浄蓮房御書   建治元年六月二七日  五四歳

 

第一章 供養への謝辞を述べる

(★878㌻)
 細美帷一つ送り給び候ひ畢んぬ。
 
 麻布の帷一枚送つていただきました。

 

第二章 善導が観経を選んだ経緯を示す

 善導和尚と申す人は漢土に臨と申す国の人なり。幼少の時、密州と申す国の明勝と申す人を師とせしが、彼の僧は法華経と浄名経を尊重して、我も読誦し人をもすゝめしかば、善導に此を教ゆ。善導此を習ひて師の如く行ぜし程に、過去の宿習にや有りけん、案じて云はく、仏法には無量の行あり。機に随ひて皆利益あり。教いみじといへども機にあたらざれば虚しきがごとし。されば我法華経を行ずるは我が機に叶はずばいかんが有るべかるらん。教には依るべからずと思ひて一切経蔵に入り、両眼を閉ぢて経をとる、観無量寿経を得たり。披見すれば此の経に云はく「未来世の煩悩の賊に害せらるゝ者の為に清浄の業を説く」等云々。    善導和尚は、中国の臨シの人である。幼少の時、密州という国の明勝という人に師事したが、この僧は、法華経と浄名経を尊重して、自らも読誦し人をも勧めたほどで、善導にもこれを教えたのである。
 善導はこれを習学して師のように修行したが、過去の宿習であろうか、考えて言うには「仏法には無量の修行があり、これらはみなその修行する機根によって功徳があるので、教が勝れていても、その機根に相応した教えでなければ無益である。それゆえ、私はこうして法華経を修行しているが、機根にかなわなければ、どうしようもない。教によってはならない」と思って、一切経蔵に入り、両眼を閉じて経典を取ったところ観無量寿経を得た。開いて見ると「未来世の煩悩の賊に害される者のために清浄の業を説く」等と記されていた。

 

