大白法・平成20年5月1日刊(第740号より転載)御書解説(151)―背景と大意

時光殿御返事(1246頁)

別名『時光御返事』

 一、御述作の由来

 本抄は、弘安元(1278)年七月八日、南条時光殿から白麦の御供養が届いたことに対し、その厚志を称歎されたお手紙で、大聖人様五十七歳の御時、身延において認められた御書です。御真蹟は現存していませんが、日興上人の写本が大石寺に伝えられています。
 富士上野の地頭であった時光殿は、波木井実長の大謗法によって身延を離山された日興上人を外護し、日興上人と共に大石寺の礎を築かれた大檀那として讃えられ、総本山では時光殿の祥月命日の五月一日に毎年大行会が奉修されます。また、大聖人様御在世中においても、大聖人様の御身をいつも気遣い、身命を惜しまずお護り申し上げた篤信の信徒でありました。
 本抄を認められた弘安元年は、疫病の蔓延や飢饉により人々が苦しみに喘いでいました。そのため身延を訪れる信徒はほとんどいない状況でしたが、時光殿はたびたび身延を訪れ大聖人様を外護申し上げたのです。

 

 二、本抄の大意

 はじめに、白麦とはじかみ(生姜)の御供養に対し感謝の意を述べられます。
 次に、阿那律と迦葉尊者の因縁と果報を示し、御供養の精神と大きな功徳を説かれます。
 まず、阿那律については次のように仰せです。阿那律は、斛飯王の太子として生まれたいへん裕福な環境に育ちました。家を訪れる人は一日に一万二千人もおり、それらの人は、お金を借りにくる人が六千人、返しにくる人が六千人いたのです。また、阿那律はこうした富裕な境界であったばかりでなく、天眼第一の人であり、法華経には普明如来の記別を受けたと説かれています。
 大聖人様は、阿那律がこうした境界に生まれたのは、過去世に大きな善業を積んだからであるとし、その因縁を示されます。その因縁とは、ある猟師の話です。飢饉で食料が乏しいとき、その猟師は山の獣を狩り稗を耕作して生活をしていました。あるとき、たった一杯しかない稗の飯を食べていると、そこへ利吒という辟支仏の聖人が来ました。そして、「私は七日の問何も食べていないから、あなたの食べ物がほしい」と乞うのです。猟師は、「汚い器に入れて、もう稗を汚してしまいました」と答えましたが、聖者は「とにかく食べさせよ、今食べなければ死んでしまう」と言いました。そこで阿那律は、恐縮しながらも食べていた稗の飯を差し上げたのです。
 聖者はそれを食され、一粒の稗を残して猟師に返しました。すると、その一粒の稗は猪となり、その猪が変じて黄金となり、その黄金が変じて死人となり、その死人が変じて黄金の人となったのです。そして、黄金の人の指を抜いて売ると、また指が生えてくるのです。
 こうして猟師は、九十一劫という長い間、億万長者として生まれ変わり、今の世に阿那律として生まれ、仏の弟子となったのです。大聖人様は、わずか一杯の稗であるけれども、飢えた国において辟支仏の命を延ばしたことにより、阿那律は勝れた果報を得ることができたと教えられているのです。
 次に大聖人様は、迦葉尊者が仏の弟子の中でも特に尊い人であるとされ、過去世の因縁について述べられます。迦葉尊者は、摩竭提国の尼拘律陀長者の子として生まれました。長者の家は、畳が千畳もある広い家で、その畳もたいへん上等なものでした。また、犁という農具は九百九十九もあり、金三百四十石を入れた蔵が六十もありました。そして、妻は金色に輝き十六里を照らすほど美しかったといいます。
 あるとき、夫は妻と共に道心を発し、仏の弟子となります。そして、法華経において成仏の記別を受けるのです。大聖人様は、この夫婦の過去世の善業について、夫は麦の飯を辟支仏に供養したゆえに迦葉尊者と生まれ、妻は毘婆尸仏の像に押す箔を供養した故に、その妻となったと教えられます。
 続いて、「日蓮は尊い聖人ではないけれども、法華経の行者として国主に憎まれて身を脅かされている。また、弟子や訪れる人も罵倒され、打擲され、所領を召し上げられ、領地から追放されており、このような状況であるから、たとえ志はあっても訪ねてくる者は少ない」と仰せです。
 また、「特に今年は疫病が蔓延し、飢饉の状態も過酷となっているため訪ねてくる人も少ない。こうしたことから、たとえ病気になることはなくても、このままでは飢えて死ぬに違いないと覚悟していたところに、時光殿が麦を御供養された。このことは、黄金にも過ぎ珠よりも超えるものである」と感謝の意を表されています。
 最後に、貧しい猟師が利吒という聖者に稗の飯を分け与えたとき、利吒が残した一粒の稗が黄金の人と変じて猟師に福徳を授けたことを引かれ、このたびの時光殿が供養された麦は、法華経の文字となり、その文字が釈迦仏となり、時光殿の亡き父親の左右の翼となって霊山浄土へと飛んでいくであろう、また、その功徳が時光殿に返ってきて時光殿を育んでいくのであると述べ本抄を結ばれています。

