上野殿御返事  弘安元年閏一〇月一二日  五七歳

 

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 いゑのいも()一駄・かうじ(柑子)一こ・ぜに()六百のかわり()ざのむしろ()十枚給び(おわ)んぬ。
 (こぞ)今年(ことし)は大えき()此の国にをこりて、人の死ぬる事大風に木のたう()れ、大雪に草の()るゝがごとし。一人ものこ()るべしとも()へず候ひき。しかれども又今年の寒温(とき)にしたがひて、五穀は田畠に()ち草木は()さん()()ひふさがりて尭舜(ぎょうしゅん)の代のごとく、成劫(じょうこう)のはじめかとみへて候ひしほどに、八月・九月の大雨大風に日本一同に(みの)らず、()きてのこれる万民冬を()ごしがたし。去ぬる寛喜・正嘉にも()え、来たらん三災にもおと()らざるか。()(かい)叛逆(ほんぎゃく)して盗賊国に充満し、他界きそ()いて合戦に心をつひ()やす。民の心不孝にして父母を見る事他人のごとく、僧尼は邪見(じゃけん)にして()(けん)猿猴(えんこう)との()へるがごとし。慈悲なければ天も此の国をまぼ()らず、邪見なれば三宝にもすてられたり。又疫病(やくびょう)もしばらくは()みてみえしかども、鬼神かへり入るかのゆへに、北国も東国も西国も南国も、一同に()みなげくよしきこへ候。
 かゝる()にいかなる宿善にか、法華経の行者をやし()なわせ給ふ事、ありがたく候ありがたく候。事々見参(けんざん)の時
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申すべし。恐々謹言。
  後十月十二日    日蓮 花押
 上野殿御返事