大白法・令和2年6月1日刊(第1030)より転載

御法主日如上人猊下御説法

報恩抄 平成新編御書(999頁11行目~1000頁7行目)
正光寺移転新築落慶法要の砌
令和元年五月十五日
於:山梨県甲府市

 かくのごとく存じて父母・師匠等に(したが)はずして仏法をうかヾいし程に、一代聖教(しょうぎょう)をさとるべき明鏡十あり。所謂(いわゆる)倶舎(くしゃ)成実(じょうじつ)・律宗・法相(ほつそう)・三論・真言・華厳・浄土・禅宗・天台法華宗なり。()の十宗を明師として一切経の心を()るべし。世間の学者等をも()えり、此の十の鏡はみな正直に仏道の道を照らせりと。小乗の三宗はしばら()くこれを()く。民の消息の是非につけて、他国へわたるに(ゆう)なきがごとし。大乗の七鏡こそ生死(しょうじ)の大海をわたりて浄土の岸につく大船なれば、(これ)を習ひほど()ひて我が()も助け、人をもみち()びかんとをも()ひて習ひみるほどに、大乗の七宗いづれもいづれも自讃あり。我が宗こそ一代の心は()たれえた()れ等云云。所謂(いわゆる)華厳宗の杜順(とじゅん)智儼(ちごん)法蔵(ほうぞう)澄観(ちょうかん)等、法相宗の玄奘(げんじょう)慈恩(じおん)智周(ちしゅう)智昭(ちしょう)等、三論宗の興皇(こうこう)嘉祥(かじょう)等、真言宗の善無畏(ぜんむい)金剛智(こんごうち)不空(ふくう)弘法(こうぼう)慈覚(じかく)智証(ちしょう)等、禅宗の達磨(だるま)慧可(えか)慧能(えのう)等、浄土宗の道綽(どうしゃく)善導(ぜんどう)懐感(えかん)源空(げんくう)等。此等(これら)の宗々みな本経本論によりて我も我も一切経をさとれり仏意(ぶっち)をきわめたりと云云。()の人々の云はく、一切経の中には華厳経第一なり。法華経・大日経等は臣下のごとし。真言宗の云はく、一切経の中には大日経第一なり。余経は衆星(しゅうしょう)のごとし。禅宗が云はく、一切経の中には楞伽経(りょうがきょう)第一なり。乃至余宗かくのごとし。(しか)(かみ)に挙ぐる諸師は世間の人々各々おも()えり。諸天の帝釈をうやまひ衆星の日月に(したが)ふがごとし。(御書999頁11行目~1000頁7行目)

 

 本日は正光寺移転新築落慶法要に当たり、住職からの願いによりまして当寺へ参りました。
 正光寺が、このように立派に移転新築され、まことにおめでとうございます。皆様方の外護の赤誠により地域広布の法城が面目を一新して、かくも立派に移転新築されましたことを、宗門といたしましても心からお祝いを申し上げます。
 これもひとえに、住職の愛宗護法の堅固な信念と、御信徒各位の赤誠によるものでありまして、必ずや仏祖三宝尊の御嘉納あそばされるところと心からお喜びするとともに、この功績はまことに計り知れないものがあり、必ずや大きな功徳を享受されるものと思います。
 どうぞ皆様には、この歓喜と功徳をもって、なお一層の精進・活躍をされますことを、心からお祈りを申し上げる次第であります。

 さて本日は、ただいま拝読いたしました『報恩抄』の御文について少々申し上げたいと思います。
 本文に入る前に、まず『報恩抄』の全体について申し上げますと、『報恩抄』は、建治二(1276)年七月二十一日、大聖人様が御年(おんとし)五十五歳の時に、旧師・道善房の逝去の報を聞き、その追善供養のために、身延山において(したた)められ、清澄(きよすみ)の浄顕房、義浄房の両人のもとへ送られた御書であり、御書十大部の一つに数えられております。
 ちなみに御書十大部と申しますのは、初めに『唱法華題目抄』、次に『立正安国論』、三番目に『開目抄』、四番目に『観心本尊抄』、五番目が『法華取要抄』、六番目が『撰時抄』、七番目が『報恩抄』、八番目が『四信五品抄』、九番目が『下山御消息』、十番目が『本尊問答抄』であります。
 以上の十編は、皆さんも御承知の通り、いずれも大聖人様の御書中でも重要書でありますので、古来、これを十大部と申しているのであります。つまり『報恩抄』は、十大部のなかに入る最重要御書であるということであります

