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(★711㌻) 御文委しく承り候。法華経の御ゆへに已前に伊豆国に流され候ひしも、かう申せば謙らぬ口と人はおぼすべけれども、心ばかりは悦び入って候ひき。無始より已来、法華経の御ゆへに実にても虚事にても科に当たるならば、争でかかゝるつたなき凡夫とは生まれ候べき。一端はわびしき様なれども、法華経の御為なればうれしと思ひ候ひしに、少し先生の罪は消えぬらんと思ひしかども、無始より已来の十悪・四重・六重・八重・十重・五無間・誹謗正法・一闡提の種々の重罪、大山より高く、大海より深くこそ候らめ。五逆罪と申すは一逆を造る、猶一劫無間の果を感ず。 |
お手紙、委しく承りました。法華経ゆへに已前、伊豆の国に流されたのも、このようにいえばへらぬ口をたたくと人は思うであろうけれども、心のなかでは悦びにひたっていたのである。無始から今に至るまで、法華経の信仰のために、真実にして虚事にしても、罪を被ったことがあるならば、どうしてこのような拙い凡夫として生まれてくることがあろうか。したがって、流罪の身は、一端はわびしいようであるが、法華経のための受難であるから、嬉しいと思い、少しでも先生の罪が消えるであろうと思った。しかし無始から今に至るまでの十悪、四重、六重、八重、十重、五無間、誹謗正法、一闡提の種々の重罪は、大山よりも高く、大海よりも深いのであろう。五逆罪というのはそのうちの一逆罪を造る罪だけでも、なお一劫の間に無間の苦果を感ずる重罪である。 |
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| 一劫と申すは人寿八万歳より百年に一を減じ、是くの如く乃至十歳に成りぬ。又十歳より百年に一を加ふれば、次第に増して八万歳になるを一劫と申す。親を殺す者此程の無間地獄に墮ちて、隙もなく大苦を受くるなり。法華経誹謗の者は心には思はざれども、色にも嫉み、戯れにも・る程ならば、経にて無けれども、法華経に名を寄せたる人を軽しめぬれば、上の一劫を重ねて無数劫、無間地獄に堕ち候と見えて候。不軽菩薩を罵り打ちし人は始めこそさありしかども、後には信伏随従して不軽菩薩を仰ぎ尊ぶ事、諸天の帝釈を敬ひ、我等が日月を畏るゝが如くせしかども、始め・りし大重罪消えかねて、千劫大阿鼻地獄に入って、二百億劫三宝に捨てられ奉りたりき。 |
一劫というのは、人寿八万歳から百年ごとに一歳を減じ、このように減じていき十歳になる。また、十歳から百年ごとに一歳を加えていくと、次第に増して八万歳になる。その間を一劫という。親を殺す者は、これほど長い期間、無間地獄に堕ちて一瞬のやすみもなく大苦を受けるのである。 法華経を誹謗する者は、心には思っていなくても、顔、形に嫉みの色をあらわしたり、戯れにも訾ることがあれば、また経を嫉み訾るのではなくとも、法華経に名を寄た人を軽蔑するならば、いま述べた一劫を重ねて無数劫の間、無間地獄に堕ちると経文には説かれている。 不軽菩薩を罵り打った人は、始めこそそのように罵ったけれども、後には信伏随従して不軽菩薩を仰ぎ尊ぶこと、まさに諸天の帝釈を敬い、われらが太陽や月を畏敬するようなものであった。しかし、始めに訾った大重罪は消えきれず、千劫の間、大阿鼻地獄に入って、二百億劫の間、仏・法・僧の三宝に見捨てられたのである。 |
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五逆と謗法とを病に対すれば、五逆は霍乱の如くして急に事を切る。謗法は白癩病の如し、始めは緩やかに後漸々に大事なり。謗法の者は多くは無間地獄に生じ、少しは六道に生を受く。人間に生ずる時は貧窮下賤等、白癩病等と見えたり。 (★712㌻) |
