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(★809㌻) 夫以れば法華経第四の法師品に云はく「若し悪人有って不善の心を以て一劫の中に於て現に仏前に於て常に仏を毀罵せん、其の罪尚軽し。若し人一つの悪言を以て在家・出家の法華経を読誦する者を毀訾せん、其の罪甚だ重し」等云云。妙楽大師云はく「然も此の経の功高く理絶えたるに約して此の説を作すことを得。余経は然らず」等云云。此の経文の心は、一劫とは人寿八万歳ありしより百年に一歳をすて千年に十歳をすつ。此くの如く次第に減ずる程に人寿十歳になりぬ。此の十歳の時は当時の八十の翁のごとし。又人寿十歳より百年ありて十一歳となり、又百年ありて十二歳となり、乃至一千年あらば二十歳となるべし、乃至八万歳となる。此の一減一増を一劫とは申すなり。又種々の劫ありといへども且く此の劫を以て申すべし。 |
法華経第四の巻法師品第十には「若し悪人があって、不善の心で一劫という長い間、仏の面前で常に仏を罵っても、その罪はまだ軽い。もし人がただの一言でも、在家・出家の法華経を読誦する者を毀るならば、その罪は非常に重い」と説かれている。妙楽大師は「この法華経の功力は高く、教理は勝れているから、このようにいうことができる。余経にはこのようにはいえない」と釈している。 この経文の心についてのべよう。一劫とは人寿が八万歳であった時から、百年に一歳ずつ短くなり、千年間に十歳短くなる。このように次第に減っていって、人の寿命が十歳になる。この十歳の時は当時の八十の翁に当たるのである。また人寿が十歳の時から、百年たって十一歳となり、また百年たって十二歳となり、ないし一千年たては二十歳となるのであり、こうして八万歳となる。この一減一増の期間を一劫というのである。このほかに種々の考え方もあるけれども、いまはこの劫について述べよう。 |
| 此の一劫が間、身口意の三業より事おこりて仏をにくみたてまつる者あるべし。例せば提婆達多がごとし。仏は浄飯王の太子、提婆達多は斛飯王の子なり。兄弟の子息同じく仏の御いとこにてをはせしかども、今も昔も聖人も凡夫も人の中をたがへること女人よりして起こりたる第一のあだにてはんべるなり。釈迦如来は悉達太子としてをはしゝ時、提婆達多も同じ太子なり。耶輸大臣に女あり、耶輸多羅女となづく。五天竺第一の美女、四海名誉の天女なり。悉達と提婆と共に后にせん事をあらそひ給ひし故に中あしくならせ給ひぬ。後に悉達は出家して仏とならせ給ひ、提婆達多又須陀比丘を師として出家し給ひぬ。仏は二百五十戒を持ち、三千の威儀をとゝのへ給ひしかば、諸の天人これを渇仰し、四衆これを恭敬す。提婆達多を人たとまざりしかば、いかにしてか世間の名誉仏にすぎんとはげみしほどに、とかう案じいだして仏にすぎて世間にたとまれぬべき事五つあり。 |
この一劫の間、身口意の三業によって事が起こって、仏を憎む者が出てくる。たとえば提婆達多のような者である。仏は浄飯王の太子であり、提婆達多は斛飯王の子である。兄弟の子息であるから、仏にとっては従兄弟であったが、今も昔も、聖人も凡夫も、人の中を違えるのは、女人のことから起こるのが第一の怨となるのである。 釈迦如来が悉達太子であられた時、提婆達多も同じ太子であった。耶輸大臣に娘があり、耶輸多羅女といった。全インド第一の美女で、その名は四海に聞こえた天女である。悉達太子と提婆達多は、ともに后にしようと争ったので、仲が悪くなったのである。後に、悉達太子は出家して仏となられ、提婆達多もまた須陀比丘を師として出家したのである。 仏は二百五十戒を持ち、三千の威儀をととのえられていたから、諸々の天人は渇仰し、四衆は恭敬した。しかし、提婆達多は人を貴ばなかったので、どのようにしたら世間の名誉が仏に過ぎることができるだろうかと考えていたが、思案の末に、仏以上に世間から貴ばれることが五つある。 |
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四分律に云はく、一には糞掃衣、二には常乞食、 (★810㌻) 三には一座食、四には常露座、五には塩及び五味を受けず等云云。仏は人の施す衣をうけさせ給う、提婆達多は糞掃衣。仏は人の施す食をうけ給ふ、提婆は只常乞食。仏は一日に一二三反も食せさせ給ふ、提婆は只一座食。仏は塚間樹下にも処し給ふ、提婆は日中常露座なり。仏は便宜にはしを復は五味を服し給ふ、提婆はしを等を服せず。かうありしかば世間、提婆の仏にすぐれたる事雲泥なり。かくのごとくして仏を失ひたてまつらんとうかゞひし程に、頻婆舍羅王は仏の檀那なり。日々に五百輌の車を数年が間一度もかゝさずおくりて、仏並びに御弟子等を供養し奉る。これをそねみとらんがために、未生怨太子をかたらって父頻婆舍羅王を殺させ、我は仏を殺さんとして或は石をもて仏を打ちたてまつるは身業なり。仏は誑惑の者と罵詈せしは口業なり。内心より宿世の怨とをもいしは意業なり。三業相応の大悪此にはすぐべからず。 |
四分律にはこれを「一には糞掃衣・二には常乞食・三には一座食・四には常露座・五には塩及び五味を食べない」と説かれている。仏は人の施す衣を受けられるが、提婆達多は糞掃衣を着た。仏は人の施す食を受けられるが、提婆達多は常に乞食を行じた。仏は一日に一・二・三度も食事されるが、提婆達多はただ一度しか食事しない。仏は塚間・樹下でも休まれるが、提婆達多は日中は常に露天に坐った。仏はときには塩または五味を食べられるが、提婆達多は塩などを食べない。このようなことであったから、世間では提婆達多が仏に勝れていることは雲泥であると考えだしたのである。 このようにして、仏の威徳をなくそうと狙っていたところに、頻婆舎羅王は仏の檀那である。一日に五百両の車を、数年が間・一度も欠かさずに送って、仏ならびに御弟子等に供養されたのである。提婆達多はこれを妬み取ろうとして、未生怨太子を仲間に引き入れて、父の頻婆舎羅王を殺させ、自分は仏を殺そうとして、あるいは石をもって仏を打った。これは身の悪業である。仏は人を誑かし惑わす者であると罵詈したのは口の悪業である。内心から前世の怨と思ったのは意の悪業である。三業相応の大悪はこれに過ぎたものはない。 |
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| 此の提婆達多ほどの大悪人、三業相応して一中劫が間、釈迦仏を罵詈打擲し嫉妬し候はん大罪はいくらほどか重く候べきや。此の大地は厚さは十六万八千由旬なり。されば四大海の水をも、九山の土石をも、三千の草木をも、一切衆生をも頂戴して候へども、落ちもせずかたぶかず、破れずして候ぞかし。しかれども提婆達多が身は既に五尺の人身なり。わづかに三逆罪に及びしかば大地破れて地獄に入りぬ。此の穴天竺にいまだ候。玄奘三蔵漢土より月支に修行して此をみる。西域記と申す文に載せられたり。 | この提婆達多ほどの大悪人が、三業相応して一中劫の間、釈迦仏を罵詈し、打杖し、嫉妬した大罪はどのように重いことであろう。この大地は厚さ十六万八千由旬である。ゆえに四大海の水をも、九山の土石をも、三千の草木をも、一切衆生をも戴せているけれども、落ちもしないし、傾かないし、破れることもない。しかしながら、提婆達多の身は五尺の人身であるが、わずかに三逆罪を犯して、大地が破れて地獄に堕ちた。この穴はインドに今もあり、玄奘三蔵が中国からインドに修行に行った時、これを見たと西域記という書に記されている。 |