 次に、当抄の梗概(こうがい)について申し上げますと、総本山第二十六世日寛上人は『報恩抄文段』に、
 「報恩抄送文に云わく『道善御房の御死去の(よし)()ぬる月(ほぼ)(これ)を承り乃至此の文は随分(ずいぶん)大事の大事どもをかきて候ぞ』等云云。『大事の大事』とは、(およ)そ五大部の中に、安国論は佐渡已前にて(もっぱ)法然(ほうねん)の謗法を破す。故に(ただ)()権実(ごんじつ)相対にして(いま)だ本迹の名言(みょうごん)()ださず。況や三大秘法の名言を出ださんをや。開目抄の中には広く五段の教相を明かし、専ら本迹を判ずと(いえど)(ただ)『本門寿量の文底秘沈』と云って、尚未だ三大秘法の名言を明かさず。撰時抄の中には『天台未弘(みぐ)の大法、経文の(おもて)顕然(けんねん)なり』と判ずと雖も、(しか)も浄・禅・真の三宗を破して、未だ三大秘法の名義(みょうぎ)を明かさず。(しか)るに(いま)当抄の中に於て、通じて諸宗の謗法を折伏し、別して真言の誑惑(きょうわく)責破(しゃくは)し、(まさ)しく本門の三大秘法を顕わす。これ(すなわ)ち大事の中の大事なり。故に『大事の大事』と云うなり。()が祖は是れを(もつ)て即ち師恩報謝に()したもうなり」(御書文段379頁)
と仰せであります。
 つまり、本抄が「大事の中の大事」たる所以について、『立正安国論』や『開目抄』あるいは『撰時抄』と比較されて、本抄には本門の三大秘法を顕されている故であると御指南あそばされているのであります。

 次に、本抄の題号について、日寛上人は『文段』のなかに、
この抄の題号は即ち二意を含む。所謂(いわゆる)通別なり。通は()わく、四恩報謝の報恩抄、別は謂わく、師恩報謝の報恩抄なり」(同頁)
と仰せであります。すなわち、本抄の題号には通・別の義がありまして、通じて言うならは、父母・師匠・三宝・国王の四恩報謝のためであり、別して言えば、師匠の恩に対する報恩謝徳であると示されているのであります。
 つまり四恩について、本抄の四恩と『四恩抄』の四恩には相違があります。本抄においては、今も申し上げましたように、父母の恩・師匠の恩・三宝の恩・国王の恩の四つを挙げておられます一方、『四恩抄』では、一切衆生の恩・父母の恩・国王の恩・三宝の恩の四つを挙げておられます。このように、本抄におきましては『四恩抄』の一切衆生の恩に代わって、師匠の恩を挙げておられますが、これは本抄が師恩報謝のために認められたからであります。
 また、本抄におきましては一切衆生の恩を合して父母の恩のなかに置き、四恩とされておりますけれども、その所以(ゆえん)について『法蓮抄』に、
 「六根四生の一切衆生は皆父母なり」(御書815頁)
と仰せであります。すなわち、衆生が三世にわたって三界六道の生死(しょうじ)を絶え間なく繰り返す生命流転の相から見るならば、一切衆生は父母であることになりますので、父母の恩を報ずることは一切衆生の恩を報ずることになるからであると示されているのであります。
 次に、別して言えば「師の恩報謝の報恩抄なり」と仰せの如く、本抄は師恩報謝のために認められたものであります。すなわち、大聖人様は旧師・道善房の逝去を悼み、その報恩謝徳のために認められ、嵩が森と故道善房の御基前で読ましめたのです。したがって、総結の文のなかでは、
 「花は根にかへり、真味は土にとどまる此の功徳は故道善房の聖霊(しょうりょう)の御身にあつまるべし」(同1037頁)
と仰せになっているのであります。

