秋元御書   弘安三年一月二七日  五九歳

別名『筒御器抄』

 

第一章 完器に寄せて全き信心を説く

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 筒御器一具付三十、並びに盞付六十、送り給び候ひ畢んぬ。
 御器と申すはうつはものと読み候。大地くぼければ水たまる、青天浄ければ月澄めり、月出でぬれば水浄し、雨降れば草木昌へたり。器は大地のくぼきが如し。水たまるは池に水の入るが如し。月の影を浮かぶるは法華経の我等が身に入らせ給ふが如し。器に四つの失あり。一には覆と申してうつぶけるなり。又はくつがへす、又は蓋をおほふなり。二には漏と申して水もるなり。三には・と申してけがれたるなり。水浄けれども糞の入りたる器の水をば用ふる事なし。四には雑なり。飯に或は糞、或は石、或は沙、或は土なんど雑へぬれば人食らふ事なし。器は我等が身心を表はす。我等が心は器の如し。口も器、耳も器なり。法華経と申すは、仏の智慧の法水を我等が心に入れぬれば、或は打ち返し、或は耳に聞かじと左右の手を二つの耳に覆ひ、或は口に唱へじと吐き出だしぬ。譬へば器を覆するが如し。或は少し信ずる様なれども又悪縁に値ひて信心うすくなり、或は打ち捨て、或は信ずる日はあれども捨つる月もあり。是は水の漏るが如し。或は法華経を行ずる人の、一口は南無妙法蓮華経、一口は南無阿弥陀仏なんど申すは、飯に糞を雑へ沙石を入れたるが如し。法華経の文に「但大乗経典を受持することを楽ふて、乃至余経の一偈をも受けざれ」等と説くは是なり。世間の学匠は法華経に余行を雑へても苦しからずと思へり。日蓮もさこそ思ひ候へども、経文は爾らず。譬へば后の大王の種子を孕めるが、又民ととつげば王種と民種と雑りて、天の加護と氏神の守護とに捨てられ、其の国破るゝ縁となる。父二人出で来たれば王にもあらず、民にもあらず、人非人なり。法華経の大事と申すは是なり。種・熟・脱の法門、法華経の肝心なり。
 
 筒御器一具を三十、並に盞六十を送っていただいた。
 御器というものは「うつわもの」と読むのである。大地が窪んでいれば、水がたまり、青天が浄ければ、月は澄む。月が出ると水は浄く見え、雨が降ると草木は栄える。器は大地の窪みのようなものであり、そこに水がたまるのは、池に水が入ったようなものである。その水面に月の影を浮かべるのは、法華経が我等の身に入ったようなものである。
 器には失がある。一つは覆といって、うつぶせることであり、又はくつがえすこと、又は蓋をおおうことである。二には漏といって水がもれることである。三には汀といってけがれていることである。水が浄らかでも、糞の入った器の水を用いることはない。四には雑である。飯にあるいは糞・あるいは石・あるいは沙・あるいは土などを雑えるならば、人は食べることはない。
 また器は、我等の身心を表している。我等の心は器のようなものであり、口も器・耳も器である。法華経というものは、仏の智慧の法水であるが、それを我等が心に入れると、あるいは打ち返し、あるいは耳に聞くまいと左右の手で二つの耳を覆い、あるいは口に唱えまいと吐き出すのは、たとえば器を覆すようなものである。
 あるいは少し信ずるようであっても、また悪縁にあって信心が薄くなり、あるいは打ち捨て、あるいは信ずる日はあっても、捨てる月もある。これは水の漏れるようなものである。
 あるいは法華経を修行する人が、一口は南無妙法蓮華経、一口は南無阿弥陀仏などというのは飯に糞を雑え、沙や石を入れたようなものである。法華経の文に「ただ大乗経典を受持することを願って、乃至余経の一偈をも受けてはならない」等と説かれるのはこれである。世間の学匠は、法華経に余行を雑えても、さしつかえないと思っている。日蓮も一往そのように思うけれども、経文はそうではない。たとえば大王の種子を妊んだ后がまた民にとついだならば、王種と民種と雑って、諸天の加護と氏神の守護とに捨てられ、その国が破れる縁となる。父が二人できれば、王でもなく民でもない人非人となる。
 法華経の大事というのはこのことである。種熟脱の法門は法華経の肝心である。 
(★1448㌻)
 三世十方の仏は必ず妙法蓮華経の五字を種として仏に成り給へり。南無阿弥陀仏は仏種にはあらず。真言五戒等も種ならず。能く能く此の事を習ひ給ふべし。是は雑なり。此の覆・漏・汙・雑の四つの失を離れて候器をば完器と申してまたき器なり。塹・つゝみ漏らざれば水失せる事なし。信心のこゝろ全ければ平等大慧の智水乾く事なし。今此の筒の御器は固く厚く候上、漆浄く候へば、法華経の御信力の堅固なる事を顕はし給ふか。毘沙門天は仏に四つの鉢を進らせて、四天下第一の福天と云はれ給ふ。浄徳夫人は雲雷音王仏に八万四千の鉢を供養し進らせて妙音菩薩と成り給ふ。今法華経に筒御器三十、盞六十進らせて、争でか仏に成らせ給はざるべき。
 