| 而るに法華経の末代の行者を心にもをもはず、色にもそねまず、只たわぶれてのりて候が、上の提婆達多がごとく三業相応して一中劫、仏を罵詈し奉るにすぎて候ととかれて候。何に況んや当世の人の提婆達多がごとく三業相応しての大悪心をもて、多年が間法華経の行者を罵詈・毀辱・嫉妬・打擲・讒死・歿死に当てんをや。 |
ところが末代の法華経の行者を心に悪く思わず、顔色に出して嫉むこともなく、ただ戯れに罵っただけでも、上に述べた提婆達多のように三業相応して、一中劫の間、仏を罵詈する罪よりも過ぎていると説かれている。 ましてや今日の人で提婆達多のようの三業相応しての大悪心をもって、多年が間、法華経の行者を罵詈・毀辱・嫉妬・打擲・讒死・歿死に当てようとした者の罪はいうまでもないことである。 |
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問うて云はく、末代の法華経の行者を怨める者は何なる地獄に堕つるや。答へて云はく、法華経の第二に云はく「経を読誦し書持すること有らん者を見て軽賤憎嫉して結恨を懐かん。乃至其の人命終して阿鼻獄に入らん。 (★811㌻) 一劫を具足して劫尽きなば復死し展転して無数劫に至らん」等云云。此の大地の下五百由旬を過ぎて炎魔王宮あり。其の炎魔王宮より下一千五百由旬が間に、八大地獄並びに一百三十六の地獄あり。其の中に一百二十八の地獄は軽罪の者の住処、八大地獄は重罪の者の住処なり。八大地獄の中に七大地獄は十悪の者の住処なり。第八の無間地獄は五逆と不孝と誹謗との三人の住処なり。今法華経の末代の行者を戯論にも罵詈誹謗せん人々はおつべしと説き給へる文なり。 |
問うて言う。末代の法華経の行者を怨嫉した者はどのような地獄に堕ちるのか。 答えて言う。法華経の第二の巻に「法華経を読誦し書写し、受持している者を見て、軽んじ、賎み、憎み、嫉んで結恨を懐くならば(乃至)その人は命終えて後、阿鼻地獄に堕ちるであろう。一劫の間苦しんで、劫が尽きればまた死に、繰り返して無数劫に至るであろう」と説かれている。 此の大地の下、五百由旬を過ぎた所に炎魔王宮がある。その炎魔王宮より下、一千五百由旬の間に八大地獄並びに一百三十六の地獄がある。その中の一百二十八の地獄は軽罪の者の住処で、八大地獄は重罪の者の住処である。八大地獄の中の七大地獄は十悪の者の住処であり、第八の無間地獄は五逆罪の者と不孝の者と誹謗正法の者との三人の住処である。今末代の法華経の末代の行者を戯れにも罵詈・誹謗する人々は、無間地獄に堕ちるであろうと説かれた文である。 |
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法華経の第四法師品に云はく「人有って仏道を求めて一劫の中に於て乃至持経者を歎美せんは其の福復彼に過ぎん」等云云。妙楽大師云はく「若し悩乱する者は頭七分に破れ、供養すること有らん者は福十号に過ぐ」等云云。 夫人中には転輪聖王第一なり。此の輪王出現し給ふべき前相として、大海の中に優曇華と申す大木生ひて華さき実なる。金輪王出現して四天の山海を平らかになす。大地は綿の如くやはらかに、大海は甘露の如くあまく、大山は金山、草木は七宝なり。此の輪王須臾の間に四天下をめぐる。されば天も守護し、鬼神も来たってつかへ、竜王も時に随って雨をふらす。劣夫なんどもこれに従ひ奉れば須臾に四天下をめぐる。是偏に転輪王の十善の感得せる大果報なり。毘沙門等の四大天王は又これには似るべくもなき四天下の自在の大王なり。帝釈は・利天の主、第六天の魔王は欲界の頂に居して三界を領す。此は上品の十善戒、無遮の大善の所感なり。大梵天王は三界の天尊、色界の頂に居して魔王・帝釈をしたがへ、三千大千界を手ににぎる。有漏の禅定を修行せる上に慈悲喜捨の四無量心を修行せる人なり。声聞と申して舎利弗・迦葉等は二百五十戒、無漏の禅定の上に苦・空・無常・無我の観をこらし、三界の見思を断尽し水火に自在なり。故に梵王と帝釈とを眷属とせり。縁覚は声聞に似るべくもなき人なり。仏と出世をあらそふ人なり。昔猟師ありき、飢えたる世に利吒と申す辟支仏にひえの飯を一盃供養し奉りて、彼の猟師九十一劫が間、人中天上の長者と生まる。今生には阿那律と申す天眼第一の御弟子なり。 (★812㌻) 此を妙楽大師釈して云はく「稗飯軽しと雖も所有を尽くし、及び田勝るゝを以ての故に勝るゝ報を得る」等云云。釈の心はひえの飯は軽しといへども貴き辟支仏を供養する故に、かゝる大果報に度々生まるとこそ書かれて候へ。又菩薩と申すは文殊・弥勒等なり。此の大菩薩等は彼の辟支仏に似るべからざる大人なり。仏は四十二品の無明と申す闇を破る妙覚の仏なり。八月十五夜の満月のごとし。此の菩薩等は四十一品の無明をつくして等覚の山の頂にのぼり、十四夜の月のごとし。 |
法華経の第四の巻法師品第十五に「人があって仏道を求め、一劫の間、法華経を持つ者を歎嘆することは、その福徳は、彼よりもすぐれている」と説かれている。妙楽大師は「もし法華経を持つ者を悩乱する者は、頭が七分に破れ、供養する者は、その福徳は十号の仏を供養するよりもすぐれる」と述べている。 人の中では転輪聖王が第一である。この輪王が出現される時には、前相として大海の中に優曇華いう大木が生えて、華が咲き実がなる 金輪王が出現して、四天下の山海を平にする。大地は綿のように柔らかく、大海は甘露のように甘く、大山は金山に、草木は七宝となる。 この輪王は須臾の間に四天下を巡る。それゆえ、諸天も守護し、鬼神も来て仕え、竜王も時にしたがって雨を降らす。 劣夫であっても、輪王に従うならば、須臾に四天下を巡ることができる。これはひとえに転輪王が十善を行じて感得した大果報である。 毘沙門等の四大天王は、また転輪王には似るべくもない四天下の自在の大王である。帝釈天はトウ利天の主であり、第六天の魔王は欲界の頂に住して三界を領している。これは上品の十善戒を持ち、無遮の大善を行って得たものである。 大梵天王は三界の天尊として、色界の頂に住して魔王や帝釈天を従え、三千大千界を掌握している。有漏の禅定を修行したうえに、慈・悲・喜・捨の四無量心を修行した人である。 声聞といって、舎利弗や迦葉等は二百五十戒を持ち、無漏の禅定を修行した上に、苦・空・無常・無我の観を凝らし、三界の見思惑を断ち尽くし、水火の中でも自在である。ゆえに、大梵天王と帝釈天とを眷属としている。 縁覚は声聞には似るべくもない人である。仏と出世を争う人である。昔、猟師が、飢饉の世に利ダという辟支仏に稗の飯を一盃供養したので、彼の猟師は九十一劫の間、人間界や、天上界の長者と生まれた。今生には阿那律という天眼第一の御弟子となった。これを妙楽大師は「稗の飯は少ないけれども、持っているものを出し尽くし、そしてそれを受ける田が勝れていたがゆえに、勝れた果報を得たのである」と釈している。 この釈の心は,稗の飯は少ないけれども、貴い辟支仏を供養したゆえに、このような大果報に度々生まれたのであると書かれたのである。 また菩薩というのは、文殊や弥勒等である。この大菩薩等は、かの辟支仏には似るべくもない大人である。 仏は四十二品の無明という闇を破り尽くした妙覚の仏である。八月十五夜の満月のようなものである。この菩薩等は、四十一品の無明を断じ尽くして等覚の山の頂に登り、十四夜の月のようなものである。 |