 次に、当抄の大意について申し上げますと、まず最初に通じて四恩、すなわち父母の恩、師匠の恩、三宝の恩、国王の恩を報じ、別して旧師・道善房の恩を報すべきことを明かされております。そして大恩を報ずるためには、必ず仏法を習い極めて智者となることが肝要とされ、そのためには出家して一代聖教を学ばなければならないとされております。
 しかし、一代聖教を学ぶ明鏡となるべきところの十宗、すなわち倶舎(くしゃ)成実(じょうじつ)・律・法相(ほつそう)・三論・真言・華厳・浄土・禅・天台法華の各宗が、それぞれ自宗の正当性を主張しているために、いずれが仏様の本意か解らない。そこでインド、中国、日本の各宗の教義を挙げて、一代聖教のなかでは法華経が最勝であり、法華経の肝心は題目にあることを示され、さらに末法の本尊と戒壇と題目の三天秘法を整足して明かされているのであります。
 なかんずく、真言を破折されておりますが、天台座主(ざす)でありながら真言に転落した慈覚、智証について、ことに厳しく破折しております。
 そして最後に、三大秘法を流市して一切衆生を救済することが、師の大恩に報する道であることを明かされているのであります。
 以上が本抄の大意でありまして、次に、ただいま拝読いたしました御文についてお話をしたいと思います。

