大白法・平成20年3月1日刊(第736号より転載)御書解説(150)―背景と大意

最蓮房御返事(641頁)

別名『祈禱経送状』

 一、御述作の由来

 本書は、文永十(1273)年正月二十八日、大聖人様が御年五十二歳の時、佐渡一谷において最蓮房日浄師に与えられたものであり、病身であった最蓮房が「息災延命(災いを息め寿命を延ばすこと)」の御祈念を願い出たことに対して、御祈念のための経文を認められ、それを送るに当たって書き添えられた御消息であることから、『祈祷経送状』とも言われています。御真蹟は現存していません。

 最蓮房は比叡山の学僧で、文永元年三月、山門諸堂炎上の件に連座して佐渡に流罪されたと伝えられていますが、真偽は定かでありません。文永八年十一月、大聖人様が佐渡に配流されると、その学徳に傾倒して弟子となり、『生死一大事血脈抄』『草木成仏口決』『諸法実相抄』など重要な御法門が明かされた御書を賜っています。

 文永十一年大聖人様が赦免されて鎌倉に帰られた翌建治元(1275)年に、最蓮房も許されて京都へ帰り、後に甲州下山(現在の山梨県身延町)に住しています。その墓銘によると延慶元(1308)年四月十八日、八十七歳で亡くなったことが記されています。

 

 二、本抄の大意

 本抄は、最蓮房が大聖人様に質問した箇条に対して、簡潔に答えられたものです。

 はじめに、法華経の行者の受難について、大聖人様は三世の大難を被ることによって、法華経の利益もまた三世に亘って尽きないことを述べられています。

 次に、山籠り(山中への隠棲)のことについて、大聖人様は、末法の修行は折伏行にほかならないが、最蓮房は病身でもあり、一往は可とするものの、病気が平癒した後には身命を捨てて折伏弘通に専心すべきであることを示されています。

 さらに、息災延命の祈祷(御祈念)について、大聖人様は一切を法華経に任せて修行していくことを教えられています。

 最後に、最蓮房が十七歳で出家以来、肉食妻帯せず、持戒清浄の修行に励んできたと述べているのに対して、法華経受持にこそ勝妙の果報のあることを示し、最後に折伏弘通の志ある者以外に、安易に御祈念のための経文を示してはならないと戒められて本抄を結ばれています。

 

 三、拝読のポイント

 折伏により罪障消滅を果たす

 末法において法華経を受持し弘めようとする者は、三類(俗衆・道門・僣聖の各増上慢)の強敵が競い起こり迫害されることを覚悟しなければなりません。このことは、法華経『勧持品』などの釈尊の金言に説かれるところであり、大聖人様もこの法華経を信じ弘通することによって、命に及ぶ迫害、弾圧を受け、佐渡まで流されてきたと仰せになられています。

 現世で犯した世法の罪は、現世においてのみ問われるものですが、仏法において犯す謗法の罪は、三世に通じていくものです。

 大聖人様は法華経を弘通することによって三世に受ける大難を現在の一身に値われていることを示されていますが、この三世に亘る大難を今世一時に受けることは、法華経弘通の功によって罪障消滅することであり、三世に亘る妙法蓮華経の利益は尽きることがないと仰せです。

 もちろん、私たちが弘通する法華経とは、末法の御本仏日蓮大聖人様の三大秘法の教えのことであり、その弘通の在り方として折伏を用いるのです。

 御法主日如上人猊下は、折伏の大事を常に御教示くださっていますが、その実践していく意義の一端について、

折伏は一切衆生救済の慈悲行であり、自らの過去遠々劫からの罪障を消滅して幸せになるための最高の仏道修行であり、そして仏祖三宝尊に対する最高の報恩行であり、また仏様から与えられた尊い使命であります」(大白法689号)

と、御指南されています。つまり折伏しなければ大聖人様の弟子とは言えませんし、真の幸福を得ていくことはできないということです。

 折伏は、妙法を信受する功徳を教えていくだけではなく、謗法の根源を正していくことですから、相手から反発されるのは当然のことですし、染み付いた謗法の念慮を捨てさせ、伝受させていくことはたいへん根気のいることです。