 

 三、拝読のポイント

 御供養の姿勢と功徳について

 本抄を拝しますと、世の中は疫病と飢饉によって困窮しており、時光殿にとっても決して楽な生活ではなかったと思われます。しかし時光殿は、大聖人様をお護りしたいとの一心で御供養をされました。大聖人様は、こうした時光殿の志を、阿那律や迦葉尊者になぞらえて称歎されたのです。
 辟支仏に供養したことで阿那律や迦葉尊者の境界が大きく変わったように、私たちは御本尊様に御供養することで、境界を大きく変えられます。宿業により現在は経済的な面で悩み苦しむことがあるとしても、御供養によってそうした宿業を浄化し、境界を根本的に変えていくことができるのです。そうしたことから、私たちは唱題・折伏に励むと共に、丹精を尽くして御供養することが大事なのです。
 また、御本尊様に御供養できることを当たり前のように感じている人がいるかも知れませんが、日蓮正宗の信徒であるからこそ正しい御供養ができるのであり、大きな功徳を積ませていただけるということを深く思うことが大切です。こうしたことを心得、感謝の念と喜びを持って、真心からの御供養をしたいものです。
 さらには、時光殿が大聖人様の状況を鑑み、その時々において真心から御供養されたように、「時の上からの御供養」を心がけることを忘れてはなりません。私たちも、御宗門や各末寺が今どのような時であるかを踏まえ、その時々において真心からの御供養をしてまいりましょう。

 登山の精神

 本抄では、疫病や飢饉によって大聖人様のもとを訪れる人は少ないと仰せになっています。しかし、こうした状況においても時光殿は幾度も大聖人様のもとを訪れています。
 現在、私たちが総本山に参詣する場合も困難なことがたくさんあるのではないでしょうか。健康上の問題、仕事などによる時間の問題、交通費の工面等々、様々な困難を乗り越えなければ登山はできないものです。しかしながら、これらの困難を乗り越えて登山するからこそ罪障消滅させていただけるのです。
 海外布教が進むにつれ、総本山に参詣する海外信徒はますます増えています。けれども、中にはどんなに努力をしても、一生の内に一度も登山できないという方もいます。しかし、本門戒壇の大御本尊様を渇仰恋慕する気持ちは、日本国内の信徒に勝るとも劣りません。日本に生まれ合わせた私たちは、日々御本尊様に御祈念申し上げ、努力精進していくことによって、誰もが登山できる恵まれた環境にあります。
 ところが、登山の大事が判らず大御本尊様を渇仰恋慕する気持ちが欠けているために、登山を軽く考えている人がいるかもしれません。登山は、罪障消滅のため私たちにとって大事な仏道修行であることを、本抄を拝して深く心に刻み、一度でも多く登山できるよう一層の精進を重ねてまいりましょう。

 

 四、結  び

 『立正安国論』正義顕揚七百五十年を明年に控え、記念事業である御影堂大改修工事や塔中坊建替え工事など、総本山総合整備事業が順調に進んでいます。この時に当たり、「時の上からの御供養」ということを心がけ、真心から精一杯の御供養をさせていただきましょう。
 また、明年は記念大総会をはじめ各種登山が予定されています。中でも、記念総登山は全国の法華講員すべてが参加すべき登山です。南条時光殿が、あらゆる困難を乗り越えて身延を訪れたように、私たちも万難を排して登山いたしましょう。
 本年初頭には、「躍進の年」を勝利するため、御法主日如上人猊下より二大要件を賜りました。一つは、各講中の折伏誓願を必ず達成すること。二つには、全国四カ所で行われる地涌倍増大結集推進決起大会を完全勝利することです。既に西日本・九州・北海道の各大会では大成功を収めることができました。これから行われる東日本決起大会も大成功を収め、明年に大きな弾みをつけ、もって各支部が必ず折伏誓願を完遂し、晴れ晴れと明年を迎えようではありませんか。