大白法・令和4年8月1日刊(第1082号より転載)御書解説(256)―背景と大意

兵衛志殿女房御書(1102頁

 

 一、御述作の由来

 本抄は、建治(けんじ)三(1277)年三月二日、日蓮大聖人様が御年五十六歳の時、身延において(したた)められ、武蔵国池上(むさしのくにいけがみ)(東京都大田区)に住する池上兵衛志宗長(ひょうへさかんむねなが)の女房に与えられた御手紙です。御真蹟は現存しません。

 冒頭の御文より、池上宗長とその夫人の計らいとして、武家にとって大切な馬に「此の(あま)御前」を乗せ、身延まで参詣させたことに対する礼状であると判ります。

 この尼御前については、妙一尼とする説もありますが、詳しいことは判りません。

 さて、木抄より(さかのぼ)ること約一年前。池上家では、宗長の兄・池上宗仲(むねなか)が、極楽寺良観の熱心な信奉者であった父の池上康光(やすみつ)と、信仰上のもつれから争議となり、父が宗仲を勘当(かんどう)するという事件が起こりました。

 この事件は、大聖人様を憎む良観が、康光に対し、息子たちに大聖人様の教えを捨てさせるよう圧力をかけたことに始まります。しかし、宗仲・宗長の兄弟は父の強要に屈せず、そればかりか反対に、父に良観の謗法(ほうぼう)を指摘して、大聖人様に帰依(きえ)すべきことを勧めたのです。

 これに激怒した父は、良観の策謀(さくぼう)と入れ知恵によって、兄の宗仲だけを勘当し、弟の宗長に家督(かとく)を相続させて兄弟を仲違(なかたが)いさせようとしたのです。

 どちらかと言えば、情にもろく信心も今一歩であった弟宗長は、この時、大聖人様の教えを守るという信仰の貫徹と、家督の譲渡(じょうと)という世俗の利権との間で激しく動揺したのでした。それ故、池上家の争議のを行方(ゆくえ)は、ひとえに宗長が父に従うのか、兄と共に信仰を貫徹できるのかという、宗長の去就(きょしゅう)にかかっていたのです。

 そこで、大聖人様が池上兄弟に与えられたのが、建治ニ年四月の『兄弟抄』(御書977頁)です。同抄が別して弟宗長に()てられていることからも、争議解決の鍵を握るのが兄ではなく、弟の信心にあるということがよく伝わってきます。

 そして、池上兄第とその妻たちは、同抄に説示された御教示を堅く守り、共に力を合わせて、父親の背後にいる良観と闘い続けました。その結果、同年の暮れ頃に、兄の宗仲は勘当を許されたのです。

 (ひるがえ)って、翌建治三年三月の本抄を拝しますと、本抄は宗仲の勘当が解かれて、小康を得た頃の御手紙と判ります。

 そのため、本抄には池上家の争議に関する御言葉はありませんが、宗長夫妻がその後も大聖人様に御供養を届けられ、また他の壇越(だんのつ)とも力を合わせて、一層、信行に励まれる純粋な信心姿勢が拝せられます。

 本抄の対告衆(たいごうしゅ)である夫人は、名前こそ御書からは判らないものの、危機に立ち動揺する夫宗長を陰に陽に支え励まし、夫と共に大聖人様の教えを貫いたのです。

 

 二、本抄の大意

 初めに、先には仏器の供養をなされ、このたびは尼御前を大切な馬に乗せて身延まで参詣させた、とその(こころざし)に感謝の意を表され、これは夫の宗長はもとより、その夫人であるあなたの取り計らいであろう、と述べられます。

 続いて、釈尊とその出家前の妻・耶輸多羅女(やしゅだらにょ)本生譚(ほんしょうたん)(前世の物語)である、儒童菩薩(じゅどうぼさつ)瞿夷(くい)という女人の故事(こじ)を挙げられて、宗長夫妻が同時に成仏することを示唆(しさ)されます。

 昔、釈尊が過去に儒童菩薩として修行をしていた時、定光菩薩(じょうこうぼさつ)(然灯仏(ねんとうぶつ)のこと)を供養するために、瞿夷から五本の蓮華を五百の金銭で買い取り、定光菩薩に七日七夜にわたり供養しました。

 また、瞿夷もニ本の蓮華を儒童菩薩に託して定光菩薩に供養しました。

 その際、瞿夷は、凡夫である時は儒童菩薩と世々生々に夫婦となり、仏になる時は同時になりましようとの誓願を立てました。

 そして、この誓いは()ちることなく、二人は九十一(こう)もの間、夫婦になったという故事が示されます。

 続けて大聖人様は、儒童菩薩は蓮華を供養した功徳によって釈迦仏となり、また瞿夷は釈尊の妻である耶輸多羅女として、法華経の『勧持品第十三』において具足千万光相如来(ぐそくせんまんこうそうにょらい)授記(じゅき)を受けたと明かされます。