五逆罪と謗法とを病に喩えるならば、五逆罪は霍乱のような病気で、急にその報いを得る。謗法は白癩病のようなもので、始は緩かに、後に次第次第に大事にいたってくる。謗法の者は、多くは無間地獄に生じ、少しは六道に生まれる。人間に生まれる時は貧窮であったり、下賎であったりする。また白癩病にあったりすると経文に説かれている。 | |
| 日蓮は法華経の明鏡をもて自身に引き向かへたるに都てくもりなし。過去の謗法の我が身にある事疑ひなし。此の罪を今生に消さずば未来に争でか地獄の苦をば免るべき。 | 日蓮は、法華経の明鏡を自分自身に引き向かえてみると、全て曇りなく映しだされる。過去の謗法が我が身にあることは疑いない。この罪を今生で消さなければ、どうして未来に地獄の苦しみをまぬかれることができようか。 | |
| 過去遠々の重罪をば何にしてか皆集めて今生に消滅して未来の大苦を免れんと勘へしに、当世時に当たって謗法の人々国々に充満せり。其の上国主既に第一の誹謗の人たり。此の時此の重罪を消さずば何の時をか期すべき。日蓮が小身を日本国に打ち覆ふてのゝしらば、無量無辺の邪法の四衆等、無量無辺の口を以て一時に訾るべし。 | 過去遠々の重罪をいかにして全て集めて今生で消滅して、未来に受ける大苦をまぬかれようと勘えたところ、今の世は、末法という時にあたって謗法の人々が国に充満している。そのうえ国主はすでに第一の法華誹謗の人である。このような時にこの重罪を消さなければいつの時を期待できるであろうか。日蓮が小身をもって日本国に打ち覆うように、声高く謗法を訶責したならば、無量無辺の邪法の四衆等が無量無辺の口で一時に訾るであろう。 | |
| 爾の時に国主は謗法の僧等が方人として日蓮を怨み、或は頚を刎ね、或は流罪に行なふべし。度々かゝる事出来せば無量劫の重罪一生の内に消えなんと謀てたる大術少しも違ふ事なく、かゝる身となれば所願も満足なるべし。 | その時に、国主は謗法の僧等の味方として、日蓮を怨み、あるいは頚を刎ねようとしたり、あるいは流罪にするであろう。そして、たびたびこのようなことが起きるならば、日蓮は無量劫の間積み重ねた重罪も、一生の内に消えるであろうと、くわだてた大術が少しも違うことなく、このような流罪の身となったので、その所願も満足するであろう。 |
| 然れども凡夫なれば動もすれば悔ゆる心有りぬべし。日蓮だにも是くの如く侍るに、前後も弁へざる女人なんどの、各仏法を見ほどかせ給はぬが、何程か日蓮に付いてくやしとおぼすらんと心苦しかりしに、案に相違して日蓮よりも強盛の御志どもありと聞こへ候は偏に只事にあらず、教主釈尊の各の御心に入り替はらせ給ふかと思へば感涙押さへ難し。妙楽大師の釈に云はく記七「故に知んぬ、末代一時も聞くことを得、聞き已はって信を生ずる事宿種なるべし」等云云。又云はく弘二「運像末に在りて此の真文を矚る宿妙因を殖ゑたるに非ざれば実に値ひ難しと為す」等云云。 |
しかしながら凡夫であるので、ややもすれば後悔する心もあった。日蓮でさえも、このようであるのに、物事の前後の分別もつきかねる女の人などの、あなた方、仏法を理解していない方が、どれほどか日蓮に付き従ったことを後悔しているかと思うと、実に心苦しかったのである。しかし案に相違して強盛の信心であると聞きましたが、これは全くただごとではない。教主釈尊があなた方の心に入り替わられたのではないか、と思えて感涙押えがたいほどである。 妙楽大師の法華文句記の七に「末代において一時でも正法を聞くことができ、聞き已つて信を生こすことは、過去世において、法華経の下種であった故であると知ることができる」といっている。また弘決も二にも「像法の末に生まれて、法華経の真文をみることができた。宿世に妙因を殖えたのでなかれば、実に妙法は値いがたいのである」と述べている。 |