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仏と申すは上の諸人には百千万億倍すぐれさせ給へる大人なり。仏には必ず三十二相あり。其の相と申すは梵音声・無見頂相・肉髻相・白毫相・乃至千輻輪相等なり。此の三十二相の中の一相をば百福を以て成じ給へり。百福と申すは、仮令大医ありて日本国、漢土、五天竺の十六の大国・五百の中国・十千の小国、乃至一閻浮提・四天下・六欲天・乃至三千大千世界の一切衆生の眼の盲たるを、本の如く一時に開けたらんほどの大功徳を一つの福として、此の福百をかさねて候はんを以て三十二相の中の一相を成ぜり。されば此の一相の功徳は三千大千世界の草木の数よりも多く、四天下の雨の足よりもすぎたり。設ひ壊劫の時僧陀と申す大風ありて、須弥山を吹き抜いて色究竟天にあげてかへて微塵となす大風なり。然れども仏の御身の一毛をば動かさず。仏の御胸に大火あり。平等大慧大智光明火坑三昧と云ふ。涅槃の時は此の大火を胸より出だして一身を焼き給ひしかば、六欲四海の天神・竜衆等、仏を惜しみ奉る故にあつまりて大雨を下らし、三千の大地を水となし、須弥は流るといへども此の大火はきへず。仏にはかゝる大徳ましますゆへに、阿闍世王は十六大国の悪人を集め、一四天下の外道をかたらひ、提婆を師として無量の悪人を放ちて仏弟子をのりうち、殺害せしのみならず賢王にてとがもなかりし父の大王を、一尺の釘をもて七処までうちつけ、はつけにし、生母をば玉のかんざしをつかみ、刀を頭にあてし重罪のつもり、悪瘡七処に出でて、三七日を経て三月七日に大地破れて無間地獄に堕ちて一劫を経べかりしかども、仏の所に詣で悪瘡いゆるのみならず、 (★813㌻) 無間地獄の大苦をまぬがれ四十年の寿命延びたりき。又耆婆大臣も御つかひなりしかば、炎の中に入って瞻婆長者が子を取り出だしたりき。之を以て之を思ふに、一度も仏を供養し奉る人はいかなる悪人・女人なりとも成仏得道疑ひ無し。 |
仏というのは、上の諸人に百千万億倍勝れている大人である。仏には必ず三十二相が具わっている。その相というのは、梵音声・無見頂相・肉髻相・白毫相ないし千輻輪相等である。この三十二相の一つ一つを仏は、百福によって得られたのである。 百福というのは、たとえば大医がいて、日本国・中国・インドの十六の大国・五百の中国・一万の小国、ないしは一閻浮提・四天下・六欲天、ないしは三千大千世界の一切衆生の盲目となっているのを、もとのように一時に開けけるような大功徳を一つの福として、この福を百重ねることによって、三十二相の中の一相を得たのである。 それゆえ、この一相の功徳は、三千大千世界の草木の数よりも多く、四天下の雨足よりも過ぎている。たとえ壊劫の時、僧佉陀という大風があって、須弥山を色究竟天まで吹き上げて、かえって微塵とする大風があっても、仏の御身の一毛すら動かすことはできない。仏の御胸に大火がある。平等大慧・大智光明・火坑三昧という。涅槃の時、この大火を胸から出して一身を焼かれたところ、六欲天や四大海の天神・竜衆等は仏を惜しんで、集まって大雨を降らし、三千大千世界の大地が水に浸り、須弥山が流れるほどになっても、この大火は消えなかった。 仏にはこのような大徳があったゆえに、まします阿闍世王は十六大国の悪人を集め、一四天下の外道を味方にし、提婆を師として、無量の悪人を遣って、仏弟子を罵り、打ち、殺害するだけでなく、賢王であって失もない父の大王を、一尺の釘でもって七処まで打ちつけて磔にし、生母の玉の簪を切り、刀を頭に当てた重罪が積もって、悪瘡が七処に出たのであった。 三週間を経て三月七日に大地が破れて無間地獄に堕ちて、一劫の間苦しまねばならなかったが、仏のみもとに詣でたので、悪瘡が癒えただけでなく、無間地獄の大苦を免れ、四十年の寿命を延ばすことができた。 また耆婆大臣も仏の御使いであったので、炎の中に入って瞻婆長者が子を取り出すことができた。これらのことから思うと、一度でも仏を供養した人は、どのような悪人・女人であっても成仏・得道は疑いないのである。 |
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| 提婆には三十相あり。二相かけたり。所謂白毫と千輻輪となり。仏に二相劣りたりしかば弟子等軽く思ひぬべしとて、蛍火をあつめて眉間につけて白毫と云ひ、千輻輪には鍛冶に菊形をつくらせて足に付けて行くほどに足焼けて大事になり、結句死せんとせしかば仏に申す。仏御手を以てなで給ひしかば苦痛さりき。こゝにて改悔あるべきかと思ひしに、さはなくして瞿曇が習ふ医師はこざかしかりけり、又術にて有るなど云ひしなり。かゝる敵にも仏は怨をなし給はず。何に況んや仏を一度も信じ奉る者をば争でか捨て給ふべきや。 |
提婆には三十相が具わり、二相が欠けていた。いわゆる白毫相と千輻輪相である。仏に二相劣っていると弟子等が軽んじるであろうと思って、螢火を集めて眉間に付けて白毫といい、千輻輪には鍛冶に菊の形を作らせて、足に付けて行くうちに、足が焼けて重傷となり、結局は死ぬところであったので、仏にお話ししたのである。仏に御手をもって撫でられると、苦痛は癒えたのである。 ここで悔い改めるであろうと思ったが、そうではなくて、釈迦が習った医師は小ざかしいものであり、また魔術であるなどと言ったのである。 このような敵にも仏は怨むことがなかった。まして、仏を一度でも信じた者をどうして見捨てられることがああろうか。 |
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| かゝる仏なれば木像・画像にうつし奉るに、優填大王の木像は歩みをなし、摩騰の画像は一切経を説き給ふ。 | このような仏であるから、木像や画像に写すと、優填大王の造った木像は歩き出し、摩騰迦の画像は一切経を説かれたのである。 |
| 是程に貴き教主釈尊を一時二時ならず、一日二日ならず、一劫が間掌を合はせ両眼を仏の御顔にあて、頭を低れて他事を捨て、頭の火を消さんと欲するが如く、渇して水ををもひ飢ゑて食を思ふがごとく、間無く供養し奉る功徳よりも、戯論に一言継母の継子をほむるが如く、心ざしなくとも末代の法華経の行者を讃め供養せん功徳は、彼の三業相応の信心にて、一劫が間生身の仏を供養し奉るには、百千万億倍すぐべしと説き給ひて候。これを妙楽大師は福過十号とは書かれて候なり。十号と申すは仏の十の御名なり。十号を供養せんよりも、末代の法華経の行者を供養せん功徳は勝るとかゝれたり。妙楽大師は法華経の一切経に勝れたる事を二十あつむる其の一なり。 |
このように尊い教主釈尊を一時・二時ではなく、一日・二日ではなく、一劫の間掌を合わせ、両眼で仏の御顔を見つめ、頭を垂れ、他事を捨てて、頭についた火を消したいと願うように、渇いて水を思うように、飢えて食を思うように、絶えまなく供養する功徳よりも、戯れに一言でも、継母が継子をほめるように、志がなくても、末代の法華経の行者をほめ、供養する功徳は、かの三業相応の信心によって一劫の間、生身の仏を供養することよりも百千万億倍すぐれていると説かあれている。これを妙楽大師は「福過十号に過ぐ」と書かれたのである。 十号というのは、仏の十の御名である。十号の仏を供養するよりも、末代の法華経の行者を供養する功徳は勝れると書かれたのである。これは妙楽大師が法華経の一切経に勝れていることを二十集めた中のその一つである。 |
