異体同心事    弘安二年八月  五八歳

 

(★1389㌻)
 白小袖一つ、あつ()わた(綿)の小袖、はわき(伯耆)房のびんぎ(便宜)鵞目(がもく)一貫、並びにうけ給はりぬ。はわき房・さど(佐渡)房等の事、あつ()わら()の者どもの御心ざし、異体同心なれば万事を(じょう)じ、同体異心なれば諸事叶ふ事なしと申す事は外典三千余巻に定まりて候。(いん)紂王(ちゅうおう)は七十万騎なれども同体異心なればいくさ()にまけぬ。周の武王は八百人なれども異体同心なればかちぬ。一人の心なれども二つの心あれば、其の心たが()いて成ずる事なし。百人千人なれども一つ心なれば必ず事を成ず。日本国の人々は多人なれども、同体異心なれば諸事成ぜん事かたし。日蓮が一類は異体
(★1390㌻)
同心なれば、人々すくなく候へども大事を成じて、一定(いちじょう)法華経ひろまりなんと覚へ候。悪は多けれども一善にかつ事なし。譬へば多くの火あつまれども一水には()ゑぬ。此の一門も又かくのごとし。
 
 白の小袖一つと厚綿の小袖、および伯耆房の身延来訪の折に託された銭一貫文たしかに受け取りました。
 伯耆房、佐渡房等の事、熱原の人々の志が異体同心であればすべての事を成し遂げ、同体異心であれば何事も叶うことはない。このことは外典三千余巻に明らかに説かれているところである。例えば、殷の紂王は七十万騎の大軍であったが、同体異心であったため戦に敗れた。対する周の武王は八百人であったが、異体同心であったので勝つことができた。同じように一人の心であっても二つの心があれば、その心が違っているので何事も成し遂げることはできない。百人千人であってもそれらの人々が一つの心であれば、必ず事を成し遂げられる。
 日本国の人々は多人数であるが、同体異心なので何事も成就する事は難しい。日蓮の一類は異体同心なので、人数が少くなくても大事を成し遂げ、必ず法華経が広まるであろう。悪はどんなに多くとも一つの善に勝つことはできない。例えば、多くの火が集まっていても、一つの水に消されてしまうようなものである。この日蓮の一門もまた、同じようなものである。
 其の上貴辺は、多年とし()()もりて奉公法華経にあつ()くをはする上、今度はいかにもすぐれて御心ざし見えさせ給ふよし人々も申し候。又かれらも申し候。一々に承りて日天にも大神にも申し上げて候ぞ。    そのうえ、あなたは多年にわたって法華経に仕える心が篤いうえ、この度はまことに勝れた御志が見られると人々も言っている。また彼等も言っている。一つ一つ承って、日天にも天照大神にも申し上げている。