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(★462㌻) 若童生まれさせ給ひし由承り候。目出たく覚へ候。殊に今日は八日にて候。彼と云ひ、此と云ひ、所願しをの指すが如く、春の野に華の開けるが如し。然ればいそぎいそぎ名をつけ奉る、月満御前と申すべし。 其の上此の国の主八幡大菩薩は卯月八日にうまれさせ給ふ。娑婆世界の教主釈尊も又卯月八日に御誕生なりき。今の童女、又月は替はれども八日にうまれ給ふ。釈尊・八幡のうまれ替はりやと申さん。 日蓮は凡夫なれば能くは知らず。是併ら日蓮が符を進らせし故なり。さこそ父母も悦び給ふらん。殊に御祝として餅・酒・鳥目一貫文送り給び候ひ畢んぬ。是また御本尊・十羅刹に申し上げて候。 今日の仏生まれさせまします時に三十二の不思議あり。此の事、「周書異記」と云ふ文にしるし置けり。 釈迦仏は誕生し給ひて七歩し、口を自ら開きて「天上天下唯我独尊、三界皆苦我当度之」の十六字を唱へ給ふ。今の月満御前はうまれ給ふて、うぶごゑに南無妙法蓮華経と唱へ給ふか。法華経に云はく「諸法実相」と。天台の云はく「声仏事を為す」等云云。日蓮又かくの如く推し奉る。譬へば雷の音、耳しいの為に聞く事なく、日月の光、目くらの為に見る事なし。定んで十羅刹女は寄り合ひて、うぶ水をなで養ひ給ふらん。あらめでたやあらめでたや。御悦び推し量り申し候。念頃に十羅刹女・天照太神等にも申して候。あまりの事に候間委しくは申さず。是より重ねて申すべく候。穴賢穴賢。 日蓮花押 月満御前え |
お子さんが生まれたことを承りました。まことにめでたく存じます。ことに今日は八日です。お子さんの生まれたことといい、また今日が八日というよき日であるといい、全ての願いが叶っていく様は、潮の満ちていくようであり、春の野に花が咲いたようなものです。そこで、いそぎいそぎ名をつけました。月満御前と呼ぶのがよいでしょう。 その上、この日本の国の主神である八幡大菩薩は四月八日の誕生です。娑婆世界の教主釈尊もまた四月八日に御誕生になったのです。今あなたの女児も、月は替わっても八日に生まれております。釈尊や八幡大菩薩の生まれ変わりと申せましょうか。 日蓮は凡夫であるからよくわからないが、これはおそらくは日蓮が符を差し上げた功徳でしょう。さぞかし父母もお喜びのことでありましょう。ことに御祝として、餅、酒、鳥目一貫文をお送りくださいましたが、これまた御本尊、十羅刹に申し上げておきました。 今日の仏すなわちインドの釈迦がお生まれになった時に、三十二の不思議な瑞相があり、このことが周書異記という書物に記しおかれています。 釈迦仏は誕生されると、すぐに七歩あるいて、口を自ら開いて「天上天下唯我独り尊し。三界は皆苦なり。我れ当に之を度すべし。」の十六字を唱えられております。今の月満御前は生まれて、産声に南無妙法蓮華経と唱えられたことでしょうか。法華経第二方便品に「諸法実相」と説かれ、天台大師の法華玄義に「声仏事を為す」等と説かれています。したがって日蓮はまたこのように推し測っています。たとえば、雷の音も耳の聞こえない人には聞こえないし、日月の光りも目の不自由な人には見ることができない。必ずや、十羅刹女は寄りあって、産水をつかわせ、大切に養育することでしょう。まことにめでたいことです、お悦びのほどを推量申しあげます。ねんごろに十羅刹女、天照太神等にも申し上げました。あまりおめでたいことなので、今日はくわしく申し上げませんが、また重ねて後に申しあげましょう。穴賢穴賢。 日蓮花押 月満御前へ |