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已上。 上の二つの法門は仏説にては候へども心えられぬ事なり。争でか仏を供養し奉るよりも凡夫を供養するがまさるべきや。而れども此を妄語といはんとすれば釈迦如来の金言を疑ひ、多宝仏の証明を軽しめ、十方諸仏の舌相をやぶるになりぬべし。若し爾らば現身に阿鼻地獄に堕つべし。巌石にのぼりてあら馬を走らするが如し。 (★814㌻) 心肝しづかならず。又信ぜば妙覚の仏にもなりぬべし。如何にしてか今度法華経に信心をとるべき。信なくして此の経を行ぜんは手なくして宝山に入り、足なくして千里の道を企つるがごとし。但し近き現証を引いて遠き信を取るべし。仏の御歳八十の正月一日、法華経を説きをはらせ給ひて御物語あり。阿難・弥勒・迦葉、我世に出でし事は法華経を説かんがためなり。我既に本懐をとげぬ。今は世にありて詮なし。今三月ありて二月十五日に涅槃すべし云云。一切内外の人々疑ひをなせしかども、仏語むなしからざれば、ついに二月十五日に御涅槃ありき。されば仏の金言は実なりけるかと少し信心はとられて候。又仏記し給ふ。我が滅度の後一百年と申さんに阿育大王と申す王出現して、一閻浮提三分の一分が主となりて、八万四千の塔を立て我が舎利を供養すべしと云云。人疑ひ申さんほどに案の如くに出現して候ひき。是よりしてこそ信心をばとりて候ひつれ。又云はく、我が滅後に四百年と申さんに迦弐色迦王と申す大王あるべし。五百の阿羅漢を集めて婆沙論を造るべしと。是又仏記のごとくなりき。是等をもてこそ仏の記文は信ぜられて候へ。若し上に挙ぐる所の二つの法門妄語ならば此の一経は皆妄語なるべし。寿量品に我は過去五百塵点劫のそのかみの仏なりと説き給ふ。我等は凡夫なり、過ぎにし方は生まれてより已来すらなをおぼへず。況んや一生・二生をや。況んや五百塵点劫の事をば争でか信ずべきや。又舎利弗等に記して云はく「汝未来世に於て無量無辺不可思議劫を過ぎ乃至当に作仏することを得べし。号を華光如来と日ん」云云。又々摩訶迦葉に記して云はく「未来世に於て乃至最後身に於て仏に成為ることを得ん。名を光明如来と日ん」云云。此等の経文は又未来の事なれば、我等凡夫は信ずべしともおぼえず。されば過去未来を知らざらん凡夫は此の経は信じがたし。又修行しても何の詮かあるべき。是を以て之を思ふに、現在に眼前の証拠あらんずる人、此の経を説かん時は信ずる人もありやせん。 |
以上、この二つの法門は仏説ではあるけれども、信じられないことである。仏を供養するよりも、凡夫を供養することが勝るなどということが、どうであろうか。 しかしながら、これを妄語といおうとすれば、釈迦如来の金言を疑い、多宝仏の証明を軽んじ、十方の諸仏の舌相を破ることになる。 もしそうであるなら、生きながら阿鼻地獄に堕ちるであろう。巌石に登って荒馬を走らせるようなものであり、心はおだやかではない。 しかしまたこれを信ずるならば、妙覚の仏になることができよう。どのようにして、今度、法華経に信心をとるべきであろうか。 信がなくてもこの経を行ずることは、手がなくして宝山に入り、足がなくて千里の道を歩こうとするようなものである。ただし近い現証によって、遠い信を取るべきである。 仏は御歳八十の正月一日に法華経を説き終えられ「阿難・弥勒・迦葉よ。私がこの世に出たのは法華経を説くためであった。すでに本懐遂げた今は、この世にあっても詮がない。今から三月の後、二月十五日に涅槃するであろう」と仰せられたのであった。 一切の内外の人々は疑いを起こしたけれども仏語は空しくないものであうから、ついに二月十五日に御涅槃になった。 それゆえ、仏の金言は真実であったかと少しは信心をとるようになった。 また仏は「我が滅度の後、百年という時に、阿育大王という王が出現して、一閻浮提三分の一の主となって、八万四千の塔を立てて我が舎利を供養するであろう」と予言されたのであった。 人は疑っていたが、予言の通りに出現したのであった。このことからして、更に信心をとるようになった。 また、「我が滅後に四百年に迦弐色迦王という大王が出現して、五百人の阿羅漢を集めて大毘婆沙論を造るであろう」と予言されたが、これまた仏記のとおりになった。これらの現証があって初めて、仏の予言は信じられたのであって。もしまえに述べたところの二つの法門が妄語であるならば、この法華経一経は皆妄語となるであろう。 寿量品に「我は過去五百塵点劫の当初の仏である」と説かれている。 われらは凡夫である。過ぎさったかとから、生れれてさえのことさえなお覚えていない。 ましてや一生・二生前のことはなおさらである。ましてや五百塵点劫の過去のことをどうして信ずることができよう。 また舎利弗等に授記して「汝は未来世において、無量無辺不可思議劫を過ぎて、当に成仏するであろう。号を華光如来という」と説かれた。 また摩訶迦葉に授記して「未来世において(乃至)最後の身として仏と成るであろう。名づけて光明如来という」と説かれた これらの経文は、また未来のことであるから、我ら凡夫は信じられるとは思えない。したがって過去・未来を知知ることができない凡夫は、この経は信ずることはむずかしい。また修行しても、何の意味があるであろう。 このことをもって思うには、現在に眼前の証拠を現せる人がこの経を説かれているときは、信じる人もいるであろう。 |
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今法蓮上人の送り給へる諷誦の状に云はく「慈父幽霊第十三年の忌辰に相当たり一乗妙法蓮華経五部を転読し奉る」等云云。 (★815㌻) 夫教主釈尊をば大覚世尊と号したてまつる。世尊と申す尊の一字を高と申す。高と申す一字は又孝と訓ずるなり。一切の孝養の人の中に第一の孝養の人なれば世尊とは号し奉る。釈迦如来の御身は金色にして三十二相を備へ給ふ。彼の三十二相の中に無見頂相と申すは、仏は丈六の御身なれども、竹杖外道も其の御長をはからず、梵天も其の頂を見ず。故に無見頂相と申す。是孝養第一の大人なればかゝる相を備へまします。孝経と申すに二あり。一には外典の孔子と申せし聖人の書に孝経あり。二には内典今の法華経是なり。内外異なれども其の意は是同じ。釈尊塵点劫の間修行して仏にならんとはげみしは何事ぞ、孝養の事なり。然るに六道四生の一切衆生は皆父母なり。孝養おへざりしかば仏にならせ給はず。今法華経と申すは一切衆生を仏になす秘術まします御経なり。所謂地獄の一人・餓鬼の一人乃至九界の一人を仏になせば、一切衆生皆仏になるべきことはり顕はる。譬へば竹の節を一つ破りぬれば余の節亦破るゝが如し。囲碁と申すあそびにしちゃうと云ふ事あり。一つの石死ぬれば多くの石死ぬ。法華経も又此くの如し。金と申すものは木草を失ふ用を備へ、水は一切の火をけす徳あり。法華経も又一切衆生を仏になす用おはします。六道四生の衆生に男女あり。此の男女は皆我等が先生の父母なり。一人ももれば仏になるべからず。故に二乗をば不知恩の者と定めて永不成仏と説かせ給ふ。孝養の心あまねからざる故なり。仏は法華経をさとらせ給ひて、六道四生の父母孝養の功徳を身に備へ給へり。 |