| 妙法蓮華経の五字をば四十余年此を祕し給ふのみにあらず、迹門十四品に猶是を抑へさせ給ひ、寿量品にして本果本因の蓮華の二字を説き顕はし給ふ。此の五字をば仏、文殊・普賢・弥勒・薬王等にも付嘱せさせ給はず、地涌の上行菩薩・無辺行菩薩・浄行菩薩・安立行菩薩等を寂光の大地より召し出だして此を付嘱し給ふ。 | 釈迦仏は妙法蓮華経の五字を、四十余年の間、秘密にされたばかりでなく、迹門十四品に至っても、なお妙法五字を抑えて説かれず、法華経本文寿量品にして初めて本因・本果の蓮華の二字を説き顕わされたのである。この五字を、釈迦仏は文殊・普賢・弥勒・薬王等にも付嘱されなかった。地涌の上行菩薩・無辺行菩薩・浄行菩薩・安立行菩薩等を寂光の大地より召し出して、妙法を付嘱されたのである。 | |
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儀式たゞ事ならず、宝浄世界の多宝如来、大地より七宝の塔に乗じて涌現せさせ給ふ。三千大千世界の外に四百万億那由他の国土を浄め、高さ五百由旬の宝樹を尽一箭道に殖ゑ並べて、宝樹一本の下に五由旬の師子の座を敷き並べ、 (★713㌻) 十方分身の仏尽く来たり坐し給ふ。又釈迦如来は垢衣を脱いで宝塔を開き多宝如来に並び給ふ。譬へば青天に日月の並べるが如し。帝釈と頂生王との善法堂に在すが如し。此の界の文殊等、他方の観音等、十方の虚空に雲集せる事、星の虚空に充満するが如し。 |
この儀式は普通の儀式ではなく、宝浄世界の多宝如来が大地から七宝の塔に乗って涌現されたのである。三千大千世界の他に四百万億那由佗の国土を浄め、高さ五百由旬の宝樹をことごとく一箭道に殖え並べて、その宝樹一本の下に五由旬の師子の座を敷き並べ、そこへ十方分身の諸仏がことごとく来て坐られたのである。 また釈迦如来は、垢衣を脱いで宝塔を開き、多宝如来と並ばれたのである。この姿を譬えれば、青天に太陽と月が並んだようなものであり、帝釈天と頂生王とが善法堂にいるようなものである。 この世界の文殊等、他方の観音等の菩薩が虚空に雲集した姿は、さながら星が空に充満するようであった。 |
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| 此の時此の土には華厳経の七処八会、十方世界の台上の盧舎那仏の弟子、法慧・功徳林・金剛幢・金剛蔵等の十方刹土塵点数の大菩薩雲集せり。方等の大宝坊雲集の仏菩薩、般若経の千仏・須菩提・帝釈等、大日経の八葉九尊の四仏・四菩薩、金剛頂経の三十七尊等、涅槃経の倶尸那城へ集会せさせ給ひし十方法界の仏菩薩をば、文殊・弥勒等互ひに見知して御物語是ありしかば、此等の大菩薩は出仕に物狎れたりと見え候。 |
この時、この娑婆世界には華厳経の七処八会に集まった十方世界の台上の盧舎那仏の弟子たる法慧・功徳林・金剛幢・金剛蔵等の十方刹土の塵点数の大菩薩が雲集した。 更に、方等経の大宝坊に雲集した仏・菩薩・般若経に集まった千仏・須菩提・帝釈等・大日経の八葉九尊の四仏・四菩薩・金剛頂経の三十七尊等、涅槃経の倶尸那城へ集まられた十方法界の仏・菩薩を文殊や弥勒等の菩薩はたがいに見知って語りあっていたので、これらの大菩薩は出仕にものなれているように見えたのである。 |
