大白法・令和7年7月1日刊(第1132号より転載)御書解説(279)―背景と大意

日眼女釈迦仏供養事(1351頁)

別名『日眼女造立釈迦仏供養事』

 一、御述作の由来

 本抄は、弘安(こうあん)二(1279)年二月二日、日蓮大聖人様が御年五十八歳の時に()(のぶ)においで(したた)められ、鎌倉の日眼女(にちげんにょ)に与えられた御書とされています。()真蹟(しんせき)は現存しません。

 本抄には『日眼女造立釈迦仏供養事』などの異称があり、系年については、弘安三年二月二日説などの異説もあります。

 対告衆(たいごうしゅ)の日眼女は、()(じょう)(きん)()頼基(よりもと)の夫人と考えられており、夫の金吾とともに信仰に励んだ壇越(だんのつ)です。金吾が主君の江間(えま)氏を折伏し、江間氏や同僚たちによる迫害が起こったときも、ともに信心を貫きました。日眼女も、大聖人様からたびたび御指南を(いただ)いており、本抄御述作の四年前の文永十二(1275)年一月には、三十三歳の厄年(やくどし)にあたり、『四条金吾殿女房御返事』(御書756頁・御書解説155)を賜っています。

 二、本抄の大意

  初めに、日眼女のためにお守り御本尊を(したた)めて授与すること、釈尊の三寸(約九センチメートル)の木像を造立した日眼女から、前に二貫文、今回さらに一貫文の御供養が届けられたことを述べられます。

 次いで、法華経『如来寿量品』の文を引かれ、諸仏・諸尊・諸神、一切世間の国主等は、教主釈尊の垂迹(すいじゃく)であると仰せられます。

 また、釈尊が天の月、諸仏・諸菩薩は万水に映る月影であるから、釈尊一体仏を造立する人は諸仏を作る人であると示し、頭を振れば髪が揺れ動くなどの讐えを()げて、教主釈尊を動かし奉れば垂述である諸仏・諸天等が動かないはずはない、と述べられます。

 続けて、日眼女が三十七歳の厄年にあたっていることから、厄は人体でいえば関節、方角でいえば四維(しい)(西北・西南・東北・東南)のごときもので、風は四維から吹くと強く、病は関節から起こると治しにくいことや、家に垣根がなければ盗人(ぬすびと)が入りやすく、人に過失があれば敵はそこに付け込むように、厄とは節々からくる病や、家に垣根がない状態、人に過失があるようなものであることを仰せられます。そして、よき兵士で守れば盗人を捕まえられ、関節の病も治せば寿命が長くなることを示されます。また、(くらい)の低い女性でも皇子を授かれば国主から(うやま)われるように、釈尊像を造立したことで大楚天王・帝釈天をはじめとする神々が日眼女を守護してくださると述べられます。さらに、インドの()(でん)大王と影堅(ようげん)王の説話を挙げられます。

 次いで、法華経『方便品』の文を引かれて、女人が釈迦仏を造立したならば、現在には大小の難を払い、後生には必ず仏に成るとの意味であると示し、諸経の中では、ただ法華経にのみ女人の成仏が説かれていると述べられます。そして、天台・妙楽の釈のうち、一切経には女人は仏にならないと説かれたが、法華経によって(りゅう)(にょ)も成仏し、すべての女人の成仏が保証されたとする文を挙げられます。

 続いて、法華経は星のなかには月、人のなかには王、山のなかには(しゅ)()(せん)、水のなかには大海であって、これほど大切な経に「女人は仏に成る」と説かれるのであるから、他経で忌避(きひ)されたとしても何も苦しくないことを讐えをもって教えられます。

 ここで、日本は天照太神という女神が築いた島で女人の国ともいうべき国であるが、皆念仏の信仰者で阿弥陀仏を本尊とし、 現世の祈りも阿弥陀仏に対してであることから、その人たちが釈迦仏を造り(えが)いたとしても、願うところは阿弥陀仏の極楽浄土に往生することである。そのため、造り画かないよりもかえって劣悪であると述べられます。

 最後に、今の日眼女が法華経を信じるのは、今生の祈りのようだが、釈尊像を造立されたことで後生の成仏も疑いないこと。 日本の中で第一の女人であると思うように、と仰せられ、委細はまた申し上げると述べられ、本抄を結ばれています。

 三、拝読のポイント

 法華経のみ皆成仏道の教え

 本抄で仰せのように、釈尊一代諸経のなかで、法華経にのみ本当の女人成仏が説かれています。

 インドでは釈尊出現以前から女性の地位が低く、爾前経でも女性は仏道を害する存在であるなどと嫌われ、()(しょう)(さん)(じゅう)(焚天王・帝釈・魔王・転輪聖王・仏になることができない「五障」と、幼いときは父母に従い、結婚しては夫に従い、老いては子に従うの「三従」)の者と説かれました。

