四条金吾殿御返事 建治元年七月二二六日 五四歳

 

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 (わざ)と御使ひ喜び入って候。又柑子(こうじ)五十・鷲目(がもく)五貫文()び候ひ(おわ)んぬ。各々御供養と云云。

 又御文の中に云はく、去ぬる十六日に有る僧と寄り合ふて候時、諸法実相の法門を申し合ひたりと云云。今経は出世の本懐、一切衆生皆成仏道の根元と申すも、只此の諸法実相の四字より外は全くなきなり。されば伝教大師

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は万里の波濤(はとう)しの()ぎ給ひて相伝しまします此の文なり。一句万了の一言とは是なり。当世天台宗の開会(かいえ)の法門を申すも此の経文を悪しく(こころ)()て邪義を云ひ出だし候ぞ。只此の経を(たも)ちて南無妙法蓮華経と唱へて「正直捨方便、但説無上道」と信ずるを諸法実相の開会の法門とは申すなり。其の故は釈迦仏・多宝(たほう)如来・十方三世の諸仏を証人とし奉り候なり。相構へてかくの如く心得させ給ひて諸法実相の四つの文字を時々あぢわへ給ふべし。良薬(ろうやく)に毒をまじうる事有るべきや。うしほ()の中より河の水を取り出だす事ありや。月は夜に出で、日は昼出で給ふ。此の事(あらそ)ふべきや。此より後には加様(かよう)に意得給ひて、御問答あるべし。但し細々(こまごま)は論難し給ふべからず。(なお)も申さばそれが()しの師にて候日蓮房に御法門候へと、うち咲ふて打ち返し打ち返し仰せ給ふべく候。

  建治元年乙亥七月二十二日  日蓮 花押
 四条中務三郎左衛門尉殿御返事

  法門を書きつる間、御供養の志は申さず候。有り難し有り難し。(くわ)しくは是よりねんごろに申すべく候。