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| 今此の四菩薩出でさせ給ひて後、釈迦如来には九代の本師、三世の仏の御母にておはする文殊師利菩薩も、一生補処とのゝしらせ給ふ弥勒等も、此の菩薩に値ひぬれば物とも見えさせ給はず。譬へば山がつが月卿に交はり、猿猴が師子の座に列なるが如し。 | しかし、今この上行をはじめとする四菩薩が出現された後は、釈迦如来にとっては九代の本師で、三世の諸仏の母であられる文殊師利菩薩も、また一生補処といわれた弥勒等も、この四菩薩に値ったのちではものの数とは見えないほどであった。譬えば山奥のきこりが高貴な月卿等の貴族に交わり、また猿が師子の座に列なったようなものである。 | |
| 此の人々を召して妙法蓮華経の五字を付嘱せさせ給ひき。付嘱も只ならず十神力を現じ給ふ。釈迦は広長舌を色界の頂に付け給へば、諸仏も亦復是くの如く、四百万億那由他の国土の虚空に諸仏の御舌、赤虹を百千万億並べたるが如く充満せしかば、おびたゞしかりし事なり。是くの如く不思議の十神力を現じて、結要付嘱と申して法華経の肝心を抜き出だして四菩薩に譲り、我が滅後に十方の衆生に与へよと慇懃に付嘱して、其の後又一つの神力を現じて、文殊等の自界他方の菩薩・二乗・天人・竜神等には一経乃至一代聖教をば付嘱せられしなり。 |
釈迦仏はこの人々を召して妙法蓮華経の五字を付嘱されたのである。その付嘱もただごとではなく、仏は十神力を現じられたのである。釈迦仏は広長舌を色界の頂に付けられたので、諸仏もまた同様にされた。四百万億那由佗の国土の空に諸仏の舌がまるで赤い虹を百千万億並べたように充満したので、実におびただしいことであった。 このような不思議の十神力を仏は現じ、結要付嘱といって法華経の肝心を抜き出して四菩薩に譲り、わが滅後に十方の衆生に与えようと慇懃に付嘱して、そののちまた一つの神力を現じて、文殊等の自界、他方の菩薩・二乗・天人・竜神等には一経および一代聖教をば付嘱されたのである。 |
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本より影の身に随って候様につかせ給ひたりし迦葉・舎利弗等にも此の五字を譲り給はず。此はさてをきぬ。文殊・弥勒等には争でか惜しみ給ふべき。器量なくとも嫌ひ給ふべからず。方々不審なるを、或は他方の菩薩は此の土に縁少なしと嫌ひ、或は此の土の菩薩なれども娑婆世界に結縁の日浅し、或は我が弟子なれども初発心の弟子にあらずと嫌はれさせ給ふ程に、四十余年並びに迹門十四品の間は一人も初発心の御弟子なし。此の四菩薩こそ五百塵点劫より已来教主釈尊の御弟子として、 (★714㌻) 初発心より又他仏につかずして、二門をもふまざる人々なりと見えて候。 |
もとより影が身にしたがっているように仕えていた迦葉・舎利弗等にも、この五字を譲られなかった。これはさて置こう。文殊・弥勒等に対してはどうして付嘱を惜しまれるのか。たとえ滅後に弘めるべき器量はなくとも嫌うべきではない。等々不審であるのを、仏はあるいは他方の菩薩はこの土に縁が少ないと嫌い、あるいはこの土で菩薩であるが、結縁が浅いと嫌い、あるいははわが弟子弟子ではあるが初発心の弟子ではないと嫌われたので、四十余年ならびに法華経迹門十四品のうちには一人も初発心の弟子がなく、この四菩薩こそ五百塵点劫より以来、教主釈尊の弟子として初発心の時より、また他の仏に仕えずに迹門・本門の二門をふまえなかった人びとであると説かれている。 |
