四条金吾殿御消息   文永八年九月二一日  五〇歳

 

第一章 発迹顕本の義を明かす

-478-
 度々の御音信(おとずれ)申しつくしがたく候。さてもさても去ぬる十二日の難のとき、貴辺たつ()くち()まで()れさせ給ひ、しかのみならず腹をきらんと仰せられし事こそ、不思議とも申すばかりなけれ。

 日蓮過去に妻子・所領・眷属(けんぞく)等の故に身命を捨てし所いく()ばく()かありけむ。或は山にすて、海にすて、或は河、或はいそ()等、路のほとり()か。然れども法華経のゆへ、題目の難にあらざれば、捨てし身も(こうむ)る難等も成仏のためならず。成仏のためならざれば、捨てし海・河も仏土にもあらざるか。

 今度法華経の行者として流罪・死罪に及ぶ。流罪は伊東、死罪はたつのくち。相州のたつのくちこそ日蓮が命を捨てたる処なれ。仏土におと()るべしや。其の故はすでに法華経の故なるがゆへなり。経に云はく「十方仏土の中には、(ただ)一乗の法のみ有り」と、此の意なるべきか。此の経文に一乗法と説き給ふは法華経の事なり。十方仏土の中には法華経より外は全くなきなり。「仏の方便の説をば除く」と見えたり。若し然らば日蓮が難に()う所ごとに仏土なるべきか。裟婆世界の中には日本国、日本国の中には相模の国、相模の国の中には片瀬、片瀬の中には
-479-
竜口(たつのくち)に、日蓮が命をとゞめをく事は、法華経の御故なれば寂光土ともいうべきか。神力品に云はく「若しは林中に於ても、若しは園中に於ても、若しは山谷曠(せんごくこう)()にても、是の中に乃至般涅槃したまふ」とは是か。

第二章 金吾の至誠を讃嘆す

 かゝる日蓮にとも()なひて、法華経の行者として腹を切らんとの給ふ事、かの弘演(こうえん)が腹を()いて主の懿公(いこう)きも()を入れたるよりも、百千万倍すぐれたる事なり。日蓮霊山にまいりて、まず四条金吾こそ、法華経の御故に日蓮とをな()じく腹切らんと申し候なりと申し上げ候べきぞ。

第三章 諸天の加護を明示す

 又かまくらどの(鎌倉殿)の仰せとて、内々佐渡の国へつか()はすべき由承り候。三光天子の中に月天子は光物(ひかりもの)とあらはれ竜口(たつのくち)(くび)たす()け、明星(みょうじょう)天子は四・五日已前に下りて日蓮に見参(げんざん)し給ふ。いま日天子ばかりのこり給ふ。定めて守護あるべきかと、たのもしたのもし。法師品に云はく「(すなわ)変化(へんげ)の人を遣はして、之が為に衛護(えご)と作さん」と、疑ひあるべからず。安楽行品に云はく「刀杖も加へず」と。普門品に云はく「刀()いで段々に()れなん」と。此等の経文よも虚事(そらごと)にては候はじ。強盛の信力こそありがたく候へ。恐々謹言。
  文永八年九月二十一日    日蓮花押
 四条金吾殿