大白法・平成27年7月1日刊(第912号)より転載 御書解説(189)―背景と大意
本抄は、文永六(1269)年十二月二十二日、大聖人様四十八歳の御時に、鎌倉にて認められ、富木常忍に与えられた御手紙です。
対告衆の富木常忍は、下総国葛飾郡八幡荘若宮(千葉県市川市)に在住して、千葉氏に仕えた武士で、御書には「富城殿」「土木殿」とも表記されています。大聖人様の御本尊に、日興上人が「因幡国富城五郎入道」と添え書きされていること、また『富士一跡門徒存知事』に、
「因幡国富城荘の本主今は常忍、下総国五郎入道日常に賜ふ」(御書1871頁)
等とあり、富木氏一門の本領(出身地)は因幡国法美郡富城荘(鳥取県)であることが判ります。呼び名については、初め富城五郎常忍と言い、後に入道して常忍と称し、大聖人様の御入滅後は日常と改めました。
富木氏は、宗旨建立後、間もなく入信したと言われ、文応元(1260)年の松葉ヶ谷法難の直後には、大聖人様をかくまいながら地域の弘教に努め、また大聖人様が佐渡へ御配流中は、檀越の中心となって門下を支えました。また、弘安二(1279)年の熱原法難の折には、大聖人様の依頼により、日秀師・日弁師らを保護しています。
大聖人様から多くの御書を賜っており、『観心本尊抄』『法華取要抄』『四信五品抄』などの重要御書の御真蹟を保存し、現在に伝えたことはたいへん大きな功績と言えます。
このように富木常忍は、大聖人門下の檀越の中では最も早い時期に入信し、大聖人様への外護の任を貫きました。
ただし、御法門に関しては、大聖人様の御聖意を正しく理解できなかった一面が随所にうかがえます。例えば、弘安二年の『四菩薩造立抄』によると、大聖人様が漫荼羅御本尊を顕わされているにもかかわらず、本門久成の教主釈尊と脇士の四菩薩の仏像を造立する時期を質問していることなどが挙げられます。これらのことから、富木常忍は、大聖人様が漫荼羅御本尊を正意とされていたことや、血脈相伝に対する信解が浅かったことがうかがえます。
本抄は、次の四つの内容からなっています。
まず、大聖人様が正月一日より、天台大師の『摩訶止観』第五を講義されることを述べられます。この『摩訶止観』第五には、一念三千の御法門が説かれていますが、この講義の眼目は、天台大師が像法時代の修行として明かした理の一念三千の観法を教えるためではなく、末法流布の大法・文底事の一念三千の南無妙法蓮華経を顕わされることにあったと拝されます。
そして、蒙古襲来の兆しに、世間が不安と恐怖に陥っている時だからこそ、元旦の辰の刻(午前八時)から十五日までの間、ひとえに後生を期して大事の法門を講義される旨を披瀝され、『摩訶止観』を講ずるに当たり、多くの弟子たちにいきわたるだけの本の入手を依頼されます。
次に、白米一斗の御供養に対し、心からの感謝を述べられます。当時、鎌倉は飢饉で、多くの弟子を抱えていた大聖人様は、過去の餓鬼道の苦しみを今世で償っているようであると、それまでの心境を吐露されています。
三つ目に、御法門のことについて、大聖人様は宗旨建立以来、末法下種の事の一念三千の南無妙法蓮華経を、日本一国の人々に信じさせるとの大願を立て、折伏弘通に努めてきたが、その願いが成就しようとしていると、妙法広布の機が熟してきたことを仰せられます。そして、先に認められた『立正安国論』における他国侵逼難(蒙古襲来)の予言が的中したことで、それまで大聖人様を迫害してきた世間の人々が恐怖や後悔の念を懐き始めたこと。また、大聖人様を信じて苦難を乗り越えてきた門下の人々にとっては、御法門の正しさが証明され、妙法流布によって一国が守られることはたいへん嬉しいことであろうと、本抄を結ばれています。
なお、追伸として、富木氏の母尼御前の信仰心がたいへんに深いことを愛でられています。
本抄の本文の最後には、
「当時は蒙古の勘文によりて世間やわらぎて候なり、子細ありぬと見へ候。本より信じたる人々はことに悦ぶげに候か」
と仰せられ、大聖人様に対する世間の認識の転機と、大聖人様の教えを信ずる僧俗一人ひとりが不退の信心で異体同心し、この時こそ妙法広布に進むべき時であることを御教示されています。
大聖人様は『異体同心事』に、
「日本国の人々は多人なれども、同体異心なれば諸事成ぜん事かたし。日蓮が一類は異体同心なれば、人々すくなく候へども大事を成じて、一定法華経ひろまりなんと覚へ候」(御書1389頁)
と、異体同心して妙法広布に挺身し、折伏を行じていくならば、必ずこの仏法を広宣流布することができると仰せです。そして、次の御文に、
「悪は多けれども一善にかつ事なし。譬へば多くの火あつまれども一水にはきゑぬ・此の一門も又かくのごとし」(同1390頁)
と、大聖人様の門下は異体同心の故に、いかに謗法の勢力が強大であっても、絶対に負けることはないと御教示されています。
また『諸法実相抄』には、
「日蓮が一門となりとをし給ふべし。日蓮と同意ならば地涌の菩薩たらんか」(同666頁)
と、退転することなく、大聖人様の門下として一生貫き通しなさい。大聖人様の御意に同意し、広宣流布という大目的に向かって精進していくならば、その人々は皆、地涌の菩薩であると、その自覚と使命を御教示されています。
御法主日如上人猊下は、
「広宣流布の大願に向かって、一丸となった組織と、ばらばらの組織では勝敗の帰趨は初めから見えており、平成二十七年・三十三年の誓願達成の成否を決定する最大要因こそ、異体同心の団結であることをよくよく銘記すべきであります。
その異体同心の団結を図る上で最も肝心なことは、各々が広宣流布を我が使命として、一心欲見仏・不自惜身命の御聖訓の侭に不退の決意をもって戦いきっていくことであります。
この心を同じくした広布への戦いを通して真の団結の絆が生まれ、誓願を達成し、あらゆる障魔を打ち破る極意が存しているのであります」(大日蓮 八一五号)
と仰せられ、異体同心の団結には、それぞれが広宣流布を我が使命とすること。そして御本尊様への絶対の信心に立ち、一心欲見仏・不自惜身命の精神で精進することが肝要であることを御指南されています。御法主上人猊下の御指南を身に体し、異体同心の団結をもって、慈悲行の折伏を実践し、平成三十三年の御命題達成に向け、共々に精進してまいりましょう。