大白法・平成7年3月1日刊(第427号より転載)御書解説(023)―背景と大意
本抄は、大聖人様が二年半に及ぶ佐渡配流を赦免されてから、約一年後の文永十二(1275)年三月六日、御歳五十四歳のときに、身延において
四条金吾は、親の代から北条一族の名門・
入信は、建長八年(1256)頃といわれています。当時、鎌倉には、念仏や真言等の謗法の諸宗が
いずれにせよ、それ以後、四条金吾は水を得た魚のように熱心に信仰に励みました。そのことは、多くの人々が大聖人様を
また四条金吾は、主君江馬氏や同僚から度重なる迫害を受けましたが、常に大聖人様の御指南により、これを変毒為薬して苦難を乗り越えました。生涯大聖人様を師と仰ぐ純粋な信仰を貫いた方です。
文永八(1271)年、大聖人様は竜の口法難ののち佐渡配流となりましたが、その間、鎌倉では弟子・檀那に対して激しい弾圧が行われ、多くの信徒が退転しました。それは、国家権力による過酷な取り締まりや刑罰もさることながら、師にまします大聖人様が、生きては帰れぬとされた佐渡ヶ島へ配流されたことにより、心の支えをなくした不安に耐えられなかったことによると言えましょう。
そうした厳しい状況の中、けっして希望を失わずに信仰に励んでいた弟子・檀那にとって、文永十一年三月、大聖人様が佐渡から鎌倉に帰られた時の喜びは想像するに余りあるものがあります。師に再会できた四条金吾にとっても、これほどの喜び、感激はなかったでしょう。この大聖人様の絶大なる御本仏の威徳を証明する数々の現証に接し、師と仏法への大確信を懐いた四条金吾は、主君に対して敢然と折伏を行いました。
それは『
「主君に此の法門を耳にふれさせ
と仰せられ、四条金吾が師たる大聖人様の教えを根本とし、かつ主君を思って折伏したことを誉め称えると同時に、必ず謗法者の誹謗と迫害があるであろうことを見通され、今後の行動の誡めと用心を御教示されていることからも明らかです。
この御心配の通り、この後、四条金吾は徐々に主君江馬氏の
本抄ではまず、法華経を持つ者は「現世には安穏にして後には善処に生まれる」と聞いてその通りに自行化他に励んできたが、現実は全く逆で、大難が次から次へと襲いかかってくるがどうしてなのだろうか、との四条金吾の疑問につき、よい機会であるから、その疑問を晴らそうと筆を起こされています。
そして、まず法華経は「
そして成仏するためには、むしろ難をうけることにより、自らの罪障が消滅し、大きな功徳が積めることを教示されています。すなわち、法華経の行者と大難の関係を示すものとして、火と
大聖人様は「現世安穏後生善処」という経文と、法華経の行者が受けるべき難との関係について直接の
「日蓮は世間には日本第一の貧しき者なれども、仏法を以て論ずれば一閻浮提第一の富める者なり」(四菩薩造立抄 御書1369頁)
と仰せの意味と同じことなのです。真の幸福とは、我が一念に開く以外にないのです。
次に、大聖人様は「
法華経以外の経は、
また、たとえ宿縁深厚にして信解し、仏弟子となることができ、仏様の化導の一分をお手伝いさせていただこうと折伏を実践しても、相手は末法悪業の衆生ですから、なかなか言うことを聞いてはくれません。まして自分自身にも過去の罪障が多々あり、かつまた、必ず三障四魔が競い起こります。一生懸命信心して、良いことをして、なぜ難を受けなければならないのか、浅い信心ではこのことは決して判りません。ゆえにこの信心は「持ち難い」のです。心して片時も大聖人の教えを忘れず、自身の過去の罪障を見つめ、強盛な信仰を持続することが大切です。もし三障四魔に負ければ、不信が根本となり、慢心我見を起こし退転にも至ります。
大聖人様が、
「此の法華経を持つ者は難に値はんと心得て持つなり」(御義口伝 御書1755頁)
「難来たるを以て安楽と意得べきなり」(同1763頁)
と仰せになり、さらには、
「仏になる道は、必ず身命を
と仰せの御指南を肝に銘じていかなければなりません。その強い信心と実践の上に、初めて「現世安穏後生善処」が信解できるのです。ゆえに、難が起き、魔の
今、宗門は創価学会という大障魔との未曽有の戦いの真っ只中にあります。しかし、御金言に照らせば、この大難こそ、今日が真の僧俗一致の広宣流布の時であることを証明するものと言わねばなりません。
この広布新出発の重大時局にあたり、黙して闘わない者は与同罪となります。御法主上人猊下に信伏随従して、大謗法の創価学会、及び一切の邪宗教を破折していけば、必ず悲惨な災難を止め、立正安国の理想の国土が築かれることを確信いたしましょう。
私たちが、真の広布の時代、この日本国に生まれて、このような大難に巡り合うのも決して偶然ではありません。地涌六万の広布の使命があればこそと自覚するべきです。
大聖人様の塚原三昧堂や厳寒の身延におけるお姿を拝し、また本抄を体して、如何なる大難をも恐れず、御法主上人猊下のもとに僧俗が一致団結し、死身弘法の精神をもっていよいよ一切衆生救済の折伏行に精進していきましょう。