 最初に「かくのごとく存じて父母・師匠等に(したが)はずして仏法をうかヾいし程に、一代聖教(しょうぎょう)をさとるべき明鏡十あり。所謂(いわゆる)倶舎(くしゃ)成実(じょうじつ)・律宗・法相(ほつそう)・三論・真言・華厳・浄土・禅宗・天台法華宗なり。」と仰せであります。
 これは、前の部分におきまして仏道における真の孝養について示されたことを受け、諸宗の迷乱を挙げられている段であります。
 すなわち、父母、師匠等に従わないで一代聖教を習おうとするのに、現在の日本には、倶舎・成実・律・法相・三論・真言・華厳・浄土・禅・天台法華の十宗があると仰せられているのであります。
 そこで、各宗の概略について簡単に申し上げますと、倶舎宗は南都六宗の一つで、経典に依らず、世親菩薩の『倶舎論』を正依(しょうえ)として用いております。日本には斉明(さいめい)天皇四(658)年に伝わり、奈良時代には大いに研究されましたが、一宗派として本山あるいは末寺などはなく、学派のみが残っているのであります。
 次の成実宗も南都六宗の一つでありまして、『成実論』を基にしています。
 『成実論』というのは、簡単に言うと苦集(くじゅう)滅道(めつどう)の四諦について説かれた書で、これを所依とする中国の仏教学派で、鳩摩羅(くまら)(じゅう)が漢訳した『成実論』の研究を主にして、(りょう)代に最も隆盛を極めました。日本では南都六宗の一つでありますけれども、成実宗は三論宗に付属する宗派とされました。
 律宗も南都六宗の一つです。律宗と言うぐらいですから、戒律の研究と実践を主とする宗派で、これは天平勝宝六(754)年に鑑真が唐から伝えたものであります。その鑑真(がんじん)が戒壇を開いた唐招提寺(とうしょうだいじ)を総本山とする宗派であります。
また、法相宗も南都六宗の一つであります。一切の存在は識という心の作り出した仮りの存在であって、諸意識の根底にあり、すべての心の(はたら)きの(みなもと)となる阿頼耶(あらや)(しき)以外に何ものも実在しないと説くのであります。
 これはインドの唯識(ゆいしき)()を承けて、唐の慈恩を祖とするもので、日本では道昭(どうしょう)入唐(につとう)して玄奘から受けたのが初伝であると言われております。奈良の興福寺、薬師寺を本山とする宗派てあり、その内容から唯識宗とも言われています。
 そして三論宗も南都六宗の一つでありまして、竜樹の『中論』『十二門論』と、竜樹の弟子の提婆(だいば)が著した『百論』の三つを所依とするので三論宗と言うのであります。
 これは大乗の空思想を説き、中国で隋の吉蔵か大成いたしまして、日本へは慧灌(えかん)が渡来して伝えたと言われております。
 次の真言宗は、歴史上の釈尊を超えた永遠の宇宙仏である大日如来こそが真実の仏であると、彼らは主張します。そして大日経、金剛頂(こんごうちょう)経などを所依とし、胎蔵(たいぞう)界・金剛界の両部を立てます。
 胎蔵界というのは、胎児が母胎の中で生育していく不思議な力に譬えて、大日如来の菩提心があらゆる生成の可能性を蔵していると言い、また金剛界というのは、大日如来の智徳は堅固で、すべての煩悩を打ち破る力を持っていると言います。この両部を立てて、即身成仏を説くのであります。
 入唐して恵果(けいか)に学んだ空海が、帰国後に東寺や金剛峯寺などてこれを弘通し、のちに古義と新義に分かれて、現在はさらに各派に分かれております。
 華厳宗は南都六宗の一つでありまして、華厳経を所依として立てた宗派であります。中国唐代の法蔵により大成され、日本には奈良時代に伝えられて東大寺を中心に研究されたので、現在も東大寺を大本山としています。
 次の浄土宗は法然を宗祖とし、浄土三部経を所依といたしまして、自力を排して阿弥陀(あみだ)仏にすがり、他カ念仏によって極楽浄土に往生(おうじょう)することを目的とします。
 また禅宗は、インドの達磨(だるま)が中国に伝えたものです。経典に依ることなく、釈尊が悟った境地を直接、衆生の心に伝えるという教外別伝、以心伝心を眼目とするのであります。
 日本には鎌倉初期に栄西が臨済宗を、次いで道元が曹洞宗を伝えまして、江戸時代には(みん)の僧である隠元が黄檗(おうばく)宗を伝えました。仏の教説を拠り所とする宗派を教宗と一言うのに対して、座禅を修める宗派という意味で禅宗と言うのであります。
 最後の天台法華宗は、法華経を根本経典として一乗主義の立場を採りまして、五時八教の教判理論や止観の実践体系を特徴といたします。
 中国で天台智者大師によって大成されましたが、日本へは鑑真が最初にもたらしました。本格的には最澄、つまり伝教大師が延暦二十三(804)年に入唐して学び、翌年に帰朝して、比叡山延暦寺を中心にこれを弘めたのであります。のちに山門・寺門の両派に分かれ、中世末には真盛(しんぜい)派が分出しました。

 そして「()の十宗を明師として一切経の心を()るべし」、これらの十宗を明師として釈尊の一切経の心、すなわち真髄を知るべきであると仰せであります。

 続いて「世間の学者等をも()えり、此の十の鏡はみな正直に仏道の道を照らせりと」とありますが、世間の学者達は、この十宗の鏡となる教えは、いずれも正しく仏の説かれた道であると思っているということです。
 世間の人々は「分け登る (ふもと)の道は 多けれど 同じ高嶺(たかね)の 月を見るかな」との歌にだまされて、各宗それぞれあるけれども所詮、仏教は皆同じだと思って迷妄し、真実を見極められないでおります。こうした人々に対して正しい教えを説き、下種折伏をしていくことが私達の大事な使命であり、それが自行化他にわたる信心であると自覚しなけれはならないのであります。

 次に「小乗の三宗はしばら()くこれを()く。民の消息の是非につけて、他国へわたるに(ゆう)なきがごとし」とあります。ここで言う「小乗の三宗」とは、倶舎・成実・律の三宗を指します。すなわち、これら三宗は小乗であるから今は論じないということで、それはちょうど、手紙を出す場合に、国王の命令ではなく一私人の資格であっては権威がないので、なんの役にも立たないのと同じであるとおっしゃっているのであります。

