兵衛志殿御書  弘安元年九月九日  五七歳

 

第一章 兄弟の団結を讃め親父の入信を喜ぶ

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 久しくうけ給はり候はねばよくおぼつかなく候。何よりもあはれにふしぎなる事は大夫志殿ととのとの御事ふしぎに候。つねざまには代すえになり候へば・聖人賢人もみなかくれ、たゞざんじん・ねいじん・わざん・きょくりの者のみこそ国には充満すべきと見へて候へば、喩へば水すくなくなれば池さはがしく、風ふけば大海しづかならず。代の末になり候へばかんばち・えきれい・大雨・大風ふきかさなり候へば、広き心もせばくなり、道心ある人も邪見になるとこそ見へて候へ。されば他人はさておきぬ。父母と夫妻と兄弟と諍ふ事れつしとしかと、ねことねずみと、たかときじとの如しと見へて候。良観等の天魔の法師らが親父左衛門の大夫殿をすかし、わどのばら二人を失はんとせしに、殿の御心賢くして日蓮がいさめを御もちゐ有りしゆへに、二つのわの車をたすけ二つの足の人をになへるが如く、二つの羽のとぶが如く、日月の一切衆生を助くるが如く、兄弟の御力にて親父を法華経に入れまいらせさせ給ひぬる御計らひ、偏に貴辺の御身にあり。
 
 長い間、便りもありませんでしたので、非常に心配しておりました。しかし、なんといっても、尊く不思議なことは、お兄さんの大夫志殿とあなたの仲のことで、本当に不思議に思っております。
 では、世が末になれば聖人とか賢人といわれる人は皆かくれて、ただ讒人や佞人、表面は和やかだが陰にまわって人を陥れる和讒の者や、理を曲げて我意を通す曲理のものばかりが国中に充満するようになると経文にも書かれています。たとえば、水が少なければ池が騒がしく、風が吹くと大海の面が静かではないようなものです。こうした末法の代になると、旱魃や疫癘が起こり、大雨大風が吹き重なり、そのため心の広い人も狭くなり、求道心のある人も邪見の者となってくるのです。それゆえに他人のことはさておいて、父母、夫婦、兄弟等の肉親までが相争い、その姿はちょうど猟師と鹿と、猫と鼠、鷹と雉とが争うようなものであると経文に見えます。
 彼の極楽寺良観等の天魔の法師たちが、父親の左衛門大夫康光を騙してあなた方兄弟二人を迫害し退転させようとしましたが、兵衛志殿の心が賢明で、日蓮が諫めたことを用いられたがゆえに、あたかも二つの輪が車をたすけ、二本の足が人を担うように、日月が輝いて一切衆生を助けるように、兄弟二人の力によって、父親を法華経の信心につかせることができたのです。この計らいは偏に兵衛志殿の信心によるものです。 
 又真実の経の御ことはりを、代末になりて仏法あながちにみだれば大聖人世に出づべしと見へて候。
 喩へば松のしもの後に木の王と見へ、菊は草の後に仙草と見へて候。代のおさまれるには賢人見えず。代の乱れたるにこそ聖人・愚人は顕はれ候へ。あわれ平左衛門殿・さがみ殿の日蓮をだに用ひられて候ひしかば、すぎにし蒙古国の朝使のくびはよも切らせまいらせ候はじ。くやしくおはすならん。
   また、真実の経の理によれば時代が末法となり、仏法が非常に乱れたときには、大聖人が必ず世に出現されるとあります。
 たとえば、松は霜が降りてのちも枯れないので木の王といわれ、菊はほかの草が枯れたのちにも、なお花を咲かせるので仙草というのと同じです。世の中が平穏なときには誰が賢人であるか分からないが、世の中が乱れているときこそ、聖人と愚人はあきらかになるのです。気の毒にも、平左衛門尉殿や相模守殿が日蓮のいうことを用いられていたならば、先年蒙古からの使いの首を、よもや斬ることはなかったでしょう。今になって後悔していることと思います。

