大白法・令和8年3月1日刊(第1168号より転載)御書解説(286)―背景と大意

上野殿御返事(1379頁)

別名『報南条氏書』

 一、御述作の由来

 本抄は、弘安(こうあん)二(1279)年八月八日、日蓮大聖人様が御年五十八歳の時、()(のぶ)においで認められ、南条(なんじょう)時光(ときみつ)殿に与えられた御消息です。

 時光殿は、駿(する)()国富士郡上野郷(現在の静岡県富士宮市・総本山周辺)の()(とう)であったことから「上野殿」と呼ばれていました。

 御真蹟は現存しませんが、日興上人の写本が大石寺に所蔵されています。

 さて、本抄御述作の弘安二年は、富士郡下方荘(しもかたのしょう)熱原(あつわら)郷(現在の富士市厚原周辺)の法華講衆に対する迫害(熱原法難)が()(れつ)を極めた年です。

 (けん)()元(1275)年頃より、富士方面での日興上人を中心とした折伏が盛んとなり、天台宗の滝泉寺の僧侶や農民信徒たちが、大聖人様の仏法に帰依(きえ)し、改宗者があとを絶ちませんでした。それに危機感を覚えた滝泉(りゅうせん)()院主代(いんじゅだい)(ぎょう)()は、政所(まんどころ)の役人等と結託して、たびたび熱原の僧俗を迫害し弾圧を加えたのです。

 特に、弘安二年の四月八日に熱原法華講衆の四郎が傷害を受け、八月には同じく法華講衆の弥四郎が首を()られるという事件が起こりました。

 さらに九月二十一日には、熱原法華講衆二十名が(かり)()狼藉(ろうぜき)(他人の田の作物を不法に刈り取ること)の()(ぎぬ)を着せられて逮捕され、鎌倉に押送(おうそう)されました。

 その後の幕府の高官・(たいらの)頼綱(よりつな)による取り調べでは、拷間(ごうもん)によって法華の信仰を捨てるようにと迫られましたが、農民信徒たちは、異体同心して御題目を唱えぬき、ついに中心者である神四郎・弥五郎・弥六郎の三人が斬首に処されたのです。

 この壮絶なる熱原法難に際し、時光殿も日興上人の御教導を仰ぎつつ、身命(しんみょう)(かえり)みずに多くの法華講衆を支え、外護(げご)の任に尽力されました。

 なお時光殿は、それらの功績を(たた)えられ、のちに大聖人様から「上野賢人」(御書1428頁)との尊称を賜っています。

 

 二、本抄の大意

 はじめに、時光殿が()(もく)(ぜに))一貫・塩一俵・蹲鴟(いものかしら)(里芋)一俵・(はじかみ)(生姜)少々を使者に持たせて、大聖人様に御供養申し上げたことに対する、感謝を述べられます。

 次に、暑い時には水、寒い時には火、()(きん)の時には米、(いくさ)には武器、海では船、山では馬が、それぞれ(たから)となる。それと同じように、この身延の山中では芋や塩が財であり、(たけのこ)(きのこ)は、多くあっても塩がなければ、その味は土を()むようなものであると述べられます。

 また、(こがね)というものは、国王から万民までが財としているが、それは、例えば米のようなもので、一切衆生の命である。これと同じく、銭も中国の銅山という山で産出され、三千里の海を渡って日本に来たものであるから、万人はこれを財と思って大事にしていると示され、その銭を法華経に御供養された時光殿の尊い(こころざし)讃歎(さんたん)されています。

 次に、(しゃく)()(なん)(釈尊が初めて説法した時に教化した五人の弟子のうちの一人で、神通力(じんずうりき)(そな)えていた)は、手にとった石を(たま)に変え、金栗王(こんぞくおう)は砂を金に変じたとされるが、そのように法華経は心がない草木をも仏とすることができるのであり、ましてや、草木とは異なって心がある人間はなおさらであると仰せです。

 加えて、法華経は、仏となるべき種を焼いたとされる二乗、または一闡提(いっせんだい)の人でさえ成仏させるのであるから、ましてや生種(発芽できる種の意で、成仏の可能性がある菩薩・凡夫の仏性を譬えていう)を持つ人、あるいは法華経を信受する者は必ず成仏が可能であると妙法の仏性開顕の功徳力を示されて、本抄を結ばれています。

 

