をもって、真剣に唱題に励み、その功徳と歓喜をもって敢然として折伏を行じていくことが肝要であります。」(大白法997号)
と御指南されています。
なお、本年十二月には、宗祖日蓮大聖人御聖誕八百年特別御供養の第三回目が行われます。
法施である折伏に全力で精進することはもちろんのこと、それぞれが真心から精いっぱいの御供養を申し上げ一生成仏の糧とし、大功徳を積ませていただきましょう。