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| 天台の云はく「但下方の発誓を見る」等云云。又云はく「是我が弟子なり、応に我が法を弘むべし」等云云。妙楽の云はく「子父の法を弘む」等云云。道暹云はく「法是久成の法なるに由るが故に久成の人に付す」等云云。此の妙法蓮華経の五字をば此の四人に譲られ候。 | 法華文句の九に「但下方より湧出した本化の菩薩の発誓をみる」等。またいわく「これ我が弟子である。我が法を弘べきである」と。妙楽法華文句記には「子は父の法を弘める」と述べ、道暹は文句の輔正記に「法がこれ久遠実成の法であるから久遠実成の人に付嘱する」と述べている。この妙法蓮華経の五字を仏はこの四菩薩に譲られたのである。 |
| 二千余年の間悪王の万人に・らるゝ、謀叛の者の諸人にあだまるゝ等。日蓮が失もなきに高きにも下きにも、罵詈毀辱・刀杖瓦礫等ひまなき事二十余年なり、唯事にはあらず。過去の不軽菩薩の威音王仏の末に多年の間罵詈せられしに相似たり。而も仏彼の例を引いて云はく「我が滅後の末法にも然るべし」等と記せられて候に、近くは日本、遠くは漢土等にも、法華経の故にかゝる事有りとは未だ聞こえず。人は悪んで是を云はず。 |
仏滅後二千余年の間、悪王の万人に訾られたり、謀反の者が諸人にあだまれたりした。しかし、日蓮は世間の失もないのに身分の高い人からも、また下い人からも、悪王や謀反人のように罵詈され、毀辱され、刀や杖で打たれ、瓦礫を投げられるなど、迫害のやむひまないこと二十余年である。これはただ事ではない。 過去の不軽菩薩が威音王仏の末世に、多年の間罵詈されたことに似ている。しかも釈迦仏は不軽の例を引いて、我が滅後の末法にもそうなると記されている。だが、近くは日本、遠くは漢土等にも、法華経のゆえにそのような事があったとはいまだ聞かない。人は日蓮を憎んでこれをいわないのである。 |
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| 我と是を云はゞ自讃に似たり、云はずば仏語を空しくなす過あり。身を軽んじて法を重んずるは賢人にて候なれば申す。 | 自分からこれをいえば自讃に似ている。しかしこれを言わなければ仏語を虚妄にする過がある。身を軽んじて法を重んずるのが賢人であるからいうのである。 | |
| 日蓮は彼の不軽菩薩に似たり。国王の父母を殺すも、民が考妣を害するも、上下異なれども一因なれば無間におつ。日蓮と不軽菩薩とは、位の上下はあれども同業なれば、彼の不軽菩薩成仏し給はゞ日蓮が仏果疑ふべきや。 | 日蓮は彼の不軽菩薩に似ている。国王が父母を殺すのも、民が父母を害するのも、身分の上下は異なるけれども同一の業因なので無間地獄に堕ちる。日蓮と不軽菩薩とは名字凡夫と初随喜というように位の上下はあるけれども、同じ業なのだから彼の不軽菩薩が成仏されるならば、日蓮が仏果を受けることを疑えるだろうか。 | |
| 彼は二百五十戒の上慢の比丘に罵られたり。日蓮は持戒第一の良観に讒訴せられたり。彼は帰依せしかども千劫阿鼻獄におつ。此は未だ渇仰せず。知らず、無数劫をや経んずらん、不便なり不便なり。 | 彼は二百五十戒を持った上慢の比丘に罵られた。日蓮は持戒第一の良観に讒訴された。彼の比丘衆は帰依したけれども、初めに謗った罪で千劫の間、阿鼻地獄に堕ちた。良観はいまだに日蓮を渇仰しない。その重罪は測り知れない。地獄に堕ちて無数劫を経ることであろう。実に不便なことであり、不便なことである。 |
