大白法・平成15年10月1日刊(第630号より転載)御書解説(115)―背景と大意

佐渡御勘気抄(482頁)

別名『与清澄知友御書』

 一、御述作の由来

 本抄は、文永八(1271)年十月初旬、日蓮大聖人様が五十歳の御時、安房小(あわこ)(みなと)(せい)(ちょう)()(じょう)顕房(けんぼう)()(じょう)(ぼう)に与えられたお手紙です。

 前月の十二日、(へいの)左衛(さえ)門尉(もんのじょう)頼綱(よりつな)ら幕府要人と極楽(ごくらく)()(りょう)(かん)、さらに念仏者との結託により、大聖人様は竜の口の処刑場へと連行されました。彼らは罪なき大聖人様を闇から闇へと抹殺しようとしたのです。()(うし)の刻、大聖人様が悠然と唱題されるなか、まさに太刀取りが刀を振りかざした瞬間、諸天の不可思議な守護の光り物が出現し、これに驚いた武士たちは一斉に逃げ伏して、遂に処刑は行われなかったのです。これが竜の口の法難です。後日、大聖人様は『開目抄』に、

日蓮といゐし者は、去年九月十二日()(うし)の時に(くび)はねられぬ」(御書563頁)

と仰せになっています。この竜の口の法難によって法華経の文々句々のことごとくを身読し、法華経の行者としての悟りを開かれた大聖人様は、凡夫身を開いて()遠元初(おんがんじょ)()受用身(じゅゆうしん)(ほん)()開顕(かいけん)されたのです。

 その後、大聖人様の御身は一旦、依智(えち)(現在の神奈川県厚木市)の(ほん)()六郎(ろくろう)左衛(さえ)門尉(もんのじょう)の邸宅に預けられました。そうしたなか頼綱らは、大聖人様を佐渡(さど)(はい)()に処することを決定しました。題名の「勘気」とは「とがめ」との意味です。当時の佐渡は鎌倉から遠く離れた辺境の島国であり、極寒の地であったことから、大聖人様を罪人として流してしまえば(おの)ずと命を落とすだろうとの思惑による処置でした。

 さて、本抄の冒頭部分に、

十月十日()渡国(どのくに)まか()り侯なり

とあることから、古来本抄は佐渡において(したた)められた書状であるとの見解がありました。しかしこれは、中山法華経寺に現存する大聖人様の()真跡(しんせき)『寺泊御書』の、

今月十月なり十日、相州愛京(あいこう)()智郷(ちのごう)を起って」(同484頁)

との記述と矛盾することになります。ですから本抄では「十月十日に、佐渡に向かって出発することになった」との現況を告げられたものと見るのが妥当と思われます。

 二、本抄の大意

 冒頭部分では、九月十二日に(とら)われの身となり、十月十日に佐渡に旅立つことになった旨を取り急ぎ浄顕房らに報告されています。

 次の段落では、

「仏になる道は、必ず身命を()つるほどの事ありてこそ」

と仰せになり、もとより法華弘通を志した以上は諸難を受けることは覚悟のことであり、末法の即身成仏は、そうした忍難弘通によってのみ叶うべきことを述べられています。

 特に、伊豆・伊東の配流に続く佐渡配流により、法華経『勧持品』二十行の偈に説かれた、「数々見擯出(さくさくけんひんずい)」の経文を正しく身読することができる喜びを記されています。そして御自身こそが末法の法華経の行者であり、いよいよの大信力を発揮することによって()(しょう)善処(ぜんしょ)は疑いないとの大確信を述べられています。

 一方、佐渡へ配流されれば二度と帰郷することはできないとの覚悟の上から、

死して候はゞ、必ず各々をもたす()けたてまつるべし

と述べ、たとえ死んでも浄顕房らを必ず守る旨を約束されています。

 続いてインドの師子(しし)尊者(そんじゃ)、中国の法道(ほうどう)三蔵(さんぞう)等、過去の賢聖らが身命を()して仏法に尽くした例を引き、自身は(いや)しい身でありながら、今、法華経に身を捧げることは、あたかも石を黄金に変えるごとき有り難いことであると示され、たとえ日蓮が命を落とすことがあっても決して嘆いてはならないと(さと)されています。

 最後に、初発心の師である道善房(どうぜんぼう)と、幼少の(みぎり)より世話になった(りょう)()の尼への伝言を浄顕房らに託されています。これは冒頭部分の

本より学文し候ひし事は(中略)恩ある人をもたす()けんと思ふ

との文言より拝しても、道善房や領家の尼などへ、今生の別れと最後の謝意を示されたものと拝することができます。

 三、拝読のポイント

 八相成道

 八相(はっそう)(じょう)(どう)とは、仏がこの世に出現し、(いち)()の間に八種の相を現じて成仏する次第を示し、有縁の衆生を教化することをいいます。つまり、()(てん)託胎(たくたい)(しゅっ)(たい)(しゅっ)()(ごう)()(じょう)(どう)転法輪(てんぽうりん)(にゅう)()(はん)の八つの相です。なかでも「降魔」とは、仏道を修行する間に種々の魔が現れることをいい、いかなる仏であってもその一切を克服してこそ初めて悟りを開き、(しゅっ)()本懐(ほんがい)を説示することができるとされています。

