大白法・令和2年6月1日刊(第1030)より転載
報恩抄 平成新編御書(999頁11行目~1000頁7行目)
正光寺移転新築落慶法要の砌
令和元年五月十五日
於:山梨県甲府市
かくのごとく存じて父母・師匠等に
本日は正光寺移転新築落慶法要に当たり、住職からの願いによりまして当寺へ参りました。
正光寺が、このように立派に移転新築され、まことにおめでとうございます。皆様方の外護の赤誠により地域広布の法城が面目を一新して、かくも立派に移転新築されましたことを、宗門といたしましても心からお祝いを申し上げます。
これもひとえに、住職の愛宗護法の堅固な信念と、御信徒各位の赤誠によるものでありまして、必ずや仏祖三宝尊の御嘉納あそばされるところと心からお喜びするとともに、この功績はまことに計り知れないものがあり、必ずや大きな功徳を享受されるものと思います。
どうぞ皆様には、この歓喜と功徳をもって、なお一層の精進・活躍をされますことを、心からお祈りを申し上げる次第であります。
さて本日は、ただいま拝読いたしました『報恩抄』の御文について少々申し上げたいと思います。
本文に入る前に、まず『報恩抄』の全体について申し上げますと、『報恩抄』は、建治二(1276)年七月二十一日、大聖人様が
ちなみに御書十大部と申しますのは、初めに『唱法華題目抄』、次に『立正安国論』、三番目に『開目抄』、四番目に『観心本尊抄』、五番目が『法華取要抄』、六番目が『撰時抄』、七番目が『報恩抄』、八番目が『四信五品抄』、九番目が『下山御消息』、十番目が『本尊問答抄』であります。
以上の十編は、皆さんも御承知の通り、いずれも大聖人様の御書中でも重要書でありますので、古来、これを十大部と申しているのであります。つまり『報恩抄』は、十大部のなかに入る最重要御書であるということであります
次に、当抄の
「報恩抄送文に云わく『道善御房の御死去の
と仰せであります。
つまり、本抄が「大事の中の大事」たる所以について、『立正安国論』や『開目抄』あるいは『撰時抄』と比較されて、本抄には本門の三大秘法を顕されている故であると御指南あそばされているのであります。
次に、本抄の題号について、日寛上人は『文段』のなかに、
「この抄の題号は即ち二意を含む。
と仰せであります。すなわち、本抄の題号には通・別の義がありまして、通じて言うならは、父母・師匠・三宝・国王の四恩報謝のためであり、別して言えば、師匠の恩に対する報恩謝徳であると示されているのであります。
つまり四恩について、本抄の四恩と『四恩抄』の四恩には相違があります。本抄においては、今も申し上げましたように、父母の恩・師匠の恩・三宝の恩・国王の恩の四つを挙げておられます一方、『四恩抄』では、一切衆生の恩・父母の恩・国王の恩・三宝の恩の四つを挙げておられます。このように、本抄におきましては『四恩抄』の一切衆生の恩に代わって、師匠の恩を挙げておられますが、これは本抄が師恩報謝のために認められたからであります。
また、本抄におきましては一切衆生の恩を合して父母の恩のなかに置き、四恩とされておりますけれども、その
「六根四生の一切衆生は皆父母なり」(御書815頁)
と仰せであります。すなわち、衆生が三世にわたって三界六道の
次に、別して言えば「師の恩報謝の報恩抄なり」と仰せの如く、本抄は師恩報謝のために認められたものであります。すなわち、大聖人様は旧師・道善房の逝去を悼み、その報恩謝徳のために認められ、嵩が森と故道善房の御基前で読ましめたのです。したがって、総結の文のなかでは、
「花は根にかへり、真味は土にとどまる此の功徳は故道善房の
と仰せになっているのであります。
次に、当抄の大意について申し上げますと、まず最初に通じて四恩、すなわち父母の恩、師匠の恩、三宝の恩、国王の恩を報じ、別して旧師・道善房の恩を報すべきことを明かされております。そして大恩を報ずるためには、必ず仏法を習い極めて智者となることが肝要とされ、そのためには出家して一代聖教を学ばなければならないとされております。
しかし、一代聖教を学ぶ明鏡となるべきところの十宗、すなわち
