大白法・平成14年2月1日刊(第590号より転載)御書解説(101)―背景と大意

四条金吾殿御消息(478頁)

 

 一、御述作の由来

 文永八(1271)年九月十二日、極楽寺良観と平左衛門尉頼綱の策謀により、竜の口において大聖人様が斬首の難に()われたとき、直ちに駆けつけた四条金吾殿は、刑場まで大聖人様のお供をしました。さらに金吾殿はこのとき、大聖人様が処刑されるならば、自分も殉死(じゅんし)する覚悟でいました。ところが、不思議な光り物の出現によって、大聖人様は斬首を逃れ、その後、佐渡配流(はいる)になる十月十日までの間、本間邸に預かりの身となりました。

 本抄は、その竜の口の法難から九日後の同年九月二十一日、御年五十歳の大聖人様が、逗留(とうりゅう)先の依智(えち)(現在の神奈川県厚木市北部)・本間六郎左衛門尉重連の館から鎌倉の金吾殿に、竜の口の法難の際における至誠に対して、賞賛と感謝の意を伝えるために(したた)められたものです。

 二、本抄の大意

 冒頭に、竜の口の法難における金吾殿の殉死の覚悟に、謝意を表せられています。続いて、過去世において妻子・眷属(けんぞく)・所領のためには幾度も命を捨ててきたが、法華経の故に身命を捨てたのでなければ決して成仏できないことを示し、このたび竜の口において大聖人様が死罪に処せられたことによって、常寂光(じょうじゃっこう)の仏果を成就したと述べられています。

 そして再び、金吾殿が大聖人様と生死を共にしようとされたことに、中国の忠臣と名高い弘演(こうえん)よりも百千万倍(すぐ)れていると、その功の(ひい)でていることを仰せです。

 また末尾では、この後、佐渡に遠流(おんる)されようとも、今までのように必ず諸天に守護される確信を吐露(とろ)され、金吾殿の心配を払われて本抄を結ばれています。

 三、拝読のポイント

 妙法に生きることは真実に生きること

 はじめに大聖人様は、

 「日蓮過去に妻子・所領・眷属(けんぞく)等の故に身命を捨てし所いく()ばく()かありけむ(中略)然れども法華経のゆへ、題目の難にあらざれば、捨てし身も(こうむ)る難等も成仏のためならず。成仏のためならざれば、捨てし海・河も仏土にもあらざるか

と仰せです。すなわち、これまで妻子や財産などに命を捨てたことは数え切れないが、未だにその苦しみから逃れることなく、同じ生死の苦をくり返しているのは、これまで一度も、法華経の故に難を忍び命を捨てたことがないことによると仰せです。換言すれば、信心のために難に値うことが成仏の道であり、またその国土が仏土となることを明かされているのです。

 その理由について、

 「経に云はく『十方仏土の中には、(ただ)一乗の法のみ有り』と、此の意なるべきか。此の経文に一乗法と説き給ふは法華経の事なり。十方仏土の中には法華経より外は全くなきなり。『仏の方便の説をば除く』と見えたり

と、十方仏土において真実の法は一つしかなく、それは法華経であることを仰せです。このことは、仏様の化導の真意が、法華経の一法をもってすべての衆生を等しく成仏させることにあったということです。

 故に、法華経を離れるならば、真実の悟りはなく、苦を脱する具体的な方法は見つかりません。私たちはあくまでも、正法を持つ生活の中に現実が存し、そこに充実した人生が開かれることを認識していくべきです。特に現今においては、三十万総登山達成を目的として、そのための活動を日々行じていく中に、大きな果報が生じることを確信して、実践してまいりましょう。

 法華経故の難に成仏の因

 法華経の『神力品』には、法華経安置の所とその行者の住所が、諸仏の生所・得度・転法輪・入涅槃の所であると説かれています。これは法華経が、諸仏をも成仏せしめた唯一の根本法であると共に、諸仏が成道したすべての功徳が法華経に具わっていることを意味します。

 また大聖人様は、

 「釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す。我等此の五字を受持すれば自然(じねん)に彼の因果の功徳を譲り与へたまふ」(御書653頁)

と、今末法においては妙法蓮華経の御本尊受持こそが成仏の法であると仰せです。

 故に、御本尊のおわすところ、また御本尊のための行をなすところは仏土であると共に、御本尊を持つ姿即仏身を成就することになるのです。まして正法護持、広宣流布のための忍難弘通は、特に難事であることから、その功が(こと)に勝れることは言うまでもありません。