今、法蓮上人から送られた諷誦文には「慈父の幽霊の第十三年の忌辰に当たり、一乗妙法蓮華経五部を読誦した」とある。 さて、教主釈尊を大覚世尊と申し上げる。世尊という尊の一字を高という。高という一字はまた孝と訓ずるのである。一切の孝養の人の中で第一の孝養の人なので世尊と申し上げるのである。 釈迦如来の御身は金色であって三十二相を備ええいる。その三十二相の中に無見頂相というのは仏は丈六の御身であるけれども、竹杖外道も其の御長をはかることができず、梵天もその頂を見ることができないので、無見頂相というのである。これは孝養第一の大人であるので、このような相を備えておられるのである。 孝経というのに二つある。一には外典の孔子という聖人の書に孝経がある。二には内典の今の法華経である。内典・外典の違いはあっても、その意は同じである。 釈尊が塵点劫の間、修行して仏になろうと励まれたのは何のためか、孝養のためである。ところで六道四生の一切衆生は、皆我が父母である。孝養をおえないうちには、仏になられなかったのである。今、法華経というのは、一切衆生を仏にする秘術がある御経である。いわゆる地獄界の一人・餓鬼界の一人・ないし九界の中の一人を仏にすることによって、一切衆生が皆、仏になることができるという道理が顕れたのである。譬えば、竹の節を一つ破れば、他の節もそれにしたがってやぶれるようなものである。また囲碁とう遊びに四丁ということがある。一つの石が死ぬならば、多くの石も死んでしまう。法華経の道理もまたこれと同様である。 金属というものは、木草を切る力用を備え、水は一切の火を消す徳がある。法華経もまた一切衆生を仏にする力用がある。 六道四生の衆生に男女がある。この男女は皆我等が先生の父母である。一人でも成仏に漏れるならば、自分も仏になることはできない。 ゆえに、二乗を不知恩の者と定めて「永く仏には成れない」と説かれたのである。孝養の心が他の人に行き渡らないからである。 仏は法華経を悟られて、六道・四生の父母への孝養の功徳を身に備へられている。 |
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此の仏の御功徳をば法華経を信ずる人にゆづり給ふ。例せば悲母の食ふ物の乳となりて赤子を養ふが如し。「今此三界皆是我有、其中衆生悉是吾子」等云云。教主釈尊は此の功徳を法華経の文字となして一切衆生の口になめさせ給ふ。赤子の水火をわきまへず毒薬を知らざれども、乳を含めば身命をつぐが如し。阿含経を習ふ事は舎利弗等の如くならざれども、華厳経をさとる事解脱月等の如くならざれども、乃至一代聖教を胸に浮かべたる事文殊の如くならざれども、一字一句をも之を聞きし人仏にならざるはなし。彼の五千の上慢は聞きてさとらず、不信の人なり。 (★816㌻) 然れども謗ぜざりしかば三月を経て仏になりにき。「若信若不信則生不動国」と涅槃経に説かるゝは此の人の事なり。法華経は不信の者すら謗ぜざれば聞きつるが不思議にて仏になるなり。所謂七歩蛇に食まれたる人、一歩乃至七歩をすぎず。毒の用の不思議にて八歩をすごさぬなり。又胎内の子の七日の如し。必ず七日の内に転じて余の形となる、八日をすごさず。今の法蓮上人も又此くの如し。教主釈尊の御功徳御身に入りかはらせ給ひぬ。法蓮上人の御身は過去聖霊の御容貌を残しおかれたるなり。たとへば種の苗となり、華の菓となるが如し。其の華は落ちて菓はあり、種はかくれて苗は現に見ゆ。法蓮上人の御功徳は過去聖霊の御財なり、松さかふれば柏よろこぶ、芝かるれば蘭なく。情なき草木すら此くの如し。何に況んや情あらんをや、又父子の契りをや。 |
この仏の御功徳をば法華経を信ずる人に譲られたのである。例えば、悲母の食べる物が乳となって赤子を養うようなものである。「今此の三界は皆、我が有である。その中の衆生は皆、是れ吾が子である」と説かれているとおりである。 教主釈尊はこの功徳を法華経の文字として、一切衆生の口になめさせておられるのである。赤子が水と火をわきまえることができなくても、また毒と薬を知ることができなくても、乳を飲めば身命を継ぐようなものである。 阿含経を習うことは舎利弗等のようではなくとも、華厳経を悟ることは解脱月等のようではなくとも、ないし一代聖教を胸に浮かべることは文殊菩薩のようではなくとも、一字一句でも法華経を聞いた人は仏にならない人はいない。 彼の五千の上慢の比丘は、法華経を聞いても悟ることのできなかった不信の人である。しかしながら、誹謗しなかったので、三月の後には仏になったのである。 「もしは信じても、もしは信じなくても、皆不動国に生まれる」と涅槃経に説かれるのは、この人々のことである。 法華経は不信の者でも誹謗しなければ、一度聞いたならば、不思議にも仏になつのである。いわゆる七歩蛇に噛まれた人は、一歩ないし七歩をいかないうちに毒の力用によって倒れ八歩と行けないようなものである。 また、胎内の子の七日と同じである。必ず七日のうちに形を転じて、他の形となる。八日を過ごすことはない。 今の法蓮上人もまた同じである。教主釈尊の御功徳が御身に入り替わっている。法蓮上人の御身は亡くなった聖霊の御容貌を残しておられる。 例えば、種が苗となり、華が菓となるようなものである。その華は落ちて菓が残り、種は隠れて苗が現れるのである。 法蓮上人の御功徳は亡くなられた聖霊の御財である。松が栄えれば柏が喜び、芝が枯れれば蘭が泣く。情のない草木ですらこのようである。ましてや情ある者はいうまでもない。まして父子の契りの間柄ではなおさらのことである。 |
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彼の諷誦に云はく「慈父閉眼の朝より第十三年の忌辰に至るまで釈迦如来の御前に於て自ら自我偈一巻を読誦し奉りて聖霊に回向す」等云云。当時日本国の人、仏法を信じたるやうには見へて候へども、古いまだ仏法のわたらざりし時は、仏の申す事も法と申す事も知らず候ひしを、守屋と上宮太子と合戦の後、信ずる人もあり又信ぜざるもあり。漢土も此くの如し。摩騰、漢土に入って後、道士と諍論あり。道士まけしかば始めて信ずる人もありしかども、不信の人多し。されば烏竜と申せし能書は手跡の上手なりしかば人之を用ふ。然れども仏経に於てはいかなる依怙ありしかども書かず。最後臨終の時、子息の遺竜を召して云はく、汝我が家に生まれて芸能をつぐ、我が孝養には仏経を書くべからず。殊に法華経を書く事なかれ。我が本師の老子は天尊なり、天に二日なし。而るに彼の経に唯我一人と説く、きくわい第一なり。若し遺言を違へて書く程ならば、忽ちに悪霊となりて命を断つべしと云って、舌八つにさけて頭七分に破れ、五根より血を吐いて死し畢んぬ。されども其の子善悪を弁へざれば、我が父の謗法のゆへに悪相現じて阿鼻地獄に堕ちたりともしらず、遺言にまかせて仏経を書く事なし。況んや口に誦する事あらんをや。かく過ぎ行く程に、時の王を司馬氏と号し奉る。