 三世十方の仏は必ず妙法蓮華経の五字を種子として仏になったのである。南無阿弥陀仏は仏種ではない。真言や小乗の五戒等も仏種ではない。よくよくこの事を習っていきなさい。これは雑である。
 この覆・漏・汀・雑の四の失のない器を完器といって、全き器である。塹の堤が漏れなければ、水が失くなる事はない。信心の心が全ければ、平等大慧の智慧の水は乾くことはない。
 今あなたが供養されたこの筒の御器は、固く厚いうえに、漆も浄らかなので、法華経の御信力が堅固であることを顕しているのであろう。
 毘沙門天は仏に四つの鉢を供養して四天下第一の福徳の多い天といわれた。浄徳夫人は雲雷音王仏に八万四千の鉢を供養されて妙音菩薩となられた。今、あなたは、法華経に筒御器三十と、盞六十を供養されたのであるから、どうして仏にならないことがあろうか。

 

第二章 「四箇の格言」による値難を示す

 抑日本国と申すは十の名あり。扶桑・野馬台・水穂・秋津洲等なり。別しては六十六箇国島二つ、長さ三千余里、広さは不定なり。或は百里、或は五百里等。五畿・七道、郡は五百八十六、郷は三千七百二十九、田の代は上田一万一千一百二十町乃至八十八万五千五百六十七町、人数は四十九億八万九千六百五十八人なり。神社は三千一百三十二社、寺は一万一千三十七所、男は十九億九万四千八百二十八人、女は二十九億九万四千八百三十人なり。其の男の中に只日蓮第一の者なり。何事の第一とならば、男女に悪まれたる第一の者なり。其の故は日本国に国多く人多しと云へども、其の心一同に南無阿弥陀仏を口ずさみとす。阿弥陀仏を本尊とし、九方を嫌ひて西方を願ふ。設ひ法華経を行ずる人も、真言を行なふ人も、戒を持つ者も、智者も愚人も、余行を傍として念仏を正とし、罪を消さん謀は名号なり。故に或は六万・八万・四十八万返、或は十返・百返・千返なり。而るを日蓮一人、阿弥陀仏は無間の業、禅宗は天魔の所為、真言は亡国の悪法、律宗持斎等は国賊なりと申す故に、上一人より下万民に至るまで父母の敵・宿世の敵・謀叛・夜討・強盗よりも、或は畏れ、或は瞋り、或は詈り、或は打つ。是をる者には所領を与へ、是を讃むる者をば其の内を出だし、或は過料を引かせ、殺害したる者をば褒美なんどせらるゝ上、両度まで御勘気を蒙れり。    さて、日本国というのは十の名がある。扶桑・野馬台・水穂・秋津洲等である。別しては六十六箇国と島二つで、長さは三千余里、広さは一定ではなく、あるいは百里あるいは五百里等である。五畿・七道で郡は五百八十六、郷は三千七百二十九、田は上田が一万一千一百二十町・乃至八十八万五千五百六十七町、人数は四百九十八万九千六百五十八人でる。神社は三千一百三十二社、寺は一万一千三十七所で、男は百九十九万四千八百二十八人、女は二百九十九万四千八百三十人である。
 その男の中で日蓮は第一の者である。何事の第一かといえば男女に憎まれたことが第一である。そのわけは日本国に国が多く人が多いといっても、その心は一様に南無阿弥陀仏を称え、阿弥陀仏を本尊とし、九方を嫌って西方極楽浄土を願っている。たとえ、法華経を修行する人も、真言を行ずる人も、戒律を持つ者も、智者も、愚人も念仏以外の修行を傍として念仏を正とし、罪を消すための修行は弥陀の名号を称えることだと思っている。ゆえに六万・八万・四十八万遍、あるいは十遍・百遍・千遍と称えている。
 そのようなところに日蓮一人だけが、阿弥陀仏を称えるのは無間の業因であり、禅宗は天魔の所為であり、真言は亡国の悪法であり、律宗や持斎等は国賊であるというがゆえに、上は国主から下は万民にいたるまで、父母の敵・宿世の敵・謀叛人・夜討・強盗よりも恐れ、瞋ったり、あるいは詈つたり、あるいは打ったりするのである。そして、日蓮を謗る者には所領を与え、日蓮を讃める者ところを追放したり、あるいは罰金を科し、殺害した者には褒美を与えるなどとされたうえ、二度まで流罪にされたのである。 
 当世第一の不思議の者たるのみならず、人王九十代、
(★1449㌻)
仏法渡りては七百余年なれども、かゝる不思議の者なし。日蓮は文永の大彗星の如し、日本国に昔より無き天変なり。日蓮は正嘉の大地震の如し、秋津洲に始めての地夭なり。
   日蓮は当世において最も不思議な者というだけでなく、人王九十代の間、仏法が日本に渡ってから七百余年ではあるけれども、このように不思議な者はいない。
 日蓮は文永の大彗星のようなものである。日本国に昔から今までなかった天変である。日蓮は正嘉の大地震のようなものである。日本国始まって以来の地夭である。

