大白法・平成8年11月1日刊(第466号より転載)御書解説(043)―背景と大意
本抄は、建治元(1275)年十一月二十三日、日蓮大聖人が五十四歳の時に身延山において認められた御書です。御真蹟は現存しません。
本抄を賜ったのは、前回の『常忍抄』と同じく富木入道殿です。したがって、富木殿については前回を参照してください。
本抄御述作の背景として、一つには曾谷入道殿の御法門に対する誤解があります。つまり曾谷殿は『観心本尊抄』の「未得」等の御文によって、『方便品』不読という邪解を起こしていたのです。曾谷殿には、七編の賜書が伝えられています。この中には「種熟脱」「境智の二法」「総別の二義」等、重要な法門が示されており、曾谷殿が優れた素養の持ち主であったことが判ります。しかしまた、本抄に見られるように、少々、御法門を自己流に解釈する面もあったようです。
また、背景の二つめには「北方の能化」による疑難があります。すなわち、北方の能化といわれる高僧が〝大聖人は爾前経を未顕真実として捨てながら、文証としては引用している。これは自語相違だ〟と物知り顔に吹聴していたということです。
以上のようなことから、富木殿は大聖人に御供養を奉るとともに、報告かたがた御指南を願ったのでしょう。
初めに、鵞目すなわち銭一貫文や厚綿の白小袖、また筆・墨等、富木殿からの御供養の品々を挙げられ、受領の証とされています。そして、冬の身延山の厳しい様子を述べられ、厚綿の白小袖の御供養がことにありがたい旨を、商那和修の故事に寄せて述べられています。
次いで、曾谷殿が『観心本尊抄』の、
「一品二半よりの外は小乗教・邪教・未得道教・覆相教と名づく」(御書655頁)
等の文によって〝『方便品』を読誦しない〟と邪解を起こしたことに対し、大聖人は不相伝の僻見であると厳しく指摘されています。そして、文永年間に富木殿に与えられた『観心本尊抄』に関する相伝の意をもって、曾谷殿に教訓するよう指示されています。ただし、この相伝は日興上人に対するような甚深の相伝でなく、〝心得〟という意味に解釈されます。
すなわち、諸御書で「迹門を捨てよ」と仰せられたのは、天台・伝教等が弘通した像法時代の迹門を指すのであり、末法の大聖人が独一本門の立場より読誦される迹門とは、意義内容が異なるということです。まして慈覚以来、権実雑乱の大謗法と化した天台宗に同じて迹門を読誦するのではないと仰せです。
続いて「北方の能化」による大聖人への疑難についての御指南があります。「北方」とは、富木殿の住んでいた中山の北側にある地名を指します。おそらく北方には、天台宗の檀林等の類があったのでしょう。その檀林の「能化」すなわち教授の立場にあった者が、大聖人の爾前経の取り扱いをあげつらって〝爾前経を未顕真実と捨てながら、『安国論』に爾前の経を引いて文証とすることは自語相違である〟と得意げに疑難していたようです。
大聖人はこれに対し、一代聖教は大綱と網目に分けられ、大綱とは成仏得道を説いた『法華経』であり、網目とは不成仏の爾前経であると教示されます。したがって、爾前経の成仏等の語はただ名のみで、実義は『法華経』にあるのです。しかしまた、爾前経における網目の諸説は、本来、大綱の成仏得道のための網目であるから、かえって『法華経』の証文として引用することができる、と大聖人は決判されています。そして、天台・妙楽の釈、さらに『法華経』の文を挙げて以上の義を証明されています。
なお、追伸として、目連樹の根を十両ほどいただきたい旨の依頼をされています。
拝読のポイントとして、第一に迹門方便品を読誦する意義が挙げられます。
大聖人の迹門に対する裁きは二つあります。一つは本門寿量品が説かれる以前の迹門で、体外の迹門といいます。本門の体の外にある迹門、すなわち本体のない影の法門ですから、本無今有・有名無実として捨てられるのです。またもう一つは、『寿量品』が説かれて以後の迹門で、体内の迹門といいます。本門の体の内にある迹門、すなわち本体に具わる影として本有常住となるのです。ただし、影はあくまで影ですから、垂迹としての所詮の義は、やはり本門の立場より破折されます。しかし、本門の体に入った迹門方便品の文々句々は、久遠本地の妙法を助け顕わすものとして用いられるのです。
