大白法・令和二年4月1日刊(第1026号より転載)御書解説(235)―背景と大意

四条金吾殿御返事(892頁)

 

 一、御述作の由来

 本抄は、建治元(1275)年七月二十二日、御年五十四歳の時、身延において(したた)められ、鎌倉の四条金吾頼基(よりもと)殿に与えられた御消息です。()真蹟(しんせき)は現存しません。

 四条金吾頼基は、北条得宗(とくそう)家の支流である名越家に仕えていました。名越家は第二代執権(しっけん)北条義時(よしとき)の次男朝時(ともとき)を祖とする家系てす。寛元(かんげん)四(1246)年(うるう)四月の宮騒動(みやそうどう)に敗れた光時は朝時の嫡男で、伊豆国江馬(えま)に流刑となりました。この時の地名をとって江馬殿といわれます。

 四条金吾頼基の父は頼員(よりかず)といい、同しく名越家に仕えていましたが、頼基が大聖人様に帰依する以前の建長五(1253)年に亡くなっています。母は池上氏の娘といわれており、共に帰依していたと考えられます。信仰姿勢は実直であり、鎌倉における門下の中心的存在です。経済力・教養もあり、佐渡・身延の大聖人様のもとに参詣し、御供養の品々を届けられました。

 本抄を拝受した頃の状況は、主君の 馬光時に対して折伏を行じたことで冷遇されており、さらに同僚による讒言(ざんげん)等もありました。またこの年の四月に鎌倉で大火があり、四条金吾の自邸も焼失しました。そのような中でも、身延の大聖人様のもとへ御供養の品々と、他宗の僧侶と法論したことについての書状を送られており、その御返事が本抄です。

 

 二、本抄の大意

 初めに、わざわざの使いを喜ばれ、柑子(こうじ)(みかん)・銭五貫文の御供養について御礼を述べられます。

 次に、書状の中に「去る十六日に、ある僧侶と寄り合い、諸法実相の法門について論議した」とあったことを()げられます。

 次いで、法華経が仏の出世の本懐であり一切衆生皆成仏道の根元の法であるというのは、ただ諸法実相の四字よりほかには全くないことを明かされます。そして伝教大師が万里の波涛(はとう)を越えて相伝されたののこの文であり、一句(いっく)万了(まんりょう)(一句に万の義を尽くす)の一言とは、この諸法実相であると述べられます。

 次に、当世の天台宗が開会の法門と言っているのは、この文を悪しく解釈して邪義を述べたものであると指摘され、ただ、法華経を(たも)ち南無妙法蓮華経と唱えて、

 「正直(しょうじき)捨方便(しゃほうべん) 但説(たんせつ)()上道(じょうどう)」(法華経124頁)

と信じることを諸法実相の開会の法門というと教示されます。その理由として、釈迦仏・多宝如来・十方三世の を証人として説かれているからで、よくよくこのように心得て、諸法実相の四文字を玩味(がんみ)すべきであると仰せられます。

 そして、良薬に毒を(まじ)えることがあろうか、海流から川の水を取り出すことができようか、月は夜に出、日は昼に出る、これらは言い争う余地はない。今後はこのように心得て問答すべきで、細々としたことは議論しないようにと述べられます。

 それでもなお、相手が言うようであれば、「私の師である日蓮房と法論しなさい」と、笑みを浮かべて()り返し言いなさいと述べ、本抄を結ばれています。

 追伸には、御供養の(こころざし)に対する御礼を述べなかったのて、後日申し上げたいと記されています。

 

 三、拝読のポイント

 諸法実相(十如実相の文)

 本抄において大聖人様は、諸法実相の四字を「一切衆生皆成仏道の根元」と仰せです。

法華経『方便品第二』には、

 「仏の成就したまえる所は、第一希有難解の法なり。唯仏と仏とのみ、乃し能く諸法の実相を究尽したまえり。所謂諸法の如是相、如是性、如是体、如是力、如是作、如是因、如是縁、如是果、如是報、如是本末究竟等なり」(法華経89頁)

と説かれています。この十如実相の文により、永不成仏とされた声聞・縁覚の二乗の成仏が開かれ、十界の衆生すべての成仏が説き明かされていくのです。

 大聖人様は『諸法実相抄』に、

 「下地獄より上仏界までの十界の依正の当体、悉く一法ものこさす妙法蓮華経のすがたなりと云ふ経文なり。依報あるならば必ず正報住すべし。釈に云はく『依報正報常に妙経を宣ぶ』等云云。又云はく『実相は必ず諸法、諸法は必ず十如、十如は必ず十界、十界は必ず身土』云云。(中略)されば法界のすがた、妙法蓮華経の五字にかはる事なし」(御書664頁)