なかんずく、真言を破折されておりますが、天台
そして最後に、三大秘法を流市して一切衆生を救済することが、師の大恩に報する道であることを明かされているのであります。
以上が本抄の大意でありまして、次に、ただいま拝読いたしました御文についてお話をしたいと思います。
最初に「かくのごとく存じて父母・師匠等に
これは、前の部分におきまして仏道における真の孝養について示されたことを受け、諸宗の迷乱を挙げられている段であります。
すなわち、父母、師匠等に従わないで一代聖教を習おうとするのに、現在の日本には、倶舎・成実・律・法相・三論・真言・華厳・浄土・禅・天台法華の十宗があると仰せられているのであります。
そこで、各宗の概略について簡単に申し上げますと、倶舎宗は南都六宗の一つで、経典に依らず、世親菩薩の『倶舎論』を
次の成実宗も南都六宗の一つでありまして、『成実論』を基にしています。
『成実論』というのは、簡単に言うと
律宗も南都六宗の一つです。律宗と言うぐらいですから、戒律の研究と実践を主とする宗派で、これは天平勝宝六(754)年に鑑真が唐から伝えたものであります。その
また、法相宗も南都六宗の一つであります。一切の存在は識という心の作り出した仮りの存在であって、諸意識の根底にあり、すべての心の
これはインドの
そして三論宗も南都六宗の一つでありまして、竜樹の『中論』『十二門論』と、竜樹の弟子の
これは大乗の空思想を説き、中国で隋の吉蔵か大成いたしまして、日本へは
次の真言宗は、歴史上の釈尊を超えた永遠の宇宙仏である大日如来こそが真実の仏であると、彼らは主張します。そして大日経、
胎蔵界というのは、胎児が母胎の中で生育していく不思議な力に譬えて、大日如来の菩提心があらゆる生成の可能性を蔵していると言い、また金剛界というのは、大日如来の智徳は堅固で、すべての煩悩を打ち破る力を持っていると言います。この両部を立てて、即身成仏を説くのであります。
入唐して
華厳宗は南都六宗の一つでありまして、華厳経を所依として立てた宗派であります。中国唐代の法蔵により大成され、日本には奈良時代に伝えられて東大寺を中心に研究されたので、現在も東大寺を大本山としています。
次の浄土宗は法然を宗祖とし、浄土三部経を所依といたしまして、自力を排して
また禅宗は、インドの
日本には鎌倉初期に栄西が臨済宗を、次いで道元が曹洞宗を伝えまして、江戸時代には
最後の天台法華宗は、法華経を根本経典として一乗主義の立場を採りまして、五時八教の教判理論や止観の実践体系を特徴といたします。
中国で天台智者大師によって大成されましたが、日本へは鑑真が最初にもたらしました。本格的には最澄、つまり伝教大師が延暦二十三(804)年に入唐して学び、翌年に帰朝して、比叡山延暦寺を中心にこれを弘めたのであります。のちに山門・寺門の両派に分かれ、中世末には
そして「
続いて「世間の学者等
世間の人々は「分け登る
次に「小乗の三宗は
次に「大乗の七鏡こそ
「小乗経の三宗」は小乗の教えであるから権威がないけれども、「大乗の七鏡」すなわち法相・三論・真言・華厳・浄土・禅宗・天台法華宗という大乗の七宗の教えこそは、生死の大海を渡り、浄土の彼岸に到達すべき大船であるから、自らも成仏をし、人をも導こうと思って習学した。しかし、さて習ってみると、大乗の七宗は共に自賛に明け暮れて、「我が宗こそ一代聖教の真髄を悟ったものである」と自慢しているだけであった、とおっしゃっています。つまり、様々に説かれてきた十宗といえども、まだ真実に至っていないと示されているのであります。
次に「
つまり、華厳宗の杜順、智儼、法蔵、澄観、あるいは法相宗の玄奘、慈恩等々の人師は皆、宗旨の拠り所とする経典や論釈を楯として「我れこそ一切経の真髄を極めた者である」と言って自画自賛をしているということであります。
そこで今、申し上げました
華厳宗では、まず「杜順」を挙げられていますが、これは中国華厳宗の祖で、法順法師とも言います。各地を歴訪し、『五悔文』を著して浄土を讀詠しておりまして、唐の太宗から帝心尊者の号を賜ったと言われております。そして、のちに長安の南にある終南山に住んで華厳を弘め、法を弟子の智儼に付して、同所で人寂しました。
