大白法・平成10年7月1日刊(第505号より転載)御書解説(063)―背景と大意
本抄は、文永二年(1265)七月十一日、大聖人様が四十四歳の御時、鎌倉においてお
「此の文には日蓮が秘蔵の法門
と仰せのように、即身成仏、地獄即寂光の甚深の法門を説かれていることから、別名を『地獄即寂光御書』とも称されています。
本抄を賜った上野殿後家尼は、駿河国庵原郡松野に住した松野六郎左衛門の娘で、駿河国富士郡上野郷の地頭であった南条兵衛七郎に嫁いでいます。大石寺創建の功をなした南条七郎次郎時光の母であり、大聖人様より上野殿母御前、上野殿母尼御前、上野尼御前等とも呼ばれています。
後家尼は、夫の兵衛七郎との間に、五男四女の子宝に恵まれており、夫が死去したときには、二男の七郎次郎時光が七歳、五男の七郎五郎はまだ母の胎内にいましたが、子供たちを立派に養育し、純真な信心を貫いた女性でした。弘安七年(1284)五月十日に死去し、夫と同じ
南条兵衛七郎殿は、北条家の御家人であり、鎌倉へはたびたび番役などで参向していた関係から、鎌倉において大聖人様の教化を受けたと伝えられ、純真な信仰をもった人であったと言われています。
文永元年(1264)頃、兵衛七郎殿は病床にあり、十二月には大聖人様より慰労のための『南条兵衛七郎殿御書』を賜っています。しかしながら、病状は重く、翌文永二年三月八日に亡くなっています。
このとき大聖人様は、富士上野の南条家まで御下向され、墓参をされています。一家の柱と頼む夫に先立たれ、
その後、後家尼が夫の追善供養のために、大聖人様に御供養の品をお届けしたことに対し、兵衛七郎殿の冥福を祈られるとともに信心を励まされたのが本抄なのです。
冒頭に、亡き兵衛七郎殿を
「ついには
と、必ず霊山浄土で
次に、浄土と地獄について、何れも自身の生命の中にあることを教えているのが法華経であることを示し、法華経を離れて成仏はなく、法華経を受持してこそ「地獄即寂光」と悟ることができると説かれています。
この地獄即寂光の妙理を悟っているのが仏であり、それを知らずに迷っているのが凡夫であるとされ、たとえ爾前権教をどんなに修行しても、成仏の一法たる法華経を離れているならば、
「たゞいつも地獄なるべし」
と厳誡されています。
さらに、甚深の法門を聴聞し、理解したならば、ますます求道の心をもって一層の信心に励むのが真実の信仰者の在り方であると仰せられ、『
そして、浄土と地獄の住所を具体的な死にまつわる事象に即して示されながら、逆即是順の即身成仏を実際に説くのが法華経の功徳力であることを説かれています。
最後に、後家尼へ心
「心地を九識にもち、修行をば六識にせよ」
との言葉を引用し、仏道修行の在り方を指導されて結びとされています。
ポイントの第一は、浄土と地獄の住所ということです。大聖人様は、浄土や地獄の存在について、すべて自身の生命の中にあると教えているのが法華経であり、その法華経を離れては成仏はないと説かれました。
すなわち、法華経に明かされるように、私たちの生命は、理としては十界互具・一念三千の当体であることから、苦悩の極致である地獄も仏の住みたもう浄土も「我等がむね」の間にあるのであり、法華経を正しく信ずるか否かによって、その住所は浄土にも地獄にもなると仰せです。このことを地獄即寂光といい、この妙理を悟っているのが仏であり、それを知らずに迷っているのが凡夫であるとされています。
これは、念仏宗などの爾前の諸経が凡夫の住む娑婆世界を
第二は、求道の在り方を示されていることです。大聖人様は、
「これをきかせ給ひて後はいよいよ信心をいたさせ給へ。法華経の法門をきくにつけて、なをなを信心を
と仰せのように、大聖人様の仏法を学び実践する上で、「これでよし」という安易な考えを持ってはならないということです。というのも、もし、そういう心を持てば、それはすでに慢心であり、信心の成長は、その瞬間から止まってしまうからです。
『聖人御難事』に、
「月々日々に
と仰せのように、魔の付け入ることのなきよう生涯にわたって仏法を聴聞し、法門を知ろうとする求道の精神こそ、日蓮正宗を信仰する者の不変の姿勢であらねばなりません。
第三は、仏道修行の在り方を示されていることです。大聖人様は、天台宗の古徳の言葉を引かれて、
「心地を九識にもち、修行をば六識にせよ」
と仰せです。九識・六識というのは、天台宗などで説く法門で、人間の意識作用を分析し、無意識層の奥にまで広がる生命構造の重層性を明かしたものです。
六識とは
この古徳の言葉を、本宗の仏道修行に当てはめるならば、「心地を九識にもち」とは信心の一念を御本尊に
私たちは、日々の仏道修行を怠ることなく励んでいくことの大事を深く銘記してまいりたいものです。
大聖人様が本抄に引用された「従藍而青」とは、「青は藍より出でて、しかも藍よりも青し」の意です。
藍は、青色の染料を得るための植物ですが、藍自体はそれほど濃い色ではありません。しかし、この藍から絞った液に布を
大聖人様は、仏道修行の在り方をこの藍の性質に
さて、平成十四年に向けての新たな前進が開始されました。このときに、正法を受持する私たちの信心を試みようとする障魔が競うことは必定です。とりわけ魔の軍勢である池田創価学会は、あらゆる手段をもって信行を
私たちは、障魔の