と御教示されています。すなわち、『方便品』の十如実相の文は、十界の依正の当体ことごとくが妙法蓮華経の一法の相(すがた)であると説いたものであり、法界の相は妙法蓮華経の五字に他ならないということです。

 つまり、諸法実相とは、諸法がことごとく実相、すなわち妙法運華経の当体であることを説き明かした文なのです。 

 一念三千の法門

 天台大師は『摩訶止観』に、

 「()れ一心に十法界を()す。一法界に又十法界を具すれば百法界なり。一界に三十種の世間を具す。比の三千、一念の心に()り。()し心無くんは()みなん。介爾(けに)も心有れば、即ち三千を具す
(摩訶止観弘決会本 中-296頁)

と、『方便品』の十如実相の文をもとに、衆生の一念の心にも三千の諸法を具足するという一念三千の法門を説き明かされました。

 この法華経迹門『方便品』の十如実相の文を依文として、理の上て衆生の一念に三千の諸法が貝足すると説くのを理の一念三千といいます。これに対して、法華経本門『寿量品』における釈尊の久遠実成の開顕により、初めて本因妙・本果妙・本国土妙の三妙が合論して説かれ、久遠常住の仏身の上に事実の三千具足が説き明かされたことを事の一念三千といいます。

 しかし、これは一往、天台過時(かじ)の法門であり、再往、大聖人様の下種仏法より見れば、法華経文上の本迹二門は共に迹門・理の一念三千となり、久遠元初における本因下種の妙法を説き顕わす文底独一本門こそが事の一念三千となるのです。 

 受持即観心

 本抄において大聖人様は、

 「只此の経を(たも)ちて南無妙法蓮華経と唱へて『正直捨方便、但説無上道』と信ずるを諸法実相の開会の法門とは申すなり

と仰せです。大聖人様の御在世当時の天台宗は、開会の法門について己義(こぎ)を構え、法華経を依拠(いきょ)とする宗派でありながら真言を取り入れて密教化するなど、法華経を(ないがし)ろにしていました。

 故に大聖人様はこれを破、諸法実相の正しい開会の法門について、末法においては法華経(御本尊)を信じて南無妙法蓮華経と唱える受持の一行をもって諸法実相の開会の法門というのであると御教示されました。

 受持とは教法を受け持つことで、法華経の『法師品』等に説かれる受持・(どく)(じゅ)解説(げせつ)書写(しょしゃ)の五種の妙行の一つてす。

 受持について、天台大師は『法華文旬』に、

 「信力の故に受し、念力の故に持し」(法華文旬記会本 中-612頁)

と釈されています。

 大聖人様は、『日女御前御返事』に、

 「法華経を受け持ちて南無妙法蓮華経と唱ふる、即ち五種の修行を具足するなり」(御書1389頁)

と、末法における受持の修行は、一行に他の四種の修行が(そな)わる総体の受持であることを御教示です。

 また『観心本尊抄』に、

 「釈尊の因行果徳の二法は 法蓮華経の五宇に具足す。我等此の五字を受持すれば自然(じねん)に彼の因果の功徳を譲り与へたまふ」(同653頁)

と御教示のように、末法においては受持即観心の義より、三大秘法の御本尊を受持することが即観心の修行となるのです。  

 

 四、結  び

 本抄において大聖人様は、四条金吾に法論における心得を教示されましたが、さらに『阿仏房尼御前御返事』に、

 「相構へて相構へて、力あらん程は謗法をばせめさせ給ふべし」(同907頁)

と仰せのように、正法を受持する者は、カの限り邪義邪宗の謗法を破折し、世の人々の不幸の原因を取り除いていくことが、自他の成仏の上で肝要となるのです。

 御法主日如上人猊下は、

 「人心が乱れる最大の原因は何かと言えば、間違った思想や考え、すなわち邪義邪宗の謗法の害毒によるのであります。 (中略)まさに、恐るべきは謗法であります。この謗法を対治してこそ、世の中は平和になるのであります。ここに今、私どもが謗法を対治し、折伏を行じていかなけれはならない大事な理由が存しているのであります」(大白法1023頁)

と仰せです。

 私共は、いよいよ来年に迫った宗祖日蓮大聖人御聖誕八百年、法華講員八十万人体勢構築の御命題達成のためにも、この御指南を心肝に染め、講中一結・異体同心して、折伏弘通に精進してまいりましよう。