 三、拝読のポイント

 時光殿に学ぶ真心からの御供養

 本抄では、時や環境に応じて、求められるもの、大事となるものは異なり、身延の厳しい山中においては、芋や塩といった御供養の品々がたいへん貴重な財となる旨を示されています。これらの御供養は、時光殿が常に大聖人様の御身を気遣われていた真心の表われです。

 時光殿は、熱原法難の時には二十一歳という若さでありながら、身に危険の迫った熱原の法華講衆をかくまい、日興上人をはじめとする御僧侶方を献身的に援助されました。

 それゆえ幕府からは不当に重税をかけられ、自身は武士であるのに乗るべき馬もなく、妻子は着るべき衣もないよう窮乏(きゅうぼう)生活に(おちい)ります。加えて、当時世上に蔓延(まんえん)していた疫病(えきびょう)や飢饉による食糧不足も深刻な影響を与えていたことは想像に(かた)くありません。
 しかし、そのような苦境の中にあっても、時光殿は大聖人様のことを常に尊崇(そんすう)し、折々に御供養の誠を捧げ続けられたのです。
 大聖人様は『白米一俵御書』に、

()へたる()に、これはな()しては、けう(今日)の命をつぐべき物もなきに、たゞひとつ候()れう()を仏にまいらせ候が、身命を仏にまいらせ候にて候ぞ」(御書1545頁)

と仰せです。

 すなわち、末法の凡夫は(いにしえ)の聖人のように自らの身命を仏に奉ることなど到底堪えられませんが、たとえわずかでも自身の生活を(つな)ぐ大切なものを御供養申し上げることは、実際に身命を仏に捧げるのと同等の尊い行為であり、そこに成仏の大功徳が存することを御教示です。

 生涯、純粋で(けな)()なる信仰を貫いた時光殿は、身延を離山された日興上人に「大石ケ原」を寄進し、総本山大石寺の開基檀那となられました。これぞまさに、未来永遠にわたって(たた)えられる本宗信徒の(かがみ)であります。

 私たちはこの時光殿の御供養の精神を範として、常日頃から総本山や所属寺院の護持発展のため、御本尊様に分に応じた真心の御供養を奉り、現当二世にわたる大きな福徳を積んでまいりましょう。

 

 法華経は一闡提を仏となし給ふ

 本抄には、一闡提の人をも仏にできる法華経の功力が説かれています。

 一聞提とは、断善根・信不具足ともいい、仏教の正しい法を信ぜず、悟りを求める心もないために、成仏するための能力を全く欠いている衆生のことです。

 仏がこの世に出現された目的は、法華経『方便品(ほうべんぼん)』に(かい)示悟(じご)(にゅう)の四仏知見が説かれるように、本来、一切衆生には平等に仏知見・仏性が具わることを明かし、その仏性を法華経の教主の化導によって活現させて、二乗や一闡提などすべての衆生を成仏に導くことにあります。しかし、釈尊の教法の力が消滅した末法今日の世上は、すべての人々に仏性があることを信ぜず、正法を誹謗する謗法一闡提の衆生が充満し、五濁悪世の様相を呈しています。その末法万年の一切衆生を救済すべく大聖人様は、

上行菩薩に妙法蓮華経の五字をもたしめて謗法一闡提の白癩病(びゃくらいびょう)の輩の良薬とせん」(同844頁)

と仰せのように、釈尊から付嘱された法華経の肝要・久遠元初本因下種の法体を人法一(にんぽういっ)()の本門の本尊として顕わされたのです。

 私たちは、末法の御本仏たる大聖人様所顕の御本尊様への帰依こそが、誘法一閲提の重病を対治し、あらゆる人々が根本的に救われていく方途であることを確信し、いよいよ自行化他の修行に励んでいくことが大切です。

 

 四、結  び

 御法主日如上人貌下は、

大聖人様の御本懐たる本門戒壇の大御本尊の縁に触れてこそ、仏性が仏性として開かれていく」(大白法892号)

と御指南されています。

 往々にして私たちは、折伏する相手を選んで、「この人に信心の話をするのはやめておこう」と自分で判断したり、「あの人には仏道修行は無理だ」などと勝手に決めつけたりすることがあります。しかしこの考えは、一切衆生救済を願われる大聖人様の御意とはかけ離れたものです。

 大御本尊様との仏縁に触れることで、どのような人でも尊い仏性を顕わして、真の幸福境界を得られるのです。また、あらゆる人を正法に結縁せしめていく折伏の行業は、結局は自らが救われていくことにも繋がるのです。