 次に「大乗の七鏡こそ生死(しょうじ)の大海をわたりて浄土の岸につく大船なれば、(これ)を習ひほど()ひて我が()も助け、人をもみち()びかんとをも()ひて習ひみるほどに、大乗の七宗いづれもいづれも自讃あり。我が宗こそ一代の心は()たれ()たれ等云云」と言われております。
 「小乗経の三宗」は小乗の教えであるから権威がないけれども、「大乗の七鏡」すなわち法相・三論・真言・華厳・浄土・禅宗・天台法華宗という大乗の七宗の教えこそは、生死の大海を渡り、浄土の彼岸に到達すべき大船であるから、自らも成仏をし、人をも導こうと思って習学した。しかし、さて習ってみると、大乗の七宗は共に自賛に明け暮れて、「我が宗こそ一代聖教の真髄を悟ったものである」と自慢しているだけであった、とおっしゃっています。つまり、様々に説かれてきた十宗といえども、まだ真実に至っていないと示されているのであります。

 次に「所謂(いわゆる)華厳宗の杜順(とじゅん)智儼(ちごん)法蔵(ほうぞう)澄観(ちょうかん)等、法相宗の玄奘(げんじょう)慈恩(じおん)智周(ちしゅう)智昭(ちしょう)等、三論宗の興皇(こうこう)嘉祥(かじょう)等、真言宗の善無畏(ぜんむい)金剛智(こんごうち)不空(ふくう)弘法(こうぼう)慈覚(じかく)智証(ちしょう)等、禅宗の達磨(だるま)慧可(えか)慧能(えのう)等、浄土宗の道綽(どうしゃく)善導(ぜんどう)懐感(えかん)源空(げんくう)等。此等(これら)の宗々みな本経本論によりて我も我も一切経をさとれり仏意(ぶっち)をきわめたりと云云」と仰せであります。
 つまり、華厳宗の杜順、智儼、法蔵、澄観、あるいは法相宗の玄奘、慈恩等々の人師は皆、宗旨の拠り所とする経典や論釈を楯として「我れこそ一切経の真髄を極めた者である」と言って自画自賛をしているということであります。
 そこで今、申し上げました人師(にんし)につきまして少々お話をしたいと思います。

 華厳宗では、まず「杜順」を挙げられていますが、これは中国華厳宗の祖で、法順法師とも言います。各地を歴訪し、『五悔文』を著して浄土を讀詠しておりまして、唐の太宗から帝心尊者の号を賜ったと言われております。そして、のちに長安の南にある終南山に住んで華厳を弘め、法を弟子の智儼に付して、同所で人寂しました。
 この杜順の跡を継いた「智儼」は、終南山にある至相寺に住んで華厳宗を弘めたことから、至相大師とも言われております。
 その智儼の弟子が「法蔵」であります。この法蔵は中国華懲お第三祖で、華厳教学の大成者と言われております。智儼に師事して華厳教学を深め、各地で華厳教学を講説し、長安や洛陽等に華厳寺を建立して、華厳宗を流布したことで有名であります。
 そのあとの「澄観」は中国華厳宗の第四祖て、妙楽大師に付いて天台の止観を学んだのち、学徒のために華厳経を講し、述作に励んたとされます。これらが、華厳宗の主立った人達であります。

 次に法相宗でありますが、「玄奘」というのは法相宗の開祖で、インド各地で経典を求め、さらに中央アジアなどを巡って、仏像や経典その数およそ六百五十部を持ち帰ったと言われております。そして、この十七年間にわたる大旅行を(つづ)ったものが『大唐西域記(だいそうさいいきき)』であります。
 「慈恩」というのは唐代の法相宗の僧である窺基(きき)のことで、慈恩寺に住んだので慈恩大師と呼ばれました。この慈恩は、法相宗の事実上の開祖と言われております。
 それから「智周」は中国唐代の法相宗の第三祖でありますが、これは開元五(717)年に入唐いたしました日本の僧侶玄釛(げんぼう)に法相の教義を教えた人として有名であります。
 その次が「智昭」ですが、『録内啓蒙』には、
 「(あるい)智鳳(ちほう)、或は道昭を伝写、誤れるなるべし」
と言われていますが、定かではありません。
 智鳳とは新羅(しらぎ)国からの留学僧で、唐に渡り法相宗を学び、帰朝後、元興寺で唯識論を弘めた人です。また、道昭とは日本法相宗の開祖で、遣唐使に従って入唐し、玄奘三蔵に師事したのち帰国して元興寺に禅院を建て、以後、諸国を巡遊したと言われる人であります。