 

第三章 古今に超過する値難の理由を明かす

 日本国に代始まりてより已に謀叛の者二十六人。第一は大山の王子、第二は大山の山丸、乃至、第二十五人は頼朝、第二十六人は義時なり。二十四人は朝に責められ奉り、獄門に首を懸けられ、山野に骸を曝す。二人は王位を傾け奉り国中を手に拳る。王法既に尽きぬ。此等の人々も日蓮が万人に悪まれたるには過ぎず。其の由を尋ぬれば法華経には「最第一」の文あり。然るを弘法大師は法華最第三、慈覚大師は法華最第二、智証大師は慈覚の如し。今叡山・東寺・園城寺の諸僧、法華経に向かひては法華最第一と読めども、其の義をば第二第三と読むなり。公家と武家とは子細は知ろしめさねども、御帰依の高僧等皆此の義なれば師檀一同の義なり。其の外禅宗は教外別伝云云。法華経を蔑如する言なり。念仏宗は「千中無一、未有一人得者」と申す。心は法華経を念仏に対して挙げて失ふ義なり。律宗は小乗なり。正法の時すら仏免し給ふ事なし、況んや末法に是を行じて国主を誑惑し奉るをや。姐己・妹喜・褒似の三女が三王を誑かして代を失ひしが如し。かゝる悪法国に流布して法華経を失ふ故に、安徳・尊成等の大王、天照太神・正八幡に捨てられ給ひて、或は海に沈み、或は島に放たれ給ひ、相伝の所従等に傾けられ給ひしは、天に捨てられさせ給ふ故ぞかし。法華経の御敵を御帰依有りしかども、是を知る人なければ其の失を知る事もなし。「智人は起を知り蛇は自ら蛇を識る」とは是なり。日蓮は智人に非ざれども、蛇は竜の心を知り、烏の世の吉凶を計るが如し。    日本国に代が始まってからこれまで、謀叛の者は二十六人いる。第一は大山の王子、第二は大石の山丸、乃至、第二十五人目は頼朝、第二十六人目は北条義時である。前の二十四人は朝は責められて獄門に首を懸けられ、山野に骸を曝した。後の二人は王位を滅ぼし、国の実権を手に握った。王法は既に尽きてしまった。これらの人々も日蓮が万人に憎まれたのには及ばない。その理由を尋ねてみると、法華経には「最第一」の文がある。それを弘法大師は「法華経は最第三」とし、慈覚大師は「法華経は最第二」としている。智証大師は慈覚と同様である。今、比叡山や東寺や園城寺の諸僧は法華経に向っては「法華経は最第一」と読んでいるけれども、その義は「第二・第三である」と読んでいる。公家と武家は詳しいことは知らないのだが、帰依している高僧等が、皆この義であるので師と檀那ともに同じ誤りにおちている。その他、禅宗は「教外に別伝す」といっている。法華経を蔑にする言葉である。念仏宗は「千の中、一つも無し。未だ一人も得る者有らず」といっている。その意は、法華経を念仏に対して高い教えで衆生には理解できないと持ち上げながら排斥するのである。律宗は小乗である。正法時代の時でさえ仏は許されることはなかった。ましてや末法の時代にこれを行じて国主を惑わすことをお許しになるはずがない。妲己と妹喜と褒似の三人の女性が三人の王を誑らかして代を亡ぼしたようなものである。このような悪法が国に流布して法華経を滅失したために、安徳や尊成等の大王は天照太神と正八幡菩薩に見捨てられて、あるいは海に沈んだり、あるいは島に流されたりしたのである。代々仕えてきた臣下等に滅ぼされたのは諸天に捨てられたがゆえである。法華経の御敵に帰依されたのであるが、これを知って教える人がいなかったので、その過の深さを知ることがなかったのである。「智人は物事の起こりを知り、蛇は自ら蛇を識っている」というのはこれである。
 此の事計りを勘へ得て候なり。此の事を申すならば須臾に失に当たるべし。申さずば又大阿鼻地獄に堕つべし。    日蓮は智人ではないけれども、蛇が竜の心を知り、烏の世の吉凶を予知するように、このことを考察してきたのである。このことをいうならば、たちまちに咎を受けるであろうし、いわないならば、また大阿鼻地獄に堕ちるにちがいない。

 

