大白法・令和6年7月1日刊(第1128号より転載)御書解説(273)―背景と大意

上野殿御返事(1288頁)

 

 一、御述作の由来

 本抄は、弘安(こうあん)元(1278)年(うるう)十月十二日、大聖人様が御年五十七歳の時、()(のぶ)において(したた)められ、南条時光殿に与えられた御消息です。
 御真蹟は現存しませんが、日興上人の写本が総本山大石寺に蔵されています。
 なお、本抄御述作の日付けについては、「閏十月十三日説」や「閏十一月十三日説」がありますが、これらは後代の写本時の誤記と考えられます。
 本抄御述作の前年にあたる(けん)()三(1277)年から弘安元(1278)年にかけて、全国的に疫病が流行し、多くの人が亡くなりました。その後、弘安元年の春頃には、いったん疫病が収束しました。
 しかし、同年八月から九月にかけて、各地で大雨や大風等の自然災害が相次いで発生したため、秋の収穫が得られず、不作にみまわれ、今度は全国的な()(きん)を招きました。
 このように前年からの疫病に加え、相次ぐ天災による飢饉等が代わる代わる発生する惨状について、大聖人様は本抄中において、
 「()ぬる寛喜・正嘉にも()え、来たらん三災にもおと()らざるか
と仰せになっています。
 このように、当時、前代(ぜんだい)()(もん)の災害が続き、農作物が凶作(きょうさく)であるにもかかわらず、南条時光殿は、大聖人様の(おん)()(おもんぱか)られ、篤信(とくしん)(こころざし)をもって精いっぱいの御供養をなされたのです。

 

 二、本抄の大意

 初めに、里いも一()(こう)()一寵・銭六百文の代わりに(むしろ)十枚の御供養を、たしかに受けられたことを述べられます。
 次いで、去年(建治三年)から今年にかけて大疫病が国中に流行して多くの人が亡くなったことを、あたかも大風で木がなぎ倒され、大雪で草が折られるように、一人も生き残れるとは思えないほどであった。しかしながら今年の気候は寒暖も通年通り順調であったため、()(こく)は田畠に満ち、草木も野山に()(しげ)って、あたかも中国古代の(ぎょう)王・(しゅん)王の理想的な治世の()のように、また(じょう)(じゅう)()(くう)の四(こう)のうち、衆生世間と国土・草木などの()世間(環境世界のこと)が成立する成劫(じょうこう)期のように思えたのである。それが、八月・九月の大雨・大風等の天災によって日本国中の作物が凶作となり、生き残った万民が冬を越すことができない状態になったと仰せられます。
 そして、このようなありさまは、かつての寛喜年間の天災や(しょう)()年間の天災をも上回る惨状で、今後起こる三災にも劣ることはないと述べられます。
 また、内乱が起こって盗賊が国中に充満し、他国が襲撃の機会を競っているので()(せい)(しゃ)合戦(かっせん)の心配ばかりしていること、民の心は不孝となって父母を他人のように扱い、僧尼は邪見を起こして犬猿のように仲(たが)いしていること、慈悲の心が()せたため諸天もこの国を護らず、邪見(じゃけん)のために仏法僧の三宝にも捨てられてしまったことを述べられます。
 さらに、疫病もしばらくは収束したように見えたが、鬼神が(かえ)り入ったためか全国的に感染が拡大し、一同に()み嘆くと聞き及んでいる、と仰せられます。
 最後に、このような最悪の世に、どのような過去世からの()き因縁によるのか、あなたが法華経の行者に篤信の御供養をなされることは、たいへん有り難いことであると御礼を述べられ、詳しいことはお会いした時に申し上げると仰せられて、本抄を結ばれています

 

 三、拝読のポイント

 災難の根本原因は誇法の害毒にある

 大聖人様は、『立正安国論』を著され、正嘉元年の大地震をはじめ、うち続く天災・人災等の根本原因が邪義誘法にあることを明かされました。
 総本山第二十六世日寛上人は『立正安国論愚記』(御書文段50頁)に、「災難が起こる原因」について、以下の三点を()げられています。

