大白法・平成18年3月1日刊(第688号より転載)御書解説(135)―背景と大意
本抄は、建治三(1277)年五月十五日、大聖人様が五十六歳の御時に、身延より南条時光殿へ与えられた御消息です。御真蹟は大石寺ほか四ヵ所に散在します。
本抄の内容から拝察すると、時光殿に信心を止めるように教唆する者がいたようであり、そのことについて信心の在り方などの御指南を仰いだものと考えられます。
大聖人様は、まず芋の頭一駄の御供養についての御礼を述べられ、次いで中国の賢人で名高い尹吉甫の子である伯奇が継母にあだまれ、策略にはめられた例を挙げて、賢人でも、悪人の策略には惑わされやすいことを述べられています。まして仏法において起こってくる難は、はるかに厳しいことを、インドの提婆達多・阿闍世王・波瑠璃王らが釈尊に難を加えたことを例として挙げられ、その釈尊が法華経に、
「而も此の経は如来の現在にすら猶怨嫉多し。況んや滅度の後をや」
と明かされるように、釈尊のごとく大難を被ってこそ法華経を知った人と言うべきであり、天台大師や伝教大師は法華経の行者と思われたけれども釈尊のような大難は受けられてはおらず、天下第一の僻人である日蓮のみが、身をもって法華経を読んだために、経文に符合して大難が起こっていると、法華経の色読を喜ばれています。
また、人々が時光殿に対して「日蓮房を信じては、さぞかし苦労するであろう。主君のおぼえも悪かろう」などと忠告すれば、信仰を捨てるようなことも起こるかもしれないが、このことで一人が退転したことをきっかけに多くの人が攻め落とされるものであり、かつて弟子であった少輔房・能登房・名越の尼たちは自分が退転したばかりでなく、多くの者を退転させた例があることから、もしも時光殿が信仰を捨てれば、駿河の国の信者や、また信じようと思っている者も信仰を捨ててしまうであろうから、そのような惑わすことは聞き捨てて、なお一層、強盛なる信心と自覚に立つべきであることを促されています。
さらに、信仰する目的については、亡き父親の菩提を弔うためであること、主君への奉公については命をも投げ捨てるほどの覚悟を内に秘めている時光殿に対して、言葉を和らげて近づき、信仰を薄くさせようと企む者があれば、これはかえって己の信心を試していることと思い、逆に相手に正邪・善悪のけじめをつけて忠告せよと御教示せられて、本抄を結ばれています。
本抄に引用されている尹吉甫は、後妻の計略に乗せられて最愛の息子・伯奇を責めて、ついに自殺に追いやってしまいました。このことから判るように、血を分けた父と子であっても、人の讒言によって我が子を死に追いやるほどに心を変えてしまうのが讒言の恐ろしさです。
人を陥れるための讒言だけではなく、噂話や人を悪く評価した言葉などは、人間関係を気まずくしていくことになりますし、信心をしていく中では怨嫉を生み、自他の信心を破るとともに、成仏の妨げとなることはもちろんのことであり、講中においては異体同心を破り、破和合僧の原因となりかねません。
中でも日蓮正宗の血脈相伝の仏法に対して激しく怨嫉し、誹謗を続けているのが創価学会であり、今なお正しい信心から離れさせようと、誹謗悪口をくり返しています。
私たち法華講員は、退転させようともくろむ創価学会の讒言に惑わされることなく、賢明なる信行を貫き、厳しく正邪・善悪のけじめをつけて折伏を実践していくことが望まれます。
法華経には、釈尊の滅後における法華経の行者には、釈尊が受けた九横の大難よりも大きな難が競い起こることや、法華経を行ずる者を迫害する三類の強敵が現れることが説かれています。
大聖人様が末法に御出現になられるまでの間に法華経の行者と言われた方には中国の天台大師や日本の伝教大師がおられますが、当時の高僧らに怨嫉され、悪口を言われるといった小難に止まっています。
その理由として大聖人様は、「愚者」が法華経を読んだり、「賢者」が法華経を講義するだけでは、一切衆生が三界六道の苦を離れて仏に成ることはないので、第六天の魔王が激しい迫害を加えることはないが、「聖人」(大聖人)が出現し、釈尊のように法華経を説くことによって、一切衆生が成道することがあってはこまるので、第六天の魔王とその眷属は、共に三界六道に下って、九横の大難にも勝る留難を起こし、「聖人」に迫害を加え、法華経を説くことを妨げるのであると仰せです。
