大白法・令和7年7月1日刊(第1128)より転載
報恩抄 平成新編御書(1005頁12行目~1007頁6行目)
本山本門寺開創七百年記念法要の砌
令和五年十一月八日
於 香川県三豊市・本山本門寺 (ウキペディア)
例せば国の長とある人、東を西といゐ、天を地といゐいだしぬれば万民はかくのごとくに心うべし。後にいやしき者出来して、汝等が西は東、汝等が天は地なりといわばもちうることなき上、我が長の心に叶はんがために今の人をのりうちなんどすべし。いかんがせんとはをぼせしかども、さてもだすべきにあらねば、光宅寺の法雲法師は謗法によて地獄に堕ちぬとのゝしらせ給ふ。其の時南北の諸師はちのごとく蜂起し、からすのごとく烏合せり。智顗法師をば頭をわるべきか国をうべきか、なんど申せし程に、陳主此をきこしめして南北の数人に召し合わせて、我と列座してきかせ給ひき。法雲法師が弟子等慧栄・法歳・慧曠・慧恆なんど申せし僧正・僧都已上の人々百余人なり。各々悪口を先とし、眉をあげ眼をいからし手をあげ拍子をたゝく。 而れども智顗法師は末座に坐して、色を変ぜず言を誤らず威儀しづかにして諸僧の言を一々に牒をとり、言ごとにせめかへす。をしかへして難じて云はく、抑法雲法師の御義に第一華厳・第二涅槃・第三法華と立てさせ給ひける証文は何れの経ぞ、慥かに明らかなる証文を出ださせ給へとせめしかば、各々頭をうつぶせ色を失ひて一言の返事なし。重ねてせめて云はく、無量義経に正しく「次説方等十二部経・摩訶般若・華厳海空」等云云。仏、我と華厳経の名をよびあげて、無量義経に対して未顕真実と打ち消し給う。法華経に劣りて候無量義経に華厳経はせめられて候。いかに心えさせ給ひて、華厳経をば一代第一とは候ひけるぞ。各々御師の御かたうどせんとをぼさば、此の経文をやぶりて、此に勝れたる経文を取り出だして、御師の御義を助け給へとせめたり。又涅槃経を法華経に勝ると候ひけるは、いかなる経文ぞ。涅槃経の第十四には華厳・阿含・方等・般若をあげて、涅槃経に対して勝劣は説かれて候へども、またく法華経と涅槃経との勝劣はみへず。次上の第九の巻に法華経と涅槃経との勝劣分明なり。所謂経文に云はく「是の経の出世は乃至法華の中の八千の声聞、記莂を受くることを得て大菓実を成ずるが如し、秋収冬蔵して更に所作無きが如し」等云云。経文明らかに諸経をば春夏と説かせ給ひ、涅槃経と法華経とをば菓実の位とは説かれて候へども、法華経をば秋収冬蔵大菓実の位、涅槃経をば秋の末冬の始め捃拾の位と定め給ひぬ。此の経文、正しく法華経には我が身劣ると、承伏し給ひぬ。法華経の文には已説・今説・当説と申して、此の法華経は前と並びとの経々に勝れたるのみならず、後に説かん経々にも勝るべしと仏定め給ふ。すでに教主釈尊かく定め給ひぬれば疑ふべきにあらねども、我が滅後はいかんがと疑ひおぼして、東方宝浄世界の多宝仏を証人に立て給ひしかば、多宝仏大地よりをどり出でて「妙法華経皆是真実」と証し、十方分身の諸仏重ねてあつまらせ給ひ、広長舌を大梵天に付け又教主釈尊も付け給ふ。然して後、多宝仏は宝浄世界えかへり十方の諸仏各々本土にかへらせ給ひて後、多宝・分身の仏もをはせざらんに、教主釈尊、涅槃経をといて法華経に勝ると仰せあらば、御弟子等は信ぜさせ給ふべしやとせめしかば、日月の大光明の修羅の眼を照らすがごとく、漢王の剣の諸侯の頚にかヽりしがごとく、両眼をとぢ一頭を低れたり。天台大師の御気色は師子王の狐兎の前に吼えたるがごとし、鷹鷲の鳩雉をせめたるににたり。かくのごとくありしかば、さては法華経は華厳経・涅槃経にもすぐれてありけりと震旦一国に流布するのみならず、かへりて五天竺までも聞こへ、月氏大小の諸論も智者大師の御義には勝たれず、教主釈尊両度出現しましますか、仏教二度あらわれぬとほめられ給ひしなり。