 法華経『勧持品』に、法華経の行者が大難を忍んで弘通することが説かれていることを思うとき、私たちは、仏様から与えられた尊い使命を自覚し、立ちはだかる障魔に臆していてはならないと言えます。大聖人様の、

難来たるを以て安楽と意得べきなり」(御書1763頁)

との御教示を、折伏に励む私たちへの激励と受けとめ、地涌倍増へのさらなる前進を果たしてまいりましょう。

 末法は折伏行

 病身の最蓮房は山林に籠って修行することの是非について大聖人様の御教示を受けています。

 大聖人様は、山林に籠ることは一人静かに自身の悟りを得るための修行、即ち「摂受行」であって、謗法の者が多い末法の時機には適わないと仰せになり、末法の時機に適う修行とは、謗法を打ち破り正法に帰伏せしめていく「折伏行」にほかならず、山林等に籠る修行は末法にふさわしくないと仰せです。

 しかしながら、最蓮房が病身で静養の必要があることの上から、山籠りを一往は認められています。それでもまた病気が治ったならば、末法折伏の方軌に則り、身命を捨てて法華弘通に精進していくことを命じられています。

 そして息災延命の御祈念の願い出を通じて、法華経の行者は信心に退転なく、身の振る舞いに偽りなく、一切を法華経に任せて金言の通り修行することにより、後生は言うまでもなく今生においても息災延命であり、勝れた大果報を受け、広宣流布の大願をも成就することができると、法華経の信仰を貫いていくことの大事と、功徳を確信することを促されています。

 破戒と謗法罪の軽重について

 最後に破戒と法華経に背く謗法罪の軽重が説かれています。

 大聖人様は、どれほど清浄な持戒の人であっても、権教を修行して法華経に背いているならば、正法である法華経を信ずる破戒の俗人よりも百千万倍劣ると仰せです。さらに法華経を誹謗する僧はたとえ持戒清浄であっても無間地獄に堕ち、正法を信ずる俗人は破戒であっても成仏は疑いないと仰せです。

 法華経こそは成仏の種子であり、これを受持すれば必ず仏道を成就していくことができます。しかし法華誹謗の者は、法華経『譬喩品』に、

若し人信ぜずして 此の経を毀謗せば則ち一切 世間の仏種を断ぜん(乃至)其の人命終して 阿鼻獄に入らん」(法華経175頁)

と説かれているように、成仏の種子を断じてしまうことになるのです。成仏の肝要は、御本尊への徹底した信心にのみあるのです。

 最蓮房が大聖人様の教えのままに念仏等の権教を捨てて法華経に帰依できたことから、大聖人様は最蓮房に対して「誠に持戒の中の清浄の聖人なり」「国中の謗法をせめて釈尊の化儀を資け奉るべき者なり」と称えられると共に、「仏天に祈誓し御弘通有るべく候」と、仏と諸天に誓願し、正法の弘通に精進できるように勤めていきなさいと激励されています。

 大聖人様は、末法の一切衆生を済度し成仏せしめんがために、法華弘通の大願を立て、その成就を深く祈られつつ、また身命に及ぶ種々の大難に遭遇されながら、慈悲の折伏を実践されました。私たちは大聖人様が、

須く心を一にして南無妙法蓮華経と我も唱へ、他をも勧めんのみこそ、今生人界の思出なるべき」(御書300頁)

との仰せを胸に、仏道の実践に力を注いでまいりましょう。

 

 四、結  び

 本年「躍進の年」も二カ月が過ぎました。西日本・九州では決起大会が盛大に開催され、北海道・東日本においては大会の準備が着々と進められています。そのような中で、明年の「地涌倍増」と「大結集」に向けて悔いのない信行を尽くそうと、折伏への気運が一層盛り上がってきています。

 御法主日如上人猊下が、

この一年、全国すべての講中は異体同心、一致団結して、持てる力をすべて出しきり、必勝を期して広布への闘いを展開していただきたい(中略)本年度、それぞれの講中で立てた誓願、なかんずく折伏は必ず達成することであります(中略)講中の全員が心を一つにして御本尊に真剣に祈り、確たる信念を持って行動を起こせば、必ず誓願は達成できます」(大白法733)

と御指南されていることを深く肝に銘じ、折伏誓願成就に向けて全力を注いでまいろうではありませんか。