第三章 念仏に執して法華経を捨つるを述べる

 華厳経は二乗のため、法華経・涅槃経等は五乗にわたれども、だいしは聖人のためなり。末法の我等が為なる経は唯観経にかぎれり。
 釈尊最後の遺言には涅槃経にはすぐべからず。彼の経には七種の衆生を列ねたり。第一は入水則没の一闡提人なり。生死の水に入りしより已来いまに出でず。譬へば大石を大海に投げ入れたるがごとし。身重くして浮かぶことを習はず、常に海底に有り。此を常没と名づく。第二をば出已復没と申す。譬へば身に力有りとも浮かぶことをならはざれば出で已はって復入りぬ。此は第一の一闡提の人には有らねども一闡提のごとし。又常没と名づく。第三は出已不没と申す。生死の河を出でてよりこのかた没することなし。此は舎利弗等の声聞なり。第四は出已即住、第五は観方、第六は浅処、第七は到彼岸等なり。第四・第五・第六・第七は縁覚・菩薩なり。釈迦如来世に出でさせ給ひて一代五時の経々を説き給ひて、第三已上の人々を救ひ給ひ畢んぬ。
(★879㌻)
第一は捨てさせ給ひぬ。法蔵比丘阿弥陀仏、此をうけとて四十八願を発こして迎へとらせ給ふ。十方三世の仏と釈迦仏とは第三己上の一切衆生を救ひ給ふ。阿弥陀仏は第一第二を迎へとらせ給ふ。而るに今末代の凡夫は第一第二に相当たれり。而るを浄影大師・天台大師等の他宗の人師は此の事を弁へずして、九品の浄土に聖人も生まると思へり。誤りが中の誤りなり。一向末代の凡夫の中に上三品は遇大、始めて大乗に値へる凡夫なり。中の三品は遇小、始めて小乗に値へる凡夫なり。下の三品は遇悪、一生造悪無間非法の荒凡夫なり。臨終の時、始めて上の七種の衆生を弁へたる智人に行きあひて、岸の上の経々をうちすてゝ水に溺るゝの機を救はせ給ふ。観経の下品下生の大悪業に南無阿弥陀仏を授けたり。されば我一切経を見るに、法華経等は末代の機には千中無一なり。第一第二の我等衆生は、第三已上の機の為に説かれて候法華経等を末代に修すれば、身は苦しんで益なしと申して、善導和尚は立ち所に法華経を抛すてゝ観経を行ぜしかば、三昧発得して阿弥陀仏に見参して、重ねて此の法門を習ひ渡し給ふ。四帖の疏是なり。
   ここで善導が考えるに、華厳経は声聞・縁覚の二乗のため、法華経・涅槃経等は人・天・声聞・縁覚・菩薩の五乗にわたって説かれているが、大要は一分の悟りを得た聖人のためである。末法の我等のような凡夫のための経はただ観経にかぎられている。
 釈尊最後の遺言には涅槃経に過ぎたものはない。この涅槃経には恒河の七種の衆生が列記されている。
 第一は入水則没の一闡提人をいい、生死の水に入浮かび出ることができない者をいう。たとえば大石を大海に投げ入れたようなものである。身は重く、そのうえ浮かぶことを習っていないために常に海底にいる。これを常没と名づける。
 第二は出已復没という。たとえば身に力はあっても、浮かぶことを習っていないため、水面上に出てもまた海中に没してしまう。これは第一の一闡提の人ではないが、一闡提のようなものであるから、同じく常没と名づける。第三は出已不没という。生死の河から出て没しない者である。これは舎利弗等の声聞である。第四は出已即住・第五は観方.第六は浅処・第七は到彼岸である。この第四・第五・第六・第七の衆生は縁覚・菩薩である。釈迦如来は世に出現されて、一代五時の経教を説かれて、第三以上の人々を救済されたが、第一の衆生は捨てられたのである。
 法蔵比丘であった阿弥陀仏はこの衆生を四十八願を発願して浄土に迎えられるのである。十方三世の仏と釈迦仏とは、第三以下の一切衆生を救われる。阿弥陀仏は第一・第二の衆生を浄土に迎えられるのであり、今末法の凡夫は第一・第二にあたるのである。ところが浄影大師や天台大師等の他宗の人師は、このことをわきまえず、観経に説く九品の浄土に、第三以下の聖人も往生すると思っているがこれは、誤りのなかの誤りである。
 ならべて末代の凡夫のなかで、上輩の三品は遇大といって、はじめて大乗に愚った凡夫をいい、中輩の三品は遇小といって、はじめて小乗に愚った凡夫、下品の三品は遇悪といって一生涯悪を造り無間地獄に堕ちる非法の荒凡夫であって、これらの凡夫は臨終の時に初めて、七種の衆生をわきまえられた智人にあって救われるのである。この時、岸の上の人々のための経教である華厳経や法華経を打ち捨てて、水に溺れる機根の衆生を救われるため、観経の下品下生の大悪業の衆生に南無阿弥陀仏の名号を授けたのである。
 それゆえ、自分が一切経を見るのに、法華経等は末代の機根には千人に一人も成仏しない教えである。第一・第二の我ら衆生は、第三以下の機根の衆生のために説かれた法華経等を、末代において修行すれば、身を苦しめるのみで利益はない。以上のように考えて、善導和尚はたちどころに法華経を投げ捨て、観経を修行したのである。そうしたところ、悟りを得て阿弥陀仏と会って観経の法門を伝授されたと書いたというのが、観経の玄義分・序分義・定善義・散善義の四帖の注釈書である。

 

