大白法・平成21年7月1日刊(第768号より転載)御書解説(160)―背景と大意
本書は、文応元(1260)年七月十六日、日蓮大聖人様が三十九歳の御時に、
本書が著わされた由縁は、『安国論奥書』によると、
「去ぬる正嘉元年太歳丁巳八月二十三日
と記されているように、正嘉元(1257)年8月23日、戌亥の刻(午後九時頃)に起こった大地震を発端としています。この地震は鎌倉幕府の事跡を記した史書『
さらに、大聖人様が
大聖人様は、打ち続く
初めに、近年より近日に至るまで
さらに、これらの不幸と混乱と苦悩を招いている
しかし、もし正法に帰依しなければ、七難のうち未だ起きていない
大聖人様の御生涯は『立正安国論』の実践に終始されたのであり、『立正安国論』こそ大聖人御化導の根本と言われています。
本書の題号である「立正安国」とは、内容と目的とを端的に表現された語であり、「立正」とは、正しい仏法を立てること、「安国」とは、国を安んずることをいいます。
総本山第二十六世日寛上人は、
「立正とは破邪に対するの言なり」(御書文段4頁)
と仰せになり、正法を立てるときには、必ず邪教に対する破折が伴うことをお示しです。
この謗法を
さらに日寛上人は、
「立正の両字は三箇の秘法を含むなり」(同6頁)
と仰せになり、「立正」の二字に、本門の本尊と戒壇と題目の三大秘法を含むことをお示しです。このことは本書において、邪宗邪義に対する破折を
「
と仰せの「実乗の一善」に帰依していくことであり、末法における一切衆生を真に正しく導くところの三大秘法総在の本門の本尊を指していることは明白です。
次に「安国」とは、立正によって顕現する果報、
「
と仰せられる、立正に基づく安国の大利益ともいうべき
「文は
と仰せられています。本書は、大聖人御在世の日本の国を
私たちは、大聖人様の三大秘法の正法を信仰することを通して自分を磨き、さらに世の中の人々を教化して破邪顕正の道を示し、正法の功徳を一切の人々に及ぼし、共に仏道を成就していくことこそ、立正安国に向けての最善の生き方であることを銘記して励んでまいりましょう。
私たちの周りを見るとき、自己中心的な風潮が
大聖人様は、
「世
と仰せのごとく、この世に起こる種々の災難の根本原因は、多くの人たちが邪宗邪義を信じて、正法を
このことは末法の今日において、「
のいずれもが強盛になるからです。この濁世を根本的に浄化する具体的な方法について大聖人様は、
「早く天下の
と仰せですが、このことについて御法主日如上人猊下は、
「世間には、池田創価学会や様々な邪宗教がはびこっており、その邪義に惑わされた人達や、そうした邪宗教に浸りきっている人達が大勢おります。特に池田創価学会に対しては、日顕上人は『現代の一凶』と断ぜられております。こうした人達に対して、不幸の根源は謗法にあることを知らしめ、謗法を責め、謗法を破折し、その謗法から救っていくことが大事であり、これが我々の自行化他にわたる信心であります」(大白法691号)
と仰せです。謗法こそが国土や人心を破壊する根本原因であることを教えられ、謗法を破折し、邪教に身を置く人たちを法華真実の正法である大聖人様の仏法に帰依せしめることの大事をお示しです。
大聖人様は、末法の一切衆生を無間地獄の苦から救うところの三大秘法の正法を建立され、南無妙法蓮華経の大
日寛上人は、
「邪法を退治するは即ち是れ報恩(中略)正法を弘通するは即ち是れ
とお示しです。真実の報恩行とは、まさに不惜身命の信心をもって、邪法を退治し、正法を弘通することにほかなりません。
私たちは、甚深なる仏恩を報じていくために、邪法に迷える多くの人たちを折伏し、「地涌倍増」の御命題達成を期してまいりましょう。
いよいよ今月は『立正安国論』正義顕揚七百五十年を記念する大法要、そして七万五千名大結集総会が開催されます。