この杜順の跡を継いた「智儼」は、終南山にある至相寺に住んで華厳宗を弘めたことから、至相大師とも言われております。
その智儼の弟子が「法蔵」であります。この法蔵は中国華懲お第三祖で、華厳教学の大成者と言われております。智儼に師事して華厳教学を深め、各地で華厳教学を講説し、長安や洛陽等に華厳寺を建立して、華厳宗を流布したことで有名であります。
そのあとの「澄観」は中国華厳宗の第四祖て、妙楽大師に付いて天台の止観を学んだのち、学徒のために華厳経を講し、述作に励んたとされます。これらが、華厳宗の主立った人達であります。
次に法相宗でありますが、「玄奘」というのは法相宗の開祖で、インド各地で経典を求め、さらに中央アジアなどを巡って、仏像や経典その数およそ六百五十部を持ち帰ったと言われております。そして、この十七年間にわたる大旅行を
「慈恩」というのは唐代の法相宗の僧である
それから「智周」は中国唐代の法相宗の第三祖でありますが、これは開元五(717)年に入唐いたしました日本の僧侶
その次が「智昭」ですが、『録内啓蒙』には、
「
と言われていますが、定かではありません。
智鳳とは
次に三論宗でありますが、初めの「興皇」は嘉祥の師である法朗のことで、興皇寺に住んでいたので、この名があります。
次の「嘉祥」は、まさに三論宗中興の祖でありまして、吉蔵のことであります。嘉祥寺に住んだことから嘉祥大師と呼ばれました。各地を遊学して三論の研究を続け、三論宗を大成しました。また法華経、涅槃経などの諸経典にも詳しく、天台大師と法華経について書を交わしたほか、法華経を二千部、書写したと言われております。
次に真言宗でありますが、「善無畏」は中国唐代の真言密教の僧であります。インドから中国に初めて体系的な密教を伝え、
その三三蔵の一人てある「金剛智」も、同じようにインドから来た訳経僧であります。金剛頂経など真言諸論を修学して、密教の奥義を極めたと言われております。弟子に、不空や一行などがおります。
その「不空」は密教経典を求めてスリランカへ渡り、いわゆる金剛頂経系の経典を得て中国に帰ったと言われております。そして、玄宗皇帝の帰依と外護を受けまして、密教を弘めた人であります。
次が「弘法」であります。これは日本真言宗の開祖である空海のことて、二十歳で仏道に入り、唐に渡って真言密教を学び、帰朝後には
次の「慈覚」は
しかし、慈覚は伝教大師の弟子でありながら真言宗の宗義に傾倒して、大日経第一、法華経第二、諸経第三との教判を立てたのであります。また、金剛界の大日如来を本尊と立てて善無畏三蔵を師としたところから、まさに天台宗の
そして「智証」でありますが、これは延暦寺第五代の座主です。空海の
次に禅宗です。「達磨」は中国禅宗の祖で、
その「慧可」は中国禅宗の第二祖でありまして、四十歳の時に少林寺で達磨の弟子となって、達磨の死後、名声を高めたという人であります。
次に「慧態」は中国禅宗の第六祖で、第五祖の弘忍の高弟に
次に浄土宗の「道綽」は中国浄土宗の第二祖です。十四歳で出家して、涅槃の空理を学んだけれども、石壁の玄中寺で
また「善導」は中国浄土宗の第三祖で、師の道綽の没後に念仏の教えを弘めました。日本の法然は、この善導の『観経疏』を学んで浄土宗を開いたということてす。
次の「懐感」は中国唐代の浄土宗の僧でありまして、善導の言葉に従って、ひたすら仏を念して三年、ついに念仏三昧を証得したと、このように勝手なことを言っているのであります。
そして「源空」というのは、平安末期に日本浄土宗を開いた法然のことであります。十五歳で比叡山に登って天台の教観を学びましたが、十八歳で京都の黒谷に移って、浄土教を修め、法然房源空と改名をしました。のちに善導の『観経散善義』、それからまた源信の『往生要集』を読んで悟ったとして、一向専修念仏の浄土宗を開いたのであります。著書には『選択本願念仏集』とか『浄土三部経釈』『往生要集釈』などがあります。