 一部の大乗経典では、女人の往生・成仏を説きますが、これは長い間修行して男性に生まれ変わってから成仏するというもので、一念三千の即身成仏ではない、有名無実の成仏相でした。

 大聖人様御在世当時の日本で、広く民衆に浸透した念仏も、女人往生を説く無量寿経を所依の経典のーつとしていました。しかし往生とは、命が終わり他土に生まれることであり、浄土という世俗の苦がない世界に男性として生まれて修行することで成仏を得ると説きます。

 これに対して法華経では、(よう)不成仏とされた声聞・縁覚の二乗は二乗のまま、女人は女人のまま、十界(じっかい)の衆生すべてがこの姿(しゃ)()世界で即身成仏するという、一念三千の成仏が示されました。

 法華経『(だい)()(だっ)()(ほん)』には、八歳の竜女がその場で男性に変じて成仏したと説かれています。しかし、これは釈尊の(じゅく)(やく)(だっ)(ちゃく)の化導として、女人不成仏や歴劫(りゃっこう)修行に執着する大衆の疑念を晴らすための、方便の相です。

 下種の成仏の相から拝すると、竜女が宝珠を釈尊に奉り、釈尊がそれを受けられたとき、すでに竜女は妙法による正覚を得て、蛇身・女身のまま即身成仏したという意義が存します。

 そもそも末法の衆生は、爾前諸経を用いても功徳はなく、()遠元初(おんがんじょ)即末法の御本仏の妙法を受持信行することによってのみ即身成仏が叶います。時に適わない教えを信仰することは、成仏が叶わないのみならず、かえって災いを招き、不幸の原因となることを肝に銘じなければなりません。

末法の本尊は大聖人様御図顕の大漫茶羅

 本抄には、日眼女が一体三寸の釈尊像を造立したことについて述べられています。その大きさから、おそらく身の守りとして造立したのでしょう。大聖人様は、法華経の教主・釈尊像の造立であったため、一往は日眼女を賞賛されました。

 しかし、これは大聖人様の御本意ではないことを、総本山第二十六世日寛上人が『末法相応抄』(六巻抄140頁)に示されています。

 日寛上人は、当時の檀越に釈尊の一体仏造立を許された理由を、一つには大聖人様による正法弘通の初めであったため。二つには日本国中が阿弥陀仏を本尊とした時代であったため。三つには大聖人様の御内証(ないしょう)から見れば、釈尊像であっても一念三千即自受用の本仏となるため、と三点に(くく)られています。

 大聖人様は末法の衆生が受持信行すべき御本尊様について『本尊問答抄』に、

法華経の題目を以て本尊とすべし」(御書1274頁)

と御教示です。また、『草木成仏口決』に、

一念三千の法門を()すす()ぎたるは大曼荼羅なり」(同523頁)

と示され、『御義口伝』には、

本尊とは法華経の行者の一身の当体なり」(同1773頁)

と仰せになっています。

 大聖人様は、一切衆生救済のために数々の法難に遭いながら、南無妙法蓮華経を説き顕わされ、その法体として、大漫茶羅御本尊を建立されたのです。この御本尊様は、 法華経の行者・御本仏日蓮大聖人様の当体でもあります。

 この人法一箇の本門の本尊こそ、末法における最勝の本尊であり、衆生が尊崇すべき唯一の本尊です。

 したがって大聖人様は、やがては釈尊像を()り所とせず、妙法漫茶羅こそが信心の対境であることを日眼女に教示するため本 抄を送り、お守り御本尊を授与されたと拝すべきなのです。  

 四、結  び

 御法主日如上人貌下は、

人法一箇の大御本尊様を受持し、弘通する者は、ありとあらゆる仏、菩薩、二乗、諸天ならびにその眷属(けんぞく)に守護せられること、間違いないのであります」(大白法815号)

と御指南されています。

  本抄に示される厄難の考え方は、現在も世間に周知され、他宗の神社仏閣に参詣する人は後を絶ちません。また、世界情勢は いよいよ()(じょく)悪世の様相を呈しています。このような時こそ、あらゆる災厄を幸福へと転ずる道は、大聖人様が顕わされた御本尊様への信仰以外にないとの原点に立つことが肝要です。御本尊様を御安置して日々お給仕申し上げ、自行化他の御題目を唱えて折伏に励むところに、必ず御本尊様の御加護と、法華経守護の諸天善神の衛護の利益があるとの確信を深め、精進してまいりましょう。