 次に、宗長夫妻が某尼のために使わした馬の功徳を次のように説かれます。

 出家を(こころざ)した悉達太子(しったたいし)(後の釈尊)が王宮を出て、修行のために檀特山(だんどくせん)(北インドのガンダーラ地方にあったといわれる山)に入った時に乗っていた金泥(こんでい)の馬は帝釈天(たいしゃくてん)化身(けしん)であった。

 また、中国に初めて仏教を伝えた、中インド出身の訳経家・摩騰迦(まとうか)竺法蘭(じゅくほうらん)が、中国まで仏典等を運んだ時の白馬は十羅刹女(じゅうらせつにょ)の化身であった。

 そうであれば、あなたの計らいで身延まて使わされた馬も、法華経の成仏道を歩んできたため、あなたが百二十年という長寿で栄えた後、霊山浄土(りょうぜんじょうど)へ参る時の乗馬(のりうま)となるでしよう、と述べられて本抄を結ばれます。

 

 三、拝読のポイント

 夫婦で信行に励むべし

  本抄は、宗長とその夫人が心を合わせて信行に励まれている姿を、儒童菩薩と瞿夷の故事に寄せて(たた)えられたものです。

 大聖人様は夫婦の関係について『千日尼(せんにちあま)御返事』に、

をとこは羽のごとし、女は()のごとし。羽とみとべちべちになりなば、なにをもってかとぶべき」(御書1476頁

との譬えを(もち)いられて、夫婦はどちらが欠けても不十分であり、一心同体であると説かれています。

 また、『日女(にちにょ)御前御返事』には、外道(げどう)に帰依する妙荘厳王(みょうしょうごんのう)を息子と共に教化した、浄徳(じょうとく)夫人の故事を示されて次のように仰せです。

末代の世になっても、妻が夫に法華経の信仰を勧めれば、名こそ変わるが功徳は昔の浄徳夫人と変わらない。まして夫婦で信仰しているのであれば、ちょうど鳥に二つの(つばさ)が備わり、車に両輸が備わるのと同じであり、どんな事も成就する(趣意)」(同1233頁

 つまり、大聖人様は、妻が夫を正法に導くことの大事を説かれると共に、夫婦が異体同心して信行に邁進するならば、いかなる願いも成就できることを教えられているのです。

 したがって、妻は夫が未入信てあれば、毅然(きぜん)と夫を折伏し、夫婦共に成仏の境界を築いていくことが肝要です。

 また、本抄の対告衆のように夫婦で信心しているのであればなおのこと、力を合わせ支えながら信行に励むことが大切です。

 登山参詣の大事

 本抄には、身延に参詣する某尼のために、宗長夫妻か馬を貸し出したことを称賛されています。

 これを今日の私たちの信行に置き換えるならば、寺院や総本山までの交通手段がない人や、一度も登山したことがない人を総本山にお連れすることに当たります。

 そもそも、本門戒壇の大御本尊様(ましま)す総本山大石寺への登山は、大聖人様が『四条金吾殿御返事』に、

毎年度々(たびたび)の御参詣には、無始の罪障も定めて今生一世に消滅すべきか。(いよいよ)はげむべし、はげむべし」(同1502頁

と説かれたように、大御本尊様の広大無辺なる御威光に照らされて、過去遠々劫(かこおんのんごう)の罪障を消減でき、さらには無量の功徳を享受(きょうじゅ)できる仏道修行です。

 そのため、私たちは動行・唱題という日々の信心修行はもとより、大御本尊様にお目通りをする総本山への登山の大事を、いつ何時も忘れてはなりません。

 特に、新入信者の育成はまず登山からと心得て、総本山への登山を推進し、また進んで総本山にお連れすることが大切です。

 

 四、結  び

 御法主日如上人猊下は、

昔も今も同じでありまして、夫婦の力というものは非常に大事であります。(中略)広宣流布の戦いというものは、個人の戦いではなくして、家族なら家族、講中なら講中という、全体の大きな力が必要であります。そういう意味からも、やはりそれぞれが助け合って、切磋琢磨(せっさたくま)しつつ精進していくことが極めて大事であると思います」(大白法822号)

と御指南です。

 私たちは、夫婦、兄弟、家族、そして講中の方々と手を取り合って、信心を高め合うことを常に心がけ、広宣流布そして自身の一生成仏のために、一層、自行化他に精進してまいりましよう。