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(★1387㌻) 御本尊供養の御為に鵞目五貫・白米一駄・菓子其の数送り給び候ひ畢んぬ。 |
御本尊の御供養のために、お金を五貫文・白米を一駄・菓子若干をお送りくださいまして、確かに受け取りました。 |
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抑此の御本尊は在世五十年の中には八年、八年の間にも涌出品より嘱累品まで八品に顕はれ給ふなり。さて滅後には正法・像法・末法の中には、正像二千年にはいまだ本門の本尊と申す名だにもなし、何に況んや顕はれ給はんをや。又顕はすべき人なし。天台・妙楽・伝教等は内には鑑み給へども、故こそあるらめ言には出だし給はず。彼の顔淵が聞きし事、意にはさとるといへども言に顕はしていはざるが如し。 然るに仏滅後二千年過ぎて、末法の始めの五百年に出現せさせ給ふべき由、経文赫々たり明々たり。天台・妙楽等の解釈分明なり。 |
そもそも、この御本尊は、釈尊在世五十年の説法のうち、最後の八年、その八年にわたって説かれた法華経二十八品のうちでも涌出品第十五から属累品第二十三に至る八品の間に顕れたのである。さて釈迦滅後においては、正法・像法・末法の三時の中でも、正像二千年間には、いまだ本門の本尊という名前さえなかった。まして、その御本尊が顕われるはずもなく、また顕わすことのできる人もなかった。像法時代の天台・妙楽・伝教等は、自分の内心には悟っていたけれども、理由があったのであろう、言葉に出しては説かなかったのである。あたかも、顔回が、師の孔子から学んだことを、心の中では悟っていたけれども、言葉に出していわなかったのと同じである。 しかしながら、釈尊滅後二千年を過ぎて、末法の始めの五百年に、この御本尊が出現されるであろうことは、経文に、ありありと明らかに説かれている。また天台や妙楽等の解釈にも明らかに記されている。 |
| 爰に日蓮いかなる不思議にてや候らん、竜樹・天親等、天台・妙楽等だにも顕はし給はざる大曼荼羅を、末法二百余年の比、はじめて法華弘通のはたじるしとして顕はし奉るなり。是全く日蓮が自作にあらず、多宝塔中の大牟尼世尊・分身の諸仏のすりかたぎたる本尊なり。 | ここに、日蓮はどう不思議であろうか。正法時代の竜樹・天親等・像法時代の天台・妙楽等でさえ、顕わすことのなかった大曼荼羅を、末法にはいって二百余年を経たこの時に、初めて法華弘通の旗印として顕わしたのである。この大曼荼羅は、全く日蓮が勝手に作り出したものではない。法華経に出現した多宝塔中の釈迦牟尼仏、ならびに十方分身の諸仏の姿を、あたかも板木で摺りあらわした御本尊なのである。 |
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されば首題の五字は中央にかゝり、四大天王は宝塔の四方に坐し、釈迦・多宝・本化の四菩薩肩を並べ、普賢・文殊等、舎利弗・目連等座を屈し、日天・月天・第六天の魔王・竜王・阿修羅・其の外不動・愛染は南北の二方に陣を取り、悪逆の達多・愚癡の竜女一座をはり、三千世界の人の寿命を奪ふ悪鬼たる鬼子母神・十羅刹女等、加之日本国の守護神たる天照太神・八幡大菩薩・天神七代・地神五代の神々、総じて大小の神等、体の神つらなる、其の余の用の神豈もるべきや。宝塔品に云はく「諸の大衆を接して皆虚空に在り」云云。此等の仏・菩薩・大聖等、総じて序品列座の二界・八番の雑衆等、 (★1388㌻) 一人ももれず此の御本尊の中に住し給ひ、妙法五字の光明にてらされて本有の尊形となる。是を本尊とは申すなり。 |
