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(★991㌻) 一切衆生、南無妙法蓮華経と唱ふるより外の遊楽なきなり。経に云はく「衆生所遊楽」云云。此の文あに自受法楽にあらずや。衆生のうちに貴殿もれ給ふべきや。所とは一閻浮提なり。日本国は閻浮提の内なり。遊楽とは我等が色心依正ともに一念三千自受用身の仏にあらずや。法華経を持ち奉るより外に遊楽はなし。現世安穏・後生善処とは是なり。たゞ世間の留難来たるとも、とりあへ給ふべからず。賢人聖人も此の事はのがれず。たゞ女房と酒うちのみて、南無妙法蓮華経ととなへ給へ。苦をば苦とさとり、楽をば楽とひらき、苦楽ともに思ひ合はせて、南無妙法蓮華経とうちとなへゐさせ給へ。これあに自受法楽にあらずや。いよいよ強盛の信力をいたし給へ。恐々謹言。 建治二年丙子六月二十七日 日蓮 花押 四条金吾殿御返事 |
一切衆生にとって南無妙法蓮華経と唱える以外の遊楽はない。法華経如来受量品第十六に「衆生の遊楽する所なり」とある。この文は自受法楽のことをいっているのである。「衆生」のなかにあなたがもれることがあろうか、また「所」とは全世界を示しており、日本国は閻浮提の内にある。「遊楽」とは、すなわち我等の色心・依報・正報ともに、一念三千の当体であり、自受用身の仏であるから遊楽ではないか。したがって、法華経をたもつ以外に遊楽はない。法華経薬薬喩品第五にある「現世安穏にして、後に善処に生ずる」とはこのことをいうのである。 ただ世間の種々の難がおこっても、とりあってはいけない。賢人や聖人でも、この留難はのがれられないのである。ただ女房と酒をのみかわして、南無妙法蓮華経と唱えていきなさい。 苦をば苦とさとり、楽をば楽とひらき、苦しくても楽しくても南無妙法蓮華経と唱えていきなさい。これこそ自受法楽ではないか。ますます強盛の信心をしていきなさい。恐恐謹言。 建治二年丙子六月二十七日 日蓮花押 四条金吾殿御返事 |