(御書1005頁12行目~1007頁6行目)
本日は、本山本門寺開創七百年記念法要が、厳粛かつ盛大に奉修され、まことにおめでとうございます。
今般、本山本門寺開創七百年記念法要に当たり、お招きをいただき当山へ参りましたが、住職をはじめ皆様方には、いよいよ強盛に自行化他の信心に励まれ、御精進のことと、まことに喜びにたえません。
さて、讃岐の皆様方には既に御承知のことでありますが、讃岐本門寺は「本門寺縁起」によれば、御開山・第二祖日興上人の高足、上蓮坊(のちの百貫坊)日仙上人により、元亨三(1323)年に開創されたと伝えられています。
以後、第二代住職・日寿師以下、歴代住職は寺域の興隆発展に努め、文安(1444~1449)から文明(1469~1487)のころ、室町中・後期には塔中十乃至、十ニカ坊以上を数える大寺院となったのであります。
しかし、江戸時代初期には、重須本門寺(現在の北山本門寺=静岡県富士宮市北山)の奸策により、幕府の介入を受けて重須本門寺の末寺とされた上、寺号を「法華寺」と変えられたまま明治に至りました。けれども、その不遇な時代にあっても、讃岐の方々は本門戒壇の大御本尊まします総本山大石寺を忘れることなく、浄信を貫き、昭和二十一年四月十二日、塔中八カ坊、末寺二カ寺と共に、晴れて日蓮正宗に帰一し、再度「本門寺」と寺号を公称するに至ったのであります。
こうした歴史を拝し、讃岐御一門の方々の七百年にわたる、本門戒壇の大御本尊に対する渇仰恋慕の強盛なる信心に、改めて心から敬意を表するものであります。
さて、本日はただいま拝読申し上げました『報恩抄』の御文について、少々申し上げたいと思います。
『報恩抄』につきましては、初め、九
州・大分市の妙祥寺においてお話をさせていただいて以来、各地での親教の折にお話をしてまいりましたが、今回、讃岐本門寺におきましても、引き続き、『報恩抄』の御文についてお話ししたいと思いますので、よろしく聴聞されますように、お願いをいたします。
つきましては、最初に『報恩抄』の大要について申し上げます。
既に皆様も御承知の通り、『報恩抄』 は建治二(1276)年七月二十一日、
宗祖日蓮大聖人御年五十五歳の時、旧師・道善房の逝去の報を聞き、追善供養のために認められ、出家当時の兄弟子に当たる清澄寺の浄顕房ならびに義浄房の両人へ送られた御抄であります。また
『報恩抄』は、御書十大部ならびに五大部のーつに数えられている重要御書であります。
そこで、当抄の大意について総括的に申し上げますと、最初に通じて四恩、すなわち父母の恩・師匠の恩・三宝の恩・国王の恩を報じ、別して旧師・道善房の恩を報ずべきことを明かされ、大恩を報ずるためには、必ず仏法を習い究めて智者となることが肝要とされ、そのために
は出家して一代聖教を学ばなければならないとされています。
しかし、一代聖教を学ぶ明鏡となるべき十宗、すなわち倶舎宗・成実宗・律宗・法相宗・三論宗・華厳宗・天台宗・真言宗・浄土宗・禅宗が、それぞれ自宗の正当性を主張しているために、いずれが仏の本意か解らず、そこでインド、中国、日本の各宗の教義を挙げて、一代聖教のなかでは法華経が最勝であり、法華経の肝心は題目にあることを示され、さらに末法の法即人の本尊と、題目と、戒壇の三大秘法を整足して明かされているのであります。
