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(★1117㌻) はるかに申しうけ給はり候はざりつれば、いぶせく候つるに、□□て候。又□御つかいと申し、よろこび入って候。又まほりまいらせ候。 |
久しくお手紙をうけたまわらいので、心もとなく思っていましたが、さまざまな御供養の物や、おつかいを受け、非常にうれしく思いました。また、またお守り御本尊を授与いたします。 |
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| 所領の間の御事は上よりの御文ならびに御消息、引き合せて見候畢んぬ。此の事は御文なきさきにすいして候。上には最大事とをぼしめされて候へども、御きんずの人人のざんそうにて、あまりに所領をきらい、上をかろしめたてまつり候、ぢうあうの人こそををく候に、かくまで候へば、且らく御恩をばおさへさせ給ふべくや候らんと申すらんとすいして候なり。それにつけては御心えあるべし、御用意あるべし。 | 所領訴訟の間題に関しては、主君から、あなたにあてた御手紙と、あなたのお手紙を引き合せて拝見しました。このことについては、お手紙をいただく前から推察していました。主君は、このことを最も大事と思われているのに、御近臣の人々が讒奏して「頼基は、あまりにもふり替えられる所領をきらって、主君をあなどっているのではないか。わがまま者は多いが、これほどまでにわがままな者に対しては、しばらく恩をさし押えられてはどうでしょう」と申し上げたのではないかと推量している。それについては、十分な腹がまえをもって臨みなさい。 | |
| 我が身と申し、をや・親類と申し、かたがた御内に不便といはれまいらせて候大恩の主なる上、すぎにし日蓮が御かんきの時、日本一同ににくむ事なれば、弟子等も或は所領を・ををかたよりめされしかば、又方方の人人も或は御内内をいだし、或は所領ををいなんどせしに、其の御内になに事もなかりしは御身にはゆゆしき大恩と見へ候。 | あなた自身といい、親・親族といい、それぞれ家中のものとして恩恵を受けた大恩ある主君である。その上、日蓮が御勘気を受けた時、日本国一同の人が憎んでいたから、弟子等もある者たちは所領を幕府から取り上げられ、またそのものの主君である人々も、あるいは家中から勘当し、あるいは所領を追いはらったりしたのに、江間氏はあなたに何のおとがめもなかったのは、あなたにとっては、なみなみならぬ大恩を受けたことになる。 | |
| このうへはたとひ一分の御恩なくとも、うらみまいらせ給ふべき主にはあらず。それにかさねたる御恩と申し、所領をきらはせ給ふ事、御とがにあらずや。 | このような大恩をうけたからに、たとえこれから一分の御恩を受けなくても、恨むべき主君ではない。それに重ねて御恩を期待して、これほどの所領をきらわれているのはあやまりではないだろうか。 |
| 賢人は八風と申して八のかぜにをかされぬを賢人と申すなり。利・衰・毀・誉・称・譏・苦・楽なり。をを心は利あるによろこばず、をとろうるになげかず等の事なり。此の八風にをかされぬ人をば必ず天はまほらせ給ふなり。しかるをひりに主をうらみなんどし候へば、いかに申せども天まほり給ふ事なし。 | 賢人とは八風といって八種の風に犯されないのを賢人というのである。八風とは利・衰・毀・誉・称・譏・苦・楽である。およそ世間的利益はあっても喜ばず、衰えるのを嘆かないということである。この八風に犯されない人を、諸天善神は守られるのである。ところがそれを、道理にそむいて主君を恨んだりすれば、どんなに祈っても諸天は守護しないのである。 |
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訴訟を申せど叶ひぬべき事もあり、申さぬに叶ふべきを申せば叶はぬ事も候。夜めぐりの殿原の訴訟は、申すは叶ひぬべきよしをかんがへて候ひしに、あながちになげかれし上、日蓮がゆへにめされて候へば、 (★1118㌻) いかでか不便に候はざるべき。ただし訴訟だにも申し給はずば、いのりてみ候はんと申せしかば、さうけ給はり候ぬと約束ありて、又をりがみをしきりにかき、人人訴訟・ろんなんどありと申せし時に、此の訴訟よも叶はじとをもひ候ひしが、いままでのびて候。 |
訴訟というものは、公に申し上げて叶うこともあれば、訴えずいれば叶うものを、申し上げたために叶わなくなることもある。夜回りの方たちの訴訟は、申し上げて叶うてだてを考えていたところ、あまり強くなげかれていた上、それも日蓮の門下であるために屋敷や所領を没収されたのであるから、どうしてかわいそうだと思わないことがあろうか。ただし、訴訟をされないのであれば、祈ってあげようといったところ、そのようにいたしますと約束したのである。また公文書をしきりに書いて、人々の間に訴訟についての議論がさかんであるといわれている折、この訴訟は、おそらく叶うまいと思っていましたので、今まで、そのままになっている。 | |
| だいがくどのゑもんのたいうどのの事どもは申すままにて候あいだ、いのり叶ひたるやうにみへて候。はきりどのの事は法門は御信用あるやうに候へども、此の訴訟は申すままには御用ひなかりしかば、いかんがと存じて候ひしほどに、さりとてはと申して候ひしゆへにや候けん、すこし・しるし候か。 |
比企大学三郎能本殿や、池上右衛門大夫殿のことは日蓮のいった通りにされたから、祈りが叶ったようである。波木井六郎実長殿は法門のことについては御信用なさっているようだが、この訴訟に関しては、日蓮のいうとおりに用いられなかったから、どうであろうと思っていたところ、「それでは訴訟は叶わない」と注意しておいたからであろうか、多少の効果はあったようである。 |
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| これにをもうほど・なかりしゆへに又をもうほどなし。だんなと師とをもひあわぬいのりは、水の上に火をたくがごとし。又だんなと師とをもひあひて候へども、大法を小法をもってをかしてとしひさしき人人の御いのりは叶ひ候はぬ上、我が身もだんなもほろび候なり。 |
だが、こちらで思うほどに聞き入れなかったので、訴訟の効果もおもうほどでなかった。このように、檀那と師匠とが心が同じくしない祈りは、水の上で火を焚くようなもので叶うわけがない。 また、檀那と師匠とが心を同じくした祈りであっても、大法(正法)を、小法(邪法)をもって長年にわたり誹謗する人々の祈りは、かなわないばかりか、わが身(師匠)も檀那も、共に滅びるのである。 |