第四章 謗人の相を示す

 法華経を習ふには三の義有り。一には謗人、勝意比丘・苦岸比丘・無垢論師・大慢婆羅門等が如し。彼等は三衣を身に纒ひ、一鉢を眼に当てゝ、二百五十戒を堅く持ちて、而も大乗の讐敵と成りて無間大城に堕ちにき。今日本国の弘法・慈覚・智証等は持戒は彼等が如く智慧は又彼の比丘に異ならず。但大日経真言第一、
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法華経第二第三と申す事、百千に一つも日蓮が申す様ならば無間大城にやおはすらん。此の事は申すも恐れあり。増して書き付くるまでは如何と思ひ候へども、法華経最第一と説かれて候に、是を二・三等と読まん人を聞いて、人を恐れ国を恐れて申さずば「是即ち彼が怨なり」と申して、一切衆生の大怨敵なるべき由、経と釈とにのせられて候へば申し候なり。人を恐れず代を憚らずと云ふ事「我不愛身命、但惜無上道」と申すは是なり。不軽菩薩の悪口杖石も他事に非ず、世間を恐れざるに非ず。唯法華経の責めの苦なればなり。例せば祐成・時宗が大将殿の陣の内を簡ばざりしは、敵の恋しく恥の悲しかりし故ぞかし。此は謗人なり。
   法華経を習学しるには三つの義を心得ておく必要がある。一には謗人である。勝意比丘・苦岸比丘・無垢論師・大慢婆羅門等のような人々である。彼等は三衣を身に纒い、一鉢を掲げて、二百五十戒を堅く持っておりながら、しかも大乗の讎敵となって無間大城に堕ちてしまった。今、日本国の弘法・慈覚・智証等は戒を持つことは彼等のようであり、智慧はまた彼等と異ならない。ただし「大日経真言第一・法華経第二・第三」といっていることは、百千に一つでも日蓮がいう通りであるならば、無間大城にいることであろう。このことは言うことも恐れ多いし、まして書き述べることはどうかと思ったけれども、法華経が最第一と説かれているのに、これを第二・第三等と読む人を聞いて知っていながら、人を恐れ国を恐れて いわなければ「即ち是れ彼が怨なり」といって一切衆生の大怨敵となるであろうということが経と釈とに説かれているので言うのである。人を恐れず世を憚からず言う事は、法華経勘持品第十三も「我、身命を愛せず。但、無上の道を惜しむ」という実践である。不軽菩薩が悪口され杖や石で打たれたのも、よそごとではない。世間を恐れないのではない。ただ、法華経の責めが厳しいからである。たとえば曾我祐成と時致が大将殿の陣の内であるからと遠慮もせずに仇討をしたのは、敵を打ち取りたいと思う心が切で仇を晴らせないという恥を残すことがかなしかったゆえであった。これは謗人である。

 

第五章 謗家の相を示す

 謗家と申すは都て一期の間、法華経を謗ぜず、昼夜十二時に行ずれども、謗家に生まれぬれば必ず無間地獄に堕つ。例せば勝意比丘・苦岸比丘の家に生まれて、或は弟子と成り、或は檀那と成りし者共が心ならず無間地獄に堕ちたる是なり。譬へば義盛が方の者、軍をせし者はさて置きぬ、腹の内に有りし子も産むを待たれず、母の腹を裂かれしが如し。今日蓮が申す弘法・慈覚・智証の三大師の法華経を正しく無明の辺域、虚妄の法と書かれて候は、若し法華経の文実ならば、叡山・東寺・園城寺・七大寺・日本一万一千三十七所の寺々の僧は如何が候はんずらん。先例の如くならば無間大城疑ひ無し。是は謗家なり。    謗家というのは一生のあいだ法華経を誹謗せず、昼夜十二時に修行しても、謗法の家に生れれたならば必ず無間地獄に堕ちるのである。例えば、勝意比丘や苦岸比丘の家に生まれて弟子となったり、檀那となったりした者達が意に反して無間地獄に堕ちるということはこれである。譬えば和田義盛の一族の者は、軍をした者はさて置いて、腹の中にあった子も生まれるのを待たずに母の腹を切り裂かれて殺されたようなものである。今、日蓮がいうところの弘法と慈覚と智証の三大師が法華経をまさしく無明の辺域だの偽り法だのと書いているが、もし法華経の文が真実ならば比叡山・東寺・園城寺・七大寺・日本の一万一千三十七ヵ所の寺々の僧は、どうなることであろう。先例のとおりであるならば無間大城に堕ちることは疑いない。これは謗家である。

 