なかんずく真言密教を破折され、天台座主でありながら真言に転落した、延暦寺第三代の慈覚と第五代の智証について厳しく破折されているのであります。
最後に、三大秘法を流布し、一切衆生を救済することが師の大恩を報ずる道であると明かされているのであります。
本抄の大意についてあらあら申し上げましたが、続いて、ただいま拝読いたしました御文に入ります。
初めに「例せば国の長とある人、東を西といゐ、天を地といゐいだしぬれば万民はかくのごとくに心うべし。後にいやしき者出来して、汝等が西は東、汝等が天は地なりといわばもちうることなき上、我が長の心に叶はんがために今の人をのりうちなんどすべし。いかんがせんとはをぼせしかども、さてもだすべきにあらねば、光宅寺の法雲法師は謗法によて地獄に堕ちぬとのゝしらせ給ふ。其の時南北の諸師はちのごとく蜂起し、からすのごとく烏合せり」と仰せでありますが、ただいま拝読した御文の前文を拝しますと、中国・南北朝時代の僧である天台大師は、涅槃宗の祖師である光宅寺法雲が一切経のなかに「華厳経第一、涅槃経第二、法華経第三」と立てた経説が、あまりにも不審であったので、それを確認するために華厳経を特に詳しく研究され、また、あらゆる経書を御覧なされた結果、法雲が立てた華厳経第一、涅槃経第二、法華経第三の説は誤りであり、一切経のなかには「法華経第一、涅槃経第二、華厳経第三」であると仰せられているのであります。
しこうして、天台大師は「釈尊の聖教は多く中国に渡ってきたが、少しも人々を利益することがない。かえって一切衆生を悪道に導くことになった。これはひとえに、仏教を解釈した人師達の誤りによるものである」と仰せられているのです。
まさしく、
「あしくうやまはゞ国亡ぶべし」(御書1066頁)
と仰せの如く、いかに正しい法であっても、信じ行ずる者が正しくなければ功徳善根を積むことはできないと仰せられているのであります。
そして、続いてただいま拝読した御文に入り、例えば「国の長」すなわち一国の指導者が、東を西と言い、天を地であると言い出せば、万民は皆、それに従うであろう。ところが、それよりのちに身分の卑しい者が出てきて「あなた方の信ずる西は、実は東であり、天と思っているのは地である」などと言ったら、万民はその卑しい者の言葉を用いないばかりか、かえって長の心に迎合して、その者を罵り、打擲するようなものであろう。そこで、天台大師は、どうしたものであろうかと考えられたのでありますが、これは到底、黙っているべきではないから「光宅寺の法雲法師は謗法によって地獄に堕ちた」と厳しく批難されたのであります。
しかし、その時に「南北の諸師」すなわち南三北七の十師は、あたかも蜂の巣をつついた如くに騒然となり、カラスが群れるように集まって、天台大師を攻撃したのであります。
つまり、当文は、天台大師が光宅寺法雲の邪義を破折し、法華第一の正義を確立されたことに対して、南三北七の諸師が騒然とした様子を仰せられているのであります。
次に「智顗法師をば頭をわるべきか国をうべきか、なんど申せし程に、陳主此をきこしめして南北の数人に召し合わせて、我と列座してきかせ給ひき。法雲法師が弟子等慧栄・法歳・慧曠・慧恆なんど申せし僧正・僧都已上の人々百余人なり。各々悪口を先とし、眉をあげ眼をいからし手をあげ拍子をたゝく。 而れども智顗法師は末座に坐して、色を変ぜず言を誤らず威儀しづかにして諸僧の言を一々に牒をとり、言ごとにせめかへす。をしかへして難じて云はく、抑法雲法師の御義に第一華厳・第二涅槃・第三法華と立てさせ給ひける証文は何れの経ぞ、慥かに明らかなる証文を出ださせ給へとせめしかば、各々頭をうつぶせ色を失ひて一言の返事なし」と仰せであります。