第四章 浄土宗の肝心を示す

 導の云はく「然るに諸仏の大悲は苦なる者に於て心偏に常没の衆生を愍念す。是を以て勧めて浄土に帰せしむ。亦水に溺るゝ人の如く急に須く偏に救ふべし。岸の上の者何ぞ用ひて済ふことを為さん」云云。又云はく「深心と言へるは即ち是深信の心なり。亦二種有り。一には決定して自身は現に是罪悪生死の凡夫なり。曠劫より已来常に没し常に流転して出離の縁有ること無しと深信す」と。又云はく「二には決定して彼の阿弥陀仏の四十八願は、衆生を摂受したまふこと疑ひ無く慮り無く彼の願力に乗ずれば定めて往生を得ると深信す」云云。此の釈の心は上にかき顕はして候。浄土宗の肝心と申すは此なり。我等末代の凡夫は涅槃経の第一第二なり。さる時に釈迦仏の教には出離の縁有ること無し。法蔵比丘の本願にては「定得往生と知るを、三心の中の深心とは申すなり」等云云。此又導和尚の私義には非ず。綽禅師と申せし人の涅槃経を二十四反かうぜしが、曇鸞法師の碑の文を見て立ち所に涅槃経を捨てゝ、観経へ遷りて後此の法門を導には教へて候なり。
(★880㌻)
鸞法師と申せし人は斉の代の人なり。漢土にては時に独歩の人なり。初めには四論と涅槃経とをかうぜしが、菩提流支と申す三蔵に値ひて四論と涅槃を捨て、観経に遷りて往生をとげし人なり。三代が間伝へて候法門なり。漢土日本には八宗を習ふ智人も正法すでに過ぎて像法に入りしかば、かしこき人々は皆自宗を捨てゝ浄土の念仏に遷りし事此なり。日本国のいろはは天台山の慧心の往生要集此なり。三論の永観が十因・往生講式、此等は皆此の法門をうかがい得たる人々なり。法然上人も亦爾なり云云。
   観経疏に善導のいうのに「然るに諸仏の大悲は苦なる者に於いて心偏に常没の衆生を愍念す。是を以って勧めて浄土に帰せしむ。亦水に溺るる人の如く急に須く偏に済うべし。岸上の者、何ぞ用いて済うことを為さん」と。
 またに深心を釈していわく「深心と言えるは即ち是れ深信の心なり。亦二種有り。一には決定して自身は現に是れ罪悪生死の凡夫なり。曠劫より已来常に没し、常に流転して出離の縁有ること無しと深信す」と。
 またいわく「二には決定して彼の阿弥陀仏の四十八願は衆生を摂受したもうこと疑無く、慮り無く、彼の願力に乗ずれば定めて往生を得ると深信す」と。この釈の意は上にかきあらわしたとおりである。浄土宗の肝心というのはこれである。
 我ら末代の凡夫は涅槃経の第一・第二の衆生である。この末代の時には、釈迦仏の教えは出離の縁にならない。法蔵比丘の本願によって必ず往生できると知ることを三心の中の深心というのである。これまた善導が勝手に立てた義ではない。道綽禅師という人が涅槃経を二十四回講じたが、曇鸞法師の碑の文を見てたちどころに涅槃経を捨てて観経に移って、後に善導に会ってこの法門を教えたのである。曇鸞法師という人は斉の時代の人で、中国では当時、比肩する者がないほど勝れた人であった。はじめは竜樹の大智度論・中論・十二門論・提婆の百論の四論と涅槃経とを講じていたが、菩提流支という三蔵に会って、四論と涅槃経を捨て、観経に移って往生を遂げた人である。
 このように曇鸞・道綽・善導と三代続いて伝えてきた法門なのである。中国・日本で八宗を習学する智人も、正法時代が過ぎて像法時代に入ったので、賢明な人々は皆、自宗を捨てて浄土の念仏に移ったのはこのためである。
 日本国の浄土宗の始まりは、比叡山延暦寺の慧心僧都源信の往生要集である。次には三論を学んだ永観の往生拾因・往生講式がある。これらは皆この念仏の法門を会得した人々である。法然上人もまたそれを会得した人なのである。

 