第六章 謗国の相を示す

 謗国と申すは、謗法の者其の国に住すれば其の一国皆無間大城になるなり。大海へは一切の水集まり、其の国は一切の禍集まる。譬へば山に草木の滋きが如し。三災月々に重なり、七難日々に来たる。飢渇発これば其の国餓鬼道と変じ、疫病重なれば其の国地獄道となる。軍起これば其の国修羅道と変ず。父母・兄弟・姉妹を簡ばず、妻とし、夫と憑めば其の国畜生道となる。死して三悪道に堕つるにはあらず。現身に其の国四悪道と変ずるなり。此を謗国と申す。    謗国というのは、謗法の者がその国に住んでいれば、その国中の皆が無間大城に堕ちることになるのである。大海へ一切の水が集まるように、その国には一切の禍が集まるのである。譬えば、山に草木が繁るようなものである。三災は月々に度重なり、七難は日々に起こってくる。飢饉が起こればその国は餓鬼道と変わり、伝染病が度重なれば、その国は地獄道となる。戦争が起これば、その国は修羅道と変わる。父母や兄弟や姉妹を弁えずして妻としたり、夫としていくならば、その国は畜生道となるのである。死んで三悪道に堕ちるのではなく、現実の姿においてその国が四悪道と変わるのである。これを謗国という。
 例せば大荘厳仏の末法、師子音王仏の濁世の人々の如し。又報恩経に説かれて候が如きんば、過去せる父母・兄弟・姉妹一切の人死せるを食し、又生きたるを食す。今日本国亦復是くの如し。真言師・
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禅宗・持斎等人を食する者国中に充満せり。是偏に真言の邪法より事起これり。竜象房が人を食らひしは万が一つ顕はれたるなり。彼に習ひて人の肉を或は猪鹿に交へ、或は魚鳥に切り雑へ、或はたゝき加へ、或はすしとして売る。食する者数を知らず。皆天に捨てられ、守護の善神に放されたるが故なり。結句は此の国他国より責められ、自国どし打ちして、此の国変じて無間地獄と成るべし。日蓮此の大なる失を兼ねて見し故に、与同罪の失を脱れんが為、仏の呵責を思ふ故に、知恩報恩の為国の恩を報ぜんと思ひて、国主並びに一切衆生に告げ知らしめしなり。
   例えば大荘厳仏の末法や師子音王仏の濁世の人々のようなものである。また報恩経に説かれているとおりであるならば、亡くなった父母や兄弟や姉妹をはじめ一切の人の死んだのを食べ、また生きたものを食べるのである。
 今、日本国もまたそのとおりでる。真言師や禅宗や持斎等で人を食べる者は国中に充満している。これはひとえに真言の邪法から起こったのである。竜象房が人を食べたのは万のうち一が露顕したのである。彼に見習って人の肉を、あるいは猪や鹿の肉に交えたり、あるいは叩き加えたり、あるいは鮨として売ったりしている。食べた者は数知れない。皆、諸天に見捨てられ、守護の善神に見放されたためである。結局はこの国は他国から責められ、自国では同士打ちをして、この国自体が変わって無間地獄となってしまうであろう。日蓮はこの大なる失をかねてから知見していたゆえに、与同罪の失を脱れんがために、また仏の呵責を思うゆえに、そして知恩・報恩のため国の恩を報じようと思って、国主並びに一切衆生に告げ知らせたのである。

 

第七章 謗法治罰の功徳と安国の方途示す

 不殺生戒と申すは一切の諸戒の中の第一なり。五戒の初めにも不殺生戒、八戒・十戒・二百五十戒・五百戒・梵網の十重禁戒・華厳の十無尽戒・瓔珞経の十戒等の初めには皆不殺生戒なり。儒家の三千の禁めの中にも大辟こそ第一にて候へ。其の故は「遍満三千界、無有直身命」と申して、三千世界に満つる珍宝なれども命に替る事はなし。蟻子を殺す者尚地獄に堕つ、況んや魚鳥等をや。青草を切る者猶地獄に堕つ、況んや死骸を切る者をや。是くの如き重戒なれども、法華経の敵に成れば此を害するは第一の功徳と説き給ふなり、況んや供養を展ぶべきをや。故に仙予国王は五百人の法師を殺し、覚徳比丘は無量の謗法者を殺し、阿育大王は十万八千の外道を殺し給ひき。此等の国王・比丘等は閻浮第一の賢王、持戒第一の智者なり。仙予国王は釈迦仏、覚徳比丘は迦葉仏、阿育大王は得道の仁なり。今日本国も又是くの如し。持戒・破戒・無戒・王臣・万民を論ぜす、一同の法華経誹謗の国なり。設ひ身の皮をはぎて法華経を書き奉り、肉を積んで供養し給ふとも、必ず国も滅び、身も地獄に堕ち給ふべき大なる科あり。唯真言宗・念仏宗・禅宗・持斎等の身を禁めて法華経によせよ。    不殺生戒というのは一切の諸戒の中の第一である。五戒の初めにも不殺生戒があり、八戒・十戒・二百五十戒・五百戒・梵網経の十重禁戒・華厳の十無尽戒・瓔珞経の十戒等の初めにも皆不殺生戒が置かれている。儒家で説く三千の刑罰のなかにも死刑が第一になっている。そのわけは「三千界に徧満するとも、身命に直うこと無し」といって三千世界に満ちる珍宝をもってしても命に替えりことはできない。蟻の子を殺す者でさえ地獄に堕ちる。ましてや魚や鳥を殺す者はなおさらである。青草を切る者でさえ地獄に堕ちる。ましてや死骸を切る者はなおさらである。
 このような重い戒ではあるけれども、法華経の敵に成ると説くには、これを殺害するのは第一の功徳であると説かれているのである。ましてや供養を行ってよいことがあろうか。故に仙予国王は五百人の法師を殺し、覚徳比丘は無量の謗法の者を殺し、阿育大王は十万八千の外道を殺したのである。
 これらの国王や比丘等は世界第一の賢王であり、持戒第一の智者である。仙予国王は釈迦仏となり、覚徳比丘は迦葉仏となった。阿育大王は得道の人である。
 今、日本国もまた同様である。持戒・破戒・無戒・王臣万民を、みなおなじく法華経を誹謗している国である。たとえ、身の皮を剥いで法華経を書写し、肉を積んで供養したとしても、必ず国も滅び身も地獄に堕ちるべき大きな科があるのである。ただ真言宗・念仏宗・禅宗・持斎等を禁じて、法華経に帰依しなさい。