①万民の業感に()るが故に
 悪業を有する衆生が、同時に、また一所に生ずると、各自の持つ過去世の悪業を互いに感じ合って招く災難。
 これは国王(国主)によって起こるのではなく、民衆が(みずか)ら招いてしまう災難です。
②国王の理に(そむ)くに由るが故に
 国王(国主)が、世法の道理に背くために起こる災難で、諸天がこれを罰するために起こす災難。
 これは民衆に関わりなく、国主が自ら招く災難です。
()(ぼう)正法に由るが故に
 大聖人様が『立正安国論』等の諸御書のなかに、数多(あまた)の経証を引かれて御教示のように、正法を誹謗することが根源となって起こる災難。これは国 王・万民等、天下一同に招いてしまう災難です。

 この三義は、①の「万民の悪業が互いに感じ合って起こる」という義も、そのもとをたどれば、各自の誹謗正法が業感の起因となっており、②の「国王が理に背く」という義も、世法の道理に背くことはそのまま体である仏法の道理に背くことであるため、国王の誹謗正法が起因しているのです。
 したがって、一切の災難の根本原因を探るならば、必ず③の「誹謗正法」に行き着くことを知ることが大事です。

 仏法は体、世間は影

 大聖人様は世法と仏法の関係について、『諸経と法華経と難易の事』に、
 「仏法やうやく顚倒(てんどう)しければ世間も又濁乱(じょくらん)せり。仏法は(たい)のごとし、世間はかげのごとし。体曲がれば影なゝめなり」(御書1469頁)
と仰せです。
 すなわち、仏法と世法は、本体と影の関係にあり、本体である仏法が傾倒し、邪義が蔓延(まんえん)すると、その謗法の害毒によって人心が(にご)り、個人は不幸となり、世の中は乱れ、社会には災難や争いが起こります。
 また、大聖人様は『瑞相御書』に、
 「(それ)十方は()報なり、衆生は正報なり。依報は影のごとし、正報は体のごとし。身なくば影なし、正報なくば依報なし。又正報をば依報を()て此をつくる」(同918頁)
と仰せられ、十方世界は依報、衆生は正報、また依報は影、正報は体であると、依報と正報が深く密接な関係にあることを御教示です。
 つまり、正報である私たち衆生が正しい教えを受持すれば、個人が幸福になるのみならず、依報である世の中も穏やかになり、災難や争いのない社会となるのです。
 「立正安国」の実現のため、破邪顕正の折伏を常に実践していくことが肝要です。

 

 四、結  び

 御法主日如上人猊下は、
なぜ、これほどの混乱を極めるのか。それはまさに『立正安国論』にお説きになっているように、邪義邪宗の害毒なのです。だから今、私達は折伏をしなければならないのです。一人でも多くの人達に、老若男女を間わないすべての人々に南無妙法蓮華経のお題目を唱えさせるのが折伏なのです」(大白法752号)
と御指南されています。
 現代社会は、戦争や疫病をはじめとする災難、経済不安による人心の荒廃など、 混迷の一途をたどっています。
 末法の御本仏日蓮大聖人様の正法正義を信じる本宗僧俗は、今こそ世の中の人々を根本から救うため、折伏弘通に一層精進してまいりましょう。

 

寛喜・正嘉年間以降の主な天災

 寛喜元年(1229)
  2月 鎌倉大地震
  8月 京都大早魅
  10月 京都大風
  12月 鎌倉大地震
寛喜ニ年(1230)
  5月 京都大洪水
  7月 諸国に霜降る
  8・9月 大風雨により五穀不作
寛喜三年(1231)
  春  疫病流行、大飢健
正嘉元年(1257)
  8月1日 鎌倉大地震
  8月23日 鎌倉大地震(各地で地震頻発)
  11月8日 鎌倉大地震
正嘉ニ年(1258)
  6月 鎌倉大寒気
  8月 大風雨により穀物不作
  10月 鎌倉大洪水
正嘉三年・正元元年(1259)
  春  大飢謹、大疫病
文応元年(1260)
  鎌倉大火、鎌倉大風、洪水、
  諸国大風・飢膜やまず
弘長三年(1263)六邑 諸国大風
文永元年(1264)大誓星
文永ニ年(1265)鎌倉大雨
文永四年(1267)京都長雨洪水
文永十年(1273)会津大地震
文永十一年(1274)鎌倉大風