第五章 善導の浄土法門を破折する

 日蓮云はく、此の義を存ずる人々等も但恒河の第一第二は一向浄土の機と云云。此此の法門の肝要か。日蓮涅槃経の三十二と三十六を開き見るに、第一は誹謗正法の一闡提、常没の大魚と名づけたり。第二は又常没なり。其の第二の人を出ださば提婆達多・瞿伽梨・善星等なり。此は誹謗五逆の人々なり。詮ずる所第一第二は謗法と五逆なり。法蔵比丘の「設ひ我仏を得んに、十方衆生至心に信楽して我が国に生まれんと欲し、乃至十念して若し生ぜずんば正覚を取らじ。唯五逆と誹謗正法とを除く」云云。此の願の如きんば法蔵比丘は恒河の第一第二を捨てはてゝこそ候ひぬれ。導和尚の如くならば末代の凡夫、阿弥陀仏の本願には千中無一なり。法華経の結経たる普賢経には五逆と誹謗正法は一乗の機と定め給ひたり。されば末代の凡夫の為には法華経は十即十生百即百生なり。善導和尚が義に付いて申す詮は私の案にはあらず。阿弥陀仏は無上念王たりし時、娑婆世界は已にすて給ひぬ。釈迦如来は宝海梵志として此の忍土を取り給ひ畢んぬ。十方の浄土には誹謗正法と五逆と一闡提とをば迎ふべからずと、阿弥陀仏・十方の仏誓ひ給ひき。宝海梵志の願に云はく「即ち十方浄土の擯出の衆生を集めて我当に之を度すべし」云云。法華経に云はく「唯我一人のみ能く救護を為す」等云云。    日蓮が云く、この往生浄土の法門を信ずる人々は、恒河の第一・第二はすべて浄土往生の機根と思っている。これが浄土の法門の肝要であろう。しかし、日蓮が涅槃経の三十二・三十六を被見するのに、第一は誹謗正法の一闡提で、これを常没の大魚といっている。第二はまた常没と等しく、その第二の人を挙げるならば提婆達多・瞿伽梨・善星比丘等である。こては正法を誹謗して五逆罪を犯した人である。結局、第一と第二の衆生とは謗法と五逆の人々なのである。法蔵比丘は四十八願のう第十八願に「設い我仏を得んに十方衆生至心に信楽して我が国に生れんと欲し、乃至十念して若し生ぜずんば正覚を取らじ、唯五逆と誹謗正法とを除く」といっている。この本願のとおりであるならば法蔵比丘は恒河の第一・第二の衆生を捨ててしまっているのではないか。もし善導和尚の言葉を借りていえば、末代の凡夫が阿弥陀仏の本願に頼っても、それこそ千人の中で一人も往生することができないことになる。
 これに対して、法華経の結経である観音普賢菩薩行法経では五逆と誹謗正法は一仏乗の機根と定められている。それゆえ末代のためには法華経は十即十生、百即百生の教えなのである。
 善導和尚の義について弁ずるのは日蓮だけの考えではない。悲華経に説かれているように阿弥陀仏は無上念王であった時に、娑婆世界を捨てられたのである。釈迦如来は宝海梵志として、この娑婆世界をとられた。阿弥陀仏、十方の浄土には誹謗正法と五逆と一闡提とをば迎えないと誓われている。宝海梵志は五百の大願の一つに「即ち十方浄土の擯出の衆生を集めて我当に之を度すべし」と誓っている。法華経譬喩品第三ににいわく「唯我一人のみ能く救護を為す」と。
 唯我一人の経文は堅きやうに候へども釈迦如来の自義にはあらず。阿弥陀仏等の諸仏我と娑婆世界を捨てしかば、教主釈尊唯我一人と誓ってすでに娑婆世界に出で給ひぬる上はなにをか疑ひ候べき。鸞・綽・導・心・観・然等の六人の人々は智者なり。    この「唯我一人」の経文は言い過ぎのようにおもわれるが、釈迦如来の勝手な言葉ではない。阿弥陀仏や十方の諸仏が自ら娑婆世界の衆生を捨てたので、教主釈尊は「唯我一人」と誓って、この娑婆世界に出現されたのであるから、何の疑いをはさむ余地があろうか。

 

