四条金吾殿御返事 弘安二年一〇月二三日 五八歳

別名『剣形書』

第一章 金吾の存命を喜びその理由を明かす

(★1407㌻)
 先度強敵ととりあひについて御文給ひき。委しく見まいらせ候。
 
 さきごろ強敵と争いのあったことについてお手紙をいただき、くわしく拝見いたしました。
 さてもさても敵人にねらはれさせ給ひしか。前々の用心といひ、又けなげといひ、又法華経の信心つよき故に難なく存命せさせ給ふ。目出たし目出たし。    それにしても、以前から、あなたは敵人にねらわれていたのでしょう。しかし、普段からの用心といい、また勇気といい、また法華経への信心が強盛な故に、無事に存命されたことは、このうえもなくめでたいことである。
 夫運きはまりぬれば兵法もいらず。果報つきぬれば所従もしたがはず。所詮運ものこり、果報もひかゆる故なり。    いったい、福運がなくなってしまえば、兵法も役に立たなくなり、また果報が尽きてしまえば、家来も従わなくなるのである。結局、福運と果報が残っていたからである。
 ことに法華経の行者をば諸天善神守護すべきよし、嘱累品にして誓状をたて給ひ、一切の守護神・諸天の中にも我等が眼に見えて守護し給ふは日月天なり。争でか信をとらざるべき。    ことに法華経の行者に対しては、諸天善神が守護すると、法華経属累品第二十二で誓いをたてている。一切の守護神・諸天善神の中でもわれわれの眼に、はっきりとその姿が見えて守護するのは、日天と月天である。それ故どうしてこの諸天善神の守護を信じないでいられようか。
 ことにことに日天の前に摩利支天まします。日天、法華経の行者を守護し給はんに、所従の摩利支天尊すて給ふべしや。序品の時「名月天子、普光天子、宝光天子、四大天王、与其眷属万天子倶」と列座し給ふ。まりし天は万天子の内なるべし。もし内になくば地獄にこそおはしまさんずれ。    とくに、日天の前には摩利支天がいる。主君の日天が法華経の行者を守護するのに、家来の摩利支天尊が法華経の行者を見捨てることがあるだろうか。法華経序品第一の時に「名月天子・普光天子・宝光天子・四大天王有り、其の眷属万の天子と倶なり」とあるように、諸天善神は、皆列座した。摩利支天は、そこに列座した三万天子の中に入っているはずである。もしその三万天子の中にいなければ地獄に堕ちているであろう。
 今度の大事は此の天のまぼりに非ずや。彼の天は剣形を貴辺にあたへ、此へ下りぬ。此の日蓮は首題の五字を汝にさづく。法華経受持のものを守護せん事疑ひあるべからず。まりし天も法華経を持ちて一切衆生をたすけ給ふ。「臨兵闘者皆陳列在前」の文も法華経より出でたり。「若説俗間経書治世語言資生業等皆順正法」とは是なり。
   結局、この度あなたが強敵からのがれられたのは、この摩利支天の守護によるものではなかろうか。摩利支天はあなたに剣形の大事を与え、守護したのである。この日蓮は、一切の諸天善神の守るべき首題の五字をあなたに授ける。法華経受持の者を守護することは断じて疑いない。摩利支天自身も法華経を持って一切衆生をたすけるのである。剣形兵法の呪文である「兵闘に臨む者は皆陣列して前に在り」の文も結局、法華経より出たものである。法華経法師功徳品第十九に、「若し俗間の経書、治世の語言、資生の業等を説かんも、皆正法に順ぜん」とあるのはこの意である。

 

第二章 強靭な信心を勧める

 これにつけてもいよいよ強盛に大信力をいだし給へ。我が運命つきて、諸天守護なしとうらむる事あるべからず。将門はつはものゝ名をとり、兵法の大事をきはめたり。されども王命にはまけぬ。はんくわひ・ちゃうりゃうもよしなし。ただ心こそ大切なれ。いかに日蓮いのり申すとも、不信ならば、ぬれたるほくちに火をうちかくるがごとくなるべし。はげみをなして強盛に信力をいだし給ふべし。すぎし存命不思議とおもはせ給へ。なにの兵法よりも法華経の兵法をもちひ給ふべし。
(★1408㌻)
「諸余怨敵皆悉摧滅」の金言むなしかるべからず。兵法剣形の大事も此の妙法より出でたり。ふかく信心をとり給へ。あへて臆病にては叶ふべからず候。恐々謹言。
  十月二十三日        日蓮花押
 四条金吾殿御返事
   これにつけても、いよいよ妙法に対して強盛な大信力を出していきなさい。自分の福運が尽きて、諸天善神の守護がないと恨むようなことがあってはいけない。
 平将門は、武将としての名を高め兵法の大事をきわめていたが、朝廷の命令には負けてしまった。樊噲や張良のような中国の武将の力も決局かいがなかった。ただ根本は心が大切なのである。
 日蓮がいかにあなたのことを祈ったとしても、あなた自身がこの仏法を信じなければ、濡れた火口に火を打ちかけるようなもので無駄になってしまう。
 したがって、なお一層、自分自身を励まして、強盛な信力を出していきなさい。過日、強敵にあいながら、無事に助かったことは、全く御本尊の不思議な功力と思いなさい。いかなる兵法よりも法華経の信心を用いていきなさい。法華経薬王品第二十三の「諸の余の怨敵、皆悉く摧滅す」とある金言は決して空しくないであろう。兵法剣形の大事もこの妙法より出たのである。このことを深く信じていきなさい。あえて臆病では何事も叶わないのである。恐恐謹言。
  十月二十三日        日蓮花押
 四条金吾殿御返事