これは、前文に引き続き、南三北七の諸師が「智顗法師」すなわち天台大師の破折に憤り、「智顗法師をば頭をわるべきか」つまり天台大師を殺してしまえとか、あるいは「国をうべきか」すなわち国から追放すべきであると、大きな声で騒ぎ立てたのであります。
そのことを聞いた陳の国王は、それら南三北七の者数人と、天台大師とを公場対決させ、自らもその場に臨んで両者の主張を聞いたのであります。
南三北七の者達は、僧正・僧都以上の位の高い者、百余人が集まりましたが、彼らは各々、ただ天台大師の悪ロを言い、眉を上げ、目を怒らし、手を上げ、拍子をたたき、大きな声を上げて騒ぐだけでありました。
しかし、天台大師は末座に座ったまま、顔色も変えず、言葉も静かに威儀を正して、その者達の言うことの一々を聞き取っては、これを責め返し、押し返したのであります。
そして逆に、彼らを難じて「法雲法師の義に、第一は華厳、第二は涅槃、第三は法華と立てられたのは、いかなる経文によるのか。確かに明らかな文証を示しなさい」と責めたので、彼らは答える術もなく、それぞれ頭を垂れ、顔色を失って、一言の返答もできなかったというのであります。
そして「重ねてせめて云はく、無量義経に正しく『次説方等十二部経・摩訶般若・華厳海空』等云云。仏、我と華厳経の名をよびあげて、無量義経に対して未顕真実と打ち消し給う。法華経に劣りて候無量義経に華厳経はせめられて候。いかに心えさせ給ひて、華厳経をば一代第一とは候ひけるぞ。各々御師の御かたうどせんとをぼさば、此の経文をやぶりて、此に勝れたる経文を取り出だして、御師の御義を助け給へとせめたり」と仰せであります。
天台大師が重ねて責めて言われるのには「無量義経には、次に『方等十二部経』すなわち方等部の経々。『摩詞般若』すなわち大品般若経。『華厳海空』すなわち華厳経を説く等と説かれてある。仏自ら、華厳経の名を挙げられて、無量義経に対して『未顕真実』と打ち消されたのである。法華経より劣るところの無量義経にすら、華厳経は責められているのである。法雲法師はこれをどのように思って、華厳経が一代中、第一などと言ったのであろうか。あなた達も、師匠である法雲法師の味方をしようとするならば、この無量義経の文を破折するところの文証を示して『御師の御義』すなわち法雲の主張を助けるべきである」と責められたのであります。
続いて「又涅槃経を法華経に勝ると候ひけるは、いかなる経文ぞ。涅槃経の第十四には華厳・阿含・方等・般若をあげて、涅槃経に対して勝劣は説かれて候へども、またく法華経と涅槃経との勝劣はみへず。次上の第九の巻に法華経と涅槃経との勝劣分明なり。所謂経文に云はく『是の経の出世は乃至法華の中の八千の声聞、記莂を受くることを得て大菓実を成ずるが如し、秋収冬蔵して更に所作無きが如し』等云云。経文明らかに諸経をば春夏と説かせ給ひ、涅槃経と法華経とをば菓実の位とは説かれて候へども、法華経をば秋収冬蔵大菓実の位、涅槃経をば秋の末冬の始め捃拾の位と定め給ひぬ。此の経文、正しく法華経には我が身劣ると、承伏し給ひぬ」と仰せであります。
天台大師はさらに、涅槃経が法華経より勝れているという経文は、いかなる経文で、その経文はどこにあるのかと責められます。