 

第二章 還著於本人の現証を示す

 人王八十一代安徳天皇と申す大王は天台の座主明雲等の真言師等数百人かたらひて、源右将軍頼朝を調伏せしかば、還著於本人とて明雲は義仲に切られぬ。安徳天皇は西海に沈み給ふ。人王八十二・三・四、隠岐法皇・
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阿波院・佐渡院、当今已上四人、座主慈円僧正・御室・三井等の四十余人の高僧等をもて平将軍義時を調伏し給ふ程に、又還著於本人とて上の四王島々に放たれ給ひき。此の大悪法は弘法・慈覚・智証の三大師、法華経最第一の釈尊の金言を破りて、法華最第二最第三、大日経最第一と読み給ひし僻見を御信用有りて、今生には国と身とをほろぼし、後生には無間地獄に墮ち給ひぬ。
   人王八十一代の安徳天皇という大王は、天台の座主・明雲らの真言師たち数百人に命じて、源右大将頼朝を調伏する祈祷をさせたところ、還著於本人の経文のとおり、祈った明雲自身が木曾義仲に首を斬られ、安徳天皇は壇浦の戦いにおいて西海に沈まれました。
 承久三年の役において、人王八十二、八十三、八十四代の隠岐の法王、阿波の院、佐渡の院、および今の仲恭天皇の四人は、天台の座主慈円僧正や御室の仁和寺、三井の園城寺等の四十人の高僧らによって、平の将軍北条義時を調伏したために、これまた、還著於本人の経文のとおり、前に述べた四天皇はそれぞれ島々に流されました。
 この真言の大悪法は、弘法、慈覚、智証の三大師が、法華経最第一という釈尊の金言を破って、法華経は第二、第三であり、大日経が最第一であると読んだ僻見であり、この大悪法を信用したために、今生には国と身を滅ぼし、後生には無間地獄に堕ちてしまったのです。
 今度は又此の調伏三度なり。今我が弟子等死したらん人々は仏眼をもて是を見給ふらん。命つれなくて生きたらん眼に見よ。国主等は他国に責めわたされ、調伏の人々は或は狂死、或は他国或は山林にかくるべし。教主釈尊の御使ひを二度までこうぢをわたし、弟子等をろうに入れ、或は殺し或は害し、或は所国をおひし故に、其の科必ず国々万民の身に一々にかゝるべし。或は又白癩・黒癩・諸悪重病の人々おほかるべし。我が弟子等此の由を存ぜさせ給へ。恐々謹言。
  九月九日              日 蓮 花押
 
   今度の蒙古調伏をもって、真言宗による調伏祈祷は三度目になります。今、私の弟子のなかで、すでに死んでいる人々は、仏眼をもってこの祈祷の結果をみておられるであろう。命がながらえて生きている人は、肉眼でみなさい。やがて、国主は捕虜となって他国へ連れ去られ、調伏の祈祷をした僧たちは、あるいは狂い死にし、あるいは他国に出奔し、あるいは山林に隠れるでありましょう。教主釈尊の御使い、すなわち、末法の法華経の行者・日蓮を二度までも鎌倉の路地を引き回し、弟子らをあるいは牢に投じ、あるいは殺し、あるいは痛めつけ、あるいは所を追い出したために、その罪科は必ずその国々の万民の身、一人一人に及ぶでありましょう。あるいは白癩・黒癩等のもろもろの悪重病に犯される人々が多くなることでしょう。私の弟子たちは、このことをよく知ってきなさい。恐恐謹言。
  九月九日          日 蓮 花 押
 此の文は別しては兵衛志殿へ、総じては我が一門の人々御覧有るべし。他人に聞かせ給ふな。    この文は、別しては兵衛の志殿へ、総じてはわが一門の人々へ遣わすのであるからよくよく読みなさい。他人に聞かせてはなりません。