したがって、首題の妙法蓮華経の五字は中央にかかり、四大天王は宝塔の四方に座を占めている。釈迦・多宝、更に、本化の四菩薩は肩を並べ、普賢・文殊等・舎利弗・目連等が座を屈している。更に日天・月天.第六天の魔王や、竜王・阿修羅が並び、その外、不動明王・愛染明王が南北の二方に陣を取り、悪逆の提婆達多や愚癡の竜女も一座をはり、三千世界の人の寿命を奪う悪鬼である鬼子母神や十羅刹女等、そればかりでなく、日本国の守護神である天照太神・八幡大菩薩・天神七代・地神五代の神々・すべての大小の神祇等、本体の神がこの御本尊の中に列座しているのである。それ故、そのほかの用の神がどうして、もれるはずがあろうか。宝塔品には「諸の大衆を接して、皆虚空に在り」とある。これらの仏・菩薩・大聖等、更に法華経序品の説会に列なった二界八番の雑衆等、一人ももれずに、この御本尊の中に住し、妙法蓮華経の五字の光明に照らされて、本来ありのままの尊形となっている。これを本尊というのである。 |
| 経に諸法実相と云ふは是なり。妙楽云はく「実相は必ず諸法、諸法は必ず十如乃至十界は必ず身土」云云。又云はく「実相の深理、本有の妙法蓮華経」等云云。伝教大師云はく「一念三千即自受用身、自受用身とは出尊形の仏なり」文。此の故に末曽有の大曼荼羅とは名付け奉るなり。仏滅後二千二百二十余年には此の御本尊いまだ出現し給はずと云ふ事なり。 |
法華経方便品に「諸法実相」とあるのは、このことをいうのである。妙楽大師はこの文を「実相は必ず諸法であり、諸法は必ず十如是を具えている。乃至、十界は必ず身土のうえに実在する」と解釈している。また「実相の深理とは本有の妙法蓮華経のことである」と説かれている。 伝教大師は「一念三千とは自受用身のことであり、自受用身とは、尊形を出た本有無作の仏である」と説かれている。 この故に、未曾有の大曼荼羅と名づけるのである。釈尊滅後二千二百二十余年の間には、この御本尊は、末だ出現しなかったということである。 |
| かゝる御本尊を供養し奉り給ふ女人、現在には幸ひをまねき、後生には此の御本尊左右前後に立ちそひて、闇に灯の如く、険難の処に強力を得たるが如く、彼こへまはり、此へより、日女御前をかこみまぼり給ふべきなり。相構へ相構へて、とわりを我家へよせたくもなき様に、謗法の者をせかせ給ふべし。「悪知識を捨て善友に親近せよ」とは是なり。 |
このような尊い御本尊を供養する女人は、現在には幸せを招きよせ、後生には、この御本尊が左右前後に立ちよって、あたかも闇夜に燈火を得たように、また険難な山路で強力を得たように、彼方へまわり、此処に寄りそって日女御前の周りを取り囲み護るであろう。 よくよく心を引きしめて、遊女を我が家へ寄せつけたくないと思うのと同じように、謗法の者を防がなくてはならない。「悪知識を捨てて善友に親近しなさ」というのは、このことである。 |
| 此の御本尊全く余所に求むる事なかれ。只我等衆生、法華経を持ちて南無妙法蓮華経と唱ふる胸中の肉団におはしますなり。是を九識心王真如の都とは申すなり。十界具足とは十界一界もかけず一界にあるなり。之に依って曼陀羅とは申すなり。曼陀羅と云ふは天竺の名なり、此には輪円具足とも功徳聚とも名づくるなり。 | この御本尊は、全く他所に求めてはならない。ただ、我等衆生が法華経を信受し、南無妙法蓮華経と唱える胸中の肉団にいらっしゃるのである。これを「九識心王真如の都」というのである。十界具足とは、十界の各界が一界も欠けず、そのまま一界に納まっているということである。これによって、御本尊を曼陀羅というのである。曼陀羅というはインドの言葉であり、訳すれば輪円具足とも、功徳聚ともいうのである。 |
| 此の御本尊も只信心の二字にをさまれり。以信得入とは是なり。 | この御本尊も、ただ信心の二字に収まっているのである。「信を以って入ることを得たり」とあるのは、このことである。 | |
| 日蓮が弟子檀那等「正直捨方便」「不受余経一偈」と無二に信ずる故によて、此の御本尊の宝塔の中へ入るべきなり。たのもしたのもし。如何にも後生をたしなみ給ふべし、たしなみ給ふべし。穴賢。南無妙法蓮華経とばかり唱へて仏になるべき事尤も大切なり。信心の厚薄によるべきなり。仏法の根本は信を以て源とす。 | 日蓮が弟子檀那等は「正直に方便を捨てて」の文や「余経の一偈をも受持してはならない」の文の通り、法華経のみを唯一無二に信ずることによって、この御本尊の宝塔の中へ入ることができるのである。まことに頼もしいことである。なんとしても、未来の福運のために、仏道に心を打ち込んでいきなさい。「南無妙法蓮華経」とだけ唱えて、成仏していきことが最も大切である。ひとえに信心の厚薄によるのである。仏法の根本は信をもって源とするのである。 | |