本抄に、
「在々処々に迹門を捨てよ」
と仰せられるのは、体外の迹門の意です。つまり、末法の本門弘通という時の上から、天台・伝教等が弘通した像法時代の迹門を、去年の暦のように捨てよとされるのです。このため、大聖人の教示された修行においては、体外の迹門方便品は読誦しません。
次に、
「今我等が読む所の迹門」
との仰せは、体内の迹門の意です。末法に入って、大聖人が文底下種の法門を顕わされた以上、一切の教法は体内となります。その上から、迹門方便品を読誦して、迹門としての所詮の義を破折するとともに、かえってその文々句々を借りて久遠元初の妙法、すなわち本門戒壇の大御本尊の功徳を助け顕わすのです。したがって、同じく迹門とはいえ、天台・伝教が弘通した体外の迹門とは異なるのです。
拝読のポイントの第二は、「北方の能化」云々以降に御教示の爾前経に対する裁きです。
本抄では、『法華経』は成仏得道を説く大綱であり、爾前経は不成仏の網目であると判じられました。それは『法華経』の開経である『無量義経』に、
「四十余年。未顕真実」(開結88頁)
と説かれるように、爾前経でいかに成仏得道の名目を示そうとも、仏の真実の教法が顕わされていない以上、有名無実だからです。しかし、本来、爾前経は『法華経』を説くための方便ですから、それぞれに説かれる諸説は、大綱たる『法華経』のための網目でなければなりません。
この爾前権経に対する法門の裁きは、先の迹門に対する裁きと同様です。つまり、『法華経』が開顕される以前の爾前経を体外の権といい、『法華経』の開顕以後の爾前経を体内の権といいます。体外の権は、開顕以前の実のない仮の経説ですから、無論、不成仏の教えとして破折し捨て去られます。これに対し、『法華経』の開顕によって、いかに爾前諸経が体内の権となったとしても、決して体内の実には及びません。このため、やはり不成仏の教として破られるのです。しかし、本来、爾前経は『法華経』のための方便として説かれた経々です。このため、体内の権としての爾前経の諸説は『法華経』の開顕により、『法華経』本体の一部となります。したがって、大聖人は『立正安国論』はもとより、諸御書において、爾前経の文々句々を用いて『法華経』の証文とされたのです。
拝読のポイントの第三は、以上の二点からの関連です。つまり、迹門方便品も爾前諸経も、その体内の辺は用いていくことが示されました。しかし、日々の修行には『方便品』を読誦しますが、爾前諸経は読誦しません。
その理由について、日寛上人は『三重秘伝抄』に、
「凡そ蓮祖は是れ末法本門の導師なり、故に正には本門、傍には迹門なり、故に『予が誦む所の迹』と名づけて方便品を読みたまえり。天台亦是れ像法迹門の導師なり、故に正には法華、傍には爾前なり、故に亦弥陀経等を誦みたまえり」(大石寺版六巻抄23頁)
と御教示されています。天台は像法迹門の導師として、正には『法華経』一部、傍には爾前経を読誦しました。しかし、末法の大聖人は本門下種の導師です。このため、御書の各所において、縦横無尽に爾前迹門の文々句々を用い、妙法弘通の証文とされましたが、日々の行体としては、正には本門寿量品、傍には迹門方便品のみを読誦されたのです。
「開拓の年」もあと二ヵ月となりました。開拓の基本は、正法正師の正義に対する正直な信仰姿勢にあります。曾谷殿は大聖人より、
「心の師とはなるとも心を師とせざれ」(御書794頁)
との御指南を賜っています。たとえ甚深の御法門を聴聞しても、池田大作のように自らの心を師とするならば、必ず邪見謗法へ陥ってしまいます。
私たち法華講員は、常に正直に本門戒壇の大御本尊と血脈付法の御法主日顕上人猊下を「心の師」と仰ぎ、平成十四年の三十万総登山をめざして、本年の開拓の意義を存分に発揮していこうではありませんか。