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(★824㌻) |
五月二日に、芋頭(里芋)の石のように干されているのを一駄、富士の上野から身延の山中へ送っていただいた。 仏の御弟子に阿那律という人は、天眼第一の阿那律といって、十人の御弟子のそのうちの一人で、迦葉・舎利弗・目連・阿難に肩を並べた人である。この人の由来を尋ねてみると、師子頬王という国王の第二王子の斛飯王という人の御子で、釈迦如来の従弟であられた。この人の御名前は三つある。一には無貧、二には如意、三には無獦という。一々に不思議ないわれがある。昔、飢饉の世に、利吒尊者という尊い辟支仏がいた。飢饉の世に七日間、食事もできないでいたが、山里で猟師が御器に入れていた稗の飯を乞うて食事をされた。このゆへに、この猟師は現在世において長者となり、そののち、九十一劫の間、人界・天上界において楽しみを受けて、今、最後に斛飯王の太子とお生まれになった。 |
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金の御器に飯は常に絶えることなく、阿羅漢となられた。御眼には三千大千世界を一時に御覧になって、たいそう立派であられ、法華経第四巻の五百弟子受記品第八において普明如来と成るであろうと仏から仰せを蒙られた。妙楽大師は、この事を法華文句記巻二上に釈して「稗飯軽しと雖も所有を尽くし及び田勝るゝを以ての故に故に勝報を得る」といっている。釈の意味は、たいしたものでない稗の飯であるけれども、これより他には何も持っていなかった中で、尊い人が飢えていらしゃたときに差し上げたために、このようなすばらしい人となったのである、ということである。 此の身延の沢は、石などは多くあるが、供養された石のように干した芋頭はない。 |
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もかゝるものなし。 (★825㌻) その上夏のころなれば民の |
その上、夏の頃なので民の暇もないであろう。又御造営といい、多忙であろうに、山里の事を思いやられてお送っていただいた。詮するところは、親との別れを惜しんで父親の追善のために釈迦仏・法華経へ差し上げられたのであろうか、孝養の御心であろうか。 |
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さる事なくば、梵王・帝釈・日月・四天その人の家を 五月三日 日蓮 花押 上野殿御返事 |
そのような事がなければ、梵王・帝釈・日月・四天がその人の家をすみかとしょうと誓われたことは果たせなくなってします。言うにかいない者であっても約束というものは違えないのが習いであるから、この人々が仏前の御約束を違えることがどうしてあろうか。もし、此の事が本当になるなら、自身が大事と思う人々が信心を制止し、又大きな難が来る、その時まさに此の事が叶うに違いないと確認して、いよいよ強盛に信心すべきである。そうであるならば聖霊は成仏されるでしょう。成仏されたならば来て守護されるであろう。其の時一切は心のままである。くれぐれも人の制止があったならば、心に嬉しく思いなさい。恐々謹言。 五月三日 日蓮 花押 上野殿御返事 |