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(★719㌻) 法華経の第四に云はく「如来の現在にすら猶怨嫉多し、況んや滅度の後をや」等云云。同第五に云はく「一切世間怨多くして信じ難し」等云云。涅槃経の三十八に云はく「爾の時に外道に無量の人有り○心に瞋恚を生ず」等云云。又云はく「爾の時に多く無量の外道有り。和合して共に摩伽陀王阿闍世の前に往きぬ○今は唯一の大悪人有り、瞿曇沙門なり。王未だ検校せず、我等甚だ畏る。一切世間の悪人、利養の為の故に其の所に往集して眷属と為る。乃至迦葉・舎利弗・目犍連」等云云。如来現在猶多怨嫉の心是なり。 |
法華経の第四の巻に「仏の在世でさえなお怨嫉が多い。ましてや仏の滅度の後においてはなおさらである」等とある。同第五の巻には「一切世間に怨嫉が多くて信じがたい」等とある。涅槃経の三十八の巻に「その時に無数の外道がいて○心の瞋りを生じた」等とある。また「その時に多く無量の外道がいた。寄り集まってまたともに摩伽陀の王、阿闍世の前に行った○『今ただ一人大悪人がいる。釈尊である。王は未だ取り調べをしていない。私達は非常に畏れている。一切世間の悪人が己の利益のために、その所に集まって従者となっている(乃至)迦葉や舎利弗・目犍連である』といった」等とある。「如来の現在すら猶怨嫉多し」の文の意はこれである。 |
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| 得一大徳、天台智者大師を罵詈して曰く「智公汝は是誰が弟子ぞ。三寸に足らざる舌根を以て而も覆面舌の所説の教時を謗ず」と。又云はく「豈是顛狂の人ならずや」等云云。南都七大寺の高徳等護命僧都・景信律師等三百余人、伝教大師を罵詈して曰く「西夏に鬼弁婆羅門有り、東土に巧言を吐く禿頭の沙門あり。此乃ち物類冥召して世間を誑惑す」等云云。 | 得一大徳が天台智者大師をののしって「智者大師よ、おまえはいったいだれの弟子なのか。三寸にも足らない舌で、覆面舌の仏の説かれた教時を誹謗するとは」と、また「これこそ顛倒して狂っている人間ではないか」等といっている。南都七大寺の高徳といわれた護命僧都・景信律師等の三百余人は伝教大師をののしって「西北インドに鬼弁バラモンがいた。東土には巧みな言葉を操る坊主がいる。これはとりもなおさず、物怪の類がひそかに通じ合って世間を誑かしているのである」等といっている。 | |
| 秀句に云はく「浅きは易く深きは難しとは釈迦の所判なり、浅きを去って深きに就くは丈夫の心なり。天台大師は釈迦に信順し法華宗を助けて震旦に敷揚し、叡山の一家は天台に相承し法華宗を助けて日本に弘通す」云云。 | 法華秀句には「浅い教えは信じやすく深い教えは信じがたい。というのは釈尊の教判である。浅い教法を去って深い教法に就くのは丈夫の心である。天台大師は釈尊を信じ順い法華宗を助けて中国に宣揚し、比叡山の天台家は天台大師に相承を受けて法華宗を助けて日本に弘通するのである」とある。 |
| 夫在世と滅後正像二千年の間に法華経の行者唯三人有り。所謂、仏と天台・伝教となり。真言宗の善無畏・不空等、華厳宗の杜順・智儼等、三論法相等の人師等は実経の文を会して権の義に順ぜしむる人々なり。竜樹・天親等の論師は内に鑑みて外に発せざる論師なり。経の如く宣伝すること正法の四依も天台・伝教には如かず。 | さて釈尊の在世と滅後と正法・像法の二千年の間に法華経の行者は、ただ三人いた。いわゆる仏と天台大師と伝教大師とである。真言宗の善無畏や不空等、華厳宗の杜順や智儼等、三論宗・法相宗等の人師達は実経の文を解釈して権経の義に順わせている人々である。竜樹や天親等の論師は内心には明らかに知っていたが、外に向かっては説かなかった論師である。経のとおりに宣べ伝えることについては、正法時代の四依も天台大師や伝教大師には及ばない。 |