 

第八章 真言に堕した天台宗を呵責する

 天台の六十巻を空に浮かべて国主等には智人と思はれたる人々の、或は智の及ばざるか、或は知れども世を恐るゝかの故に、或は真言宗をほめ、或は念仏・禅・律等に同ずれば、彼等が大科には百千超へて候。例せば成良・義村等が如し。慈恩大師は玄賛十巻を造りて法華経を讃めて地獄に堕つ。此の人は太宗皇帝の御師、玄奘三蔵の上足、
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十一面観音の後身と申すぞかし。音は法華経に似たれども、心は爾前の経に同ずる故なり。嘉祥大師は法華玄十巻を造りて、既に無間地獄に堕つべかりしが、法華経を読む事を打ち捨てゝ、天台大師に仕へしかば、地獄の苦を脱れ給ひき。
   天台の六十巻を暗記して国主等には智人と思われている人々が、あるいは知っていながら世間を恐れているゆえか、真言宗を誉めたり、あるいは念仏宗や禅宗や律宗等に与していることは、彼らが罪科よりも百千超えている。
 例えば、田村成良や三浦義村等のようなものである。慈恩大師は法華玄賛十巻を造って、法華経を讃嘆して地獄に堕ちている。
 それは、この人は太宗皇帝の御師である玄奘三蔵の高弟であり、十一面観音の後身といわれた人である。
 説いてることは法華経のようではあるけれども、心は爾前経に同じていたからである。
 嘉祥大師は法華玄論十巻を造って、もう少しで無間地獄に堕ちるところであったが、我見で法華経を読むことを止めて天台大師に仕えたので地獄の苦を脱れられた。
 今法華宗の人々も又是くの如し。比叡山は法華経の御住所、日本国は一乗の御所領なり。而るを慈覚大師は法華経の座主を奪ひ取りて真言の座主となし、三千の大衆も又其の所従と成りぬ。弘法大師は法華宗の檀那にて御坐します嵯峨の天皇を奪ひ取りて、内裏を真言宗の寺と成せり。安徳天皇は明雲座主を師として、頼朝の朝臣を調伏せさせ給ひし程に、右大将殿に罰せらるゝのみならず、安徳は西海に沈み、明雲は義仲に殺され給ひき。尊成王は天台座主慈円僧正、東寺御室並びに四十一人の高僧等を奉請し下し、内裏に大壇を立てゝ義時右京権大夫殿を調伏せし程に、七日と申せし六月十四日に洛陽破れて王は隠岐国、或は佐渡島に遷さらる、座主・御室は或は責められ、或は思ひ死に給ひき。世間の人々此の根源を知る事なし。此偏に法華経・大日経の勝劣に迷へる故なり。今も又日本国、大蒙古国の責めを得て、彼の不吉の法を以て御調伏を行なはると承る。又日記分明なり。此の事を知らん人争でか歎かざるべき。    今の法華宗の人々もまた同様である。比叡山は法華経の道場であり、日本国は一乗法華経が治めるべき国土である。それを慈覚大師は比叡山の法華経の座主を奪い取って真言の座主とし、三千人の大衆もまたその従者となった。弘法大師は法華宗の檀那であられた嵯峨天皇を奪い取って、内裏を真言宗の寺としてしまった。安徳天皇は明雲座主を師として頼朝の朝臣を調伏せられたところ、右大将殿に罰せられただけでなく、安徳天皇は西海に沈み、明雲は義仲に殺されてしまった。尊成王は天台座主の慈円僧正や東寺・御室等の四十一人の高僧等に命じられて、内裏に大壇を築いて右京の権の大夫殿を調伏したところ、七日目の六月十四日に京都は破れて、上皇方は、あるいは隠岐の国あるいは佐渡の島に流され、座主や御室はあるいは責められ、あるいは思いつめて死んだりした。世間の人々はこの根源を知らない。これはひとえに法華経と大日経の勝劣に迷ったことにある。今もまた、日本国は大蒙古国から責められて、かの不吉の真言の法をもって御調伏されると承っている。また日記にも明かである。このことを知る人はどうして嘆かずにいられようか。