 そこで大聖人様は、本抄において法華経の故に難に値った場所、特に死罪に値われた竜の口こそが、仏土であることを明かされています。事実、大聖人様は御本仏としてこの法難において上行日蓮として(かり)の姿を払い、三世諸仏の根元たる本地「久遠元初自受用報身如来」の御境界を顕されたのです。

 大聖人様は、

 「しを()()ると()つと、月の出づるといると、夏と秋と、冬と春とのさかひには必ず相違する事あり。凡夫の仏になる又かくのごとし。必ず三障四魔と申す(さわ)りいできたれば、賢者はよろこび、愚者は退くこれなり」(御書1184頁)

と仰せになり、成仏の功徳を積むときには、必ず難があることを仰せです。

 私たちも、三十万総登山推進のための啓蒙や折伏において、様々な困難が起きたときこそ落胆(らくたん)せず、成仏のための大きな功徳が積める難事であると自覚し、喜々として強盛な信心に励んでいくべきです。

 四条金吾殿に習う師弟相対の信心

 大聖人様が本抄を認められたきっかけは、何よりも、竜の口の法難における金吾殿の信心を賞賛されるためです。

 故に、まず冒頭に金吾殿の篤信(とくしん)を誉められ、また中ほどにおいては、

 「かゝる日蓮にとも()なひて、法華経の行者として腹を切らんとの給ふ事、かの弘演(こうえん)が腹を()いて主の懿公(いこう)きも()を入れたるよりも、百千万倍すぐれたる事なり

と仰せになられています。

 弘演とは、中国春秋時代、衛の国の支配者である懿公に仕えた臣下のことです。懿公は即位九年目のとき、隣国の(てき)人に殺され、無惨にも肝を出して死んでいました。他国の使いから帰ってきた弘演は、これを見て号泣(ごうきゅう)するも、主人の恥を隠そうと、自らの腹を切って腸を出し、かわりに懿公の肝を入れて死にました。これ以後、弘演は臣下の(かがみ)として歴史に名を刻んだのです。

 ここに大聖人様は、弘演と同じ主従関係に生きる金吾殿に、弘演の故事から、信心における重要な御指南をされています。すなわち、(いつわ)りのない忠誠心が臣下の命であると同じく、純粋な信仰心こそが法華経修行の要諦(ようてい)であることを示され、故に竜の口における金吾殿の殉死の覚悟が、まさに法華経のために命を捨てる信心を決定したものとして、弘演に勝れること百千万倍であると絶賛されているのです。

 その後の金吾殿は、

 「慈無くして(いつわ)り親しむは、是れ彼が怨なり」(御書577頁)

との御訓誡に基づき、江間氏と真実の主従関係を結ぶために、忠臣として折伏し、やがて大きな信頼を得るに至りました。

 本宗の信心は、主師親の三徳を兼備される大聖人様に対し奉り、臣下として、弟子として、子としていかにお応え申し上げるべく振る舞うかということにあります。

 金吾殿は、大聖人様の弟子として、一人師匠が正法のために処刑されるのを看過(かんか)できず、生死を共にしようとされました。大聖人様は、その金吾殿の深志に対して、

 「日蓮霊山にまいりて、まづ四条金吾こそ、法華経の御故に日蓮とをな()じく腹切らんと申し候なりと申し上げ候べきぞ

と、成仏保証の御指南まで与えられて、その信心を絶賛されています。

 私たちも、大聖人様の御命(ぎょめい)たる三十万総登山の年に当たり、今自分に求められていることは何か、自分は何をすべきかということを、常に御題目を唱えながら考えて、時に(かな)った信心をしていくことが大事です。

 四、結  び

 現在、私たちは、本年の宗旨建立七百五十年の三十万総登山完遂に向かって、果敢なる信行を展開しています。しかし、それが進めば進むはど、強力な三障(さんしょう)四魔(しま)が競い起こることは間違いありません。

 魔は常に、その人の弱いところを突いて、(とん)(じん)()の三毒を起こさせ、退転させようとします。ですから、どんなことがあっても自身の信心を破らないためには、命をも惜しまない(いさぎよ)い信心に立ち、三障四魔に犯される三毒の根を断つことが必要です。

 そしてここに、信心の故に難に値うことの必要な理由も、未来成仏のために磐石な信心を築くことにあることが明らかです。

 私たちは、

 「命限り有り、惜しむべからず。遂に願ふべきは仏国なり云云」(同488頁)

との御金言を拝して、仏国土建設のための三十万総登山に、自身の未来永劫の成仏がかかっていることを自覚して、全力を注いでいこうではありませんか。