御仏事のありしに、 (★817㌻) 書写の経あるべしとて、漢土第一の能書を尋ねらるゝに遺竜に定まりぬ。召して仰せ付らるゝに再三辞退申せしかば、力及ばずして他筆にて一部の経を書かせられけるが、帝王心よからず、尚遺竜を召して仰せに云はく、汝親の遺言とて朕が経を書かざる事其の謂れ無しと雖も且く之を免ず、但題目計りは書くべしと三度勅定あり。遺竜猶辞退申す。大王竜顔心よからずして云はく、天地尚王の進退なり。然らば汝が親は即ち我が家人にあらずや。私をもて公事を軽んずる事あるべからず。題目計りは書くべし。若し然らずんば仏事の庭なりといへども速やかに汝が頭を刎ぬべしとありければ、題目計り書きけり。所謂妙法蓮華経巻第一乃至巻第八等云云。其の暮に私宅に帰りて歎いて云はく、我親の遺言を背き、王勅術なき故に仏経を書きて不孝の者となりぬ。天神も地祇も定んで瞋り、不孝の者とおぼすらんとて寝る。夜の夢の中に大光明出現せり。朝日の照らすかと思へば天人一人庭上に立ち給へり。又無量の眷属あり。此の天人の頂上の虚空に仏、六十四仏まします。遺竜合掌して問うて云はく、如何なる天人ぞや。答へて云はく、我は是汝が父の烏竜なり、仏法を謗ぜし故に舌八つにさけ、五根より血を出だし、頭七分に破れて無間地獄に堕ちぬ。彼の臨終の大苦をこそ堪忍すべしともおぼへざりしに、無間の苦は尚百千億倍なり。人間にして鈍刀をもて爪をはなち、鋸をもて頚をきられ、炭火の上を歩ばせ、棘にこめられなんどせし人の苦を、此の苦にたとへばかずならず。如何してか我が子に告げんと思ひしかどもかなはず。臨終の時、汝を誡めて仏経を書くことなかれと遺言せし事のくやしさ申すばかりなし。後悔先にたゝず、我が身を恨み舌をせめしかどもかひなかりしに、昨日の朝より法華経の始めの妙の一字、無間地獄のかなへの上に飛び来たって変じて金色の釈迦仏となる。此の仏三十二相を具し面貌満月の如し。大音声を出だして説いて云はく「仮使法界に遍く断善の諸の衆生も一たび法華経を聞かば決定して菩提を成ぜん」云云。此の文字の中より大雨降りて無間地獄の炎をけす。閻魔王は冠をかたぶけて敬ひ、獄卒は杖をすてゝ立てり。一切の罪人はいかなる事ぞとあはてたり。 (★818㌻) 又法の一字来たれり、前の如し。又蓮、又華、又経此くの如し。六十四字来たって六十四仏となりぬ。無間地獄に仏六十四体ましませば、日月の六十四、天に出でたるがごとし。天より甘露をくだして罪人に与ふ。抑此等の大善は何なる事ぞと罪人等仏に問ひ奉りしかば、六十四の仏の答へに云はく、我等が金色の身は栴檀宝山よりも出現せず。是は無間地獄にある烏竜が子の遺竜が書ける法華経八巻の題目の八八・六十四の文字なり。彼の遺竜が手は烏竜が生める処の身分なり。書ける文字は烏竜が書にてあるなりと説き給ひしかば、無間地獄の罪人等は我等も娑婆にありし時は、子もあり婦もあり眷属もありき。いかにとぶらはぬやらん。又訪へども善根の用の弱くして来たらぬやらんと歎けども歎けども甲斐なし。或は一日二日・一年二年・半劫一劫になりぬるに、かゝる善知識にあひ奉って助けられぬるとて、我等も眷属となりて忉利天にのぼるか。先づ汝をおがまんとて来たるなりとかたりしかば、夢の中にうれしさ身にあまりぬ。別れて後又いつの世にか見んと思ひし親のすがたをも見奉り、仏をも拝し奉りぬ。六十四仏の物語に云はく、我等は別の主なし、汝は我等が檀那なり、今日よりは汝を親と守護すべし。汝をこたる事なかれ。一期の後は必ず来たって都率の内院へ導くべしと御約束ありしかば、遺竜ことに畏みて誓って云はく、今日以後外典の文字を書くべからず等云云。彼の世親菩薩が小乗経を誦せじと誓ひ、日蓮が弥陀念仏を申さじと願ぜしがごとし。さて夢さめて此の由を王に申す。大王の勅宣に云はく、此の仏事己に成じぬ。此の由を願文に書き奉れとありしかば勅宣の如し。さてこそ漢土・日本国は法華経にはならせ給ひけれ。此の状は漢土の法華伝記に候。是は書写の功徳なり。五種法師の中には書写は最下の功徳なり。何に況んや読誦なんど申すは無量無辺の功徳なり。 |
彼の諷誦には「慈父が亡くなった日から十三年回忌の日まで、釈迦如来の前で自我偈一巻を読誦し奉って聖霊に回向してきました」等とある。 今の日本国の人々は仏法を信じているようにみえるけれども、昔まだ仏法が渡ってきていなかった時仏ということも法ということも知らなかったのであるが、物部守屋と聖徳太子との合戦の後は信ずる人もおり、また信じない人もいた。 中国も同様であった。竺の摩騰迦が中国に入って後、道士と諍論があり、道士が負けたので初めて信ずる人も出てきたけれども、不信の人も多かった。 ところで、烏竜という書道家は字を書くことが上手であったので、人々はこれを用いた。しかしながら、仏経だけはどのように頼んでも書かなかった。最後臨終の時、息子の遺竜を呼んで「おまえは我が家に生まれて芸を受け継いだ。私の孝養のためには仏経を書いてはならない。とくに法華経を書くことのないように。我が本師の老子は天尊である。天に二つの日はない。それなのに彼の経には「唯、我一人のみ」と説いている。けしからぬことも甚だしい。もし遺言をたがえて、書くようなことがあったならば、すぐに悪霊となって命を断つであろう」と云って、舌は八つに裂けて頭が七分に割れ、眼耳鼻舌口の五根から血を吐いて死んでいった。しかしながら、その子は法の善悪をわきまえていなかったので、我が父が謗法のゆへに悪相を現じて阿鼻地獄に堕ちたとも知らず、遺言に従って仏経を書くことをしなかった。ましてや口に誦することはなかった。 こうして時が過ぎるうちに、時の王を司馬氏といった。仏事があった時に経を書写することになり、中国第一の書道家を尋ねられた結果、遺竜に決定した。 召して命じたところ再三にわたって辞退したので、やむをえず、他の書家に一部の経を書かせたが、帝王は気にいらなかった。なおも遺竜を召して「おまえが親の遺言だからといって私が命ずる経を書かないということは理由にならないことではあったけれども、一応それは許そう。ただ題目だけは書くようにと三度、命じられた。遺竜はなおも辞退した。 大王は気色ばんだ顔で「天地であっても王の支配するところである。そうであれば、お前の親はすなわち我が家来ではないか。私事をもって公の事を軽んずることがあってはならない。題目だけは書きなさい。もし、そうしないならば仏事の場であっても、速かにおまえの頭をはねるであろう」と言ったので、題目だけは書いた。いわゆる“妙法蓮華経巻第一・(乃至)巻第八等である。 その夕暮れ、自宅に帰って嘆いて「私は親の遺言に背き、王の命令にしかたなく仏経を書いて不孝の者となってしまった。天の神も地の神もきっと怒り、不孝の者と思っているであろう」と言って寝た。 夜、夢のなかに大光明が出現した。朝日が照らしているのかと思っていると、天人が一人、庭の上に立たれ、また無量の眷属が連なっていた。この天人の頂上の虚空に六十四の仏がおられた。遺竜が合掌して「いかなる天人でいらっしゃいますか」と問うと、答えて、 「私はお前の父の烏竜である。仏法を誹謗したため舌は八つに裂け、五根から血を出し、頭は七つに割れて無間地獄に堕ちてしまった。彼の臨終のときの大苦でさえ耐えれるともおもわなかったのに、無間地獄の苦しみは更にその百千億倍である。人間の世界で鈍刀でもって爪をはがされ、鋸でもって頸を切られ、炭火の上を歩かされ、いばらの中に閉じ込められた人の苦しみも、此の苦に比べれば物の数ではない。