 次に三論宗でありますが、初めの「興皇」は嘉祥の師である法朗のことで、興皇寺に住んでいたので、この名があります。
次の「嘉祥」は、まさに三論宗中興の祖でありまして、吉蔵のことであります。嘉祥寺に住んだことから嘉祥大師と呼ばれました。各地を遊学して三論の研究を続け、三論宗を大成しました。また法華経、涅槃経などの諸経典にも詳しく、天台大師と法華経について書を交わしたほか、法華経を二千部、書写したと言われております。

 次に真言宗でありますが、「善無畏」は中国唐代の真言密教の僧であります。インドから中国に初めて体系的な密教を伝え、玄宗(げんそう)皇帝に国師として迎えられて、大日経をはじめ密教経典を訳出(やくしゅつ)、翻訳いたしました。同時代の金剛智・不空と共に、三三蔵と言われる人であります。
 その三三蔵の一人てある「金剛智」も、同じようにインドから来た訳経僧であります。金剛頂経など真言諸論を修学して、密教の奥義を極めたと言われております。弟子に、不空や一行などがおります。
 その「不空」は密教経典を求めてスリランカへ渡り、いわゆる金剛頂経系の経典を得て中国に帰ったと言われております。そして、玄宗皇帝の帰依と外護を受けまして、密教を弘めた人であります。
 次が「弘法」であります。これは日本真言宗の開祖である空海のことて、二十歳で仏道に入り、唐に渡って真言密教を学び、帰朝後には高野山(こうやさん)に金剛峯寺を建てました。大日経を釈尊一代の仏教中で第一の経といたしまして、法華経を第三の劣、戯論(けろん)てあるとして冒涜(ぼうとく)しております。大聖人様は、この弘法の法華誹謗の非を示しまして、『撰時抄』等で極めて厳しく破折をされております。
 次の「慈覚」は円仁(えんにん)とも言い、延暦寺第三代の座主であります。十五歳で比叡山に登って、伝教大師を師と仰いて修行して顕密の二道を修め、入唐ののち帰朝しようとしましたが逆風に()って果たせず、そのまま居続けて、しばらくしたのちの承和十四(847)年に帰朝して、天台の座主となったのであります。
 しかし、慈覚は伝教大師の弟子でありながら真言宗の宗義に傾倒して、大日経第一、法華経第二、諸経第三との教判を立てたのであります。また、金剛界の大日如来を本尊と立てて善無畏三蔵を師としたところから、まさに天台宗の濁乱(じょくらん)が始まったと言ってもいいと思います。
 そして「智証」でありますが、これは延暦寺第五代の座主です。空海の(おい)と言われており、これが延暦寺の座主となりまして、さらに園城寺(おんじょうじ)に伝法潅頂(かんじょう)道場を建てたと言われております。

 次に禅宗です。「達磨」は中国禅宗の祖で、(りょう)の武帝に迎えられて金陵、今の南京に入って禅を説いたが用いられず、北魏の少林寺に行きまして、そこで禅の奥義を悟って、弟子の慧可に付嘱(ふぞく)したと言われております。
 その「慧可」は中国禅宗の第二祖でありまして、四十歳の時に少林寺で達磨の弟子となって、達磨の死後、名声を高めたという人であります。
 次に「慧態」は中国禅宗の第六祖で、第五祖の弘忍の高弟に神秀(しんしゅう)という者がいましたけれども、それを越えて、法を受け継いだと言われております。その後、広東省付近を中心に弘教して、南宗禅の基を築いた人と言われております。