 これは本来、インド応誕の釈尊のような(すい)(しゃく)(ぶつ)に見られる化導方法です。

 しかし日寛上人は『寛記雑々』のなかに、下種仏法の上から大聖人様の御一生についてもこの八相義にあてはめて説明されています。

 すなわち「蓮祖義立の八相」の「降魔」の項には、大聖人様の降魔の相として、文応元(1260)年の(まつ)葉ケ(ばが)(やつ)の法難、弘長元(1261)年の伊豆の御配流、そして文永元(1264)年の小松原の法難、さらには文永八(1271)年の竜の口の法難等、(あま)()の法難に遭われたことが示されています。

 次いで、「成道」の項では、大聖人様の成道の相として、文永八年の竜の口の法難によって久遠元初自受用身としての本地を顕されたことが記されています。

 その後、佐渡配流を目前として初めて御本尊様を認められるとともに、佐渡配流以降、一期の御化導のなかでも肝要な御教示をあそばされるようになるのです。

 

 三類の強敵の出現

 大聖人様は本抄に、

かゝるめに値ひ候こそ、法華経を()むにて候らめと、いよいよ信心もおこり、後生もたの()もしく候

と 仰せられるように、仏道を成就するためには、特に魔の克服が必要不可欠です。

 法華経『勧持品』には、

(じょく)(こう)(あく)()の中には 多く(もろもろ)恐怖(くふ)有らん 悪鬼其の身に入って 我を罵詈(めり)()(にく)せん」(法華経377頁)

とあり、釈尊滅後の悪世には必ず(ぞく)(しゅう)(ぞう)(じょう)(まん)道門(どうもん)増上慢、(せん)(しょう)増上慢の三類の強敵が出現し、法華経の行者に迫害を加えることが予証されています。さらに『勧持品』には、

仏の滅度の後」(同375頁)

と示され、大聖人様の独一本門の立場から拝すれば、末法濁悪の世にこそ真の強大な三類の強敵か出現することが判ります。

 大聖人様は『開目抄』に、

但日蓮一人これをよめり(中略)当世、法華の三類の強敵なくば誰か仏説を信受せん。日蓮なくば誰をか法華経の行者として仏語をたすけん」(御書541頁)

と示されています。大聖人様の御一生は、まさに法難に次ぐ法難の連続でした。末法の世において法華経流布の故に三類の強敵に遭われた方は、大聖人様をおいて他にはおられません。よって大聖人様こそが法華経に説かれた地涌(じゆ)(じょう)(しゅ)上行(じょうぎょう)()(さつ)の再誕であり、その御内証の上からは久遠元初の自受用身にし末法本因(まっぽうほんにん)(みょう)下種の御本仏と拝するのです。

 ところで、大聖人様には比較すべくもありませんが、私たち信徒にも、妙法を実践していくなかで種々の魔が競うことは明らかです。それは(さん)(しょう)四魔(しま)と呼ばれる(はたら)きです。

 『兵衛志殿御返事』に、

凡夫の仏になる又かくのごとし。必ず三障四魔と申す(さわ)りいできたれば、賢者はよろこび、愚者は退くこれなり」(同1184頁)

とあります。私たちが妙法を唱え、さらに折伏に邁進していくならば、必ずそれを阻止(そし)する用きが起こります。わずかでも気の(ゆる)みを持っていたり、あるいは障魔の用きによって不信の心を起こして退転してしまっては、一生成仏の大功徳は願うべくもありません。

 大聖人様は本抄に、

いたづ()らに()ちん身を、法華経の御故に捨てまいらせん事、あに石に(こがね)()ふるにあらずや

と御指南あそばされています。大聖人様が一期の御振る舞いによって示された堅固な道心と随力弘通のお姿を模範とし、私たちは「石に金をかふる」べく、力強く唱題を実践して、折伏に邁進することが大事です。

 四、結  び

 今月より、本年の広布推進会、最後の第四期です。いよいよ「広布大願の年」の誓願を残り三カ月で達成していかなければなりません。本年通年のテーマである「下種先拡大・折伏実践の徹底」「御報恩御講・広布唱題会参加の徹底」に向かってどれほど尽力し、どの程度の成果を出すことができたか。それを確認し、さらに年末に向けていよいよがんばっていきましょう。

 大聖人様が本抄に、

仏になる道は、必ず身命を()つるほどの事ありてこそ、仏にはなり候らめ

と示された御言葉を()みしめ、近くは本年の目標、遠くには平成二十一年に向け、御法主日顕上人猊下より賜った御命題の達成のために一層の信力・行力を振り絞って精進していきましょう。