御法主日如上人猊下は、総本山において開催される七万五千名大結集総会の意義について、
「この総本山に結集した全国七万五千名の法華講の精鋭が、大御本尊様の御前において、新たに広布の誓いを立て、『立正安国論』の御理想実現へ向けて、勇躍として大折伏戦を展開していけば、自他共の幸せはもちろん、必ず世の中を変え、仏国土を築いていくことができるのであります」(大白法758号)
と仰せであり、大結集総会に集う七万五千名の法華講の精鋭については、
「広布の使命に燃え、一天四海本因妙広宣流布の願業達成を目指して、一身をなげうって広布に尽くす死身弘法の法華講員のことであります。いわば、広布の戦士であります」(同763号)
とお示しです。私たちは、いかなる困難にも
立正安国論記念展図録より転載
| 和暦(西暦) | 月日 | 聖寿 | 大聖人御事跡・関連事項 |
|---|---|---|---|
| 建長五(1253) | 3月28日 | 32 | 安房清澄寺に宗旨建立の内証を宣示 |
| 4月28日 | 安房清澄寺に立教開示 | ||
| 草庵を鎌倉松葉ケ谷に構える | |||
| 建長六(1254) | 1月10日 | 33 | 鎌倉大火 |
| 5月9日 | 鎌倉大風 | ||
| 建長八(1256) | 8月6日 | 35 | 鎌倉大風・洪水 |
| 9月1日 | 疫病(赤斑瘡)流行 | ||
| 正嘉元(1257) | 8月1日 | 36 | 鎌倉大地震 |
| 8月23日 | 鎌倉大地震【正嘉の大地地震】 | ||
| 正嘉二(1258) | 1月17日 | 37 | 鎌倉火災 |
| 2月 | 駿河岩本実相寺に大蔵経を閲す | ||
| 6月24日 | 鎌倉異常気象による寒気 | ||
| 8月1日 | 大風雨。諸国の田園損亡 | ||
| 10月16日 | 鎌倉大雨・洪水 | ||
| 正元元(1259) | 春 | 38 | 大飢饉・大疫病 |
| 文応元(1260) | 4月29日 | 39 | 鎌倉大火 |
| 6月1日 | 鎌倉大風雨・洪水 | ||
| 7月16日 | 『立正安国論』を幕府に奉呈【第一国諌】 | ||
| 8月27日 | 松葉ケ谷法難 | ||
| 弘長元(1261) | 5月12日 | 40 | 伊豆配流 |
| 文永元(1264) | 11月11日 | 43 | 小松原法難 |
| 文永二(1265) | 6月 | 44 | 鎌倉大雨 |
| 文永四(1267) | 5月29日 | 46 | 京都長雨・洪水 |
| 文永五(1268) | 閏1月18日 | 47 | 蒙古国牒状鎌倉到着 |
| 文永六(1269) | 12月8日 | 48 | 『立正安国論』を書写し奥書す |
| 文永七(1270) | 冬 | 49 | 房総諸国に疫病流行 |
| 文永八(1271) | 9月12日 | 50 | 平頼綱を諌む【第二国諌】 |
| 9月12日 | 竜口法難 | ||
| 文永九(1272) | 2月15日 | 51 | 二月騒動【自界叛逆難】 |
| 文永十一(1274) | 4月8日 | 53 | 平頼綱に見参【第三国諌】 |
| 4月12日 | 鎌倉大風 | ||
| 10月5日 | 蒙古襲来(文永の役)【他国侵逼難】 | ||
| 健治三(1277) | 56 | 疫病流行 | |
| 弘安元(1278) | 57 | 『立正安国論』〔建治の広本〕を再治す | |
| 弘安四(1281) | 4月28日 | 60 | 鎌倉大風 |
| 5月21日 | 蒙古襲来(弘安の役)【他国侵逼難】 | ||
| 初度天奏(園城寺申状を日興上人に付し、日目上人が代奏) | |||
| 弘安五(1282) | 9月25日 | 61 | 池上にて『立正安国論』を講ず |