どうにかして我が子に告げ知らせようと思ったけれども、かなわなかった。臨終の時おまえを戒めて、仏経を書くことのないようにと遺言したことの悔しさはいいようのないほどであった。後悔先に立たず、我が身を恨み、舌を攻めたけれども、なんの甲斐もなかった。ところが昨日の朝から法華経の始めの妙の一字が無間地獄の鼎の上に飛んできて、変じて金色の釈迦仏となった。この仏は三十二相を具え、顔つきは満月のようであった。大音声を出して『たとえ法界のすべてにわたって善根を断ち切ってしまった諸々の衆生も、ひとたび法華経を聞くならば、必ず悟りを成ずるであろう』と説いた。この文字のなかから大雨が降ってきて無間地獄の炎を消し、閻魔王は冠を傾けて敬い、獄卒は杖を投げ捨てて立っており、すべての罪人は何事かとあわてていた。また“法”の一字が来て、前と同様であった。また“蓮”また“華”また“経”と、このようにして六十四字が飛び来って六十四仏となった。無間地獄に仏が六十四体おられるので、六十四の日月が天空に出現したようであった。天から甘露を降らして罪人に与えた『いったい、これらの大善事はどういうことなのでしょう』と罪人らが仏にお訪ねしたところ、六十四の仏が答えていうには『我らの金色の身は栴檀や宝山から出現したものではない。この身は無間地獄にいる烏竜が子の遺竜が書いた法華経八巻の題目の六十四文字である。彼の遺竜が手は烏竜が生んだところの体の一分である。遺竜が書いた文字は烏竜が書いたことになるのである』と説いた。それを聞いて無間地獄の罪人らは『我等も娑婆にいたときは子もあり、妻もあり、眷属もいた。どうして弔おうとしないのであろう。また弔っても善根の力用が弱くし来れないのであろうかと嘆いたけれども、効果はなかった。あるいは一日・二日、一年・二年、半劫・一劫と経って、このような善知識に会えて助けられた』といって喜び、ともに眷属となって忉利天に昇ることになり、まずお前を拝してと思ってきたのである」 と語ったので、夢のなかでうれしさが身にあふれた。別れて後、またいつの世にか会おうかと思っていた親の姿をも見、仏をも拝することができたのである。 六十四仏が語っていうには「我等には特別の主はいない。あなたは我等の檀那である。今日からはあなたを親と思って守護しよう。あなたは怠ってはならない。一生の後には必ず来て都率の内院へ導こう」と約束されたので、遺竜はとりわけ畏まって、“今日以後は外典の文字を書くまい”と誓った。 彼の世親菩薩が“小乗経を二度と読誦しない”と誓い、日蓮が“弥陀念仏を称えまい”と誓願したようなものである。 さて、夢がさめてから、ものことを王に申し上げたところ、大王は「この仏事はすでに成就した。このことを願文に書き留めよ」と仰せられたので、そのとおりに行われたのである。かくして、中国・日本は法華経を信ずるようになったのである。この物語は中国の法華伝記にある。 これは書写の功徳である。五種法師のなかでは、書写は最もひくい功徳である。ましてや、読誦というのは量り知れない功徳があるのである。 |
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今の施主十三年の間、毎朝読誦せらるゝ自我偈の功徳は唯仏与仏乃能究尽なるべし。 夫法華経は一代聖教の骨髄なり。自我偈は二十八品のたましひなり。三世の諸仏は寿量品を命とし、 (★819㌻) 十方の菩薩も自我偈を眼目とす。自我偈の功徳をば私に申すべからず。次下に分別功徳品に載せられたり。此の自我偈を聴聞して仏になりたる人々の数をあげて候には、小千・大千・三千世界の微塵の数をこそあげて候へ。其の上薬王品己下の六品得道のもの自我偈の余残なり。涅槃経四十巻の中に集まてり候ひし五十二類にも、自我偈の功徳をこそ仏は重ねて説かせ給ひしか。されば初め寂滅道場に十方世界微塵数の大菩薩・天人等雲の如くに集まりて候ひし大集・大品の諸聖も、大日経・金剛頂経等の千二百余尊も、過去に法華経の自我偈を聴聞してありし人々、信力よはくして三五の塵点を経しかども、今度釈迦仏に値ひ奉りて法華経の功徳すゝむ故に、霊山をまたずして爾前の経々を縁として得道なると見えたり。されば十方世界の諸仏は自我偈を師として仏にならせ給ふ。世界の人の父母の如し。今法華経寿量品を持つ人は諸仏の命を続ぐ人なり。我が得道なりし経を持つ人を捨て給ふ仏あるべしや。若し此を捨て給はゞ仏還って我が身を捨て給ふなるべし。これを以て思ふに、田村利仁なんどの様なる兵を三千人生みたらん女人あるべし。此の女人を敵とせん人は、此の三千人の将軍をかたきにうくるにあらずや。法華経の自我偈を持つ人を敵とせんは、三世の諸仏を敵とするになるべし。 |
今、施主が十三年の間、毎朝読誦されてきた自我偈の功徳は、ただ仏と仏のみが能く究められているところのものである。 そもそも、法華経は一代聖教の骨髄である。自我偈は法華経二十八品の魂である。三世の諸仏は寿量品を命とし、十方の菩薩も自我偈を眼目としている。自我偈の功徳については勝手にいうべきではない。次の分別功徳品第十七に説かれている。この自我偈を聞いて仏になった人々の数を挙げていうには、小千世界や大千世界の三千大千世界を微塵にした数を挙げている。そのうえ薬王菩薩本事品第二十三以下の六品で得道した者は自我偈の功徳の残りであり、涅槃経四十巻のなかに集まってきた五十二類の衆生にも自我偈の功徳を再び説かれたのである。 したがって最初の華厳経に説かれた寂滅道場に十方世界の微塵の数ほどの大菩薩や天人等が雲のように集まり、大集経や大品般若経の諸聖も、大日経や金剛頂経等の千二百余尊も、過去世に法華経の自我偈を聴いたことのある人々が信力弱くして三千塵点劫・五百塵点劫を経たけれども、今度、釈迦仏に会って法華経の功徳が進んだゆえに、霊鷲山でこの説法を待たずに、爾前の経経を縁として得道したものと思われる 。 それゆえ、十方世界の諸仏は、自我偈を師として仏に成られたのである。世界の人の父母のようなものである。 いま法華経寿量品を持つ人は、諸仏の命を継ぐ人である。自分が得道することのできた経を持つ人を捨てられる仏があろうか。もし、この人を捨てるなら、仏はかえって自分の身を捨てることになるでしょう。このことから考えてみると坂上田村麻呂や藤原利仁などのような武将を三千人生んだ女性がいたとしても、この女性を敵とする人はこの三千人の将軍を敵に回すことになるであろう。法華経の自我偈を持つ人を敵とする人は、三世の諸仏を敵とすることになるのである。 |
| 抑法華経を持つと申すは、経は一なれども持つ事は時に随って色々なるべし。或は身肉をさひて師に供養して仏になる時もあり、又身を床として師に供養し、又身を薪となし、又此の経のために杖木をかほり、又精進し、又持戒し、上の如くすれども仏にならぬ時もあり。時に依って不定なるべし。されば天台大師は適時而己と書かれ、章安大師は「取捨得宜不可一向」等云云。 |
さて法華経を持つということは、経は一つであっても持ち方は時にしたがって色々である。あるいは身体の肉を裂いて師に供養して仏になる時もあり、また身体を床として師に供養し、また身体を薪とし、またこの経のために杖や木で打たれ、また精進し、また戒を持つ、というようにする時もあり、また、以上のようなことをしても仏に成らない時もあり、時によって一定ではない。 それゆえ天台大師は「時に適うのみ」と書かれ、 章安大師は「取捨宜しきを得て、一向にす可からず」等と述べている。 |