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されば止観の四に云はく「仏法は海の如し、唯信のみ能く入る」と。弘決の四に云はく「仏法は海の如し、唯信のみ能く入るとは、孔丘の言尚信を首と為す、況んや仏法の深理をや。信無くして寧ろ入らんや。故に華厳に信を道の元、功徳の母と為す」等。 (★1389㌻) |
それゆえ、天台の摩訶止観の第四に「仏法は海のように深く広大であって測り知れない。ただ信心によってのみ入ることができる」と説かれている。同じく妙楽の弘決の第四には「止観の『仏法は海の如し、唯信のみ能く入る』とは、孔子の教えでさえも信ずることを第一にしている。まして、仏法の深い哲理は信じなくして、どうして入ることができようか。故に、華厳経には『信は道の根源であり、功徳を生み出す母体である」等と説かれている。 | |
| 又止の一に云はく「何が円の法を聞き円の信を起こし円の行を立て円の位に住せん」と。弘の一に云はく「円信と言ふは理に依って信を起こす、信を行の本と為す」云云。外典に云はく「漢王臣の説を信ぜしかば河上の波忽ちに氷り、李広父の讐なりと思ひしかば草中の石羽を飲む」と云へり。 | また天台の止観の第一に『どのようにして円教の法を聞き、円教の信を起し、円教の行を立て、円教の位に昇ることができるであろうか』との言葉があり、これについて妙楽は、弘決の第一に『円教の信というのは、円教の法理を聞いて信を起こすことであり、信を修行の根本とするのである』と述べている。外典の書にも、次のような話が記されている。「後漢の世祖、光皇帝がまだ一武将であった時、戦いに敗れ敵に追われて敗走する途中、大河にさしかかり進退極まってしまった。そのとき臣下の王覇は、河が凍っていると報告し、王もその言葉を信じたがために、河上の波はたちまちに冰結して渡ることができた。また李広という武将は、虎に殺された父の復讐の一念ゆえに、草がけの岩を虎と信じて射たところ、石が矢に立った」ということである。 | |
| 所詮天台・妙楽の釈分明に信を以て本とせり。彼の漢王も疑はずして大臣のことばを信ぜしかば立波こほりて行くぞかし。石に矢のたつ、是又父のかたきと思ひし信の故なり。何に況んや仏法においてをや。 | 所詮、天台・妙楽の釈では明らかに信を根本としているのである。彼の漢王も、大臣の言葉を疑わずに信じた故に、それまで波の立っていた水面がたちまちに凍っていったのである。石に矢がたったのも、父の敵と信じた一念の強さの故である。まして、仏法においては、なおさらのことである。 |
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法華経を受け持ちて南無妙法蓮華経と唱ふる、即ち五種の修行を具足するなり。此の事伝教大師入唐して、道邃和尚に値ひ奉りて、五種頓修の妙行と云ふ事を相伝し給ふなり。日蓮が弟子檀那の肝要、是より外に求むる事なかれ。神力品に云へり。委しくは又々申すべく候。穴賢穴賢。 八月廿三日 日蓮花押 日女御前御返事 |
御本尊を受け持って南無妙法蓮華経と唱えることが、すなわち、五種の修行を具えることになるのである。このことは、伝教大師が中国に渡り、道邃和尚に、会って、五種頓修の妙行という事を相伝されたのである。 日蓮の弟子檀那にとっての信心の肝要は、このこと以外に、断じて求めてはならないのである。神力品ににも説かれているが、くわしいことは、またの機会に申し上げることにいたしましょう。穴賢穴賢。 建治三年八月二十三日 日蓮花押 日女御前御返事 |