つまり「涅槃経第十四には、華厳・阿含・方等・般若の経々を挙げて、涅槃経に対して勝劣を説いているが、法華経と涅槃経との勝劣は全く見えない。ところが、涅槃経のその前の第九の巻には、法華経と涅槃経との勝劣が明らかに示されている。すなわち、涅槃経第九の文には、この涅槃経が世に出ずるのは、法華経のなかの八千の声聞が記別を受けることができて大果実を実らせるが如く、涅槃経と法華経とは同じく『菓実の位』と説かれてはいるが、なかでも法華経は『秋収冬蔵大菓実の位』であるのに対し、涅槃経はそのあとの秋の末、冬の初めの『捃拾』すなわち落ち穂拾いの位である」と定めているのであります。
したがって、この経文の如く、涅槃経自らが、我が涅槃経は法華経に劣る経典であると承伏していると言われるのであります。
次に「法華経の文には已説・今説・当説と申して、此の法華経は前と並びとの経々に勝れたるのみならず、後に説かん経々にも勝るべしと仏定め給ふ。すでに教主釈尊かく定め給ひぬれば疑ふべきにあらねども、我が滅後はいかんがと疑ひおぼして、東方宝浄世界の多宝仏を証人に立て給ひしかば、多宝仏大地よりをどり出でて『妙法華経皆是真実』と証し、十方分身の諸仏重ねてあつまらせ給ひ、広長舌を大梵天に付け又教主釈尊も付け給ふ」と仰せであります。
つまり、法華経の文には「己説・今説・当説」とあって、この法華経は法華以前の経や、法華経に並ぶように見える無量義経等にも勝れるだけではなく、のちに説かれる経々にも勝れると、釈尊は定められたのであります。
すなわち、法華経の法師品第十には、
「我が所説の経典、無量千万億にして、已に説き、今説き、当に説かん。而も其の中に於いて、此の華経経、最も為れ難信難解なり」(法華経325頁)
とあり、『法華文旬』巻八には、
「己説とは爾前の四十余年の諸経、今説は同一座席の無量義経、当説とは涅槃経を言う」(学林版文句会本中643頁取意)
と説かれています。これを己今当の三説と言い、この三説に超越した法華経を「三説超過の法華経」と言うのであります。
既に釈尊が、このように定められた上は、なんら疑うべき余地はないのですが、釈尊は滅後のことを心配されて、東方・宝浄世界の多宝仏を証人と定められたので、多宝仏は大地から躍り出て「妙法華経皆是真実」すなわち妙法蓮華経は皆、真実であると証明されたのであります。
その上に、十方分身の諸仏も集まってきて、「広長舌」つまり仏の舌が柔らかで薄く、顔を覆うほど広く長いことを示していますが、これは仏の」干二相の一つで、滔々と説く巧みな弁舌や、不妄語を表しているのであります。つまり、諸仏が広長舌を大焚天に付けて法華経に誤りなきを証明し、また教主釈尊も同じく広長舌を大楚天に付け、法華経の真実なることを宣言したということであります。
そして「然して後、多宝仏は宝浄世界えかへり十方の諸仏各々本土にかへらせ給ひて後、多宝・分身の仏もをはせざらんに、教主釈尊、涅槃経をといて法華経に勝ると仰せあらば、御弟子等は信ぜさせ給ふべしやとせめしかば、日月の大光明の修羅の眼を照らすがごとく、漢王の剣の諸侯の頚にかヽりしがごとく、両眼をとぢ一頭を低れたり。天台大師の御気色は師子王の狐兎の前に吼えたるがごとし、鷹鷲の鳩雉をせめたるににたり」と仰せであります。
このように多宝仏の証明と、十方分身諸仏の広長舌相が示されたあと、多宝は本土の宝浄世界へ帰られ、十方分身の諸仏も各々の本土に帰られました。
このあと天台大師は、多宝仏も十方分身の諸仏も、だれもいない所で、釈尊が一人、涅槃経を説かれて「涅槃経は法華経に勝れる」と仰せられても、はたして弟子達はこれを信ずるであろうかと責められました。