第六章 浄土六師が謗法であることを述べる

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日蓮は愚者なり、非学生なり。但し上の六人は何れの国の人ぞ、三界の外の人か、六道の外の衆生か、阿弥陀仏に値ひ奉りて出家受戒して沙門となりたる僧か。今の人々は将門・純友・清盛・義朝等には種性も及ばず、威徳も足らず。心のがうさは申すばかりなけれども、朝敵となりぬれば其の人ならざる人々も、将門か純友かと舌にうちからみて申せども、彼の子孫等もとがめず。義朝なんど申すは故右大将家の慈父なり。子を敬ひまいらせば父をこそ敬ひまいらせ候べきに、いかなる人々も義朝・為朝なんど申すぞ。此則ち王法の重く逆臣の罪のむくゐなり。上の六人も又かくのごとし。釈迦如来世に出でさせ給ひて一代の聖教を説きをかせ給ふ。五十年の説法を我と集めて、浅深勝劣・虚妄真実を定めて、四十余年は未だ真実を顕はさず、已今当第一等と説かせ給ひしかば、多宝・十方の仏真実なりと加判せさせ給ひて定めをかれて候を、彼の六人は未顕真実の観経に依りて、皆是真実の法華経を第一第二の悪人の為にはあらずと申さば、今の人々は彼にすかされて数年を経たるゆへに、将門・純友等が所従等彼を用ひざりし百姓等を、或は切り、或は打ちなんどせしがごとし。彼をおそれて従ひし男女は官軍にせめられて、彼の人々と一時に水火のせめに値ひしなり。
   曇鸞・道綽・善導・慧心・永観・法然等の六人の人々は智者ではあるが、日蓮は愚者である。また学匠ではない。だが、この六人はどこの国の人であるのか。三界の外の人か、六道以外の衆生であるのか、あるいは阿弥陀仏に会って出家受戒して僧となった人であるのか。よもやそういうことはあるまい。
 今の人々は平将門・藤原純友・平清盛・源義朝等に比べ氏姓も威徳も及ぶものではない。この将門らは豪胆このうえない人々だったが、朝敵となったので、これらとははるかに劣る人々からも、将門か純友かと口々に罵られるようになったのであるが、それをかれらの子孫等も咎めようとしない。ことに、義朝などという人は右大将家の慈父ではないか。子の義朝を卑しめて言うのはどういうわけであるのか。これすなわち、王法は重くして謀叛を謀った人の報いなのである。
 上に述べた六人の人々もまた同じである。釈迦如来は世に出現されて一代聖教を説かれた。五十年の説法を集めて、その浅深・勝劣・虚妄・真実を定められて四十余年の間、未だ真実の教えを顕さないと述べられ、法華経こそ已今当の三説に対して最勝であると説かれたのを、多宝仏・十方の諸仏も、皆是れ真実なりと証明されたのである。
 それにもかかわらず、かの六人は未顕真実の観経を依りどころにし、皆是真実の法華経を恒河七種の衆生の第一・第二のためには無益であると言ったために、今の人々は彼らに騙されて法華経を捨て、長年の間、ちょうど将門・純友の家臣がその命に従わなかった百姓を、あるいは切り、あるいは打擲したのと同じように、横暴の限りを尽くしてきたのである。しかし、彼らを恐れて従った男女が後に官軍に攻められて、彼らと一緒に水火の責め苦にあったのである。
 今日本国の、一切の諸仏菩薩、一切の経を信ずるやうなれども、心は彼の六人の心なり、身は又彼の六人の家人なり。彼の将門等は官軍の向かはざりし時は、大将の所従知行の地且く安穏なりしやうなりしかども、違勅の責め近づきしかば、所は修羅道となり、男子は厨者の魚をほふるがごとし。炎に入り水に入りしなり。今日本国も又かくのごとし。彼の六人が僻見に依つて、今生には守護の善神に放されて三災七難の国となり、後生には一業所感の衆生なれば阿鼻大城の炎に入るべし。法華経の第五の巻に末代の法華経の強敵を仏記し置き給へるは如六通羅漢と云云。上の六人は尊貴なること六通を現ずる羅漢の如し。    今日本国の人々は一切の仏・菩薩・一切の経を信ずるやうではあるけれども、心は彼の六人の説に従い、身はその家臣になっている。彼の将門等は官軍が攻めてくるまでは、大将や家臣の領地も安穏のようであったが、勅命に反する者を責めるために、官軍が近づいてきた時は、その地は修羅道となり、男はあたかも料理人が魚を料理するように、火に焼かれ水に入れられたのである。今日本国もまた同じようである。彼の六人も僻見によって、今生には守護の善神に捨てられて三災七難の国となり、後生には悪業の果てによって皆で阿鼻大城の炎に焼かれるであろう。法華経の第五の巻勧持品第十三には、末代の法華経の怨敵を仏は記されて「六通の羅漢の如し」とされているが、彼ら六人が尊貴であることは、まさに六通の羅漢のようなものである。

第七章 法華経の廻向の功徳を述べる

 然るに浄蓮上人の親父は彼等の人々の御檀那なり。仏教実ならば無間大城疑ひなし。又君の心を演ぶるは臣、
(★882㌻)
親の苦をやすむるは子なり。目犍尊者は悲母の餓鬼の苦を救ひ、浄蔵浄眼は慈父の邪見を翻し給ひき。父母の遺体は子の色心なり。浄蓮上人の法華経を持ち給ふ御功徳は慈父の御力なり。提婆達多は阿鼻地獄に堕ちしかども天王如来の記を送り給ひき。彼は仏と提婆と同性一家なる故なり。此は又慈父なり、子息なり。浄蓮上人の所持の法華経いかでか彼の故聖霊の功徳とならざるべき。事多しと申せども止め畢んぬ。三反人によませてきこしめせ。恐々謹言。
 六月二十七日          日蓮 花押
返す返すするがの人々みな同じ御心と申させ給ひ候へ。
   浄蓮上人の御親父は彼ら浄土宗の人々の檀那である。仏教が真実であるならば、無間大城に堕ちておられることは疑いない。また主君の心を演べるのは臣下であり、親の苦を休めるのは子である。
 目犍尊者は悲母の餓鬼道の苦を救い、浄蔵・浄眼の二人は慈父の妙荘厳王の邪見を翻した。父母の身体は子の色心である。今、浄蓮上人が法華経を持たれた功徳は慈父の功徳となる。提婆達多は阿鼻地獄に堕ちたけれども、釈尊は天王如来の記別を与えられた。これは、釈尊と同じ一族であったからである。浄蓮上人の場合には、慈父と子である。それゆえ浄蓮上人の所持する法華経がどうして慈父の聖霊の功徳とならないわけがあろうか。
 申し上げたいことが多いが筆を止めるこの書を三度人に読ませて聴聞されるがよい。恐恐謹言。
  六月二十七日          日蓮花押
 かえすがえすも駿河の人々は皆同じ心であるようにと伝えていただきたい。