その魔王の手先となって法華経の行者である大聖人様に敵対し、迫害を加えたのが極楽寺良観です。良観に対する世評は、
「上一人より下万民に至るまで、生身の如来と是を仰ぎ奉る」(御書 382頁)
と言われるほどですが、自らの謗法を暴かれ、その立場を脅かされかねない大聖人様の存在を疎ましく思い、釈尊在世の提婆達多が釈尊の御命を奪おうとしたのと同じように、末法の御本仏である大聖人様の御命を、権力を動かして奪おうとしたのです。
大聖人様は、諸宗の誤った教えが、災難をもたらす根源であり、無間地獄の因であると強く破折したことで数多の迫害を被ることになり、世間の人々からは、自ら災いを招く「僻人」(ひねくれ者、変わり者)や「愚者」であると思われても、釈尊出世の本懐である法華経を身読しているので、釈尊からは「聖人」と思われているであろうと仰せです。
このように、大聖人様が大難に遭われながらも邪宗を破折されるのは、一切衆生を正法へと目覚めさせて成仏へと導くためです。
大聖人様のことを凡人たちは僻人と見ても、法華経の教説や、仏眼をもって見るとき、大聖人様こそ末法の法華経の行者であり、御本仏であられることは間違いありません。
仏法のための故に大難に遭われていることが真実の聖人の証ということであり、大聖人様は、法華経の身読による留難を法悦として受け止められているのです。
私たちも大聖人様の弟子檀那の一分として難を恐れることなく、妙法流布のために仏法の正義を大いに語ってまいりましょう。
大聖人様の弟子檀那であった少輔房、能登房、名越の尼たちは、何れも大聖人様が法難に遭われた時に、もろくも退転していった者たちです。
大聖人様は、この者たちが退転していった理由を、
「よくふかく、心をくびゃうに、愚癡にして而も智者となのりしやつばら」 「をくびゃう、物をぼへず、よくふかく、うたがい多き者」(御書 1398頁)
と仰せであり、欲深く、臆病であり、物を覚えず、自分の愚かさがわからず智者と名乗る、疑い多い者と言われています。
大聖人様が少輔房などの退転者に共通する原因として挙げられていることの第一は「欲深いこと」で、目先の利益に迷って信心を破ってしまうことです。(貪)
第二に「臆病であること」とは、迫害の恐ろしさに信心を貫き通す勇気をなくしてしまうことを意味しています。(瞋)
第三に「物を覚えず」とは、大聖人様が常に御指南されていることが身につかず、他人事のように聞いてすぐに忘れてしまうことです。(癡)
第四に「愚かさが判らず智者と名乗る」とは、自らの愚かさを自覚することもできず、智者のように錯覚してしまうことです。(慢)
第五に「疑い多き者」とは、求道心が失われて増上慢に陥っているために、大聖人様の御指南を素直に、そして真剣に聞こうとせず、疑ってかかることです。(疑)
このことから逆に、不退転の信心を貫くためには何が大切であるかが明らかとなります。
第一に、常に信仰の志を高めて、謙虚に大聖人様の教えを求め、血脈付法の御法主上人猊下の御指南を実践していくことです。
第二に、目先の浅薄な利害に惑わされることなく、正直に自身の一生成仏を大目的として本宗の信心を全うすることです。
第三に、いかなる難にも破られることのない堅固な信心と正法厳護の勇気を奮い起こすことです。
このような信心の心構えが、難にくじけず、一生成仏をなし遂げる要点と言えます。
大聖人様は本抄に、
「たゞをかせ給へ。梵天・帝釈等の御計らひとして、日本国一時に信ずる事あるべし」
と仰せのごとく、日本中の人々が皆妙法を信仰する広宣流布の時が必ず来るとの大確信を述べられています。
この大確信を現実のものとしていくことが私たちに与えられた使命であり、そのためには勤行・唱題の自行を確立するだけではなく、正法の敵を呵責する折伏行を敢行していくことが大切です。
私たちは、御法主日如上人猊下の御指南のもと、日々に正法弘通の志を高め、折伏に決起し、実践し、平成二十一年「地涌倍増」の御命題を達成いたしましょう。