責められた法雲の弟子らは、日月の大光明が修羅の眼を照らすが如く射すくめられ、また漢の高祖の剣が、諸侯の首を切らんとかかった如くに両眼を閉じ、頭を垂れて聞き入ったのであります。
その時の天台大師の威容は、あたかも師子王が狐や兎の前で吠えるが如く、鷹や鷲が、鳩や雉を捕まえようとするのに似ていたと言われるのであります。
最後に「かくのごとくありしかば、さては法華経は華厳経・涅槃経にもすぐれてありけりと震旦一国に流布するのみならず、かへりて五天竺までも聞こへ、月氏大小の諸論も智者大師の御義には勝たれず、教主釈尊両度出現しましますか、仏教二度あらわれぬとほめられ給ひしなり」と仰せであります。
このように、天台大師が法雲の弟子らを論破されたことがあって初めて世間の人々は、法華経は華厳経や涅槃経より勝れているのだということを知って、「震旦一国」すなわち中国全土に流布したのみでなく、遠くインドにまで流伝したのであります。
そのために「月氏」すなわちインドの大小の論師達も、天台大師の義には勝てず、教主釈尊が二度出現されたのであろうか、はたまた仏教が再び顕れたのかと讃歎したのであると仰せられているのであります。
以上、本日、拝読申し上げた御文につきましてあらあら申し述べましたが、要は、今日の如き国内外共に混沌とした状況を見る時、今こそ私達は、末法の御本仏宗祖日蓮大聖人の正しい教えをもって一切衆生を救済すべく、全力を傾注して妙法広布へ尽くしていかなければならないのであります。
特に今、宗門は「折伏躍動の年」と銘打って、全講中が一丸となって折伏誓願達成を目指して日夜、懸命に大折伏戦を展開しております。
昨今の国内外の状況を見ますると、新型コロナウイルス感染症や、ウクライナとロシアの情勢、異常気象など、末法濁悪の世相そのままに混沌とした様相を呈しています。
これらを仏法の鏡に照らして見る時、その混乱と争いの原因は、ひとえに邪義邪宗の謗法の害毒にあることを私どもはしっかりと見極め、今こそ全力を傾注して破邪顕正の折伏を行じていかなければなりません。
大聖人様は『立正安国諭』に、
「汝早く信仰の寸心を改めて速やかに実乗の一善に帰せよ。然れば則ち三界は皆仏国なり、仏国其れ衰へんや。十方は悉く宝土なり、宝土何ぞ壊れんや。国に衰微無く土に破壊無くんば身は是安全にして、心は是禅定ならん。此の詞此の言信ずべく崇むべし」(御書250頁)
と仰せられ、また、
「早く天下の静謐を思はゞ須く国中の謗法を断つべし」(同247頁)
と仰せであります。
されば、今こそ私どもは、一人ひとりがしっかりと題目を唱え、その功徳と歓喜と断固たる決意を持って、講中一結・異体同心して一人でも多くの人々に本因下種の妙法を下種し、破邪顕正の折伏を行じて、もって真の世界平和実現と一人ひとりの幸せを願い、一層の努力をしていかなければなりません。
大聖人様は『聖愚間答抄』
「今の世は濁世なり、人の情もひがみゆがんで権教謗法のみ多ければ正法弘まりがたし。此の時は読誦・書写の修行も観念・工夫・修練も無用なり。只折伏を行じて力あらば威勢を以て謗法をくだき、又法門を以ても邪義を責めよとなり。取捨其の旨を得て一向に執する事なかれ」(同403頁)
と仰せであります。
どうぞ、皆様方にはこの御金言を拝し、一人ひとりが真の世界平和と全人類の幸せを願い、大御本尊様への絶対の確信と断固たる決意、そして果敢なる行動をもって敢然として破邪顕正の折伏を行じ、もって一天広布を目指して、いよいよ御精進されますよう心から願い、はなはだ簡単ではありますが、本日の法話といたします。
(文責在大日蓮編集室)