大白法・平成14年2月1日刊(第590号より転載)御書解説(101)―背景と大意
文永八(1271)年九月十二日、極楽寺良観と平左衛門尉頼綱の策謀により、竜の口において大聖人様が斬首の難に
本抄は、その竜の口の法難から九日後の同年九月二十一日、御年五十歳の大聖人様が、
冒頭に、竜の口の法難における金吾殿の殉死の覚悟に、謝意を表せられています。続いて、過去世において妻子・
そして再び、金吾殿が大聖人様と生死を共にしようとされたことに、中国の忠臣と名高い
また末尾では、この後、佐渡に
はじめに大聖人様は、
「日蓮過去に妻子・所領・
と仰せです。すなわち、これまで妻子や財産などに命を捨てたことは数え切れないが、未だにその苦しみから逃れることなく、同じ生死の苦をくり返しているのは、これまで一度も、法華経の故に難を忍び命を捨てたことがないことによると仰せです。換言すれば、信心のために難に値うことが成仏の道であり、またその国土が仏土となることを明かされているのです。
その理由について、
「経に云はく『十方仏土の中には、
と、十方仏土において真実の法は一つしかなく、それは法華経であることを仰せです。このことは、仏様の化導の真意が、法華経の一法をもってすべての衆生を等しく成仏させることにあったということです。
故に、法華経を離れるならば、真実の悟りはなく、苦を脱する具体的な方法は見つかりません。私たちはあくまでも、正法を持つ生活の中に現実が存し、そこに充実した人生が開かれることを認識していくべきです。特に現今においては、三十万総登山達成を目的として、そのための活動を日々行じていく中に、大きな果報が生じることを確信して、実践してまいりましょう。
法華経の『神力品』には、法華経安置の所とその行者の住所が、諸仏の生所・得度・転法輪・入涅槃の所であると説かれています。これは法華経が、諸仏をも成仏せしめた唯一の根本法であると共に、諸仏が成道したすべての功徳が法華経に具わっていることを意味します。
また大聖人様は、
「釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す。我等此の五字を受持すれば
と、今末法においては妙法蓮華経の御本尊受持こそが成仏の法であると仰せです。
故に、御本尊のおわすところ、また御本尊のための行をなすところは仏土であると共に、御本尊を持つ姿即仏身を成就することになるのです。まして正法護持、広宣流布のための忍難弘通は、特に難事であることから、その功が
そこで大聖人様は、本抄において法華経の故に難に値った場所、特に死罪に値われた竜の口こそが、仏土であることを明かされています。事実、大聖人様は御本仏としてこの法難において上行日蓮として
大聖人様は、
「
と仰せになり、成仏の功徳を積むときには、必ず難があることを仰せです。
私たちも、三十万総登山推進のための啓蒙や折伏において、様々な困難が起きたときこそ
大聖人様が本抄を認められたきっかけは、何よりも、竜の口の法難における金吾殿の信心を賞賛されるためです。
故に、まず冒頭に金吾殿の
「かゝる日蓮に
と仰せになられています。
弘演とは、中国春秋時代、衛の国の支配者である懿公に仕えた臣下のことです。懿公は即位九年目のとき、隣国の
ここに大聖人様は、弘演と同じ主従関係に生きる金吾殿に、弘演の故事から、信心における重要な御指南をされています。すなわち、
その後の金吾殿は、
「慈無くして
との御訓誡に基づき、江間氏と真実の主従関係を結ぶために、忠臣として折伏し、やがて大きな信頼を得るに至りました。
本宗の信心は、主師親の三徳を兼備される大聖人様に対し奉り、臣下として、弟子として、子としていかにお応え申し上げるべく振る舞うかということにあります。
金吾殿は、大聖人様の弟子として、一人師匠が正法のために処刑されるのを
「日蓮霊山にまいりて、まづ四条金吾こそ、法華経の御故に日蓮と
と、成仏保証の御指南まで与えられて、その信心を絶賛されています。
私たちも、大聖人様の
現在、私たちは、本年の宗旨建立七百五十年の三十万総登山完遂に向かって、果敢なる信行を展開しています。しかし、それが進めば進むはど、強力な
魔は常に、その人の弱いところを突いて、
そしてここに、信心の故に難に値うことの必要な理由も、未来成仏のために磐石な信心を築くことにあることが明らかです。
私たちは、
「命限り有り、惜しむべからず。遂に願ふべきは仏国なり云云」(同488頁)
との御金言を拝して、仏国土建設のための三十万総登山に、自身の未来永劫の成仏がかかっていることを自覚して、全力を注いでいこうではありませんか。