 次に浄土宗の「道綽」は中国浄土宗の第二祖です。十四歳で出家して、涅槃の空理を学んだけれども、石壁の玄中寺で曇鸞(どんらん)の碑文を見て感じ、浄土教に帰依をしたと言われております。著書の『安楽集』では釈尊の一代聖教を聖道門(しょうどうもん)と浄土門に分け、法華経を含む聖道門を「千中無一、未有一人得者」つまり、千人のなかに一人も成仏する者はいない教えであると非難をしております。
 また「善導」は中国浄土宗の第三祖で、師の道綽の没後に念仏の教えを弘めました。日本の法然は、この善導の『観経疏』を学んで浄土宗を開いたということてす。
 次の「懐感」は中国唐代の浄土宗の僧でありまして、善導の言葉に従って、ひたすら仏を念して三年、ついに念仏三昧を証得したと、このように勝手なことを言っているのであります。
 そして「源空」というのは、平安末期に日本浄土宗を開いた法然のことであります。十五歳で比叡山に登って天台の教観を学びましたが、十八歳で京都の黒谷に移って、浄土教を修め、法然房源空と改名をしました。のちに善導の『観経散善義』、それからまた源信の『往生要集』を読んで悟ったとして、一向専修念仏の浄土宗を開いたのであります。著書には『選択本願念仏集』とか『浄土三部経釈』『往生要集釈』などがあります。
 以上、華厳の杜順以下、各宗の代表的な人物について、長々とお話しいたしましたけれども、要するに、これらの人師はいずれも自宗に固執して、それぞれが「我が宗こそが第一である」と主張しているのであります。

 それ故に、次下に「()の人々の云はく、一切経の中には華厳経第一なり。法華経・大日経等は臣下のごとし。真言宗の云はく、一切経の中には大日経第一なり。余経は衆星(しゅうしょう)のごとし。禅宗が云はく、一切経の中には楞伽経(りょうがきょう)第一なり。乃至余宗かくのごとし。(しか)(かみ)に挙ぐる諸師は世間の人々各々おも()えり。諸天の帝釈をうやまひ衆星の日月に(したが)ふがごとし」と仰せになっているのであります。

 つまり、華厳宗の人々は「一切経のなかでは華厳経が第一であって、法華経や大日経などは、その臣下のような者である」と言っているのであります。しかし、これは全く根拠がない話であります。法華経が第一であるということは、釈尊五十年の説法の上から、無量義経において明らかに示されたものでありますけれども、華厳の者達は全く根拠のないことを言っておるのであります。

 次に真言宗の人達は「一切経のなかでは大日経が第一であって、他の経々は、まるで日月に対する星のようなものである」と言っているのであります。これは世間知らずというか、仏法を学ぶに平等性がなく、学問未熟の故の結果であり、大日経が第一であると彼らが言う理論的な根拠、実体は全くないのであります。

 次に禅宗の人は「一切経のなかで楞伽経が第一である」と言っており、そのほかの宗の人達も、それぞれが自宗の持つ経が第一だと誇っているのであります。しかも、こうした諸師を世間の人々が尊敬していることは、まるで諸天がその王の帝釈を敬い多くの星がその中心たる日月に従うかのようであると仰せられているのであります。
 世間の人達が、このような真言や禅といった各宗の者達に(たぶら)がされている現状があるのです。そこで大聖人様は、これら諸宗について、それぞれが仏法を正しく見ることができずに、各々自説を主張していることを、かくの如くおっしゃっているのであります

 今、世間を見ると、まさに末法濁悪(じょくあく)の世相そのままに、邪義邪宗の謗法が跋扈(ばっこ)し、その害毒によって多くの人が不幸に(あえ)いでいます。こういった悲惨な現状を見て、私どもは可をすべきか、ここが一番大事でありまして、私が言うまでもなく、私どもは、まず立正安国の原理に従って、不幸の根源である邪義邪宗の謗法を対治しなければ、本当の幸せを得ることができないことを覚知し、勇猛果敢に折伏を行じていかなければならないのであります。