| 抑悲母の孝養の事、仰せ遣はされ候。感涙押さへ難し。昔元重等の五童は五郡の異姓の他人なり。兄弟の契りをなして互ひに相背かざりしかば、財三千を重ねたり、我等親と云ふ者なしと歎きて、途中に老女を儲けて母と崇めて、一分も心に違はずして二十四年なり。 |
そもそも悲母の孝養のことを仰せつかわされましたが、まことに感涙押えがたい。 昔元重等の五人の童子は、五郡より集まった性を異にする他人だった。しかし兄弟の契りをむすび互いに背かなかったから三千の財を貯えた。さて、われらには親という者がいないと歎いて、あるとき、途で老女を得て母と崇め、一分も母の心に違わずに二十四年を経たのである。 |
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| 母忽ちに病に沈んで物いはず。五子天に仰ひで云はく、我等孝養の感無くして母もの云はざる病あり。願くは天孝の心を受け給はゞ、此の母に物いはせ給へと申す。其の時に母五子に語って云はく、我は本是太原の陽猛と云ふものゝ女なり、同郡の張文堅に嫁す、文堅死にき。我に一の児あり、名をば烏遺と云ひき。彼が七歳の時、乱に値ひて行く処をしらず。汝等五子に養はれて二十四年此の事を語らず。我が子は胸に七星の文あり、右の足の下に黒子ありと語り畢って死す。 |
ところが、母は突然病に沈んで物をいわない。五人の童子は天を仰いで「われらに孝養の感がないので母は物をいわない病にかかった。願くは天よ、われらの孝養の心を受けられてこの母に物を言わせ給え」といった。 そのとき母は五童子に向かって「私はもと大原の陽猛というものの女でした、同郡の張文堅に嫁ぎました。そののち文堅は死にました。我には一人の児があり名を烏遺といいました。彼が七歳の時に戦乱にあい、行方がしれません。あなたがた五人に養われて二十四年の間この事を語りませんでした。わが子には胸に七星の文があり右足の下に黒子がありまあす」と語り終えて死んだ。 |
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五子葬りをなす途中にして国令の行くにあひぬ。彼の人物記する嚢を落とせり。此の五童が取れるになして禁め置かれたり。令来たって問うて云はく、汝等は何くの者ぞ。五童答へて云はく、上に言へるが如し。爾の時に令上よりまろび下りて天に仰ぎ地に泣く。五人の縄をゆるして我が座に引き上せて物語して云はく、我は是烏遺なり。汝等は我が親を養ひけるなり。此の二十四年の間多くの楽しみに値へども、悲母の事をのみ思ひ出でて楽しみも楽しみならず。乃至大王の見参に入れて五県の主と成せりき。他人集って他の親を養ふに是くの如し。何に況んや同父同母の舎弟妹女等がいういうたるを顧みば、天も争でか御納受なからんや。 |
五人の童子は埋葬する途中で国令の行くのに行きあった。すると、その国令は物を記した嚢を落した。そこで五人が取ったとして縛りつけた。国令は来て「お前達はどこの者か」と問うた。五童は先にいったようなことを答えた。そのとき、国令は上から転げおりて、天に仰ぎ地に伏して泣いたのである。そして、五人の縄を解いで、自分のいた座に引き上らせて物語るには、「私が烏遺である。あなた方はわが親を養ったのである。わたしはこの二十四年間、多くの楽しみに値ったけれども、母のことのみが思い出されて楽しみも楽しみとならなかった」と。 その後国令は大王に見参させて、五人を五県の主とさせたのである。他人が集って他人の親を養ってさえこのようなことがある。 まして、父を同じくし母を同じくする弟妹が優しく尽せば、天もどうしてその考心を受け入れないなとがあろうか。 |