 

第九章 謗国等の三失を脱れる方途を説く 

 悲しいかな、我等誹謗正法の国に生まれて大苦に値はん事よ。設ひ謗身は脱ると云ふとも、謗家謗国の失如何せん。謗家の失を脱れんと思はゞ、父母兄弟等に此の事を語り申せ。或は悪まるゝか、或は信ぜさせまいらするか。謗国の失を脱れんと思はゞ、国主を諌暁し奉りて死罪か流罪かに行なはらるべきなり。「我不愛身命、但惜無上道」と説かれ「身軽法重、死身弘法」と釈せられしは是なり。過去遠々劫より今に仏に成らざりける事は、加様の事に恐れて云ひ出ださゞりける故なり。未来も亦復是くの如くなるべし。今日蓮が身に当たりてつみ知られて候。設ひ此の事を知る弟子等の中にも、当世の責めのおそろしさと申し、露の身の消え難きに依りて、或は落ち、或は心計りは信じ、或はとかうす。御経の文に「難信難解」と説かれて候が身に当たって貴く覚え候ぞ。謗ずる人は大地微塵の如し。信ずる人は爪上の土の如し。謗ずる人は大海、
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進む人は一渧なり。
    我等が誹謗正法の国に生れて大苦にあうことは、なんと悲しいことか。たとえ謗身は脱れても、謗家と謗国の失はどうしたものか。謗家の失を脱れようと思うならば、父母や兄弟等にこの事を話して聞かせなさい。憎まれるか、あるいは信じさせられるかであろう。謗国の失を脱れようと思うならば、国主を諌暁して死罪か流罪かに処せられるべきである。法華経勧持品第十三に「我、身命を愛せず・但、無上の道を惜しむ」と説かれ、章安大師の涅槃経疏に「身は軽く法は重し。身を死して法を弘む」と釈されているのはこれである。過去遠遠劫から今にいたるまで仏にならなかったのは、このようなことがあったときに恐れて言い出さなかったゆえである。未来もまた、同様であろう。今、日蓮自身の身をもって知ることができるのである。この事を知る弟子等の中にも、現在の世の責めの恐ろしさから、また露のようにはかない身でありながら消えてしまうようにみえない現実の生に執着し、あるいは退転し、あるいは心の中だけで信じたり、そのほかさまざまな姿を示している。法華経の文に、「信じ難く解し難し」と説かれている御文が身に当たって貴く思われる。誹謗する人は大地微塵のように多く、信ずる人は爪の上の土のように少ない。誹謗する人は大海の水のように多く、持って進む人は一滞の水のように少ない。

 

第十章 竜門の故事を挙げ、此経難持を説く

 天台山に竜門と申す所あり。其の滝百丈なり。春の始めに魚集まりて此の滝へ登るに、百千に一つも登る魚は竜と成る。此の滝の早き事矢にも過ぎ、電光にも過ぎたり。登りがたき上に、春の始めに此の滝に漁父集まりて魚を取る網を懸くる事百千重、或は射て取り、或は酌んで取る。鷲・鵰・鴟・梟・虎・狼・犬・狐集まりて昼夜に取り噉ふなり。十年二十年に一つも竜となる魚なし。例せば凡下の者の昇殿を望み、下女が后と成らんとするが如し。法華経を信ずる事、此にも過ぎて候と思し食せ。    天台山に竜門という所がある。その滝は百丈である。春の始めに魚が集まってこの滝へ登ろとするが、百千のうち一つも登れない。登った魚は竜となるのである。
 この滝の流れの速いことは矢以上であり、電光以上であった。このように滝自体が登り難いうえに、春の初めにはこの滝に漁師が集まって、魚を取る網を百千重に懸け、あるいは射て取り、あるいはすくって採る。
 また鷲・クマタカ・鴟・梟・虎・狼・犬・狐が集まって、昼夜に取って食う。そのため十年・二十年に一つも、竜となる魚はいない。例えば凡下の者が昇殿を望み、下女が后となろうとするようなものである。法華経を信ずる事はこれ以上に難しいことであると心得なさい。

 