以上、華厳の杜順以下、各宗の代表的な人物について、長々とお話しいたしましたけれども、要するに、これらの人師はいずれも自宗に固執して、それぞれが「我が宗こそが第一である」と主張しているのであります。
それ故に、次下に「
つまり、華厳宗の人々は「一切経のなかでは華厳経が第一であって、法華経や大日経などは、その臣下のような者である」と言っているのであります。しかし、これは全く根拠がない話であります。法華経が第一であるということは、釈尊五十年の説法の上から、無量義経において明らかに示されたものでありますけれども、華厳の者達は全く根拠のないことを言っておるのであります。
次に真言宗の人達は「一切経のなかでは大日経が第一であって、他の経々は、まるで日月に対する星のようなものである」と言っているのであります。これは世間知らずというか、仏法を学ぶに平等性がなく、学問未熟の故の結果であり、大日経が第一であると彼らが言う理論的な根拠、実体は全くないのであります。
次に禅宗の人は「一切経のなかで楞伽経が第一である」と言っており、そのほかの宗の人達も、それぞれが自宗の持つ経が第一だと誇っているのであります。しかも、こうした諸師を世間の人々が尊敬していることは、まるで諸天がその王の帝釈を敬い多くの星がその中心たる日月に従うかのようであると仰せられているのであります。
世間の人達が、このような真言や禅といった各宗の者達に
今、世間を見ると、まさに末法
大聖人様は『十法界明因果抄』に、
「法華経に云はく『
と仰せであり、まさにこの御文の如く、不幸の根源は邪義邪宗の謗法にあるのであります。世間の人達はそのことが解らないのですから、私達一人ひとりが正しい仏法に帰依せしめて不幸の根源を断っていく、つまり折伏をすることが今、最も大事なのであります。そういった人達を救うための
大聖人様は『立正安国論』に、
「早く天下の
と仰せであります。「天下の静謐」は、まさに私達が目指すところであります。そのためには何をすべきかと言えば、邪義邪宗の謗法を破折して一天四海
特に、宗祖日蓮大聖人御聖誕八百年の佳節まで、いよいよあと二年弱となりました。私達は、この千載一遇の機に
すべての混乱の原因は、まさに『立正安国論』にお示しの如く、謗法にあります。謗法の対治なくして、安国の実現はありません。これが『立正安国論』において、大聖人様が示された
昨今の様々な状況を見て、皆さん方一人ひとりが、折伏をしなければならないと決意していると思います。この折伏をするに当たって大事なことを、大聖人様は、
「異体同心なれば万事を
と仰せになっております。一人の力よりも二人の力、二人の力よりも十人の力、十人の力よりも百人の力のほうが、まことに大きいのです。そして、大聖人様の御意のままに講中が一結して折伏に精進していくところ、必ず広大無辺なる功徳を成就することができるのであります。
大聖人様の仏法は、全世界の不幸な人達を救うところの秘法であります。全世界の平和実現のために、なくてはならない大事な御法であります。皆さん方は重々そのことをお解りのことと思います。あとはそれを、いかに実行していくかということです。折伏をするには、やはり普段からしっかりとお題目を唱えることが大切です。
我々宗門は、来たるべき令和三年の宗祖日蓮大聖人御聖誕八百年を目指して、折伏に前進しております。そのなかの一人として、また大聖人様の弟子檀那として、御奉公に励んでいくことこそ、最も大事な我々の役目であろうと思います。
今こそ、私達は折伏をしていかなければなりません。私の師匠の観妙院は、よく「信心とは折伏なり」と言っていました。日蓮正宗の信心、大聖人様の信心は折伏であり、独りよがりの信心は爾前経と同じです。そもそも、人を救うことを知らない宗教など、存在してはおかしいのてす。人を救うところに、つまり折伏するところに、我々の信心の大きな意義があるのであります。
正光寺の皆さんは毎年、誓願目標を達成しているとお聞きしました。どうそ、その意気を忘れずに継続し、これからも一天広布を目指して折伏に御精進いただきたいと思います。
以上、本日の法話といたします。
(文責在大日蓮編集室)