大白法・平成五(1993)年四月一日刊(第383号より転載)御書解説(093)―背景と大意
本抄は身延の大聖人様に、鎌倉の
大聖人様のお書きになられた、本抄の御真筆は現存せず、御著述の年月は、お弟子が写された最も古い本に、四月十二日とのみあって、年号の記載がありません。従来、建治元年、建治二年、弘安元年等の諸説があり、それぞれに決定的な根拠はありません。
今これについて考えますと、本抄中には
「一火は身に留まりて極楽寺焼けて地獄寺となりぬ。又一火は鎌倉に
との御文があります。
記録によると文永十二年三月二十三日(四月に建治元年に改元)に、あの良観が住職の極楽寺が炎上しています。そして、御所が焼失したのは、その翌年の建治二年一月二十日のことです。また同年十二月にも御所は再び大火にあっています。しかるに本抄中の
「又一火は・・・・御所やけ候ぬ」
との仰せは、極楽寺炎上の後、建治二年一月の、初回の御所焼失に関する御言葉と拝されます。よって本抄の御著述は、一応、建治二年四月十二日と推定するのが妥当と思われます。
本抄を賜わった四条金吾殿は、正確には「
四条が姓で名が頼基です。中務は父親の位で、三郎は通称、更に左衛門尉は、左衛門という官職をつかさどることを表しています。当時の慣例から、左衛門を意味する金吾の呼び名を用いて、四条金吾と呼ばれたのです。
四条氏は、建長の頃、大聖人様の折伏教化を受け、
大聖人様にもたびたびお薬を差し上げ、御病気快癒の御消息を賜わっています。
竜口法難のときには、殉死の覚悟で刑場までお供をされ、その強盛な信心を、大聖人様から大変にお
また一途な信心と、直情的な性格から、たびたび同輩に
また大聖人様のおはしまされるところには、佐渡といわず、身延といわず、必ず参詣されるという、生涯、純真な信心を貫かれた方なのです。
さて大聖人様は、文応元年七月に『立正安国論』をお
果たして大聖人様の御言葉通り、文永九年には、「二月騒動」と呼ばれる北条
これまさしく、「自界叛逆難」の姿そのものと言わねばなりません。
また更に、文永十一年十月には、日本征服をもくろむ蒙古の大軍が、壱岐・対馬に押し寄せ、『立正安国論』の予言の内、残る一難である、「他国侵逼難」も遂に現実のものとなったのです。
この文永の役においては、突然の大風によって元国の軍船が潰滅し、かろうじて日本は守られました。
しかしその後、建治元年四月、北条時宗は再度の元の使者を、竜の口で斬首してしまい、蒙古再襲来は、避けられない情勢となっていました。
本抄を御述作になられたのは、このように日本一国が、法然・良観等の諸宗の謗法により、まさに国家滅亡の危機に直面していた時なのです。
本抄においては、前に背景の中で述べた、御所等の焼失の件に関し、その仏法上の意味を、良観等の謗法によって、日本国の果報が尽きる前兆であると明かされす。
そして、蒙古の来襲についての、「法華経の敵となった、日本の王臣に対する、諸天の罰である」との宗祖の厳しい
まずはじめに、印度の王舎城の地名の故事を示され、その街の度重なる大火を防ぐために、果報のある王の住居の名をとって、王舎城と名付けたところ、それによって火災を止めることができたことを、聖人や賢人などの大果報の人は火事にあわない例として示されます。
これに対し、鎌倉において御所が焼けたことは、日本国の果報の尽きるしるしであり、その亡国の原因が謗法にある所以を、良観房の名を、両火房に
すなわち、名は体を顕す故に、大謗法の良観は両火であり、そのうちの一火は極楽寺を、他の一火は御所を焼いたのであるとされ、更にもう一義として、一火はかくの如く現世の御所や国を焼き、他の一火は未来世に師弟共に、無間地獄の火に焼かれることであると、両火の恐るべき所以を述べられるのです。
また四条金吾殿の女房に対し、その祈りが叶わないのは、法華経の
更に、父母や国王に逆らうことは、人間として、不孝・不忠なことですが、法華経に敵対する父母・主君には、反対に従わないことが、かえって真実の孝養・報恩になると仰せられます。
そして大聖人様御自身の御振る舞いにつき、父母や師匠の仏道を妨げる言葉に従わず、また国主からの、二度の勘気をも恐れずに、法華経の行者の御修行を貫かれ、その結果、諸天の加護をも、呼び起こされたことを、日本において、大聖人様ただ御一人であると、高らかに宣言あそばされています。
また蒙古来襲という、国家の危急存亡の時に当たり、大聖人様が、国主や万民の謗法を責めるのは、けっして彼らを
大聖人様は、本抄の中で
「現世の国を
と仰せです。私たちは、謗法とは現世のみならず、未来に無間地獄の業火となって、自らの心身を焼きつくす、恐るべき罪障である、との誡めを深く拝すべきでしょう。
更に謗法につき『曽谷殿御返事』には
「
とも仰せです。この御金言を拝し、自らが不幸の原因である謗法を捨てることは勿論、人にもこれを捨てさせるように、常に努力・精進を重ねようではありませんか。
今日、大謗法者池田大作と、邪教創価学会の人々は、御戒壇様をないがしろにし、血脈付法の御法主上人猊下を、虚言を以て
よって、今この時こそ、勇猛果敢なる信心を奮い起こし、これ等の悪逆謗法の
七百年前、良観等の大謗法の時には、蒙古の国難が起こりました。
池田大作の大謗法により、三宝が破壊されんとする現代においては、世界は核・エイズ等により、破滅の淵に立たされています。まさに今日は、人類滅亡の危機的状況にあることを深く認識すべきなのです。
しかるに未だに創価学会の
すなわち本抄の仰せを拝し、我々が創価学会員の謗法を責めるのは、決して憎んで言うのではなく、全世界の衆生の成仏の根本は、御戒壇様と血脈法水にあることを知らしめ、以て無間地獄より救うための、厳愛の折伏であることを確信して精進いたしましょう。