 大聖人様は『十法界明因果抄』に、
 「法華経に云はく『()し人信ぜずして此の経を毀謗(きぼう)せば○常に地獄に処すること園観(おんかん)に遊ぶが如く余の悪道に在ること、(おの)舎宅(しゃたく)の如し』文。慳貪(けんどん)偸盗(ちゅうとう)等の罪に依って餓鬼(がき)(どう)()することは世人(せじん)知り(やす)し。慳貪等無き(もろもろ)の善人も謗法に依り(また)謗法の人に親近(しんごん)自然(じねん)()の義を信ずるに依って餓鬼道に堕することは、智者に(あら)ざれば(これ)を知らず。()く能く恐るべきか」(御書208頁)
と仰せであり、まさにこの御文の如く、不幸の根源は邪義邪宗の謗法にあるのであります。世間の人達はそのことが解らないのですから、私達一人ひとりが正しい仏法に帰依せしめて不幸の根源を断っていく、つまり折伏をすることが今、最も大事なのであります。そういった人達を救うための方途(ほうと)としては、折伏以外にないのです。

 大聖人様は『立正安国論』に、
 「早く天下の静謐(せいひつ)を思はゞ(すべから)らく国中の謗法を()つべし」(同1147頁)
と仰せであります。「天下の静謐」は、まさに私達が目指すところであります。そのためには何をすべきかと言えば、邪義邪宗の謗法を破折して一天四海皆帰(かいき)妙法することであります。したがって私達は改めて、この『立正安国論』の「早く天下の静謐を思はゞ須く国中の謗法を断つべし」との仰せをしっかりと心身に植えて、一生懸命に折伏をしなければならないのであります。

 特に、宗祖日蓮大聖人御聖誕八百年の佳節まで、いよいよあと二年弱となりました。私達は、この千載一遇の機に()えることを無上の喜びとし、大聖人様の仰せのままに一致団結、異体同心して、法華講員八十万人体勢構築の誓願を達成するため、いよいよ折伏に励むことが肝要であります。
 すべての混乱の原因は、まさに『立正安国論』にお示しの如く、謗法にあります。謗法の対治なくして、安国の実現はありません。これが『立正安国論』において、大聖人様が示された御意(ぎょい)であります。したがって私達は常に、この立正安国の精神をもって、法華講員八十万人体勢構築の誓願達成に向けて折伏していくことが大事であります。

 昨今の様々な状況を見て、皆さん方一人ひとりが、折伏をしなければならないと決意していると思います。この折伏をするに当たって大事なことを、大聖人様は、
異体同心なれば万事を(じょう)」(同1389頁)
と仰せになっております。一人の力よりも二人の力、二人の力よりも十人の力、十人の力よりも百人の力のほうが、まことに大きいのです。そして、大聖人様の御意のままに講中が一結して折伏に精進していくところ、必ず広大無辺なる功徳を成就することができるのであります。

 大聖人様の仏法は、全世界の不幸な人達を救うところの秘法であります。全世界の平和実現のために、なくてはならない大事な御法であります。皆さん方は重々そのことをお解りのことと思います。あとはそれを、いかに実行していくかということです。折伏をするには、やはり普段からしっかりとお題目を唱えることが大切です。
 我々宗門は、来たるべき令和三年の宗祖日蓮大聖人御聖誕八百年を目指して、折伏に前進しております。そのなかの一人として、また大聖人様の弟子檀那として、御奉公に励んでいくことこそ、最も大事な我々の役目であろうと思います。

 今こそ、私達は折伏をしていかなければなりません。私の師匠の観妙院は、よく「信心とは折伏なり」と言っていました。日蓮正宗の信心、大聖人様の信心は折伏であり、独りよがりの信心は爾前経と同じです。そもそも、人を救うことを知らない宗教など、存在してはおかしいのてす。人を救うところに、つまり折伏するところに、我々の信心の大きな意義があるのであります。
 正光寺の皆さんは毎年、誓願目標を達成しているとお聞きしました。どうそ、その意気を忘れずに継続し、これからも一天広布を目指して折伏に御精進いただきたいと思います。
 以上、本日の法話といたします。
(文責在大日蓮編集室)