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| 問うて云はく、何なる時か身肉を供養し、何なる時か持戒なるべき。答へて云はく、智者と申すは此くの如き時を知りて法華経を弘通するが第一の秘事なり。たとへば渇ける者は水こそ用ふる事なれ。弓箭兵杖はよしなし。裸なる者は衣を求む、水は用なし。一をもて万を察すべし。大鬼神ありて法華経を弘通せば身を布施すべし、余の衣食は詮なし。悪王あて法華経を失はゞ身命をほろぼすとも随ふべからず。持戒精進の大僧等法華経を弘通するやうにて而も失ふならば是を知って責むべし。法華経に云はく「我身命を愛せず但無上道を惜しむ」云云。涅槃経に云はく「寧ろ身命を喪ふとも終に王の所説の言教を匿さゞれ」等云云。章安大師の云はく「寧喪身命不匿教とは身は軽く法は重し身を死して法を弘む」等云云。 |
問うて言う。いかなる時に身肉を供養し、いかなる時に戒を持つべきであろうか。 答えて言う。智者というのは、そのような時を知って法華経を弘通するのが第も大事なことなのである。例えば喉の渇いた者には水こそが用であり、弓箭や兵杖は用がない。裸の者は衣を求めるべきであり、水は用をなさない。一事をもって万事を察しなさい。大鬼神がいて法華経を弘通するならば身を布施とすべきであり、他の衣食は用をなさない。悪王がいて法華経を滅ぼそうとするときは命を捨てても従ってはならない。持戒・精進の大僧等が法華経を弘通するかのように滅ぼしているならば、これを知って責めるべきである。 法華経に「私は身命を愛惜しない。ただ無上の道を惜しむのである」と説かれ、涅槃経に「むしろ身命を喪うとも、終に王の説いた教えを隠すことがあってはならない」等と説かれ、章安大師は「『寧ろ身命を喪うとも、教を匿さざれ』とは身は軽く法は重い。身を捨てて法を弘むべきである、ということである」等と述べている。 |
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問うて云はく、先代に仏寺を失ひし時何ぞ此の瑞なきや。答へて云はく、瑞は失の軽重によりて大小あり。此の度の瑞は怪しむべし。一度二度にあらず、一返二返にあらず、年月をふるまゝに弥盛んなり。之を以て之を察すべし、先代の失よりも過ぎたる国主に失あり、国主の身にて万民を殺し、又万臣を殺し、又父母を殺す失よりも聖人を怨む事彼に過ぐる事を。今日本国の王臣並びに万民には、月氏・漢土総じて一閻浮提に仏滅後二千二百二十余年の間いまだなき大科、人ごとにあるなり。譬へば十方世界の五逆の者を一処に集めたるが如し。此の国の一切の僧は皆提婆・瞿伽利が魂を移し、国主は阿闍世王・波瑠璃王の化身なり。一切の臣民は雨行大臣・月称大臣・刹陀・耆利等の悪人をあつめて日本国の民となせり。古は二人三人逆罪不孝の者ありしかばこそ其の人の在所は大地も破れて入りぬれ。今は此の国に充満せる故に日本国の大地一時にわれ、無間に堕ち入らざらん外は一人二人の住所の堕つべきやうなし。例せば老人の一二の白毛をば抜けども、老耄の時は皆白毛なれば何を分けて抜き捨つべき。只一度に剃り捨つる如くなり。 |
問うて言う。前の時代に仏寺を滅失した時は、どうしてこの瑞相はなかったのか。 答えて言う。瑞相には過失の軽重によりって大小がある。この度の瑞相は不思議に思うべきである。一度や二度ではない。一遍二遍ではない。年月がたつにつれますます盛んである。このことから、前の時代の過失よりもまさる過失が国主にあり、国主の身で万民を殺し、父母を殺す過失よりも聖人を怨むことのほうがまさる過失であるということを察しなさい。 今、日本国の王臣と万民には、インドや中国ひいては全世界において仏滅後二千二百二十余年の間いまだかってなかった大きな過が一人一人にあるのである。例えば十方世界の五逆の者を一か所に集めたようなものである。 この国の一切の僧は皆、提婆達多や瞿伽利が魂を移し持ち、国主は阿闍世王や波瑠璃王の化身であり、一切の臣民は雨行大臣・月称大臣・刹陀・耆利等の悪人を集めて日本国の民としたのである。 昔は二人や三人の逆罪の不孝の者であったから、その人のいる所は大地も破れ裂けて入ってしまったのである。 今はこの国に逆罪の者が充満しているがゆえに、日本国の大地が一時に裂けて無間地獄に陥らない以外は一人や二人のいる所が裂けて陥るようなことはない。例えば老人の一本や二本の白髪は抜いても、非常に年とった時は皆白髪なので何を分けて抜きすてることができよう。ただ一度に剃り捨てる以外にないようなものである。 |
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問うて云はく、汝が義の如きは我が法華経の行者なるを用ひざるが故に天変地夭等ありと。法華経第八に云はく「頭破れて七分と作らん」と。第五に云はく「若し人悪み罵れば口即ち閉塞す」等云云。如何ぞ数年が間罵るとも怨むとも其の義なきや。答ふ、反詰して云はく、不軽菩薩を毀・し罵詈し打擲せし人は口閉頭破ありけるか如何。問ふ、然れば経文に相違する事如何。答ふ、法華経を怨む人に二人あり。一人は先生に善根ありて、今生に縁を求めて菩提心を発こして、仏になるべき者は或は口閉ぢ、或は頭破る。一人は先生に謗人なり。今生にも謗じ、生々に無間地獄の業を成就せる者あり。是はのれども口則ち閉塞せず。譬へば獄に入って死罪に定まる者は、獄の中にて何なる假事あれども、死罪を行なふまでにて別の失なし。ゆりぬべき者は獄中にて假事あればこれをいましむるが如し。 (★824㌻) 問うて云はく、此の事第一の大事なり。委細に承るべし。答へて云はく、涅槃経に云はく、法華経に云はく云云。 日蓮 花押 |
問うて言う。あなたの趣旨は自身が法華経の行者であるのにこれを用いないがゆえに天変地夭等があるということだが、法華経第八陀羅尼品第二十六に「法華経を説く者を悩まし乱すならば、頭が破れて七分つとなる」とあり、第五安楽行品第十四に「法華経を読む者を、もし人が憎み罵れば口は閉じ塞がってしまう」等とある。どうして何年間も、罵ったり怨んだりしているのに、そのようにならないのか。 答えて言う。反問するが不軽菩薩を謗り罵り打った人は口が閉じ頭が破れたかどうか。 問うて言う。それなら経文に相違するが、どうなのか。 答えて言う。法華経を怨む人に二種類ある。一人は過去世に善根があって今生に縁を求めて菩提心をおこして仏になる可能性を持っている者は、罵ったり怨んだりすると、口が閉じたり頭が破れたりする。一人は過去世に謗法の人で今世にも謗法を犯し、生まれるたびに無間地獄の業を積むものであり、これは罵っても口が閉じ塞がることはない。譬えていえば牢獄に入って死罪に定まっている者は、牢獄の中でどのような悪事があっても死罪を行うまで別の咎はない赦される予定の者は獄中で悪事があれば、これを戒めるようなものである。 問うて言う。このことは最も大事である。詳しく承りたい。 答えて言う。涅槃経に説かれており、法華経に説かれている。 日蓮花押 |