大白法・令和4年10月1日刊(第1086号より転載)御書解説(257)―背景と大意
本抄は、
太田乗明は、鎌倉幕府の
同郷の
なお、本抄末尾の宛名から判るように、大聖人様より
太田氏は、『
初めに、
次に、昔、
次に、今の乗明法師妙日とその妻が、銅銭二千枚を法華経に供養したことを述べられます。
そして、かの金珠女は仏に対する供養であり、太田夫妻は法華経への供養であること。また経は師であり、仏は弟子であることを教示され、経証として、涅梁経『
次いで、法華経より劣った仏を供養しても九十一劫もの間、金色の身となったのであるから、それよりも勝れた法華経を供養した施主が一生の間に仏の境界に至らないことかあろうかと、その功徳の甚大なることを称賛されます。
最後に、ただし真言・禅宗・念仏者などの謗法者による法華経への供養は、そこから除外されることを念告され、それは例えば、
本抄において大聖人様は、太田乗明が鋼銭二千枚を御供養されたことについて、金珠女の
『付法蔵因縁伝』(大正蔵)に説かれる金珠女の説話の概要を挙げると、
この時の鍛金師が、法華経『授記品第六』において、光明如来の
本抄では、鍛金師を太田乗明、金珠女を乗明の夫人になぞらえていますが、特に金珠女の喩えを挙げられたのは、その御供養が乗明のみならず、夫人の
また大聖人様は、乗朋夫妻の御供養が金珠女の供養に勝ることを、
「彼は仏なり此は経なリ。経は師なり仏は弟子なり」
と師と弟子という対境の相違を挙げて、その功徳の勝劣を教示されています。
釈尊滅後における法華経への供養について、大聖人様は『
「衣かたびらは一なれども、法華経にまいらせさせ給ひぬれば、法華経の文字は六万九千三百八十四字、一字は一仏なり。(中路)『応化は真仏に非ず』と申して、三十二相八十種好の仏よりも、法華経の文字こそ真の仏にてはわたらせ給ひ候へ。仏の在世に仏を信ぜし人は仏にならざる人もあり。仏の滅後に法華経を信ずる人は『無一不成仏』とは如来の金言なり」(御書908頁)
と、法華経の文字は一々が仏であり、真仏であり、減後末法に法華経を信ずる人は必ず成仏すると仰せです。
そして、『
「昔の
と、法華経(御本尊)に御供養申し上げる人は、その功徳によって一生成仏することを教示されています。
私たちは、末法下種の南無妙法蓮華経の御本尊に対する御供養の功徳の甚大なることを確信し、いよいよ信行に励んでいくことが肝要です。
本抄において大聖人様は、妙法を純粋に信仰し、尊い御供養をした太田乗明夫妻が一生成仏を遂げることを仰せですが、続く文に、
「但真言・禅宗・念仏者等の謗法の供養を除き去るべし」
と、もし邪宗邪義を信奉する誘法の者が法華経に供養したとしても、そこには何の功徳も
そして、その
毒に仙薬を混ぜても、それは毒であり、諸病を治す薬とはならないように、邪宗に帰依する者が件せて正法の法華経(御本尊)に供養したとしても、謗法による罪障が消えるこはないのです。
総本山第二十六世日寛上人が『松任次兵衛殿御報』(妙喜寺蔵)に、
「かならずかならず信の一字こそ大事にて侯。たとへ山のごとく財をつみ侯ひて御供養候とも、もし信心なくばせんなき事なるべし。たとへ一滴一塵なりとも信心誠あらは大果報を得べし」(宗旨建立と七五〇年の法灯 68頁)
と仰せのように、倒供養の際には信心の志が最も大切となります。
私たちは、 一切の謗法の
御法主日如上人猊下は、
「我々が折伏しなければ、謗法は滅びないのてす。今の日本の国を、よく御覧なさい。念仏の者、真言の者、池田創価学会の者など、たくさんいるではありませんか。これらの教えは、自然には滅びません。私達が折伏するから滅びるのです。私達が折伏しなければ、謗法は消滅しないのです」(大白法818号)
と御指南されています。
私たちは、コロナ
広宣流布大願成就のため、本年の各支部折伏誓願目標を完遂してまいりましよう。