第十一章 呵責謗法せざるは仏の禁めに違背

 常に仏禁めて言はく、何なる持戒智慧高く御坐して、一切経並びに法華経を進退せる人なりとも、法華経の敵を見て、責め罵り国主にも申さず、人を恐れて黙止するならば、必ず無間大城に堕つべし。譬へば我は謀叛を発こさねども、謀叛の者を知りて国主にも申さねば、与同罪は彼の謀叛の者の如し。南岳大師の云はく「法華経の讐を見て呵責せざる者は謗法の者なり、無間地獄の上に堕ちん」と。見て申さぬ大智者は、無間の底に堕ちて彼の地獄の有らん限りは出づるべからず。日蓮此の禁めを恐るゝ故に、国中を責めて候程に、一度ならず流罪死罪に及びぬ。今は罪も消え過も脱れなんと思ひて、鎌倉を去りて此の山に入って七年なり。    常に仏は戒めて言われている。そんなに戒律を持ち智慧が高くて一切経と法華経を自在に解する人であっても、法華経の敵を見ておきながら、責め、罵り、国主にも言わず、人を恐れて黙っているならば、必ず無間大城に堕ちるであろう、と。譬えば自分は謀叛を起さなくても、謀叛の者を知りながら国主にも言わなければ、与同罪はその謀叛の者と同じである。南岳大師は「法華経の敵を見て呵責しない者は謗法のである。無間地獄に堕ちるであろう」といわれている。見て言わない大智者は無間地獄の底に堕ちて、かの地獄の有る限り出ることはできない。日蓮はこの戒めを恐れるがゆえに国中の謗法を責めたところ、一度ならず流罪になり、・死罪にも及んだのである。今は罪も消え、過も脱れたであろうと思って、鎌倉を去ってこの山に入って七年になる。

 

第十二章 身延の山河と厳冬の様子を述ぶ

 此の山の為体日本国の中には七道あり。七道の内に東海道十五箇国、其の内に甲州飯野・御牧・三箇郷の内、波木井と申す。此の郷の内、戌亥の方に入りて二十余里の深山あり。北は身延山、南は鷹取山、西は七面山、東は天子山なり。板を四枚つい立てたるが如し。此の外を回りて四つの河あり。北より南へ富士河、西より東へ早河、此は後なり。前に西より東へ波木井河の中に一つの滝あり。身延河と名づけたり。中天竺の鷲峰山を此処に移せるか、将又漢土の天台山の来たれるかと覚ゆ。    この山の様子は次のようである。日本国の中には七道がある。七道の中には東海道十五箇国がある。その中に、甲州の飯野・御牧・波木井の三箇郷の内、波木井というこの郷の内の方に入って二十余里にわたり深山がある。北は身延山・南は鷹取山・西は七面山・東は天子山であり、板を四枚つい立てたようである。この外を回って四つの河がある。北から南へ富士河・西より東へ早河があり、これは後ろである。前には西から東へ波木井河があり、その支流に一つの滝があって身延河と名づけられている。中インドの霊鷲山をここへ移したのか、それともまた中国の天台山が移って来たのかと思うほどである。
 此の四山四河の中に、手の広さ程の平らかなる処あり。爰に庵室を結んで天雨を脱れ、木の皮をはぎて四壁とし、自死の鹿の皮を衣とし、春は蕨を折りて身を養ひ、
(★1454㌻)
秋は果を拾ひて命を支へ候ひつる程に、去年十一月より雪降り積り、改年の正月今に絶ゆる事なし。庵室は七尺、雪は一丈。四壁は氷を壁とし、軒のつらゝは道場荘厳の瓔珞の玉に似たり。内には雪を米と積む。
   この四つの山と四つの河の間に手の広さ程の平らかな所がある。
 ここに庵室を造って雨を避け、木の皮をはいで四方の壁とし、自然に死んだ鹿の皮を衣とし、春は蕨を折って身を養い、秋は果実を拾って命を支へてきたところが、去年の十一月から雪が降り積って年の改まった正月の今にいたるまで絶える事がない。
 庵室の高さは七尺なのに、雪は一丈も積もり四方の壁は冰を壁とし、軒のつららは道場を荘厳する瓔珞の玉のようである。
 室内には雪を米と代わりとして積んである。 
 本より人も来たらぬ上、雪深くして道塞がり、問ふ人もなき処なれば、現在に八寒地獄の業を身につぐのへり。生きながら仏には成らずして、又寒苦鳥と申す鳥にも相似たり。頭は剃る事なければうづらの如し。衣は氷にとぢられて鴛鴦の羽を氷の結べるが如し。かゝる処へは古へ眤びし人も問らはず、弟子等にも捨てられて候ひつるに、是の御器を給びて雪を盛りて飯と観じ、水を飲んでこんずと思ふ。志のゆく所思ひ遣らせ給へ。又々申すべく候。恐々謹言。
  弘安三年正月二十七日                日蓮花押
 秋元太郎兵衛殿御返事
   もとより人も来ないうえ、雪が深く道は塞がり、訪問する人もないところなので、現在に八寒地獄の業を身に償っている。生きながら仏には成らずに、むしろ寒苦鳥という鳥に似ている。頭は剃る事がないので鶉のようであり、衣は冰に閉ざされて鴦鴛の羽を冰が結んだようである。
 このような所へは昔から親しかった人も訪れず弟子等にも捨てられていたところ、この御器をいただいて雪を盛って飯と思い、水を飲んで重湯と思っている。志のおもむくままに、思いをめぐらせていただきたい。またまた申し上げよう。恐々謹言。
  弘安三年正月二十七日          日蓮花押
 秋元太郎兵衛殿御返事